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銀の封印部屋

いつも覗いて下さっている方、本当に感謝です。

始めて来られた方、ここまでお読みいただき有難うございます。

お気に入り登録下さった方、感想下さった方、感謝です。

すごく励みになります。

 

 どんなに辛くても過去はもういい。

 だたあの女のように、死ぬ時に1人は嫌だ、側に居てほしい。

 そう言うと驚きながら、君は微笑んでくれた。













「おめでとう。メアリ、幸せにね」

「いいんじゃない? お前、そんなにしなくてもいつも美人だし。まあ、今日は特別綺麗だとは言っておくか。でもアイツよりは俺の方が良い男だぞ」

 メアリは親友の2人にそう言われて微笑んだ。

 女性の方は母親同士が仲が良く、同じ年だったから姉妹のように育てられ、一緒に遊んだ、幼馴染。

 男性の方はそれに比べると短い付き合い。幼馴染が上級学校で同じ専門課程だったので仲良くなり、メアリは過程は違っていたが、彼女とは学内でも一緒だったから、自然と彼とも仲良くなった。

「そう言う2人の間はどうなの? 結婚式にはこのドレスを譲るわよ」

「やめてよ、メアリ。私達はそんな仲じゃないわ」

 幼馴染の拒絶に少々傷ついた彼の顔に、メアリは笑って「頑張ってね」と言う。彼はふいっとソッポを向いた。



 前を見ると純白のウェディングドレスを身に纏った自分が鏡に映る。まだ20歳にもなっていなかった。卒業と同時に結婚した。正確にはもっと在学の予定だったが、結婚の為に卒業を早めたと言うのが正しい。何故ならメアリの学業成績は飛び抜けて良かったから。

 それ故に目的を見つけられぬまま過ごしていた。

 母が亡くなり、忙しい父の背中に寂しい中で生きてきた。自分の持ち合わせた力の加減や立ち位置で、孤立していたメアリの日々に、光が射したのは愛する天使が出来た事。その相手が学校の若い教授マハイルだった。パーティでダンスを踊った男と似ていた事から、話が深まり、結婚の運びとなった。

 その側に近くいるのが何よりも彼女に優先されるべき事。

 今日からその一歩を踏み出す。

 自分で見ても幸せそうな笑顔がピンクに塗られた唇に輝き、アップにした髪が大人になるのだと自覚させる。胸が大きく開いたドレスも、貴族間のパーティーで着慣れていたので臆する事もないが、幼馴染にベールを降ろしてもらうと、いつにない厳粛な気持ちと共に、幸せで瞳が潤む。デコルテを飾る真珠の輝きが眩しかった。

 側にはシンプルながら参列用に着飾った友人2人、奥にはいつもの勢いがなく、感慨深そうな顔で座っている父デザークスも見える。



 天使界では「生」にはたくさんの神に祝福を求める為、子供が生まれたら神殿に参るが、「死」を迎える時は一番大きな元に帰るという考え方から教会を使う事が多い。その中間にある結婚式にどちらを使うかは、そのカップルに委ねられる事になる。たくさんの祝福を求め神殿を使う者もいれば、1つに誓い合いたいと教会を選ぶ者もいる。

 今も昔もこの庭の緑は美しく、綺麗な花がとりどりに植え込まれていた。爽やかな風が大きな窓から踊り込みカーテンを揺らす。クリーム色の壁と、街で唯一青の瓦が使われた場所。

 2人で選んだのは街の教会。

 まだあの頃は今の神父はまだ見習いで、父の神父に言いつけられたのか分厚い教本を抱えながら、中庭に設えられた祭壇に向かっているのが見えた。マハイル側がより少なめだが、ごく少なく招いた参列席もだいぶ埋まった。

 貴族である彼女、大学教授の彼には小さすぎる式。だが、メアリはもう貴族として生きる気はないし、マハイルは気取らない小さな幸せを求めていたからこのくらいが丁度よかった。

 もうすぐ自分と彼との式が始まるのだと思うと気持ちが深く熱くなる。

 未来の幸せを信じて疑わなかったあの瞬間。



 このまま友人に送り出され、父に連れられ、夫となるマハイルの手を取る。

 ダンスを踊ったマハイルに良く似たアレードが、腹違いの兄弟と知ったのは式の後だった。

 それからすぐに妊娠して、貴族の付き合いをやめてしまっていたから、友人達とお茶する以外、家で家事に勤しんで、慎ましやかな生活を送る。出産前後の頃は今以上にアレードも来て、父も孫の顔に相互を崩した。

 彼女の一番穏やかな時期は長く続かない。

 溺愛した息子が訳の分からない病気だと言われた辺りから、徐々に歯車が狂った。第2子が紫水晶の瞳を持っており、近所の天使は移転し、長子は別の世界に旅立った。立場上、父とも疎遠になり、アレードがたまに来てくれるだけになった。魔道士長が用件を聞きに来るくらいで、友人達も丁度生活が変わって会えなくなる。

 歌えば寝ている寡黙な子に必死に言葉を繋ぎ、ただ夫の愛情を支えに生きてきた。



 ドレ-ブの入ったドレス、長いトレーンとベールを引きながら、親友達の笑顔に見送られてヴァージンロードに立ったあの日に、今のような状態を考える事など出来なかった。

 今も目を瞑ると思い出せる。自分が着たドレスの皺も、握ったブーケを飾る花の数も、いや、花弁の数さえ鮮明に。



 目の前には闇。



「レイル、本当に居るの?」

 その質問に、溜息のような呼気で答えた者に半信半疑で声を掛ける。

「レイル」

「ほ、本当に……母さん?」

 2度目の呼びかけで、やっと声が聞けた。

 本当に捕まっていたのか、落胆と共に声を聴いて我が子と確認する。

 かしゃかしゃと言う物音と、声だけを頼りに歩くが、目が馴れる事のない闇。

「どこなの? 暗くてわからないわ」

 メアリにはレイルが見えていない。そろそろと闇の中を歩き、レイルの声がしたと思しき方向に歩もうとする。



 一方のレイルは魔法具などを輝きとして視る力のおかげで、メアリの姿が見えていた。

「気を付けてくださいね、大切な体なのですから。教授夫人」

 そして彼はメアリの後ろに男が居るのをも捉える。

 オレンジ色の綺麗なウエーブが掛かった長い髪、中性的な顔つきをした彼の酷薄そうな唇に、レイルは何か嫌なモノを感じた。

 それもどこかで見た気がする、そう思った。

 いつも唇を読む彼は、顔よりも唇の形をよく覚えている。だがどの記憶にも該当しない、にも関わらずどこかで見たと言う微妙な思い、そして身動きの取れない体にどうしようもない不安を覚える。



「母さん、どうして」

「ああ、レイル」

 彼に手を引かれたメアリはレイルの繋がれたベットに座り、その胸の辺りに触れる。

 緊張しているのか、冷たい手が直に触った事で、レイルは自分が服を脱がされている事に気付く。ツッとその手がレイルの声がする方に動いて、顔、そして髪に触れる。

 彼女は僅かに安堵の息を付いた。

「怪我してないのね?」

「怪我? ねえ、どうしてここに?」

「私は貴方と引き換えに、あるモノを持ってこいと言われて……良かったわ。無事で」

「ココはどこ?」

「ここは幻想の丘にある祠。木星の宮に続く地下深く、かつて銀の乙女を閉じ込めていた場所です」

 答えたのは男の方だった。音楽的に美しい声。



「ソナちゃんの子供をここに閉じ込めていたの?」

「閉じ込めていたのは私ではありませんよ。それに銀天使の聖唱使いは必ずここに繋がれ育てられていた、習わしのような場所。それだけです」

 メアリの抗議を含んだ声に、やんわりと彼はそう返す。

 ソナちゃん……正確にはソナタというようだったが、父マハイルが関与した銀天使の繁殖薬エンゲージドラックの実験で、激しい拒絶反応を示した女性の名。メアリも面識があったのか、マハイルが彼女を呼んだ名前の呼称でその名を口にする。

「銀天使をも閉じ込めるこの空間で、変な気を起こさないで下さいね、教授夫人」

「私に攻撃の能力はないわ。それからその呼び名は止めて。別に夫の肩書と結婚したわけではないわ」

 落ち着いたようにも聞こえるが、レイルは母の声音に怒りに近いモノが混じっているのに気付く。いつも明るく母親としての母性を振りまく彼女がこんな態度を取るのは、夫が警察に連れて行かれた時に玄関で対応していたあの時以来だ。

「今、どのくらいの時刻?」

 そんな彼女にレイルは的外れとも思える台詞を吐いた。メアリは棘の含みかけた言葉を飲み込んだ。息子が闇の中で不安を感じていると思い、優しく髪を撫でながら言葉を落ち着かせ、

「4時少し前くらいよ。ねえ、貴方、レイルを無事に返してくれるのね?」

「ええ、メアリ夫人。マハイル教授が持っていた物と引き換えです」



 メアリは愛しそうにレイルの頬を撫で、暗い中その存在を確かめる。レイルはまだ少しぼんやりとする思考で考える。

「母さん、来ちゃダメだよ。騙されてるから」

「え」

「母さんが俺が捕まっているってそれを言われたのは昼前だろう? じゃなきゃ、時間的にここまで母さんを連れて来るのは難しい。俺が捕まったのは昼以降だよ」

 レイルの質問は的外れでも、混乱したわけでもなかった。自分が寝ていたのはそんなに長くないと判断し、メアリに時間を確かめ、推測する為だった。レイルがそう言うと、彼はクッっと喉で笑った。

「お迎えを差し向けた時は確かに貴方は私の手にはなかった。でも、こうやって私に手にあるわけですから、弄ばれる時間を少なくしてくれた母親に感謝するのですね」



 レイルは時間的に自分が捕まっていないうちから、メアリが口車に乗せられていた計算は当たっているようだった。しかし彼女は緩く首を振って、

「嘘でも確かめなければいけないと思ったから良いのよ。本当に貴方は居たのだし」

「そう。結果的に貴女がココに来たのは正しい判断だったのですよ。もし時間があれば……」

「痛っ!」

 空を切るヒュンという音がしたと思ったら、パシッっとレイルの体を打つ。

 急な事にレイルは口から苦痛の音を止める事が出来なかった。鎖で戒められ、ベッドに張り付けられた体は、ギュッと力が入るだけで避ける事はほぼ許されない。煙がかった思考も一気に透明になる痛み。

「写真通り、きちんと叩き上げておいてもよかったのですが」

 空を切ったのは彼の手に握られた鞭、容赦などなく2回、3回とそれがしなる。何か尖った金属片がついていて、肌を傷つけるだけではなく、肉を抉る感覚にレイルは声を上げた。こんな痛みを知らない少年は叫ぶしかできない。

「やっ! 止めてっ」

 覆いかぶさるメアリの体に当たらないように、次は足に痛みが走った。レイルは歯を食いしばって、声が漏れるのを耐えたが、打たれる度に体が竦み、情けないほど声が出る。



 一瞬、ファーラの背中の傷がレイルの頭を過ぎった。

 鞭ではなく、剣だったのか、焼き鏝だったのか、火傷も深く走った膿が湧くほどの傷になるまで、どれだけの痛みを越えてあれ程重症化したのだろうかと。今でこそだいぶ良いが、消しきれなかった傷。父親に強制的に穢された記憶が根底にあって難しいかもしれないが、いつか、いつか、心の傷と共に癒えてくれると良い。

 レイルはそう思ってきたが、彼の受けた痛みに似たその片鱗を齧っただけで、トラウマになりそうだった。父親が帰ると毎日毎晩、体を拘束され、嬲られてきた者の気持ちなど、到底考えられない。

「お願い、止めて。レイルに酷いことしないで」

「では、まず、隠し持っている拳銃を出して下さい。それなりに撃てるそうですが、この闇の中ではどうせ不要でしょう。物騒な物は美しい貴女には似合いませんよ」

「か、あ、さん」

 母親がそんなモノを家のどこに隠していたか、レイルは知らない。

 祖父が警察であるから、護身用に握らせていたのかもしれないし、魔道士長が何かの時にと渡していたのかもしれなかった。

 だが、この暗闇で闇雲に打っても何もならない上、息子の手にかかった錠や鎖を切り、逃げる力をメアリは持ち合わせておらず、ただ眼差しを男のいる辺りに送り、掌ほどの本当に小さな拳銃を投げ渡した。「ご協力感謝です」



 とにかくレイルは自分の迂闊さを呪った。

 体調が悪くとも、あのような所で寝てしまうなど、殺してくれと言わんばかりの行為に何故堕ちたのか。生き延びる為に逃げろと言われ、待ち合わせの場所に辿りつけた安堵感だけで、あのように寝入るなど非常識だ。

「ふふ、待ち合わせにする場所の候補は幾つかあったので、ちょっと小細工しただけですよ」

 思考を読んだかのような回答にレイルは歯噛みする。彼の台詞はあらかじめ彼が来ると思わしき所に、何か仕掛けておいた事を示唆した。

 祠の扉の辺りで寝入ったレイルの耳から栓を抜き、音楽を聞かせて完全に意識を落として運べば、こういう状況を作り出す事は容易だっただろう。

 完全に意識を奪われて、脱がされても気付かず、繋がれて。

 その間に何をされたのか……は、考えたくない。何もなかったと思いたかった。



 彼は微笑を湛えたまま、銃をどこかへしまった。

「さあ、安全に帰りたければ、次はそれを渡して下さい」

「母さん、何を欲しいと言われたかわからないけれど、渡す事ないよ」

 レイルは精一杯強がる。

 無事に母親をこの部屋から出したいが、それさえも叶わないならば、男の言う事に易々と屈服したくなかった。ただ本当は……鞭、たかだか数発でもう心底萎えていた。更に打たれ続ければ、柔な自分ではすぐに折れてしまうだろう。

 だが初めから従ってなどやらないとレイルは思う。時間を稼げば魔道士の誰かが来てくれるかもしれないとの期待もあった。



 一方、メアリは髪の一本たりともレイルを傷つけたくはなかったのに、鞭を打たれた我が子に何も出来ない事が辛かった。早急に片を付ける為に、今は要求を呑む事が必要だと彼女は思う。

「黙っていて、お願いよ、レイル。このくらい手放してもマハイルだって許してくれるわ。貴方を失いたくないのよ」

 メアリは腕に付けていたリングを外した。レイルが知る限り、いつもは身に着けていないモノだ。だが仄かに青く光るのでそれが魔法具であり、その気配で父親が過去に作った細工物であると知れた。

「美しい、やはりマハイル教授はセンスが良い……しかし」

 外した4つの腕輪のような物は、たった1つだけ輝いていないモノがあった。それが彼にもわかるのだろう、メアリの膝から取り上げて、

「メアリ夫人、1つおかしいのが紛れてますよ」

「おかしい? わ、私には良くわからないのだけれど。確かに金具が少し緩いものがあったけれど、使用するには支障がないわよ? 他の人でも直せるでしょう?」

「そう言う問題でもないのですよね、こういう品物は」

 彼は興味を失ったかのように、メアリにそれを投げて返した。



「では、残念ですが、ご子息はお返しできません」

「そ、そんなっ! 約束通り持ってきたわ、壊れていてはダメだ何て言わなかった!」

 だから言う事など聞かなくていい、そう言いかけたレイルに被せるように男は、

「では、残りは後払いではいかがですか?」

「後払い? こんなモノをどうすれば後払いなんて……」

「マハイル教授が目覚めた時に、作り直してもらえるよう、また、これに合わせた首飾りを作って欲しいと、口添えをお願いしたい。こうやって交渉したのは無論内緒で」

「それで……レイルを無事に返してくれるの? マハイルが目覚めるかも……」

「貴女は信じているのでしょう? 教授が目覚める事を」

「え、ええ」

「なら、いいではありませんか? 彼が目覚めなければ約束はナシとなるだけです。しかし一つ質問です、嘘でも確かめなければいけないと言いましたが。何故、そこまで出来るのです?」

 自分が仕組んだくせに、何を言うのだろうかとメアリは眉を顰めた。

 メアリがココに来るように見せられたのは、レイルが鞭で打ち上げられた写真だった。正確には似せた少年が、だ。

 繋がれて酷い事をされている少年の写真、ただ偽造する事もワケはない。珍しい紫の瞳も、ぶれていたし、写真を加工した様に見えた。

「レイルは私の命よりも大切なの。それに例え、あの写真の子がレイルでなくても。レイルとして傷つけられたのであれば、その子も助けたいと思ったのもあるからよ」

「私の命より、ですか。正義感が強いですね。さすが警察の父持つ娘と言った所でしょうか、それとも母性の強さ、でしょうか?」

「どちらでもいいわ。で、その子はどうしたの? もう良いでしょう? 連れて帰るわ」

「それは無理です」

 彼はハッキリそう言ってから、



「もう死にましたから」

 さらりと言われた言葉にメアリが絶句しているのに気付いていないのか、

「弱くてビックリしました。昔、酷く傷つけても死なない子で遊んでいたので、加減がどうも難しい」

 メアリは明らかに顔色を悪くする。

 ただ真実を彼は告げている口振りで、その後に続く説明さえ、歌のように軽かった。

 彼が命を尊ばない者だとメアリは感じた。基本的な要求の1つとはいえ、ここに来ることは誰にも知らせていない。早くここからレイルを連れて出たいと思い、

「わかったわ。4つの内、この貴方が壊れたという物と1つは私が預かります。前払いは2つ。いいわね? レイルの鎖を解いて」

 にやりと彼は唇に笑みを湛えた。

「配分は構いませんが、彼を開放するのは数時間後です」

「え? そんな……」

差し出しかけたリングを膝に戻し、

「貴方が本当にレイルを開放してくれるかなんて、定かじゃないでしょう?」

「では貴女が拒否するなら、紫の子には死んでいただきます。無論、このまま、貴女の目の前で。と言ってもこの暗闇では目視できませんね。身動き一つできないほど痛めつけてから、明るい所に移動しましょうか?」

「レイルに何かするのなら、リングを直してなんてマハイルには頼まないわよ!」

「ならば……そのリングは諦めて他を当たるまで。時間もかかりそうですし。ああ、ついでに貴女も死にますか?」



 メアリは唖然とした。

 他人の子供を攫い、身代金のようにして要求してきた物品に、全く彼が頓着していない事に。すぐに諦められるモノの為に、鞭で子供1人を叩き壊し、我が子を攫われ、今ここに居る。

 何が何でも欲しいモノの為ならまだしも、すぐに諦められる物品にここまでヒトは出来るのだろうか?

 それとも何かの策なのだろうか?

 どちらにしてもメアリには理解不能だった。

「そうですねぇ」

 戸惑いを隠せないメアリを置いて、彼は勝手に話しを進め、

「こんなのはどうですか? 可哀想な紫の目をした天使が、世を儚んだ母親に……殺されるまで折檻され、自身もその鞭で首を括った様に見せるのは? 家のキッチンに梁がありましたよね、あそこから貴女下げて。で、この子は何処に転がせば目立ちますかねぇ」

「何を言って……ひっ」

 男は無理やりにメアリの体を立ち上がらせる。派手な音を立てて、彼女の膝からリングが零れた。

「やめろ、母さんに何をするんだっ」

レイルが叫ぶが聞いてなどいない、どこを見ているかわからない目線で、まるで酔ったかのように、

「階段や廊下を引きずって、点々と血を落としましょうか。後を辿らせて、布団に包んでおくと、剥ぐ楽しみがあっていいですね。それともストレートに壁に釘で打ちつけるのが良いでしょうか?」

「や、め……」

 そう言いながら彼はメアリを後ろから腰と左手を同時に押さえ、右手に鞭を握らせて手を添える。そして鞭で彼女にレイルを打たせた。

 ガッチリ押さえられているふうでもないのに、力に差があるのだろう。メアリはさせられるがままになり、我が子を傷つける手応えに悲鳴を上げた。本当は自身が手を下しているわけではないが、それを止めれれない事で、更なる罪悪の中で手に伝わる肉の感覚。

 レイルは出来るだけ声が漏れないように口を閉じたが、やはり沸き出す声を押さえられない。



「そうそう、貴女の隣に宙吊りにしておくのも、血やら汚物やら流れて臭いも視覚的にも鮮烈ですね、それなら手ぐらい握らせてあげますよ? いや、ピエタのように死体を抱きかかえながら、さっきの銃で喉を撃ち抜かせてあげましょうか? さあ、どれがいいですか?」

「や、めて! やめてっ!」

「あ、その前に選んでいただきましょう、右と左、まず、どちらが良いですか?」

「ど、どういう……」

「右? 左? 選んで下さい」

 死に方を選ぶより、簡単な選択。その分、選ばなければならない、そう思わせる脅迫染みた言い方に、震える唇で、

「み、みぎ……」

 メアリが回答した途端に、レイルは鞭が動くのを見た。その先が肢体ではなく、右目を狙っている事に気付き、間一髪で首を捩らせた。首筋と右頬の肉が裂けた痛みで、呻くレイル。動脈は持って行かれなかったが、頭を殴られたように響く痛み。それに上げた声が今までのモノと一段違っていたのでメアリは異変に気付く。

「な、何? レイルっ!」

「だ、だいじょう、ぶ」

「ほう、避けましたか。争いの元凶にある紫水晶瞳を、貴女の手で叩き割らせてあげようと思いましたが。首筋と頬に当たって、残念ながら瞳は無事でしたよ」

「いやっ! やめてっど、どうしてこんな事を」

 真っ暗で何も見えないメアリに、レイルが取り繕った言葉を踏んで、あざ笑うように説明する。メアリの瞳から涙が落ちた。半狂乱になって、髪を乱してイヤイヤするように首を振る。それでも彼女な体を使って、鞭を振るわせた。

「もう、もう、お願いだからやめてぇっ。言う通りに、言う通りにするからぁっ」

「メアリ夫人……いえ、『忘却の姫』」

「何故、その名を……」

「今、手に憶えた息子を傷つけた感覚を一生忘れない、つまり私との約束を忘れる事はないでしょうが、万が一約束を反古にした場合は、無理心中に見せかけてマハイル教授にも死んでもらいます。血の海で倒れる3人を見たら…………アリエルが泣いて喜ぶでしょう」



 その台詞でレイルの記憶が氷解して合致する。

 ファーラの事をアリエルと呼ぶ天使を、彼は1人しか知らない。

 白いフードをかぶった、アリエルの、つまりはファーラの兄と名乗った少年は彼をそう呼んでいた。

 病気でないとありえない細さとねじ曲がりのある、枯れ枝の様な指。だが今は細いが肉のきちんとついた美しい繊細な男性の指になっている。聞いていなければファーラよりも年下にさえ見えた身長も、怖ろしいほど見事に伸びていた。

 あの時は隠していた顔も肌も綺麗で、オレンジ色の髪が緩く波打ち、長く、美しい。

 瞳は翡翠の様にミルクを溶かした不透明な緑。目は見えていないようだが、暗闇も何も問題がないようだ。現にレイルの右目を正確に狙ってきたのが証拠だ。

 その綺麗になった唇が吐く音は声変りか、老化した体から絞り出していたからか。当時の少年のモノとは変わっていたが、あの日、目深に被ったフード下の唇に浮かべた笑い。パサパサにひび割れた唇だったし、歯も抜けていた感じで唇の形が歪んでいた為、すぐに合致しなかった。だが、目前の酷薄そうな唇は間違いなくあの日の少年の物。

 手にしたモノを瞬時にどこかへやるそのやり方も、そっくりだったと記憶を重ねる。




「お願い、もう、もう」

 レイルが痛みと事実の照合で言葉を失っている中、メアリは泣きながら、彼に懇願する。預かり、自分の息子として可愛がるファーラの兄を名乗る男とも知らずに。

 その様子にもう裏切りはないと踏んだのか、メアリを開放した。力なく、崩れて床に座った彼女をそっと彼は立ち上がらせて、

「申し訳ありません、手荒な事をしてすみませんでした。貴女がおかしな事をしなければ、必ずご子息はお返しいたしますから」

 まるで掌を返したかのように、メアリの両手を取って片膝を付く。手首に跡が残りそうなほど強く戒めていたと言うのに、優しく紳士的に振る舞う様は落差があり過ぎて彼女を更に混乱させた。



「貴女には街に帰っていただきます。行きと同様、車を走らせるので、夕暮れまでには帰りつくでしょう。時期が来れば連絡差し上げます」

 車を動かすという事は、今の天使界では潤沢な資金がなければ出来ない。それだけの何かが彼の後ろにいる事を、その言葉でチラつかせる。だがもうその必要もないほど、メアリは従順だった。それでも最後に気力を振り絞り、

「…………条件を飲むわ。……でも謀ったとわかったら、父の……警察の権力全てを借り、貴族の名を振るい、『忘却の姫』としても貴方を追い詰めるから覚悟しなさい」

「私にとって貴女の力は脅威ではないのですけれど。すべてを忘れたい生き様ですから。記憶を無くして、野垂れ死ぬならそれも良い」

「…………余程酷い道を歩んだのね」

 メアリはゆっくりと憐れむように言ったが、彼は僅かに笑いながら床に落ちたリングを拾い集め、自分が2つ、彼女に残りを持たせ連れて行く。

「母さんに無理させないでくれよ、お腹に……」

 レイルの言葉に涙に濡れるメアリの顔がハッとした表情になる。唇が「知っていたの?」と形作るが、

「そうですね、大切な体ですから」

 レイルが返事をする前に、彼はそう言って彼女を引き離して部屋の外に追いやる。

「目隠しをして、丁重にお送りしてください」



 仲間がいるのか、彼女は連れて行かれた。

 扉が開き、空気の流れは感じるものの、光がない所を見るとこの部屋の外もある程度先まで暗闇が続いているのが見て取れた。

 彼は鞭を壁に片付けてから、レイルに近付き、メアリが先程腰かけた位置に座る。

「痛かったでしょう?」

 思いやる言葉と裏腹に、爪でその痕を引っ掻くようにレイルに触れた。

 傷みと共に襲う嫌悪感。

 ミミズ腫れ程度でまだ血を流していなかった部分にまで、爪を宛がう。心臓までそのまま指で掘り進めようかとする動き、そしてご丁寧に傷を開いて行く所業にレイルは激しく声を上げてしまう。それを押さえこんで、睨む。彼は変わらぬ口調で、

「この闇の中でも目が見えているのですね」

「アンタも、痛っ…………」

「私は盲目ですよ」

「盲目だからこそ、なのか」

 レイルは耳を塞いで生きている。

 その為に他の者より目で見る事や肌で感じるなど、聴覚を除いた4つの感じる力はそれを補っている。剣など鍛錬が必要な物はともかく、ちょっとしたスポーツなどは成績が良いほどだ。

 彼は目が見えない分、視覚を除いた4覚と、更に魔法を駆使して何不自由がないのだとレイルは感じた。

「鼓動を聞くだけで、貴方が今どれだけ怒りと痛みを感じているか知れますよ」

 彼は足の方まで移動し、すべての傷を爪で逆立てていく。



 飲み込んでも飲み込んでも溢れる声を、呼気に変えてその苦痛に耐える。力を入れる為、顔が赤らみ、汗が滲んだ。熱を持ち、ズキズキと傷は痛む。頭までがんがんと痛みが響く。

 血に塗れた指を彼は嘗め、レイルの視線など感じていない様子で、レイルの上半身の方へまた来ると、柄が貝で飾られたナイフをレイルの頸動脈に宛がった。

 そのまま強く引けば、惜しげもなく血液が溢れて、返り血を浴びた彼に見つめられながら死ぬ。その様を想像して、レイルは目の前の死に震えた。

 だが、彼に殺さないでと懇願し、泣き喚く醜態だけは見せまいと奥歯を噛んだ。

 ここで死んだら、ファーラに彼は何と告げるのだろう? 

 ここまで来てくれた母は無事に帰れるのか……



 そんな思考を読んだのか、彼は薄く笑って、僅かに戯れのようにレイルの首の皮を切っただけ。そして刃を首から離した。

「ふ、綺麗ですね。泣き喚くのもいいですが、そうやって気高い方が私は好きですよ。紫の瞳にはそれが似合っている。男の目から見てもそそりますよ」

 そのナイフを自分の左の人差し指に這わせ、血を垂らす。

 右目を狙って出来た、右頬から首筋の傷をその指で丁寧に撫で、溢れ、滴る血でレイルの唇をなぞった。

「何を……」

 彼はいつの間にか逆の手に握った容器をひっくり返す。

 細い口からタラタラと垂れる、虹色に輝く粘液状の液体。

 レイルはその成分を文字と記号で見る。どこかで見た事がある記号に近い。記号が近いものほど、同じ化学構造や精製の仕方であるという事を指す。



 彼は掌に付けたそれでレイルの体にペタペタと触り、自分の血とレイルの血をまぜながら、そっと体中に伸ばしていく。血に反応するのか、魔法が込められたのか、記号がキラキラと差し変わっていくのがレイルには見えた。

 しかし自分の体の上を走っていく、その手つきがイヤらしい事この上ない。

 その上、塩でも擦りこんだように傷口に染みてきた。もはや記号が差し変わるのを呑気に眺めている余裕はなかった。レイルは体を捩り叫ぶが、鎖が解けるわけではない。蜘蛛の糸に捉えられた虫のように体をゆすり、痛みを訴える声が部屋に虚しく響く。

「あ、……っぁ、何だ、これ」

 そして傷みが急激に治まったかと思うと、体が激しく熱を帯びる。

 今までの痛みが別の感覚に変わる。

 本能的に「気持ちが、いい」のだとレイルが気付いた時、もう彼の息は上がって甘い吐息を吐き出すしかできなくなっていた。局所を触られてもいないのに、肌を撫でられるだけで体がハッキリと反応し、それを隠そうにも手は鎖にとられている。毛が逆立つような羞恥が更にレイルの感覚を狂わせた。

「何するんだよ」

 頭に過ぎる何かを追い払うように言い放つと、彼は笑った。



「こうやって血に混ぜると、傷によく効くんです」

「効く? 薬、なのか」

「何だと思いましたか?」

 そう言われたレイルはもう目をおどおどさせるしかできない。薬とは言っても、媚薬なのだろう。酷い痛みが消えるならまだしも、快楽に激変するこんな薬をレイルは知らない。その上、ヒトを溶かすような撫でまわしは、もう大人になろうかと言う少年には刺激が強すぎた。

「何が原料なんだ?」

 意識を逸らそうと、レイルはするとも無しに質問した。その言葉に彼は嬉しそうに答えた。

「普通なら対価をいただく所ですが、前に額飾りをいただいたのでお話ししましょうか……これは水晶ですよ」

「す、水晶?」

「水晶と言っても、鉱石じゃなく、天使の体から取り出した「玉」です。綺麗でしょう?」

「う、うそだろ?」

「水晶は価値が低いですが、量産できますから、こうやって精製した方が量も増えるし価値が上がるのです。察しの通り、傷薬よりも媚薬として扱われる事が多いです。生き物は快楽に弱いですから」



「量産だって……」

 彼の言う、その「量」の数だけの魂が失われている、レイルは頭が煮えるような怒りを感じた。

 誰かの命を削って生み出された薬。

 昔から鉱石を薬として飲む事は知られているが、「玉」までもがその対象となるなど知らなかった。

「まだ水晶のこれは、常習性はないです。じっくり体感していくと良いですよ」

「誰が……」

「息が上がってますよ」

 シラーが「玉」は麻薬になると言っていた、だから彼が全くの冗談を言っているようには思えない。

 そしてその記号がどこで見たモノと合致しているか気付き、次は体が冷えるのを感じた。

「母さんの、飲んでいた……」

 今そこに居た母が、飲んでいたコーヒーに似せた液体。アレを作る為の粉の1つが水晶を精製した液体とよく似ていたのだった。色は黒かったし、効能は違っている。だから水晶ではないが、何かしら「玉」を精製し作った物質が入っていたのだとレイルは憶測する。

 母は知らずに飲んでいるのだろう。そう思うしか慰めが見当たらない。

「どうして、どうして…………」



「どうしましたか?」

 彼の声音は驚く程、優しい。

 こんな声で囁かれたら、どんな嘘でも信じてしまいそうだ。彼の本音を聞けば天使を小馬鹿にした言葉でしかないというのに。

 レイルは潤んだ紫水晶瞳で、それでも尚、反抗的に彼を睨み上げた。

お読みくださった後に「読んだよー」など

一言でもいただければ。

いえいえ無理なら評価だけでも……

あ、ポチして下さった方、ありがとうございます。


お気に入り登録いただけたら飛び上がって喜びます。

前回登録いただいた方、ずっと継続していただいている方に感謝を。



 五月末まで少々公募と言うモノに手を出す事にしたので、お休みさせて下さい。

次回更新は六月。調子よければ一週目には更新。

正確な期日は活動報告にて上げるつもりです。

 紫水晶の連載を完全に止める気はありません。ですので、もう暫く紫水晶の方、お待ちいただけると嬉しいです。

早く週一に戻したいですーーー

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