はちみつの糸
前週はお休み、失礼いたしました。
いつも覗いて下さっている方、本当に感謝です。
始めて来られた方、ここまでお読みいただき有難うございます。
お気に入り登録下さった方、感想下さった方、感謝です。
すごく励みになります。
良い声を奏でるように。
今はたった一言、囁けばいい。
不安には、安心を与えて。
その心を引き裂く時の為に。
「バイオレットを呼んで! それが出来ないならソネットじゃなきゃヤダ……」
叫んでみる。でも彼女は来てくれない。
バイオレットなんかとうの昔に死んでるし、ソネットが来てくれないのもわかっている。きっと言う事を聞かなかったからだ。それでも叫んでみた。
誰も私に返事はしない、無視だ、無視した。ずっとこんな感じだ。もう何年経ったのだろう、こんなふうに誰も相手してくれなくなって。
シフォルゼが笑っていたが、それは私を窘める物ではなく、獲物のイキの良さを確かめているだけだ。一応重篤なはずなのだけど、なかなか死なない私の体。丈夫だ、我ながら言うのも何だけど、たぶん他の天使より丈夫なのだ。
「こうしなければ血も採らしてくれないから面倒だ」
彼は私を切り刻みたくてうずうずしている。だけどその前に何か用事ができたらしく、採血した真空採血管を手に私を無視したまま、出て行った。
私が放り込まれていたガラスの水槽は戦車が至近距離で攻撃して来ても破れない、でもそれは私が本気になれば破れないワケじゃない。でも今までおとなしくしていたのは、彼らも何もしない、だから私も何もしない、その不文律があったから。
ソネットしか触らせたくないのだ、話がしたいのもあるけど、私の主治医はあの子だけ。バイオレットが居たら彼女でもいいけど、もういないから。あの子を待つの、バイバイって言ってないからきっと来る。あの子は嘘はつかないから、さよならって言ったら永久に来ないけど、それは言って行かなかったから。
じわりじわりと重くなる体だけど、この水槽の中なら待てる。それを管理しているのがシフォルゼだからどうかとも思うけれど。
無視した彼の態度が気に入らなくて、ブチ切れる。長くなった前髪をぶんぶん振って視界を確保しながら、力任せに枷を引っ張る。舐めてる、魔法もかかっていないモノで私を拘束しようなんて。
「こんな枷なら破れるよっ」
そしたら無数の天使の手が私を押さえつけて何かをしようとしたから、むちゃくちゃに腕をバタバタして、暴れまわった。回りの天使がどうなったかなんてよくはわからない。
いつの間にか回りは血だらけ、壁に穴が開き、煙が上がる。壁を2枚ほど突き破ると、「私」が横たわっていた。私の一部から作った培養人形。水槽から出されてもう息もない、可哀想な「私」。
「ごめんね、何もできなくて。でも貴女なら簡単に壊れて葬送できるから。逝きなさい」
紙のようにその体は火が付き、燃え上がる。
触れてみたけど私の体に火は燃え移らない。元々そんなに強烈な火の魔法は使えない。ファーラの炎は綺麗だったけど、あれで焼いても時間はかかりそうだった。
何の魔法ならこの体は破壊できるだろう? そんな事を考える。
息苦しく、左腕が折れたのかプラプラしている。触ると痛いがどうでもいい。吹っ飛んで行ってしまえばいいんだと思って、振り回してみたけど、近くの機械が壊れて白煙を上げ、丁度居た天使が壁に叩きつけられただけだった。
「触らないでっ、誰も私に……触らないでっ!」
それから近くにあったモニターを上に吹き飛ばした。その時、天井が崩れて、落ちてきた高そうな医療器具。それから伸びた床配線が切れ、ちょうど私が作った血溜まりに触れ、ショートしたのか大爆発した。
何だかヤバいモノがたくさんあったのか、引火したり、誘爆したりしている気がするけど、それは私のせいじゃないんだけどな、そう思いながら眺める。
「綺麗、すごく綺麗……」
はじけ飛んで来る瓦礫を避けながら、爆発しているのを眺めていたら、また足元に血だまりが出来る。回し蹴りした時に、深く切れた太ももの傷。配線の銅線だろう、銅だけは相性が悪く、タイミングによってはかなりダメージが来る。血が伝っていた。ヌルヌルして気持ち悪い。もともと沢山歩いたり走ったりする気力はないが、脚が動きにくかった。
裸だが寒くはなかった。むしろ暑い。勝手に張られる魔法障壁が薄く輝いて、長く伸びた髪が床に付きそうになっては、跳ねる様が何だかおかしかった。
これだけ建物は壊れても、一番外の外装部分の壁は壊れていない。証拠に見上げても次の階の床が2枚、崩れ落ちて穴を開けている。でもまだ最低でも、もう1枚あって空が見えない。横壁もぜんぜん残っている。
「久しぶりに空が見たいな。飛んで行ったら森に行けるかなぁ」
上に向けて魔法で力を叩きつけると、細かな粉が降ってきた。
更に上に魔法を投げつけると、ヒビが入った。
それ以上やるのは面倒で、
「壊れろっ!」
っと、力を込めた声を投げつけると、穴が穿たれ、風が吹き込んだ。
小さな小さな青い欠片。
回りはいろんなものが燃えて、爆発して、赤かったり黒かったりする。
天井のそこだけがファーラと一緒に歩いた森で見たあの光景に繋がる穴。
あんなに近くに見えるのに、手を伸ばしても体は重くて飛べない。翼を出してみたけれど、力が入らず、自分に残っているのは破壊能力だけだと思い知る。
ここからは足掻いても出られないのだ。もしここを抜けて森に飛んで行ったとしても、誰も迎えてはくれない。だからと言って自分で歩く術も知らない。
ここしか場所が見い出せなかった。
スプリンクラーがやっと働いて、水ではなく氷の塊が降ってくる。当たると冷たく、溶けるとスライム状になる。嫌な臭いはするが、火は消えていく。
その時、ガシャァっと不躾な機械音がして、反射的に身構える。
収まりかけている爆炎の中、同じフロア、そして更に1つ上のフロアに開いた穴から、私を取り囲む銃口。防毒マスクを付けた彼らの目は血走っていた。何人か死んだのかもしれない。折角開けた真上の穴も黒い機械で塞がれて見えなくなる。芯が赤く燃えた筒が設えてあって、何か撃ち出してきそうだ。
構えた超高速銃で銅の玉を打ち込み、銅の鎖で四肢を縛り、薬を流し込み、全身の自由を奪う用意をして皆で私を睨む。死なせてくれる時間はくれないらしい、ならまた捕まる前に足元くらい崩してやろう、意地悪く、そう思う。
彼らの緊張感の様なモノを打ち破るように、笑いが響く。
「はははははっ。待て、待て、俺がやる。修復作業をさせてくれないのに表面まで穴を開けられたら、後が面倒だ」
赤い角のシフォルゼ、ファーラと同じ黒い翼なのに、嫌いな天使が帰って来ていた。
「体、丈夫だな。でも飛べないだろう? 揚力に向く魔力生産は出来ていないようだ。お前の体は生命維持で精一杯って事だ。少しは労わってやれ」
彼は1つ上のフロアにいる、重装備の男達の間から現れる。マスクの代わりに煙草のようなのを咥えて、薄い服に白衣一枚だった。
その白衣を脱ぐ。ちゃらちゃらと白金具がついている。医者の白衣と言うより、ビジュアルを重視した偽物白衣。何度か見かけたが、私服はこれの黒だ。私は好きじゃないけど、とってもお気に入りらしい。
「私の体のメンテはシフォルゼの仕事でしょ……」
「させてくれない癖によく言うな」
「だって、嫌いなんだもん。ワザと痛い事するの知ってるんだから」
「ふん、わかっていたのか。しかしちゃんと拘束しておいたはずだが、ちゃんと、な。目を離したのが拙かったか」
「甘いわよ、だってあれ、あ……あ、わざとそうしたのね。貴方はやっぱり嫌い! ソネットじゃなきゃヤダって言ったし。バイオレットがいいよぅ」
彼は口に咥えていた棒切れを外し、にやりと笑う。暴れたと言う事実で、私に自分が触りたいのだ。紅様は私がソネットじゃないと嫌と言うのに反対してない。
「嫌いで結構。お前と喋るとソナを思い出す」
「何? 聞こえないよっ」
「……よし、時間だ。良い子はねんねだ」
良い子じゃないよ、そう言う私に彼はフワリと白衣を投げ落とした。
動きを分割したように、ゆっくり捉えられる私には、簡単に避けられる筈だった。だが真っ白なそれを避ける動きが何故かできなかった。
今までは何の支障もなく動いていた体がピクリとも動かない。
ゆっくり、ゆっくり、何かの意思を持ったようにふわりと向かってくる。その動きは巨大な蝶のようで、鱗粉が飛んでいないのが不思議な気がするほど生物的だった。
「来ないでよっ」
「無駄だ、聖唱は効かない。もともとソナ用だったからな」
咄嗟に床に向かって、
「通して!」
途端に足元に大きな穴が開き、自分の体が落ちていく。
「こ、小癪な……」
だが、体が落ち切るより先に、彼の白衣を頭からそれを被るように受け、視界が遮られる。布を引き裂こうとするが力は入らないし、体を白衣が勝手に拘束していく。カシャカシャと金具が嵌まり、てるてる坊主から、次第に芋虫のようになって、下階の床に叩きつけられた。
更にもう一枚、床を突き破って、体が止まった。また何かが爆発して、瓦礫が体を叩き、重みで潰されそうになる。暫く、その状態で待っていると、瓦礫が押しのけられた。
「やってくれるな」
彼が側に舞い降りたのに気付く。そう言って、瓦礫を退けたついでにがっつり蹴られた。
「何故、動けなくなったか聞きたいか?」
「聞きたくないもん!」
特殊な鎖に絡められて、動けない。どんな生地で作られているのか不明だけれど、この白い服は光も音も、空気も通すけど、眩しすぎて何も透けて見えない。それの上から電流が流され、痺れのスパイスがバリバリと脳天を突く。
「あのポットの液体は俺が作っている。暖かくて心地いいだろう? あれから抜けて、20分でコレを注射してない場合は……」
布越しに手で背中の辺りを触られるのと同時に、針が撃ち込まれ、何かが体に流し込まれる。脊髄に直接撃ち込まれる針は太く、捩じって入れているのか神経をガリガリと削った。中に入れられた液体は熱くて、体を焼く痛みがする。それに耐えるしか私に道はない。
「運動機能が低下するようにしておいた。今度はもう少し早く動かなくなるように設定しよう」
「う、うっ……説明要らない、よ。痛いよ……痛い……」
「本当だったらこんな反抗的な実験体は、脳回路まで麻痺させて、完全に人形にしてやるのだが。自分の希少性と紅に感謝するんだな。短時間で施設を全壊させるとは恐れ入った。もう少し追加しておくか……これで暫くは大人しい筈だが、銀だから油断するな。あっちの予備ポットに運べ」
「リトアー様、取り出しておいた臓器も全滅で……」
「どちらにしても使えなかった。今、ルナの血を混ぜたら速攻で凝固した……今回のは自信作だったんだが」
その後は、次から次に、何本も何本も針が捻り込まれた。
「痛いよ……」
「今までこれだけ建物破壊して、研究員を殺して、今更痛いも無かろう」
血を抜いたり、溶液を入れたり、したい放題される。足だけは自由だったが、もう痺れて何も抵抗できない。
点滴を落とされ、バイタルなど測ってる気配もしたが、視界を遮られているから、次、何をされるのかわからず、痛みと恐怖が倍増された。それを彼は意図的にやっている。
その事くらいで私は死なないが、良い気持ちはしない。痛い物は痛い、怖い物は怖いのだ。
この日、痛みに耐えながら、私はそこで気を失ったのだけど。
今、目の前の男はその後、芋虫みたいになったまま、弄られる私の姿が映った映像をじっっと見ていた。思ったよりいろんなものを入れられ、私の体がビクビクと痙攣している。それでもシフォルゼは淡々と作業を継続していた。
それを見ている彼は変わったオレンジの髪をしている。
黄昏のオレンジ。派手なのに寂しい色。瞳は緑、濁ったと言うには汚さのない乳白色を帯びていて、生気のようなものがない翡翠瞳。確かにそこに居るのに、陽炎のような天使。
映像は私が見てない間に、場面が移っていた。
予備ポットと呼ばれた水槽の前に運ばれたストレッチャー。そこに横たえられたのは芋虫な私。白かった布は所々赤に染まっている。
斑点交じりの元自分の服である布をピリピリと破るシフォルゼ。そして出した私の頬を叩く。その後はグっと鳩尾を押したり、足爪に刺激を与えるが、呻くだけで暴れるほど意識が覚醒しないのを確認し、瞳孔をライトで照らした後、
「このまま異物を出しておくか。準備しろ、後、サンプルに血液をもう少し取れ」
まだ何かやるつもりらしい。
彼が部下に指示して持って来させた何かを、針なしの注射器を使って何度か私の唇を割って飲ませる。体がビクンっと不自然に跳ねる。喉が動いて唇から茶色いモノが吐き出る。
それは腐った木切れや葉っぱ。
飲ませたモノがゼリー状になっていて、気道に突き刺さる事なく吐き捨てる事ができているようだった。
「ほ、本当に木屑だな? 投影で見た時はまさかと思ったが。どういう発想で詰めているんだ。ぬいぐるみじゃないんだぞ。ぬいぐるみでも綿ぐらいは詰める」
吐き出したモノ、どうやら彼にとって、おかしな物だったらしい。
紫の目をした子がファーラの為に、たくさん要るって言った時に自分から削って渡したら、空洞だらけで、どうしようもなくなっちゃって、回りの樹から拝借したんだよね……それだけだよ。そう心の中で返事をする。
映像のシフォルゼは私の答えなど知るはずもなく、ハムのようにグルグル私に巻いていた鎖やワイヤーと布を特殊なハサミでサクサク切った。
あのハサミ良いなぁ、何処で売ってるのかなぁなどと思っていると、ストレッチャーに付いた金具を代わりに銅や腕につけられていた。転落防止用ではなく、明らかに拘束用だ。目覚めていたら確かに暴れていたと思う。
彼は薄いゴム手袋を付けてから何か液体を落とし、私の体を撫で回しはじめた。嘔気を促そうとしているのだろうか? それとも何か他の意味があるのだろうか? わからないけれど手袋してやるので何だか私はゴミ扱いされているようで気分が悪い。その後も部下に指示しながら、口から何かを入れては、吐かせるのを繰り返す。
肌が薄紅色になって、血行が良くなっているのがわかる。周りの天使の目つきが少しおかしいが、シフォルゼは大して面白くなさそうだ。
だが側臥位にして、背中を撫でるとかなり長くて太い木切れが喉に詰まって、私が死にかける。それは彼を焦らせていた。慌てて、他の者と場所を変わって砕いて取り出す。知らないうちに、彼に助けられていたようだ。でも感謝はしない。何故なら彼が好きではないから。困らせたのなら嬉しいくらいだ。
そのまま私が死んだら、怒られるのは彼だ、私じゃない。
「泥人形だな、まったく。掻っ捌いて出したいが、余計な傷を入れるなと言われているし。どうせすぐ治るだろうに。さすがに掻っ捌いたら起きるか。こんなもので体を膨らませていたのに、よく体が腐らないもんだ。おい、余り肺は押さえるな、破けるぞ」
握っていた針なしの注射器で、胸を突いたり、お腹や臍の辺りまでつつーっっと伝わせたりする。くすぐったいのか、私の体は避けようとしているが、意識は戻らない。これを見るまでこんな事された記憶はなかったので、最後まで起きなかったのだろう。
「この濃度でもちゃんと感覚があるのか」
シフォルゼは不満そうだ。彼は太ももを濡らしていた血を拭い、傷を縫合する。その後、下腹部の辺りを注射器の先で軽く触っている。汚いモノを触るそんな手つきだったから、そんなならやらなければいいのにと思う。
「見た目はホントに……綺麗なんだが、やはり中身がいただけない。綿ってわけにはいかないし、代わりに幹細胞シリコンでも詰めておくか。その腕は折れてるか?」
「はい、もう少しで複雑骨折でしたよ」
「ふむ、皮膚は破けてないのか。じゃあ補正した後、補助骨を5センチばかり3本打ち込んでおけ。勝手に吸収して治るだろう」
部下に指示を出したり、ある程度、触ったり注射したりして、点滴を抜くと、私の体は運搬されてポットにドポンと放り込まれる。拘束具が外れ、それを回収し、蓋が閉められる。
何が面白いのだろう。
映像をそこまで見終わると、オレンジの彼は私の方を次は見やる。
見ると言うか、見えてないはず。そう思った時、オレンジの彼は笑って頷いた。笑っていると言うのに、薄い唇は情を感じさせない。ただ冷たさだけを示していた。
「はい、視力はもうないですよ」
ポット内に音声が入るようになっているのに気付く。そうでなければ彼が見ていた映像の音も聞こえるわけがないので、気付いたのは今更だ。
「初めて私の事に興味を持ってくれたようで嬉しいです」
興味を持っているわけではないが、暇ではあった。
あれからはココを出される事はなく、体も日に日に弱っていくのが自分でわかる。だけどなかなか死ねないまま、ゆったりゆったりこのポットを漂っている。
「そう簡単に死んでもらうわけにはいかないですよ、死姦されたくなければね」
「もしかして死体愛好家なの?」
「違いますから。できれば生きた貴女を鳴かせたいので」
「鳴く? 詠わせたいの?」
何だか会話が、ずれている気がした。でもその差が私にはよくわからない。それを彼も気にしている感じはなかったので、無視して話を聞いた。
「ねえ……誰か殺してほしいの?」
「いいえ、殺したいなら自分でやるくらいの甲斐性はあります。貴女は死にたいのですか?」
そう言えばここから消えたいなと呼吸数を落としていたら、電流を流されて……それを見られていたのを思い出す。
「よくわからない」
おしゃべりは嫌いじゃない、ソネットは沢山話してくれた。良く怒られもしたけれど。
もっと前なら、ばば様やバイオレット、他にもいろんな女性が来てくれた。帰らないで欲しかったけど、皆、時間になると帰っていくから孤独は感じた。暗い中、なんで置いていくのと扉を叩きまくった日もあった気がする。
けれど、長い事は暇ではなく、本もいっぱいあった。玩具になるモノもあった。それに比べるとココはつまらない。
「生きてるって意味が解らない。言われるままだったけど、歌うのは生きてる証のハズだったのに、それも違うみたいなの。このポットに浮かんでいるのは生きているって事? 違うと思うの、でもどうしたら生きているって言えるの? 死んではダメなのかなぁ。生きていないなら何故こんなに痛くて辛いの」
「それは貴女に選ぶ資格はない事。わかっているでしょう?」
「……そう、ね」
考える事自体がおかしいのだと暗に彼はそう言っていた。
そうだと私も思いあたる。ファーラに会う前まではそうだったではないかと。
少し、安心する。私がおかしいのはファーラのせいだ。彼が泣いてくれたから、私は私の為にここに在ると勘違いしていた。
痛くとも、寒くとも、私の為ではなく、私の所有者の為。生きるも死ぬも、詠うのも自分の為じゃない。
でも、もう一度あの夜に戻って、歌を詠えと言われたら、ファーラが死ぬとわかっていたら詠わない。それは自分の「彼を生かしたい」という想いのため。それは私にはあってはならない感情なのに。
安心がまた混乱に変わる寸前、彼は私を呼んだ。
「レーヴェ、いや、ルナ……私の天使」
彼の台詞に、私は尋ねる。
「貴方は私の新しい飼い主?」
「そんな感じでしょうか? 紅様から権利の一部を買い取らせていただきました。で、ルナ」
「はい」
彼が飼い主と言うなら返事はそれしかない。
ちなみにシフォルゼは飼い主ではない、飼い主からペットを預かった調教師と言えばわかりやすいかもしれない。調教される気はないけど。
ソネットも彼と同じだが、彼女や補佐の娘は私を天使としては扱ってくれた。
見えないと言う目を一応見て、覗きこむけど、彼の考えは読めない。ただうっすらと笑って、
「1つだけ、貴女が本当に知りたい事を教えて差し上げましょう」
「はい?」
彼の台詞に、さっきの返事とは明らかに音の違う返事をしてしまう。何を言われているか理解できなかった。その怪訝な表情は彼を満足させる物だったのか、とても嬉しそうだった。
「私の仕事は吟遊詩人、まあ、情報屋の代名詞です。貴女が知りたい情報くらいは取り揃えていますし、足りなければ調べても来ましょう。その代わり……」
「代わり?」
命令するのに慣れていないのだろうかと思った。だが彼は支配者側の気配がちゃんとする。と、いう事は、手懐ける為の餌か、気まぐれのどちらかだろう。彼は何を命じるのかと思ったが、
「それ以上、体を傷つけないで下さい」
別段、変わった要求でもなく大切とも思えない命令。どうせこのポット内では死ねない。
「なんで?」
「貴女を綺麗なまま抱きたい」
「……貴方に抱かれる? ああ、そう言う事……」
ポットから出た時、そろそろ生殖作業をさせられるのだと察した。
そこでさっきより、まじまじと彼を見た。
目が見えない、私にとってはそれ以外特記すべきことはない天使だった。いや、それさえどうでもよかった。何を見ればいいか、考えながら彼を見る。
見目は良い方、太ってもないし、年はいくつぐらいだろう? 20を越えているだろうか。吟遊詩人、琴を良く弾いている為か、右手の先指が少し荒れている。
他の天使に興味がないので、それ以上は何を見ていいかわからなかった。気持ち悪いという容姿でなければ別に誰でも同じ事だと思う。
別に誰でも、そう思った時、ファーラがちらと頭の隅によぎる。
彼がお風呂の泡越しにぎこちなく滑らせた掌と指先を思い出して。
剣を握りしめる為に鍛えられた荒い肌、それなのに父親に服従を言い渡された哀れな黒天使。その背の傷に、友人が治したという美しい魔法線が描かれた傷跡。
彼を想うと心拍が上がるから嫌いだ。それなのに始終彼を考えてしまう。そして歌を詠った事に後悔するのだ。
「ルナ、何か知りたい事は?」
「えっと」
彼の手に見入るのをやめ、考える。別に害はなさそうなので、聞いておくことにした。
暗闇から出たばかりだったら、何故光は眩しいか、何故泡は弾けて消えるのか、虹は何故掴めないのか、そう聞いていただろう。
このポットに入る少し前だったら、何故銀天使は私1人なのか、聖唱使いが何故歌わなければならないのか、何故天使は他の天使を殺したいのか、聞いていただろう。
でも今、私が聞きたいのは……ただ一つだけだった。
「ファーラって子がどうなったか、知りたいの」
やはり、私の心は彼に捕らわれておかしなことになってる。
ただ、思い出す。
これが恋と言うのかはよくわからないが、紅様は私に「恋」をしろと命じていた。あれからそれに触れる様子はないが、棄却された事案ではない。だからたぶん、彼の事を聞いてもおかしくないのだ。そう私は言い訳を頭でしながら質問を口にした。
またドキドキしながら、殺していない事を、息をしている事を祈る。
「ああ」
オレンジの彼は、私の思いはどうでもいいと言った感じで、事も無げに彼との空白を取り払った。
「元気にしてますよ。今は中級4年で生徒会長をしています」
「本当に……生きてるの…………でも何で? 歌が効いてないの?」
嘘である事も考えられるのに、嘘でもいいからソレを信じたくて、信じたら涙が溢れた。
「嘘じゃないですよ」
彼の手には1枚の写真があった。
「貴女の歌を、紫の子が自分のノイズキャンセラーを使って遮断したようです」
「ノイズキャンセラー?」
「ああ、彼が音楽を聴くと眠ってしまうので、耳に嵌めてるやつです」
「紫の子が? ああ、また彼に迷惑かけちゃったんだ」
何処で撮って来たのか、紫の子と並んで歩く、長い布で額を覆った彼が写った写真も見せてくれた。
2人とも髪が長くなっていて、顔立ちも大人らしくなっていた。ファーラは随分と身長が伸びた気がする。紫の子はその瞳に帯びた冷たい視線に、以前より重さと美しさを増した光を宿していた。
その成長が、間違いなく今、彼が生きているからそこに映っているのがわかってホッとする。
学校に入った事がないので詳しいシステムは忘れたが、彼らは幼少1年をやっていたはずだから、飛び級を使ってもそれなりの年月が経っているのも気付いた。
銀色をした涙が、自分の体液を溶かした薄紅にキラキラ流れる。
何故、涙が溢れるのかはわからず、声が喉を溢れそうになったのを慌てて押さえる。何故か聞かれたくなかった、誰にも見せたくないと思うのに涙が出る。
時間が経っても色が消えないのはポットの液体のせいだろう。
シフォルゼには見られたくないから、止めようとして、でも涙腺がおかしくて、止まらない。血でもないのに止まらないのは、自分が壊れているからだろうと思った。
「ねえ、壊れかけの私にいくら払ったの?」
興味本位で聞いてみる。
「質問は1つと言ったはずですが、そのくらいは良いでしょう。そうですね、支払いは情報提供でしたから、無料と言えば無料でしたよ」
「た、無料って言われた……」
意外と安いようだ、私。
多少、衝撃を受けた気がする。そこで、くるっと丸くなると疲れが襲ってきた。このまま死んでも良い、もう知りたい事はない。そう思った。それを見透かしたように、
「約束しましたからね」
億劫になりながら頷く。
「それから、そこから出たら何かしたい事を考えておいて下さい。1つだけ、そうですね……1日くらいで叶えられる内容なら、その願いを叶えてあげますよ」
耳を疑う。
すごく、すごく甘い言葉に感じた。
今まではファーラが生きていればいい、ただそう願い、思っていた。
それがわかったら、そこでおしまいだとわかっていた。彼とは住む世界が違うのだから。なのに、オレンジの髪の男は事も無げに願いを叶えるという。
そう言われたら、即座に、次はファーラに会いたいなんて考えている。短い時間でもいいからと。
細い細いはちみつの糸。
これは罠だ、意図は読めないが何か嫌な事の前にバラ撒かれた餌でしかない。私が今さっき聞くだろう質問も、彼の予想の範疇だった。で、なければ、ファーラの写真を用意しているはずがない。
そんな嫌な匂いがするから、ちょっとだけ視線を投げるだけで、私は膝に額を付けて興味のない振りをした。
「それ以上、体を傷つけないでって、言ったけど、それシフォルゼにも言っておいて。ソネット以外が触ったら、今度こそ……」
「わかりましたよ。ゆっくり、眠りなさい。おやすみなさい」
「お……おやすみなさい」
おやすみなさい、それはとても久しぶりに言われた。
幼い時、暗闇の部屋はいつでも光がないから、寝たい時に寝て、起きてた。イヤ、寝たいと思わないことが多かったから、ずっと暗い昼を過ごしていた。外で暮らすようになって、ソネットが教えてくれたのだ。
「空が暗くなったら寝るの。ほら、おやすみなさい……って、言われたら、おやすみっていうのっ! 床はダメっ。ベッドで寝るの、中に入るの、靴は脱ぐ、電気消すよ? 本は終わりよ。ね・るのよ。おやすみなさい」
そんな事で、いつも色々騒いでいた、彼女にも会いたい。早く来て、治してほしい。
ファーラを助けてくれた紫の目の子にもお礼を言うのだ、何かしてもらったらお礼を言うのはバイオレットが教えてくれた。彼女のお墓、ああ、ばば様は何処に葬られているんだろう? こないだ魔道士長に聞けばよかった。
ばば様と言えば、またクッキー食べたいな、作っても良いかなぁ……甘いのいいなぁ。
考えたら、まだやりたい事はあったのだと気付いた。1日で全員のとこに回るくらい出来そうだなんて、考えまでし始めた。
これは細い細いはちみつの糸。
クッキーをソネットと作った時に、余りに綺麗な瓶の中の液体を掬って食べたら極上の味がした。その輝きが美しくてたくさん出したら、手も髪もべとべとになってソネットに怒られた。
その時と同じ。
その甘さに近寄って手を伸ばしたが最後、体も心もべとべとになって抜け出られない気がした。
でも愚かにも私は考えてしまう。
1日、時間をちょうだいって言ったら叶えてくれるのだろうか? と。
名前も聞かなかったけど。
彼がいつもついている電気を最小限にして出て行ってからも、涙が止まらなかった。きっとどこかで監視しているから、シフォルゼにこの涙は見られているだろう。でも声だけは必死で噛み殺した。
何故泣くのか、わからぬまま、膝と髪に顔を埋める。
そして魅かれてはダメだと思うのに、ファーラと手を繋いで歩く森の中を夢想していた。
何度も見たけれど、けして暖かいと思った事はなかった。彼を失ったのだと後悔から見た夢だったから。森の朝の冷たさだけが残って、最後に猛烈な寒さの風で目を瞑ると、ファーラが消えて1人になる。
が、今日は繋いだ掌が暖かかった事を思いだして。交わしたキスに跳ねた心臓が、また同じようにドキドキとした。
それも続きがあって、紫の目の子がキスを笑ってみてて、ソネットが何だか騒いでいる……そんな変な夢。ありえないだろうって、そんなのを考えながら落ちていく。
はちみつの糸が流れるように途切れなく。
「嫌いよ、嫌い……」
そう呟きながら、何の警戒もなく深く眠って行くのがわかった。
「うわ、本当に寝た」
シフォルゼは手元の画面を眺めた。
ルナの脳波がこんなに深く睡眠を指し示した事はなかった。
ポットの液体に薬を入れてどんなに眠らせようとしても、脳が寝ない。どこかがずっと起きたままの緊張状態。普通ならそれでもいいが、ルナは空洞だらけで体の維持に、自分で思っている以上にすべてをすり減らしていた。
余り長く持たないかもしれない、せめて眠らせればと愚痴ったのを聞いていたティクエルが、たった数分の会話で眠らせた手際に驚いていた。
「さすが、聖唱使いと言った所か」
ルナの所から監視モニターの置かれた部屋に入ってきた、オレンジの男に軽い拍手をして見せた。
「別に詠ってませんよ。彼女に少しの情報と夢を与えただけです」
「夢……」
「今まで貴方達が、極限までルナに情報を与えていなかったから、簡単でした。変彩効果を作るには苦痛を。星彩効果を作るには孤独を。もうルナは完成しているでしょう? 孤独も程々で良いと思いますよ」
「聖唱使いは美しい星彩効果を持っているほど、強い力を持つと聞くが、お前はどうなんだろうな」
天使の魂たる「玉」に猫の目のような一条の光線を描く変彩効果。
それよりも珍しい、星のような輝きを描くのが星彩効果。
「どうでしょうか? ルナは美しいサファイアの星でしょうね」
「俺も底意地が悪いと思うが、お前も相当だな」
くすくすと楽しげに笑うティクエル。
「タダとか言ってやるな。お前の出した情報が如何に有益で金になったか、ティク、お前が一番わかっているだろうに」
「ふふ、良いんですよ。彼女の前ではただの泡銭です。それで、主治医殿はどうですか?」
「彼女にはそろそろ現実を見てもらおうかと思っている」
「そう言えば彼女は北の街でしたね。昨夜、魔が出て大変だったらしいですよ」
「政府の魔の研究施設は、東のある貴族の私邸を使っていたが、こないだ潰されたからな。その前にも犬が飼い主を襲ったらしいが、そこが一時期、魔の潜伏先になっていたと聞いた」
ティクエルはそうでしたね、と、だけ言って、監視モニターに映し出されたスノーボールのように輝く水に浮かんで眠る、銀色の少女を見えない目で眺めやった。
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もし落ち着かなければ8日更新となります。
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