表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/40

眠りに辿りし会話

いつも覗いて下さっている方、本当に感謝です。

始めて来られた方、ここまでお読みいただき有難うございます。

お気に入り登録下さった方、感想下さった方、感謝です。

すごく励みになります。



お読みくださった後に「読んだよー」など

一言でもいただければ。

いえいえ無理なら評価だけでも……

あ、ポチして下さった方、ありがとうございます。


お気に入り登録いただけたら飛び上がって喜びます。

前回登録いただいた方、ずっと継続していただいている方に感謝を。

 要らないから、あげると譲れるならば良いのに。

 でも命は譲れない。

 揺らいでも、不安でも、前を見て歩むと決めたから。

















 久しぶりに外を歩くせいか、レイルは爽快感があったが、足元がどこか覚束ない。

 先程まで白んでいた空は青が濃くなり、春の日和となりそうだったが、まだ朝の空気が立ち込め肌寒さがある。1枚羽織ってくればよかったかと後悔したが、太陽が上がりきればすぐに気温は上がる。さほど問題は見出せず、下着程度しか入っていない鞄を肩に、足の運びを早めた。

 久しぶりに綺麗にまとめて、組紐で髪を止めていたから、少し背筋が伸びる。食欲は戻っていないが、調子はいい方だとレイルは思う。



 問題は山積している。

 祖母達の過去、マハイルの苦痛、魔に堕ちた祖父、居なくなった兄、生まれて来ようとする命に口を閉ざす母……どんなに前向きに生きてきても、ここまで山積すれば苦痛を通り越して鬱になりそうだ。

 だが自分の人生に問題がない時など今までもなかったのだから、今更動揺しなくていいと考えようと務める。自分にはわかってくれる友がいる、それを感じるだけで生きていくのは充分だった。



 ただ……今日行く場所は、5年間、無意識に向かう事を避け続けた場所だ。

 行かなくても生活できるのだから、問題はない。でも本当はもっと早く行かなければならなかった。

 自分が受けるはずの攻撃を受けて、命を損なわれた少女ユリナル。葬式にて彼女の片鱗に触れて別れは告げられたものの、その後、花の一輪も手向けに行けなかった。

 それにいつも住む範囲から外れる事は身を守る魔道士達に負担がかかり、また自分が危険な事も承知で我が儘が言えなかった。だがそれはレイルの言い訳に過ぎない。墓や彼女の死んだ場所には悲し過ぎてどうしても近寄れなかったのが真実だ。

「どこかで花を買おう」

 彼女は何で早く来てくれなかったかを問うだろうか? それとも変わらず微笑んでくれるのだろうか? そう思いながら、前を見る。

 気持ちまでもが前向きになるかと言えばそうでもないが、ファーラの気遣いが自分の在り方をはっきりとさせる。どんな事が山積しようと真っ直ぐ前を見ようと。

 それに……じっとしていると滅入るので、家の中に閉じこもっているよりずっと良い。



 そんな彼にシラーは歩幅を合わせる事無く、二股の桜の老木の側を抜け、レイルより前を歩いていく。彼の使い魔のチャーチの方が、レイルを慮るように時折振り返る。見張っている、という見方も出来なくはなかったが。

 シラーは珍しく警察機構のリボンが揺れる服ではなく、魔道士が好むマントの服を着こんでいる。

 正確には彼は魔導師というらしいが。

 翼がないわけではない、むしろその数が多いと聞く。

 出す数を調節できるので、レイルはその二対翼を見た事がなかった。綺麗な白、純白の一対。真面に翼がないのに天使と呼ばれるレイルにとって、数が多いなどは羨ましい話だ。

 その白い容姿と、白いマント、下には白の襟シャツに白ズボン、どこかのホストかと見まごうような姿に、漆黒の使い魔が付いて歩くと、実に目立つ。

 それに彼は紫水晶に近い珍しいラベンダーの瞳だから、本物の紫水晶瞳のレイルと連れ立ったなら人目を惹く事この上ない。



 このまま街に出たら、確実に見世物だ、そう思ったレイルだったが、心配は杞憂だった。

「あれ? 乗合馬車を使うのかと思った」

 ゆっくりと目の前に燻したような茶色の木で作られた馬車が止まった。小型の個人持ちの馬車。農作業用ではなく、天使が翼を使わない時に移動を主とする小奇麗な形をしていた。

 他世界との外交上の問題で、ここ数年で一般の車やバスなどの生産、および使用の規制が激しくなった。航空制限があっても天使は飛べるので、もともとの台数自体が少ない。その為、混乱もさして無く、今、街中で走っているのは警察機構、および軍用車、公共機関として走るバスや緊急救急用車となっている。後は違約金を払っても乗れる金持ちぐらいだ。

 その為、翼も公共機関を使わない遠距離移動の場合、馬車が良く使われる。ただ馬をその為だけ飼育するのは大変なので、乗合馬車やタクシーのように馬車で客を拾う商売、レンタルなどが繁盛している。

 乗合馬車は10人ほどがまとめて乗れる幌付き車の事。レイルの住む街の下を走る地下鉄は、目的地の神殿都市へは繋がっていない。



「乗合馬車では目立ち過ぎるでしょう、レイル様」

 中から降りてきたのはレイルが身に纏っているローブに、髪型まで似せたフェイクの少年ファリア。

 遠目にはレイルが2人いるように見えるだろう。

「良い馬車だね。レンタル会社で借りるの?」

「いいえ、要人警護用の道具の一つです。レイル様が使われるのは初めてでしたね」

「普通、この街以外の何処にもいかないから……そう言えば、副魔道士長と一緒に行くんじゃなかったっけ?」

 魔道士長はそれなりに良く知っている顔だが、副魔道士長には会った事がない。

 だいたいレイルの記憶で魔道士も顔と名前が一致するのは、長とファリア、シラー、そしてソネットくらいだ。後はすれ違いで顔は記憶していても名前を聞く事もない。彼らは警護に来ているだけで、レイルにとって普段は陰でしかない。

 馭者の男も服装や纏う文字から見て魔道士だったが、レイルに挨拶するでもなく、副長と言う感じではなかった。

「現在の副魔道士長は私です」

 ファリアはそう言うと、レイルにはあり得ない笑顔でにっこりとそう言った。

「え? 俺とほぼ同じ年で?」

「年は関係ないのです。さ、そちらに座って下さい」



 荷物を床下にしまい、3人が乗り込むのを見計らい、馬車は走り出した。使い魔のチャーチは別口で走るのか、姿がいつの間にか消えている。

 進行方向に向かう椅子には掛布団が片方に積まれていて、そちら側がレイルの席、その正面に魔道士2人が座る。布団は具合の悪いレイルを楽にするための用意。

 内装は簡素だったが、椅子に使われている紺の布は柔らかく、座面は2人の魔道士達が座る椅子より遥かに付き出している。同じ色の背もたれも程よくやわらかに倒してあり、座りやすい。

 板張りの椅子が左右にならべてあるだけの幌馬車とは高級感が全然違う。

 天井には小さな花模様の彫りがあり、夜に電気を付けると可愛らしい影が降って来そうだった。

 それ以外、見た目の装飾は押さえてあるが、壁木は綺麗に磨きこまれてニスも塗られていないのに、滑々していて、ふんわり温かみが感じられる作りになっている。窓には小さな木の扉があるが開放されていて、外に手が伸ばせそうなくらい、窓ガラスは曇りなく磨かれていた。



「体をのばせるほどではないですが、仮眠くらいは取れますから。気にせず使って下さい」

「うん」

 座面が広い為、少しだけ猫のように体を丸めれば、レイルのサイズならちょっとした睡眠は横になってとれそうだった。足を椅子にあげて、壁に凭れる方法も良いかもしれない、そう彼は考えたが、すぐにそうしなければいけないほど体はキツく無かった。やはり少し寒さを感じたので、淡い水色の掛布団だけ引っ張って膝に掛け、壁と肘掛にもたれるように深く座る。

 久しぶりの外出で、いい感じの馬車に乗って、これで行く先があの神殿都市である事が、気を重くしたが、覚悟を決めてしまった今、旅を楽しもうと思う。もしかしたら魔力が戻り、魔法が使えるようになるかもしれないと言うのも、考え始めると彼を嬉しくさせた。

 馬車は軽快な音を立てて進む。その音がレイルには聞こえずとも、体にリズムとして伝わってくる。

 窓の外にはまだ少し冷えた空気と、オレンジ色を帯びた朝の光。いつも学校に通う時に使用する街中の道は通らず森の小道を抜けて行く。窓は開けられないが、どこからか外気ないし空気循環させているようで、息苦しさや閉塞感はない。

 彼らは耳の後ろに外部と連絡を取る機械を付けており、時折ファリアはそれで話している。

 シラーは警戒しているのか、ずっと外を見ていた。



「そう言えば、レイル様。一つお話しておきたいのですが」

 外との連絡が一通り終えたファリアが、まだ寝る気配のないレイルに喋りかける。レイルは丁寧な彼の口の動きに気付いて目を向けた。

「随分前に、貴方の父、マハイル教授の「玉」を、私が移動させたのを覚えておいでですか?」

「うん、おかげで助かったよ。心臓が傷つかなかったのはそれのおかげ。でも目は覚ましてくれないけれど」

「そうですね。ただ、お話したいのはそこではなくて。私のこの力、空間魔法についてです」

 レイルは首を傾げた。彼の力は良くわからない。

「私はこうやって……」

 何もない空間を掴むようにすると、綺麗なガラスのペンが現れる。くるくると綺麗な色が螺旋に捲いた透明なそれ。

「物を出せます。私の場合、出せる物は辞書程度の大きさ、自分の作れる異世界スペースに置いているモノ、または今まで手に触れ、現在置いてある位置がわかる物、形状が変わっていないモノです。一度手にしていても、食べたクッキーを胃の中から取り出すのは不可能って事です。このガラスペンで出した板が端末となってネットなど情報まで取り出せる辺りは私の特殊能力になります」

「そうなんだ」

「逆に手元から転送できるのはガラスペンで触れるのが条件、転送先は自分がわかる場所か、任意で自分から離れた場所、または自分の異世界スペースです」

「へえ……」

 彼の手元からガラスのペンが消える。たぶん異世界スペースとやらに戻したのだろう。

 レイルは頷いて、話の続きを待つ。

「ですから、もし誰かの「玉」が奪われ、またあの時のように手元に取り戻せた時も、信用ある天使以外に転送させてはいけません。医者になった時この施術を行う気なら、と、忠告です」

 何が「ですから」になるのかわからず、レイルは少し首を傾げかけたが、

「私のような力と「玉封じ」が近い事はお気付きでしょう? 同じような空間魔法であっても「玉封じ」を使えるか否かは個人の資質です。普通、私に「玉封じ」は無理です。手に触れたモノしか移動できないですから。でも一度手を触れたモノなら……」

「もしかして、今その気になれば父さんの「玉」を手元に出せるって事? そのガラスペンのように」

 戻していたペンはまた彼の手元に現れる。それはレイルの考えを肯定していた。

「もし「玉」を心臓を傷つけずに戻して……も」

「はい、逆に、任意で取り出せる状態となります」

 それは恐ろしい。生殺与奪を握った天使が悪意を持てば、とんでもないことになる。

 例えばファリアがマハイルの「玉」に意識を向けて念じれば、もう今の瞬間にも殺せるという話なのだから。



 顔色が悪くなっていたのだろう、ファリアは屈託なく笑って、

「驚かせてすみません。あれからすぐに封術をマハイル教授の「玉」にかけましたから、もう私は動かせません」

「え? 封術?」

「例えるなら細い糸のような魔力で物と自分が繋がってるのですが、それを引く事で手元に寄せられる、その線を切る術です。ほら封術がないと、私みたいなのが宝石店にでも入って触れたら、その店で触れたモノを自由に持って出られる事になるでしょう?」

「…………そ、そうだね」

「この手の封術は発達してます。たぶんレイル様の譜でも出来る範囲では?」

 出来ますよね、そう言わんばかりにシラーに同意を求めると、彼は軽く頷いた。

「ただ知らなければそのままにされるでしょうから、お知らせしておきたいと」

 そこでやっとレイルは落ち着いた。

「わかった。でももう、あんな事二度と……」

 体験したくない。

 父の体に眠っていたのは、金を纏った綺麗に輝く青い石だった。命の源、心のそれを抜き取られて倒れる天使など、彼は二度と見たくはなかった。

 下を向きかけたレイルだったが、顔を上げる。もしもの為に情報は必要だと思ったからだ。



「それに、ああ正確に元の位置に戻せる術師はいないんじゃないかな? 血管一本傷ついた感じがなかったから」

「空間を扱うこのレベルの術師はなかなか居らず、その展開法は魔道士でも珍しい力だ」

 今まで黙っていたシラーが長めの台詞でそう言った。無口な彼にしては珍しい賛辞で、それをファリアもわかってにこやかに笑った。

「えーっと。シラー兄さんが褒めてくれるなんて何か降って来るのではないでしょうか? それに空間操作にも制約がありますよ。鼠は私が安全に運べるサイズですが、鼠の命を完全には保障できません」

「天使を瞬間移動させられるほどの力の持ち主は居るの?」

「余り進んではやらないです。ごく偶に災害などに見舞われて、突発的に使った報告は上がっていますが、命まで保証されない移動です。時空の歪みを通るわけですから、潰される事もありますし、体は無事でも記憶を失くす事も。崖の様な所に放り出されて、飛ぶ暇なく亡くなったと言うケースもあります」

 ファリアの口ぶりからすると、ネズミでは試した事があるが、それも必ず命があった訳ではないのだろう。安全に移動させられないサイズで天使を通して廃人にしてしまうわけにはいかない。



 この会話の後、少し喋ったが、2人は警護任務にあって、お喋り相手ではないとわかっているので、レイルは口を閉ざす。

 何度か休憩に街に寄ったり、飲み物を飲んだりとして、少しずつ目的地に近付いていく。

「そう言えばファリア、花を買いたいんだ」

「花?」

「そしてあの演舞場に寄りたいんだ」

 一瞬だけファリアは考え、頷いて、行く事を約束してくれた。

「ではこれを」

 彼はその後に降りた街で、小さな掌大のガラスケースを買って来た。

 中にはプリザーブドフラワーのように見える白いバラが数本入っている。ガラスケースを割ると大きさを取り戻すとファリアは言った。丁度先程話していた空間を操る力の応用と言った魔法具。または彼が即席で中に入れてくれたのかもしれない。

 感謝を言ってそれをレイルは懐に入れた。



 馬車の旅は長く、昼食を取って、順調に走って二時間はかかると言われた。

「少しは食べないと」

「動いてないからさ、腹減らない。いいよ」

 視線を避けるように、布団を寄せる。食べないと心配されるが、食欲中枢は刺激されず、満腹を維持したままだった。

 追求を避ける為に視線を外し、馬車のリズムだけを感じていると、耳の聞こえないレイルは次第に眠くなる。遠慮なく仮眠を取る事にした。その方が食べない者が居るより、2人も食べやすいだろう。布団を更に引き上げ、深く椅子にもたれる。

「きつくないですか?」

 レイルはファリアに頷いて、ウトウトし出す。熱は下がっているし、動いておらず腹は減らないのに、眠気は異常なスピードで彼の体を乗っ取って行く。



 その時、ファリアが食事を終え、シラーを呼ぶ。読むとも無しに薄目でレイルはその口を読んでいた。

 何か情報が入ったらしく、シラーに話を振っていた。

「さっきの北の話……兄さん、聞きましたか? 」

「……ブルーリボンが管轄だ」

「紋章士と証明士、死者は合わせて20名強、バラバラ過ぎて人数確認もまだ出来てないようです。生存者は1人だけ、それも両手を切断された状態らしいです」

「……正確に聞きたい。紋章士と証明士は違うのか?」

 ファリアはそれを受けて、ガラスのペンで四角を描く。そこにさらさらと文字が流れる。

 シラーは口にしていたベーグルサンドを咀嚼し終えると、その文字を眺めた。



「やはり違うのだな」

「ええ、血の家系とか血脈を辿るのが証明士、紋章士はそれを体に刻印できる能力だそうです。1人でどちらも完璧に出来る一級所持者は少なくて、補いながら2人組でやる二級の方が主のようですよ。あ、特級なんていうもあるそうですが」

「特級?」

「ええ、紋章を操り、攻撃に変えられ……手を金属化できる……そうです。これ、レイル様は……」

「紋章士に掠っているとは長も言っていた」

「グリーン家の家系によく紋章士が輩出されるのはわかってましたが。では、レイル様は特級の紋章士なのでしょうか?」



「いや、紋章士に文字や図形自体を見る力はない」

 文字を眺めやりながら、ファリアは、

「そうですか。それにしても彼らが紋章士を襲う事件はこれで2件目。それから例の施設にも紋章士が居て、中でも酷い死体だったとか。兄さん、奴らは証明士や紋章士に何か恨みでもあるんですかね?」

「違うな」

「え?」

「恨みなら聖唱使いを狙うだろう」

「聖唱使いは魔に堕ちる前なら救えるけれど、魔に堕ちた者を殺し、操れるのですよね」

「紋章士にそれはない」

「では、何故……」

 ファリアは話したそうだったが、シラーは興味を失ったようにまた窓の外を眺めた。

 今の会話が昨日の夜、叔父のアレードと変異魔ランスの再会の場であった事も知らずに。

 そんな2人を見ながら、完全に目を瞑る。



 次の瞬間、



 ……と言ってもレイルは暫し眠っていたのかもしれない。

 体が突然どこかに放り投げられる感覚とほぼ同時に体が床に叩きつけられる。

「な、何?」

「レイル「譜」を起動させろ」

 状況がつかめないまま起き上がる。手を付いた床に花柄模様があって、椅子が頭の上にある事から、馬車が上下逆になっているのがわかった。窓には蜘蛛の巣状をした割れが入っており、外は良くわからない。

 とにかく足にまとわりついた布団を蹴散らかして、いつもポケットの中に入れている「譜」を取り出し、何枚かまとめて破き取る。

「2人とも魔道士だから、動くか……」

「気持ちでいい、ファリアも入れて守れ」

 ファリアはレイルにしがみ付くようにして、気を失っている。ガラスの亀裂は彼の頭か体躯がぶつかったからかも知れない。衝撃からレイルを守ってくれたのだろう。

 レイルは焦りながら、彼に押しつけて起動させた「譜」で薄い文字の膜を組み上げる。天使の魔力ではなく、魔道士の魔力の破片ではうまくいかないが、枚数を多めに起動させて穴を埋める。その様を見て取って、シラーは中腰のまま、腰の剣に手をかけた。

「何す……」



「さいは」



 砕破、シラーが低く抑揚の無い声でそう言うと、キンっっと耳を塞ぎたくなるような共鳴音がして、いきなり視界に煙が散った。

 レイルにその音や声は聞こえないが、細かい銀色の記号が飛び交った瞬間、壁が失せ、視界が煙だらけになった事に驚き、入らないように目を閉じる。譜で作った守りは衝撃を和らげ、僅かに煙を漉したが、目に入れば砂埃を入れたような状態となったろう。



「しゅうやく」



 集約、剣が鞘に収まった瞬間に煙が消え、レイルはそこが街中の広い道だとわかった。

 逃げ惑う天使達、地面が煙を上げ、壊れた街が視界に入る。

 枯葉色の落ち着いた街並みが、譜で作った壁がゆっくり薄らいで消えるに従い、はっきり見えた。

「も、申し訳ありません、レイル様に守っていただくなど」

「ファリア気付いたんだ、良かった」

「しかし相変わらず、シラー兄さん、すさまじい剣ですね」

 頭と腕をさすりつつ、気が付いたファリアが呟いた。

「爆弾でひっくり返っただけで傷の入らない馬車が、剣の波動で小麦粉状態になるって非常識です」

「爆弾って……」

「兄さんが褒めるから爆弾が降ってきたんですよ」

 ファリアの冗談にレイルは笑えない。

 割った卵の殻に入っているかのように、足元は馬車の屋根だけが残っている。

 頭の上にあったはずの座り心地の良い椅子は四散して消え、3人は立ち上がる事が出来た。床下に預けた荷物に大切なモノを入れておらず良かったなどとレイルはちらと思った。

 シラーは表情を変える事なく、辺りを見回す。そのラベンダーの瞳が目くばせすると、魔道士が走り寄ってくる。と、言っても足を引きずり、小走り程度のスピード。

 ケガをし服が焦げて見た目が変わっていたが、馭者の魔道士だとわかったのは、手に馬を2頭、引いていたからだ。



「見事です、兄さん。副長! これに乗って下さい」

「死んだかと……」

「ボロボロですけどね、大丈夫です」

 こうなった時にシラーがそう言う行動に出る事も折りこみ済だったのか、馭者の魔道士が隠れていたのは、それに巻き込まれない距離にあった物影。足を引きずるだけではなく、頭から血を流し、服がずたずたに裂けていた。

「手当を……」

 医者志望のレイルの口からは咄嗟に出るべき一言がすぐに口を突いたが、シラーに目で制される。

 引っ張られてきた馬の方は余り怪我も無く、落ち着いている。それでも無傷ではない。元来臆病な生き物である馬を、喧噪の中で自分は酷く傷つきながらも退避させ、落ち着かせられる馭者係の魔道士。

 彼は馬の信頼を勝ち得ており、彼もそれに誇りがあるのだろう、

「爆弾の爆風からは守りましたが、長い事は無理と思います。ですがこいつらなら、この街外れくらいまで走りきれます」

 そうハッキリとファリアに告げる。答える彼も子供の返事ではなく、馬の怪我や状態を見つつ、

「周囲に敵は?」

「兄さんの剣で馬車を取り囲んでいた数人は吹き消えましたよ」

「行けますね。ここから離れるのが先決です。使わせてもらいます」

 現実的に使用可能か、そして状況で今からの行動を瞬時に判断した。



 レイルは彼らがそうしている間に、自分が踏みつけている馬車の天井が、クレーター状態の土の中にあり、その回りには棒が何本か落ちているのに気付く。その棒は靴を履いている。いや、良く見ればわかる事で、彼の頭は完全否定しているが、それは馬車を囲んでいた天使の数に倍をかけた脚。

 言葉通り、シラーの剣で蝋燭のように上肢を薙がれ、命の火が吹き消されたのだった。

「一時引いたやつらは他の魔道士が追いかけてます。ランチャーはほぼ押さえたと。ですが逃げる市民に紛れていて、敵の班構成、全体人数がまだ把握しきれていません」

「わかりました。『全員に通告します。ラインをアルファよりオメガに変更』です。レイル様、乗って」

「馬なんか乗れないよ」



 答えた内容は的確だったが、レイルの頭は何も考えていなかった。

 こんなに簡単に天使が死ぬ事に拒否反応を起こして、足が竦んでしまう。魔道士達が平気で話している状態にそれが彼らの中で普通なのを悟ってしまい、彼らがレイルの知らぬ所で屠ってきた数を考えると、どうにも気分が悪くなる。前を見ようとする気持ちが簡単に揺らぐ。

 生き物の死は避けられないが、それが自分に関わっているのはとてもとても苦痛だった。見も知らない、敵であっても。

「一緒に騎乗しますから」

 ファリアは栗色の馬を素早く跨ぐと、馭者の魔道士がレイルの体を浮かせて馬の背に放り上げた。

「た、高っ」

 飛べないレイルには馬上2メートルは高い範囲に入るが、ファリアは構っていなかった。

「掴まって。走って、頼みますよ」

 ローブが捲れるのも気にせず、手綱で合図を入れる。馬はすぐにファリアの意思を持って走り始めた。シラーがもう一匹の青毛の馬にまたがり、後を追う。

「敵って誰だよ……」

 レイルは頭痛がし始めた頭を押さえる事も出来ずに、ファリアにしがみ付き、落ちないように馬に体を任す。そうしながら枯葉色をした壁塗りの街から離れていく。

「うーん、意外に大がかりですが計画性に欠ける。ランチャーなどの配置は凄かったですし、急遽決まったこの旅に気付くという事は、情報収集能力は低くないですね。良い情報屋か戦略屋でもついているのでしょうか?」

「だから、それって誰だよ」

「これ以上はお答え出来かねます」

 ファリアはにっこり笑って、馬を疾駆させた。



 闇の商売人で、レイルの事を知らない者はいない。



 商品、それも高級品として。



 そんな事を言って脅しても何の易もない。それどころかそれを告げれば彼は副魔道士長を解任される。

 魔道士は守るべき対象に心理的影響を与えてはならない。だからこんな時、ファリアには笑うしかない。

「……あれは麻薬商人」

「に、兄さん?」

「手配中の奴がいた」

 珍しくシラーが聞かれもしないのに口を開いた。その台詞にファリアは焦る。

「シラー兄さん……まさか」

 シラーは個人的にレイルの叔父との親友関係がある。そして要人警護には付いていない者だから、レイルに個人的に接し、教鞭をとる。

 普段そんな彼は一切魔道士の服を纏わない。その彼が今日、この服を着てきたのはレイルを守るのに徹する意思の表れかとファリアは思っていた。

 だがシラーがいつものように警察の服、それも麻薬を取り締まるパープルリボンの制服を着ていれば、警戒してこの襲撃はなかっただろう。

「何で麻薬?」

「「玉」は精製すれば麻薬にもなる」

 レイルはそれに気づかず、そう質問をした。まだ知らなかった使用目的を聞いて眉を寄せた。



 ファリアはその間に、シラーがレイルを囮とした、または襲撃に加担したのではないかなどと、悪く推測していた。彼に冷や汗が流れる。この推理が当たり、それも後者ならば、この距離であの剣を振るわれたら、馬上でレイルを守り切れるかファリアに自信はなかった。

 離れた方が良いかと判断を迷ったが、シラーはいたって冷静に、

「相性が悪い」

 そう言った。言葉足らずの説明に、彼は付け加え、

「警察と神殿」

 警察は犯罪者を追うが、神殿は悔い改めた者を受け入れ、保護する場合があった。その立場の違いから、二つがなかなか協調関係にならないのは周知の事実。

 襲撃に加担してではなく、今日の行先に合わせてシラーが制服を脱いでいた事をそれで知り、ファリアは安堵した。



 だが、レイルは疑わしそうにシラーを見やり、

「それだけじゃないだろう? シラー」

「確かにあぶり出せればとも思った」

「囮かよ、俺」

「ああ、そうだが」

 悪びれもせず、素直に吐いたシラーにファリアは心の中で頭を抱えた。

 魔道士長は、シラーの考えを知った上で、レイルに彼を付けたのだろう。それはシラー程の剣の力を必要とする旅になると予測した上での配置。手配中の顔を見付けても追わずに、レイルの側に居るのは一応警護を主体と考えてくれているからか、もっと大物をあぶりだす気なのか、判断が付き兼ねた。




「レイル様」

「何?」

「もし、貴方が敵に情けをかけて、自分の「玉」を差し出して自分の命は失っても良いと言うなら、早く仰って下さい」

「え?」

「亡くなった者に憐憫を感じ、思いやるのは自由ですが、命を捨てても良いと思っている者を守るのは至難の業です」

 ファリアはシラーが薙いだ命を思い、沈んでいるレイルの気持ちに気付いていた。側で固めている警護のシラーの気持ちが知れない以上、レイルの方を叱咤せねばならなかった。

「優しさや憐みは本来ならば褒められるべき美徳です。でもそれで命を投げ出されては、それを守る私達魔道士の命は幾つあっても足りません。魔道士長は守られる者の自由にと言いますが、私は副長として部下、いや仲間にそんな者の為に命を投げ出せとは言えません。ここから必死で逃げて、生きたいと思っていただけますね?」 

 ファリアは『警護する者に我らは助言はしても、拘束、制限は基本的に禁止』と、長から言われている規則を破り、レイルに逃げ切る意識を植え付ける。

 わかっている、そう言いかけたレイルの言葉を遮り、何かが飛来した。

「飛び降りますっ」

「え?」



「さいは」

 シラーの冷たい声で何かが切り裂かれたが、馬はその爆炎をもろに浴びて吹き飛ぶ。地面に転がり落ちる様にレイルとファリアは叩きつけられる。

「伏せて」

 爆音は肌で感じ、レイルは閃光の中、薄目でシラーが剣を振るうのを見た。

 綺麗な銀色の文字が雪の結晶のように美しく、残っていたランチャーから放たれた爆発物を両断していた。

 可哀想に吹き飛ばされた馬達だったが、辺りは街外れで叩きつけられる建物がなかったのだけが幸いし、危機を感じて今まで来た方向に足を引きずりながらも踵を返す。

 シラーは先程のように「しゅうやく」は使わなかった。意図に気付いたファリアは、

「この煙に紛れて茂みに」

 レイルを立たせ、近くの茂みに入り込む。何処からか黒い生き物がシラーに走り寄る。

「チャーチ、どうだ」

 シラーとチャーチは一瞬だけ目配せをし、何かに向かってチャーチが唸る。

「逃がせ」

「わかってます、兄さん。レイル様、早く」



 この後、レイルは2人から離れ、1人黄金草原という名の緑の草原を駆け抜け、その先にある丘にある祠の入り口で、体調不良の体に襲った睡魔とも眩暈ともつかない空気に、レイルは抗う事も出来ずにいつの間にかウトウトしていたのだ。



 微睡みから目覚めたのは、声が聞こえたから。



「レイル、本当に居るの?」

 直に声が聞こえる? オカシイ、耳栓をしているはずのレイルに聞こえるはずのない音声。それもその声は母親のメアリだった。

 自分が住むイクスアルペイから離れた神殿都市の近くまで来ているはず。それなのに何故母の声がするのか。意味が解らない。目を開いてもそこにあるのは闇で、夢の中にまだ居るのだろうかと思った。

 朝、喧嘩のようになったからまだ気にしている自分がいるのだろうかと、自嘲気味に深く息を吸って吐き出すと、その呼気の音が闇に響く。

「レイル」

「ほ、本当に……母さん?」

 2度目の呼びかけで覚醒する。

 そして本当に耳栓が外されている、更には身動きが取れないのに気付く。

 冷たい黒曜石のベッド。

 毛布や柔らかいマットもない、そこから這わされた鎖にレイルは手を上げた状態で寝そべり、縛られていた。緩みは少なく、かしゃかしゃと音を立てるだけで、寝返りも無理な長さで立ち上がれない。足にも枷が嵌っており、こちらも全く動かせない。

 目線を動かすと暗くても部屋に布かれた魔法陣から淡い青の光が発せられ、綺麗な青い髪を捉える事が来た。その髪色はまさしく青天使貴族のそれで、肌の透明度は高く、5年でやつれた顔は艶めかしささえある。

 息子のレイルから見ても淡い光の中で眺める母はとてもとても美しかった。


お読みくださった後に「読んだよー」など

一言でもいただければ。

いえいえ無理なら評価だけでも……

あ、ポチして下さった方、ありがとうございます。


お気に入り登録いただけたら飛び上がって喜びます。

前回登録いただいた方、ずっと継続していただいている方に感謝を。




 「これよし可愛い」が落ち着くまでは、こちらを二週一回更新にさせて下さい。

 ここ最近、ずっと週一更新にすると書いてきて、その約束を守れないのは心苦しいのですが、紫水晶の連載を止める気はありません。ですので、もう暫く二週一回更新で、紫水晶の方、お待ちいただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ