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血族の刃影

前週はお休み、失礼いたしました。




いつも覗いて下さっている方、本当に感謝です。

始めて来られた方、ここまでお読みいただき有難うございます。

お気に入り登録下さった方、感想下さった方、感謝です。

すごく励みになります。

 

 そこにあるのは幻ではない。

 かつて母が愛した天使の骸に銃口を向ける。










 腕が千切れた痛みで、卒倒しそうになった男だったが、それよりも危険が身に迫っていて気を失う事ができなかった。今まで自分の体の一部だったそれが、口に運ばれ、咀嚼されるなど考えた事もない。だが現実離れしたそれが目の前で起こっていた。

 千切れた自分の一部を争って喰う奴らを放っておく。床に腰を抜かし、座り込んでいた別の男の手を、残った右手で掴んだ。

「お前、ううううう腕っ……」

「どうでも! いい! 逃げるぞ!」

 本当はどうでも良くはないが、彼の頭の中は命の大切さの方が勝っていた。黒天使の血が混じっているからか、痛みに強かった事が彼を助け、気が狂わず走り逃げる事ができた。

 暗い中、息を切らせながら、時折、誰かの倒れた体を踏んだり、襲ってきた奴らの影に怯えたりしながら、入り口に向かう。

 2人は窓を割って、飛び出したかったが、機密文書の持ち出しなどを防ぐため、夜間はガラスに魔法がかかる。開ける事も、壊す事も敵わなかった。

 この時間、開いているのは、1階の正面だけ。

「おい、あそこの大穴!」

 走っていると、奴らの侵入経路らしい穴が壁にあった。奴らの気配はない、外からの風が2人の頬を撫でる。

 助かる、そう思って彼らは穴に向かって走った。

 しかし引っ張られて走る1人は足元にベタベタと残った血の多さに気付き、これが罠だと気付く。

 腕を失くしながらも、男を引っ張っていく彼は、必死すぎて前しか見ていない。



 ここで、皆足を止めて、外に出ようとした所を殺られたのだ。



 そう気付き、総毛立つ。

 全ての血は穴より手前で流れ、その口を汚していなかった。一か八かのスピードで飛び出せば、どちらかは助かるかもしれない。彼はそう思った。もう引き返しても、彼らのアタックレンジに入っているのだろう。気配がないのではなく気配が無さすぎた。

「すまん、残業なんか珍しくするものじゃなかった……ありがとう。お前がいなけりゃ、俺は腰が立たず、どうせ喰われていたさ。お前は、迷わず逃げろ」

 吐息の様な仲間の声は、どこまで本当に発されたモノだったか、腕を失くした男にはわからなかった。揚力を使う寸前に、一緒に逃亡を図っていた男に、力任せに中空に押し出される。

 繋いだ手が、否応なしに解ける。

「何を……」

 2階、何とも中途半端な高さから投げ出された男の体は、建物に残した仲間の顔に何かが走るのを見た。

「紋章……??????? 文字封じだと……」

 いつも笑い合い、ずっと仕事のパートナーだった男の体が内側から弾けるのが見えた。断末魔は仲間の死を否応なく突き付けた。意志を失くし、肉片と化した体は誰かの手で建物に引き込まれる。



 それを呆然と見ながら、2階から地面に叩きつけられた男は打ち所が悪かった。

 天使と言えども揚力を働かせてなければ、丸太のように落ちる。反射的に残された腕で庇ったが故、地面に直撃した時に折れて骨が飛び出し、血がボトボトと落ちた。肺が潰れたような痛みもした、だが唸りながらも黒翼を広げると、心の中で仲間に詫びながら空を逃げる。

 だが逃走はすぐに失敗を見た。

「待ちな」

「お、お前達は……」

「生きてるのはお前が最後だ。まだ獲物が居るなら逃がしてやっても良かったが不運だったな」

 そうは言ったが、もし中に他の誰かがいたとしても、逃がしてくれなかっただろうと思いながら、行く手を遮った者を怯えの目で見やった。

 そして薄暗い中、目にしたのは片目が淀んだ黒、片方が異様な金色に輝く、隻腕の男。

 背には翼、双方が携えるのは黒い翼。

 ただ柔らかい羽根に包まれた翼と、蝙蝠に似た骨ばった翼はその意味が違った。



 堅い、羽根を纏わない冷たい翼、それは天使なら誰もが噂に聞く魔物と化した者の証。更に顔は鱗に覆われ、爬虫類を思わせる。細く痩せた体に燻し銀の色をした軽そうな鎧で身を固めていた。逆立つ黒髪に混じる金の髪の光が刺々しい。

「ま、魔……」

 2人とも隻腕であったが、今さっき腕を失ったばかりの天使と、魔と化した男とでは全く立場が違っていた。天使と魔、魔は天使の捕食者であり、圧倒的に強い。

 身が竦んで、それでも何とか逃げたい天使は思い出したように、襲い来る痛みと恐怖でガクガクと震える。その色違いの目で中空に縫い付けられているようで逃走は叶わなかった。攻撃魔法を口にする精神力もない。

「貴族だったのか」

 鱗に覆われた魔の腕だったが、貴族としての紋章が刻まれていた。それも縦に割いたような切れ目がある。紋章に傷を入れられる大きな理由は犯罪者となる事、その傷からその魔がまだ天使だった頃から極悪非道な生活を送っていたに違いないと男は思った。

「ふん、貴族じゃないな、二級君、か」

 音もなく近寄り、むんずと伸ばした爪の長い右手で、複雑骨折している男の腕を掴み、眺めてそう言う。その瞬間、ブンっと音がするような勢いで天使の体が吹っ飛んだ。そしてまた地面に叩きつけられた。

 その時、彼は自分の腕がどちらもない事に気付く。既に骨が折れ、皮膚まで破けた腕は、魔にかけられた遠心力に耐えられなかった。

「うあああああああああああっ」

 今まで飲み込んでいた叫び声が、彼の口から突いて出た。

 しかし魔は顔色を変えず、黒と金の瞳でそれを見やると、手にした腕から衣服の切れ端を投げ捨て、齧り付くように食べ上げる。

「もう腹いっぱいだが、次の食事にいつありつけるかわからんし、もう少しいただこうか。その前に「玉」を抜くか……」

 その言葉に腕を捥がれた天使は、せっかく逃がしてくれた仲間の死を無駄にする事に、絶望と涙と痛み、そして怒りが込み上げた。そして魔が、口から血を滴らせて本格的に食事にかかろう近寄った時、羽音が聞こえ、2人の間を何かが遮る。



 魔は咄嗟に喰いついていた腕をそれに投げつけ、獲物との間合いを広げた。目標は投げつけられた肉塊をするりと躱しつつ下降、一気に上空に舞い上がる。それを目で追うと、ちょうど今まで雲に隠れていた月がさっと光のカーテンを放つ。

 月明りで輝いたのは鳥だった。それもかなり大型の鳥。その羽根は月の光を反射し、一瞬銀色に輝いたが、闇に溶けこむ漆黒の翼を持つものだった。

「夜飛鳥……」

 天使には余り馴染みのない鳥だったが、魔はそれを知っていて、その名を呼んだ。

 いと高き鳴声と共に、恐れる事無く魔へ突っ込む。月の光を受けて銀の弾丸と化した鳥の姿に、両腕を失い、激しい痛みに震えながら自らの血にまみれた男は、非現実的な光景を美しいと思い、眺める。



 鳥は魔を射抜こうと迫ったが、魔は慌てる事無く何かを中空に刻んだ。それは鎖となり鳥を捉える。それでも一矢報いようとするかのごとく、黒い鳥は翼を羽ばたかせた。

「リリィ、戻れ!」

 小さな破裂音2発で、鎖がはち切れた。勢いを失くした鳥は、それでは攻撃が効かないと判断したのもあってか、戻れと言う声に従った。

「融合にてその力を放て、我が黒百合の花よ」

 月明りに照らされた空に飛ぶ1人の天使の背後に鳥は入り込むと、幻のように姿が消えた。天使の金翼が形を変え、蜻蛉に似た薄い羽根に変わる。縁紋が金に輝いた黒く薄い四枚羽。

 融合の力は鳥の様な俊敏さ。

 その手には大きな自動式拳銃(オート)が構えられている。2発の弾丸を放った証として、薄く煙を吐く銃口。腰には長い剣を携え、纏った特徴のある色調の緑色制服に、腕に巻かれた青いリボンは舞い上がる風に誇り高くはためいた。

 髪も瞳も豪華で鬱陶しいまでの黄金色に、天使には珍しい褐色の肌が印象的な男性。紫水晶を持つ少年レイルの叔父アレード・セリバー・グリーン。



 彼は鋭い目つきでもう1発弾丸を放つや否や、銃を剣に持ち替えつつ、魔の懐に飛び込む。その素早さは、弾丸が魔にたどり着くのとほぼ同時、鳥と融合したその動きは、常軌を逸したものだった。

 だが、魔は慌てた様子はなく、右腕で弾丸を弾いた上、その隙に飛び込もうとする彼の剣をも受け止める。ガキッっと金属音がして、両者は息のかかる距離で互いを見た。

「「これは……」」

 そして2人が口にしたのは奇しくも同じセリフだった。

 魔と金の褐色天使は、お互い後ろに飛びずさり、間合いを取る。

「夜飛鳥を使うか、ジュリアの……そして我が息子。思ったより強そうだ」

「魔を親に持った覚えはない! 俺の父は金天使ランス、彼だけだ」

 その台詞に、クッと引き攣った笑いを浮かべる魔。彼のその指に嵌められた金色のリングに血族の証をみた様にも取れた。

 アレードは顔には出さなかったが、魔と成り果てた父の腕を凝視していた。

 その右腕は、先程まで黒い鱗に覆われた肌に、手甲をはめていた筈。だが今、魔の腕は、一振りの輝ける金の刃を見せていた。

 そしてアレードはその剣を、かつて他の者の腕に見た事があった。



 甥のレイル。



 彼が狂ったように父親の「玉」を奪った魔に向かった時、彼に対して投げつけられた球封じを爆風と共に弾いた剣。その怒りが解けたと同時に、傷ついていたレイルの掌が元に戻ると言う現象を起こしたそれ。何であるか探ったものの、レイルの魔力が消え失せた今、全く謎のまま放置されていたソレが目の前にあった。

「紋章士にそんな力があるなど何処にも……これは禁書系なのか」

 口の中で言葉を転がしながら、剣圧によって、切れた頬の血をアレードは拭った。

 一度剣を合わせた事で、お互いの力量は把握できている。

 天秤は今、2人のどちらにも傾かない。

 この戦い、火蓋が落ちれば、どちらかがミスをするか、体力の限界を見るまで続くだろう。お互いそれを望み、睨み合ったが、時はそれを許さなかった。



「ランス、行くよ」

 ランスの傍らに緑の髪を綺麗に結い上げ、優雅なダンスを興じそうなドレスに身を包んだ女が、音も無く現れた。場所が違い、彼女の頬にたった一粒だけ飛んだ血の粒がなければ、何と妖艶で美しい天使だと誰もが思っただろう。

「マーヤ、まだ終わってない。こいつも忌まわしい金天使の血を持っているんだ、殺して余りある」

「血の気が多いのは好きだけど。ランス、食事はもう終わっただろう? うるさいのがたくさん来た。面倒なのは嫌いだよ」



 彼女の言葉に重なるように、空から複数の声が降る。

「アレード少将!」

 異例の出世で階級が早く上がり過ぎたのと、お偉方に睨まれた相乗効果で、5年経ってもそこから昇進していない彼だったが、問題はそこではなかった。

「ふ、お前がアレードなのか。そうか、もう1人の殺すべき者の名がマハイルか」

「兄さんは貴方の……」

 魔に落ちた彼に真実を伝えた所で心に届く事はないだろうが、それを告げようとした途端、緑の髪の貴婦人を気取った者が、すうっとアレードの方に手を伸ばし、ぱちんと指を弾いた。

 急に風が動く。彼女の目の瞳孔が、蛇のように縦目にひらき、圧縮された空気の弾がアレードを無数に襲う。

「くっ!」



 辺りは散弾銃を打ち放したような礫が飛び、応援に駆けつけようとしていた警官達にまでその刃が降った。防御が遅れた者や、守備が弱い物が血を流す。アレードはこれくらいなら浴びながらでも、一太刀振るえると踏んで、尋常ならざるスピードで魔に詰め寄ろうとしたが、

「馬鹿ものっ! 怪我人を守らんかっ」

 アレードは降って沸いた怒号に、瞬時に反応する。警察として一番の本分は民を守る事で、魔を追い詰める事ではないと暗に気付いた彼は、地上に落され腕を失くした男に覆いかぶさり、防御用魔方陣を張った。

「大丈夫か?」

 腕を失くした男は荒い息をしながら、乾いた笑いを微かに込めながら呟いた。

「あの魔は特級士なのか……貴族から落ちた魔か……」

 腕を捥がれて気が狂ったかと思ったが、僅かに興奮している様がアレードには不気味だった。

 礫が止んだ所で虚空を見たが、既にそこに魔の姿はなく、アレードには見慣れた、青すぎる天使の姿があった。先程、彼の声が飛んだから、居るのはわかっていた、だが会いたくはなかった。

「おじい」

「大将と呼ばんか!」

「すみません、おじ……いや、大将」

「……無傷とはいかんかったが、1人救えたのはお前の判断のおかげだ。が、だっ。おい、一般市民の救護が先だ。防御を怠って怪我した奴は、後から訓練し直すから、心して居れ! おい、救護班はまだかっ!」

 アレードがおじいと呼んだ天使は咆えてその場を仕切る。相変わらず元気な御仁だと思いながら、彼は駆けつけた他の者に腕を失くした負傷者を任せた。



 そして夜飛鳥との融合を解くとアレードの翼は蜻蛉の羽根から、天使の金に戻り、黒い鳥は一度空に舞い上がり、肩に止まった。

 戦闘中に鎖に縛られ、血のにじんだ愛鳥の翼にアレードは手をあてがう。彼に治癒の能力はないが、この心を通じた鳥の肉体だけは、その痛みを引き受ける事ができる。

「痛かったろう、リリィ。ありがとう」

 優しき主の声に、嘴を頬に寄せ愛情を示してから、黒鳥は夜闇に姿を消した。

「アレードはこっち来んか」

 そこまでを見やって、アレードをおじいは呼んだ。

 彼はすらりと背の高いアレードよりも頭一つ高く、嫌にガタイが良い目つきの悪い老人だった。

「おじい」

「だからその名で呼ぶなと……」

「い! いってーーーーーー」

 その大きい拳で、アレードの頭にグリグリとやった後、自分の後ろに続くよう促す。

 拳の甲にはハッキリと貴族の証たる紋章が刻まれていた。こちらには傷がなかったが先程の魔と同じ、長子、ソウトエルの名を継ぐ者にのみ与えられる形をしている。

 広い背中には水晶か氷を思わせる透明感のある青みを帯びた羽が特徴的な翼。額を上げた形に固められた青すぎる髪。グレーを帯びた青の右目と、透明度の高い水色をした左の水宝玉瞳(アクアマリンアイズ)

 彼の名はラオ・デザークス。更にソウトエルと付けるべきだが、男は余り名乗る事はない。その腕に刻まれた紋章がすぐにその立場を示してくれるからだ。

 腕に巻かれた青いリボンは、金色に縁どられ、七つの角を持つ歪な星の襟章は大将の位を示している。

 この青天使貴族の老人はアレードの上司であり、メアリの実父、つまりはレイルの祖父にあたる天使だった。



 頭をグリグリやられた所をさすりながらアレードはその背を追う。今どうというわけではない、見た目は地味で、時間を要さない攻撃だが、これはジワジワと三日痛みが退かない。いつか職場内暴力で訴えられるだろうと思うが、誰も大将に逆らえようハズもない。

 警察機構の頭、5天使でもその席が長い天使。

 この天使にメアリが似なくてよかったな……などと彼は思う。

 デザークスにとって可愛い娘、メアリ。彼女の産んだ子の瞳が紫だった事により、あらぬ噂を生じないようにレイルには殆ど関わらぬ老人。

 彼が夫マハイル以外の子をメアリが妊娠など聞いたら、大事になるだろう。

「さっきの魔が、お主の……」

 その台詞で、回りに部下が居ない所に連れて来られたのに気付く。

「はい。それから随分前にお話しした、レイルの手が剣になった、あの技を使うようで……」

「特級士、か」

 さっき助けた男が口走ったその名を聞いていたように、デザークスが反復するように言った。

「おじい、知っているんです?」

「いや聞いてから調べたことだ。レイルの紫水晶に関係あると言うより、グリーン家の血による力。そもそもそれが紫を招きよせたのか……」

 ふう、と、おじいは深く息を吐いた。

「肉体の配列を変え、体を硬質化させる。その技を使える者は数百年に一度くらいしか現れない。その腕の剣は火の神と交わる事で、巨大な船の鍵となるという」

「火の神? 鍵?」

「あくまで噂だ。数百年に1人が、知る限り2人いる時点で、情報に信憑性が欠ける。更に調べてはみるが。お前は母親、いや精霊界の巫女から特命を受けたな」

「はい」

「アレを父親とは思うな。何故、銃でやらんかった」

「……魔に銃では確実な致命傷を、それもあの距離では無理と判断しました」

デザークスは胸ポケットから箱を取り出して渡す。中身は特殊な銃弾だった。

「これで今の言い訳はもう通らんぞ。私からも同特命を送る。関係各所にも伝達しておく。必ずあの魔を屠れ。禍の火種となる前に」

 アレードは箱の重みを実感する。自らを落ち着かせるように、静かに輝く金色のリングに触れた。












 あんなに遅くに布団に入ったのに、そう思いながらソネットは気持ちよく目覚めた。いつもはぼんやりしながら口に含む薬も、しっかり味わえるぐらいに。手鏡で髪の根元を確かめて、

「今日もとてもいい感じ」

 そう言ってから、時間をかけて身支度を整え、いつもの倍は時間をかけて櫛で髪を梳く。

 爪は短く切って、白いブレザーに袖を通す。

 その隣で、パティが何十本もある筆の手入れをしていた。

「髪、梳いてあげましょうか?」

「え? ええっ? いいのですかぁ!」

 いつもして欲しそうにしていたが、ソネットは彼女の髪に触れた事がなかった。

 余りの喜び様に、もっと早くしてあげればよかったかもしれない、そう思いながら彼女は優しく髪を梳く。パティは泣きそうなほど嬉しそうな顔をする。

 あの何も常識がないルナの世話ならともかく、女の子は可愛いと思うがレズではない。パティは少しその気があるのかと思わせる節がない事はないが、今浮かぶ微笑はそんな事では理由が付けられないほど幸せそうだった。



 ソネットが聞く前に彼女が口を開く。

「お母様に似てるのです、お姉様は」

「そうなの?」

「水色の瞳が美しいヒトだったんです。私はお父様に似てしまってちっともお母様に似てないんです。お母様は髪は青でしたけど、同じようなストレートでしたから、雰囲気がとても似ていて」

「あら、青天使系なのね。貴女は黒天使系なのに」

「貴族ではなかったですけどね。そうらしいです。でも5つくらいの時に亡くなったので、写真だけで、あまり覚えていないのですけど。よくこうやって髪を結わえてくれたのです。お姉様を見た時から雰囲気がどこか懐かしくて」

「そう」

 そんな理由があったのかとソネットは思いながら、自分の髪に触れた。芸術家の彼女には色々と見えているのかもしれない、そう付け加えて思った。

 ソネットのレモン色の髪は姉の思い出がたくさん詰まっていた。母が居ない寂しさは姉が癒してくれたが、彼女も母を幼い頃に失くしていたから、パティの気持ちを察する事ができた。

 ソネットは研究生の期間を彼女と一緒の部屋で過ごす事を、聞かぬ前より有意義に感じる。



 ソネットはふわふわなのに縺れる事無く梳けた、パティのキラキラ髪を軽く編み込みにしてリボンをつけてやる。二人共、何か暖かいモノに触れた気がして、朝からいい気分で食堂に向かった。

 その後、パティを含めた他の女史達と共に朝食を口にする。寮生が話しかけてくるのに、気さくに応じながら窓の外を見やると、空は抜けるように青く静かに見えた。



 そして、気持ちよく学校に向かったソネットの爽快感は終了宣言を告げる。



 学校に入った時点で、パティが事務に呼ばれ、帰って来た彼女の瞳は涙で歪んでいた。

「お、お姉様……」

「どうしたの?」

「お父様が、昨夜、襲われて」

「ええっ」

「……命は大丈夫みたいなのですが、両腕を千切られて」

「千切られって、そんな……」

 何故そんな事になったのかソネットには見当がつかない。パティは握った新聞を差し出すと、魔が昨夜、北上校のある街エンアを襲った事が書かれていた。回りに居た女子にも動揺が広がる。

「パティのお父様は確か、絵を描くお仕事だから……」

「そうなんです、紋章士もしているんですが、本業は画家なんです」

「紋章士、って、貴族の証明を描き記す仕事だったかしら?」

「はい、その事務所が襲われたようで。一緒に組んでる証明士のオジサマは亡くなったそうです」

「ああ……それは……」

「絵を描く事だけが大好きなのに……オジサマはとっても小さい時から私を知っていて、そのオバサマは子供のように私を可愛がってくれて……お父様もオバサマもどんなに苦しいか……お父様も命はあっても、腕を失っては……」

 泣き出して、散文調になり、最後には言葉にならない彼女を落ち着かせて、家に帰す事になった。



 ソネットが知る限り彼女には兄弟は居ない。母を幼い頃に失くしたのを聞いたばかりであったので、とても心配だった。だが、班長として、ここでの仕事を放置するわけにはいかず、他班員の家族に何もなかったかを調べる。

「お父様が眠れないようなら、枕の下に入れてあげて」

 ソネットは手回しをしながら、許可をもらって、学内の薬剤庫から数枚の干した草花を手に入れ、それを2つ、小さな麻の袋に包んで手渡した。

「眠りを誘い、悪夢を祓うはずよ。薬も処方されると思うけど。それでも眠れない時でも、これは効くはず。苦しい時に眠れないのは辛いわ」

「良い、匂いです。ありがとうございます」

「1つは貴女のよ、ちゃんと眠るのよ、約束して」

 僅かに笑おうとして泣くのを、撫でてやって彼女を送り出した。



 不快指数が上がっていく中、ソネットは中級4年の教室を渡り歩くも、レイルの姿は見付けられなかった。

 爪を短く切ったので、上手く鳴らないのに、がちがちと他の天使に気付かれないようにやりながら、事態が好転するのを待った。が、最終授業のベルが鳴っても、それは解消される事はなかった。

 回りでソネットの苛立ちに気付いた生徒は誰もおらず、仮面をかぶったまま固定の生徒には付かない形で、授業を巡る。今回の収穫は各課報告で上がってきて、それなりに満足が行きそうな予感だけがソネットの気持ちを諌めた。

 リュトは張り付く相手を決めて、可愛らしい女子とベッタリだったので、言葉を交わす事はなかった。



 ソネットは放課後に他の研究生と会議を終えると、教務に足を運んだ。

「まだ……本人が体調不良を訴えて欠席しておりまして」

「そうですか」

「何か初日にあった事で問題でも?」

「いいえ。同課生ですので、ちょっと彼の腕を見てみたかったのです。出来れば付きたいとも考えています。登校されましたら見させていただきたいと思いますわ」

「……そうでしたか、安心いたしました。今回はいかがですか?」

「後、週末を挟んで残り1週間、有意義に過ごせそうです。では、教頭先生、ありがとうございました。失礼いたします」

 ソネットは慣れた笑顔でそう言って、神経質そうな教頭に頭を下げた。



 5日目を終えて、結局レイルはまだ学校に出てなかった。

 土日に当たる2日は、補講や自由出校となる為、彼が出てこない可能性が高い。

「どうしてくれようかしら? あ、図書館……寄ってみようかしら?」

 彼女は学内入口に一番近い場所にある、図書館に足を向けた。

 赤いレンガで出来た暖かそうな外見、大き目の窓には清潔な白いカーテンがなだらかな線を描いて、同色のタッセルで止められていた。入り込むと枯葉色の絨毯が敷かれた明るいフロアに、背もたれのない褪せた赤のソファーが並んだ、秋を思わせるフロントがあった。

 幼少学校に中級学校、各専門過程と合わせて1つしかない図書館は込み合っている。身分証の提示で一般にも開放されているようで、学内ですれ違わないような年齢層の姿もあった。短時間、秋色のフロアで休む姿もあるが、その時間が長いと退場を示唆されるので、憩いの場には成りえない雰囲気。



 身分証を提示して検問の様な扉を潜った先に、沢山の書庫が立ち並んでいた。こちらは白亜の床に、重厚そうな茶色の本棚、黒い階段を使って登ると上にも書庫が続いているようだった。電子文書化されたモノを読めるようにたくさんのパネルが設えられた別部屋やスペースも見受けられる。

 ソネットは本を手に取るでもなく、すぐに司書を掴まえると、

「ねえ、特別図書室への入り口は? ここのは使った事ないの」

「え、ああ。3番、あの、書庫用エレベーターをお使いください、と。私も行った事はないので、そう尋ねられた時はそう答えろと言われていますが……」

「充分よ、ありがとう」

 彼女が示されたエレベーターに短いスカートを揺らして近付くと、別の女性もそちらへ歩を向けていた。なめらかな白肌に品のある雰囲気、ソネットとは違っていたが、これまた特徴のある髪型だった。



「もしかして、プリシラ・グラシエンド? 確かここの副会長だった……」

 ソネットがそう呼んだ彼女は大きすぎない金色の目を丸くして、やや考えながら頷く。その動きに合わせて綺麗な金の巻き毛がフンワリ揺れた。

「どこかでお会いした記憶はあるのですが……」

 ソネットもやや考えて、左右の両房の髪を持ち上げてポニーテールの位置にあげて1つにまとめて見せた。事務仕事などで邪魔な時にする髪型しか彼女に見せていない事に気付いたからだ。

 その髪型で、ソネットを思い出した彼女は、場所柄、声を潜ませてはいたが、興奮気味に、

「……きゃあああああ、ソネットなのですか? ……ほ、本当に私、申し訳ありません。あの時期はお世話になりました。お久しぶりです。まさかこんな所で……嬉しいですわ」

「研究生として北上校から参ってますの。私も嬉しいです」

 ソネットは髪を降ろして、プリシラと呼んだ同年代の女性に笑ってそう言った。

 思い出した彼女はソネットの手を掴まんばかりに喜ぶ。本当にそうしなかったのは、彼女の右腕が三角巾で首から吊られていたからだ。




 プリシラはレイルが幼少学校の時、あの奉納舞に誘い込んだ張本人であり、レイルの代わりに亡くなったユリナルの姉。当時ここ東校で副生徒会長を務めていた。

 その頃、ソネットは北校の副生徒会長で、同時期に多発していた生徒の悪戯、通称タイムターゲットの撲滅で協力関係を取っていた仲だった。

 あの奉納舞の現場に偶然居合わせており、レイル襲撃の巻き添えで彼女の妹の命が持ち去られた事は、魔道士として聞き知っている。

 ただプリシラはその事実を知らないし、ソネットは守秘の為、彼女にそれを語る事はなかった。

 でもその美しい巻き毛の姉妹が失った空白は、自分の空白と重なって感じていたので、プリシラの事をよく覚えていたし、グループでではあったが何度かお茶をした間柄。彼女の事を慮り、喋りかける事が多かったから、忘れられてはいなかったようだ。

「ソネット、髪が違っていたのでわかりませんでしたわ」

「あの頃は確か、奉納舞時期だったので。それに5年は経ってますしね。軍服、倶楽部に所属なのですね」

「ええ、火軍で退魔を仕事にしています」

「それではこの間の南遠征分の休暇ですか?」

「今回は休暇ではなく休養中で。当分軍に戻れそうにないのです」

 彼女は右腕の傷のせいだと暗に示した。

「ああ、それは大変でしたね」



 2人は同じエレベーターに乗り込んだ。

 狐色で木目の美しい壁には草木がレリーフとして彫り込まれており、華やかな印象を与える。本を運ぶだけにしては、豪華、そして小さめなエレベーターだ。普段は使われていないと見えたが、埃の一つも見当たらなかった。

「行先は一緒ですわよね」

 プリシラはソネットが頷くのを見て、慣れた手つきでボタンを幾つか押す。ピアノの鍵盤に似たボタンは、それに見合った良い音を立てる。

 美しく飾られた動く箱は、2人を乗せて静かに下降を始めた。ソネットはパティが見たらすごく喜びそうだと思いながら、壁の彫りが深いレリーフに触れ、眺めた。彼女は街に着いた頃だろうか。彼女の心中を慮っていると、プリシラが話しかけて来た。



「ソネットはお医者様になられたのですか?」

「一応医師免許は取りました。あの、だからと言って大きなお世話かもしれませんが、三角巾は首から吊らずに、腕と体を包むようにした方が負担が減りますよ」

「そうなの? お風呂とか、着替えとかで一度外しちゃうとわからないのよ。直していただけるかしら?」

「ええ、喜んで」

 ソネットは彼女の右腕を自分で支えさせた後、三角巾を外して背中に回して吊りなおした。その時に触れるともなしに、腕に触った髪が彼女の傷が深い事を知らせた。

 だがあえてそこは突っ込まない事にする。聞き方によっては、どんなヘタをして重傷を負う事になったのかなどという話を請求している事になる。

 それでもソネットが知る限りで、火軍の南遠征の討伐隊が壊滅的な打撃を被った事は聞き知っていた。生きていて、腕一本で帰ってこれたのは彼女の運と力量があってこそだと察しがついた。

 ただ、多くの仲間を失っただろう事は容易に想像でき、腕の傷より生々しいそこに踏み込んではいけないのは医者でなくとも、天使として当然のふるまいだった。



「ありがとう。後からまた話したいわ。ソネット、先に入りますか?」

「いいえ、どうぞ」

 エレベーターが開くと、2人は寒々しい白い廊下に降り立つ。そして簡単な譲り合いをして、先にプリシラが入っていった。側にあったソファーに腰を下ろすと、ふんわりとしていて余り寝ていなかったのも手伝って、寝入りそうな座り心地だった。

 プリシラが入っていった扉は濃いチョコレートの様な色形をしており、真上には鷹の様な鳥が翼を広げた彫刻が飾られていた。その足に赤い宝石が握られている。それがフアンという気の抜けた音の後、青に変わる。

 もう少し座っていたい気分にさせる、柔らかなソファーから離れ、ソネットは扉を開く。



『コンニチワ、ようこそ東特別図書室へ。まず身分証、所持されていない年齢の方は、最初に魔力認証を取ります。いずれかを提示して下さい』



 中はメタリックで恐ろしいほど狭い部屋だった。個性のない機械仕掛けの音声ガイダンスが響く。扉を閉めると、機械の色に染まってキラキラ輝き出す。

 ソネットはココがそうなっているだろう事は予想していたが、光る電飾が眩しい。狭い部屋の真ん中の円柱型テーブルに、首から下げた身分証を置くと、小鳥がさえずる様な音がする。

 網膜認証、指紋認証、息を吹きかけて測る魔力認証に筆跡認証など、一体何個あるんだろうと言うほど個別確認をして、やっと終了した。

 めまぐるしくやるので、時間は5分ほどだが、悪ふざけではないかと思われる厳重態勢。だが面倒なそれを乗り越えてでも、目にしたいモノがその先にはある。

 今日のソネットは暇つぶしでしかなかったが。



『今回は希望図書はございますか?』

「いいえ。適当で良いわ。時間が空いたから来てみただけ」

『……青紙ですが、お借りになりますか?』

 ソネットが良さげなら借りて行くわと言うと、

『ご利用、アリガトウゴザイマス。テーブル5番へお進みください』



 目の前の電飾だらけの壁に一本の亀裂が縦に入ったかと思うと、左右に開いた。

 中はだだ広い真っ白のスペースだった。彼女を排出すると扉は閉まって、壁に同化した。

 その部屋は図書室と言いながら、書庫はない。

 木目調のイスと机が縦横斜めを考えず、気ままに置いてあるだけ。よく見れば番号は振ってあるが、その並びは一定でなく、1の横に3が来るような感じであった。

 だが机の数は10ばかりであったし、天使の影は2番に座ったプリシラだけだったから、捜すのに手間は要らない。

 指定された5番の机の上には誰が置いたのか、一冊の本がそこにあった。


お読みくださった後に「読んだよー」など

一言でもいただければ。

いえいえ無理なら評価だけでも……

あ、ポチして下さった方、ありがとうございます。


お気に入り登録いただけたら飛び上がって喜びます。

前回登録いただいた方、ずっと継続していただいている方に感謝を。



 来週の更新ですが、「これよし可愛い」企画の為に、もう一週おやすみいただければと思います。

 アルファポリス様の第5回雑学趣味大賞が三月末までなので、出来るだけ週一投稿は欠かさないようにしたいと思い立ったためです。


 後、来週切り続ければストックができるので、次週に紫水晶を書いて22日以降は週一更新ペースに戻します。

 すみませんが、紫水晶の方、お待ちいただけると嬉しいです。

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