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探究になき罪

前週は急遽お休み、失礼いたしました。


いつも覗いて下さっている方、本当に感謝です。

始めて来られた方、ここまでお読みいただき有難うございます。

お気に入り登録下さった方、感想下さった方、感謝です。

すごく励みになります。

 

 怒りに握った小石を投げつけるより。

 確かめて。気付いて。温めて。

 手にしたそれは小さな小さな卵かもしれない。













 ソネットは手元の薬を混ぜて、指先で触れる。

 その薬効は皮膚を伝わり、一粒ずつ何であるか主張している。そこまでは彼女の場合は理解の範疇。だがレイルがやったように数分で仕分けるなど、とても無理だった。お菓子を選り分けるそんな感じだと言った、金髪の小生意気な顔に、手元の薬を投げつけてやりたい気分になっている。

「ねえ、お姉様、何しているんですか?」

「あ、パティ。起こしてしまったかしら?」

「大丈夫です。ただ喉が渇いたので、起きただけですよぉ」



 研究生として彼女達が東校に留まって、明日で5日目になる。

 初日の慌ただしさは落ち着き、見学など当初になかった予定もクリアし、明日からは殆どが希望の生徒に張り付けるように準備が整った。

 寮に与えられた借り部屋は、一緒に来たパティという子と一緒に使っている。ソネットは彼女の事を以前より妹のように可愛がっていた。と、いうより懐かれていた。

 デザインや絵など、そういう芸術的才能にあふれた女史。個室も希望すれば用意してもらえたが、たまには共同生活も良いだろうと考えたのは正解だった。ソネットは彼女の感性に刺激を受けた。ただそれを楽しめるだけの余裕がソネットには余りなかったが。



 パティは寝起きのせいで乱れているが、栗色のふわふわ巻き毛をしている。それに美しいラメのような輝きを備えていた。手入れもしていないのに綺麗なまつ毛にまでその輝きがあるから、その奥に輝く赤みがかった茶色の瞳をキラキラとさせて見える。太いと言うほどではないが、体型がふっくらしているので、大らかに見えるし実際そうだった。

 健康的な肌色をしていて、ソネットとお揃いの白のネグリジェを着ていた。

「上からこれ着て下さいね。お姉様が風邪なんかひいたら、私、哀しいから」

「ありがとう」

 ……風邪ひいたら薬の実験が出来て良いのだけど、などと思った事は口にも表情にも出さない。

 差し出されたカーディガンをありがたく羽織る。兎の毛が入ったモヘヤで、細かに編まれたそれはとても柔らかく暖かだった。丈が長めで、裾は透かしレース風に編んでいる。紺色に映える大き目の白い襟に、僅かなグラデーションがある小さな花のモチーフが可愛らしい。

「お姉様に似合うよう、モチーフを配置して、デザインを完成させてみたのです。自分で言うのも何ですけど、とってもよく似合いますわ。差し上げますから着て下さいね」

 彼女は満足げに笑って、持ってきたグラスの水を飲む。



「で、お姉様はどんな子に付かれるのですか?」

「そうね……今回は目ぼしい子が居ないのよ」

 パティはきょとんとした顔をした。

「たくさん居すぎてお姉様も選べないのかと思っていましたけど。リュト先輩が今回は迷うくらい、たくさん相手したい子がいるとそう言っていましたから」

「え、ああ、同じ課でも見る所が彼と私では違うのかもね。可愛い子に目がないし」

「あははは……確かにリュト先輩はお優しいですけど。能力と性別はちゃんと見分けてますよ。それに本当に好きなのはお姉様で……」

「さあ? どうかしら? さ、私ももうすぐ休むから」

 彼女はグラスを片付け、おやすみなさいと告げて寝室の方に戻る。



 その後ろ姿を見送って、溜息をついた。

「私には似合わないわ」

 小さなスタンドの灯りで作業していたが、窓外の夜闇が鏡のようになっていて、彼女を映す。白襟が清楚な服、決してその姿は自身の言うように似合わない事はなかった。

 だがパティが行ってしまった途端、彼女は淡い水の色をした水宝玉瞳(アクアマリンアイズ)を細くし、不貞腐れたような顔を作る。

「薬の扱いで負けるなんて嫌だわ、それも紫水晶のあの子に……」

 口にしてみて、自分が彼に劣等感を抱いている事に嫌気がさした。

 何を争っているのかとソネットは自分に問う。彼が空気を吸うように何げなくやって見せたそれが出来ないだけで、何を苛立っているのか自身でもわからない。

「あんな芸当出来なくても、私の方が医療技術も知識も、薬剤の混合技術も、勝っているわ」

 言えば言うだけ、虚しくなって、彼女はいつもベルトに付け持ち歩くポーチに薬を片付け、引き出しから櫛を手にして、髪に当てて滑らせる。繊細な感覚を医療の時に伝えてくるこの髪はソネットの命とも言えた。



 そうしながら、もうだいぶ慣れた部屋を見回す。

 キャンバス地に太いストライプが描かれたソファーは2人掛け。落ち着いた赤系の縞に合わせて肘掛や猫足もやわらかい赤みを帯びた木で作られている。その横には2人分のスーツケース。中身は寝室にあるチェストに移してある。

 壁紙も温かみを感じるベージュ。天井四隅にゴシック系の模様がお洒落で、黒き夜闇を湛えた窓枠も、その模様が美しく飾っている。フローリングの真ん中には、白いラグ。埃がしないように生徒達が掃除に入ってくれて、綺麗に保たれている。

 寝室には二段ベッドが2つあるが、机は2つ。寄宿する人数に合わせて数を増減させるらしく、壁紙の焼けはかつて後2つ、机が備えられていた痕を残していた。

 4つ入れたら少し狭いかもしれないが、寝室が別にあるので、仲良し4人の女の子が住むならこのくらいがいいだろうとも思った。

 壁を挟んで簡単な食事が作れそうなキッチンが備えられており、洗面所としても使う仕様。そこにドレッサーと小さなシャワー室、トイレがついている。

 大きな共同風呂が別の階にあるらしいが、ソネットは使った事がない。初日から行ったパティは寮生と話せるし、そこに行くまでの廊下に据えられた大きな鏡やら絵画やらが美しいと言って、毎日お風呂をそこで済ませているようだった。



 ソネットはすぐ休むと言ったが、眠れそうになくて、櫛を置いて明かりを消し、癖でポーチも身に付けて、靴を履くと廊下に出た。

 足元には丸いライトが等間隔で灯されているだけで、ヒト1人いない。時間が時間で、規則では寮生は外出禁止の時間だろう。壁には生徒が描いた絵画が所々に飾ってあり、暗い中でも目を引く美しい線を描いている物も多く見受けられた。

 入り口で警備の天使に散歩に行くと告げると、数日前に爆発事件が起こっているので、と、暗に止められる。だがソネットがすぐ戻るからと言いながら、数歩出た所で声がかかる。

「女史!」

 一緒に来た史官達が街に食事に出ていたらしい。少々酒が入っている様だが、節度ある行動が伴うなら厳しい事は言わない。

 史官達はカーディガンは羽織っているものの、寝る前とわかるソネットの夜着姿にどきりとした様子だった。ルナでもあるまいに、少し軽率な服装だったかと思いながら、

「もう寮生で寝入ってる子もいますから、静かにね。明日遅れないように」

「はい、女史」

「あら、リュトは?」

「そこまで一緒に来ていたんですけど、忘れ物したって街に戻りました」

「そう、おやすみなさいね」



 男子は建物が違うので、士官達の影はソネットが出てきた入り口とは別の方向に消えた。

 彼女はその背を笑顔で見送った後、その笑いは滑るように消える。

 学校の敷地をぽつぽつ歩いていくとグラウンドに出た。

 幼小学校ではないかと彼女は思う。

 木から下に渡した板は滑り台、砂場に、ブランコ、動物の形をしたユラユラ前後に揺れる乗り物。安全柵の様なものが少なく、階段ナシで高い所に設置されたモノが多い。皆、飛べる世界にあって、転落の危険は余り省みられない。

 高い木から降ろされた縄網に手をかけて、ふわりとその上にあるブランコに腰掛ける。少しだけキュっと音がして彼女を乗せてふわりと揺れた。



「公園……」

 ブランコなどこういう遊具にソネットは余り良いイメージがない。

 姉が倒れたのがそう言う場所だったからだ。



 優秀な姉だった。



 連れ立って歩いていると母子と間違えられたのは、年が20くらい違っていたから。

 姉は魔道士が身に着けるマントに、紺に金で細工された鞘に入った長剣を腰に帯びていた。柄部分のアクアマリンが大きくて見事な剣。彼女は軍所属の医療班に居たので、軍服は白い上下を好んで着て、動きやすさ重視でズボン着用が多かった。

 レモン色の髪、特徴的な触角にも似た髪型は今のソネットと同じ。姉に憧れて、色々と同じにした記憶がある。薬師と言う家業以前に、医者を目指したのは姉が歩んでいる道だったから選んだだけだ。もし彼女が看護婦ならそうだったろうし、全然違う職業でも躊躇なしにそれに飛びついていただろう。

 今もなお敬愛し続ける姉であり、魔力行使型の医療効率の良さもあり、彼女は今もその髪型を保っている。

 ソネットは子供の頃は髪型だけでなく、服装も真似て、同じような形の服を選び、長剣の代わりに腰には同じ色柄の鞘に入った短剣を身に着けていた。それほど大好きだった姉。



 不意に姉の声が思い出される。

「ソネットはそのままで可愛いのに」

「目の色は一緒だから。剣はね、お誕生日におねだりしちゃった。長いのが良かったけどパパがまだダメだって」

 姉が困ったようにしながらも、ソネットの返す言葉に微笑む。同室のパティがお揃いにしたがる理由がわかる、そんな女の子だった。

 姉が亡くなったのはソネットが10歳、魔道士として財団リィに出向していた姉に誘われ、ルナの面倒を見出していた。

 その直前までルナは真っ暗な部屋に閉じ込めて育てられていたと聞く。ソネットの知る限り、その頃のルナは夜も昼もなく起きていて、食べ物を与えれば魔法で火をつけてみたり、目を離せば靴も履かずに出かけて犬と四つ這いで遊んでいたり。そんな彼女に振り回されて大変な時。

 姉の仕事について行ったハッキリした理由は忘れたが、ルナ相手が疲れていた頃だったのは確かだ。




 時刻的に、茜の美しい時だった。

 他の天使は居ない場所。高い木から吊るされた手作りと思われる長いブランコに、綺麗な天使が揺れていた。母親だろう彼女は、小さな子供を抱いて。青い髪を揺らしながら、ゆっくり、ゆっくり言葉を教えている。

 その子供の豪華な金髪が揺れる。人形の様に表情の浮かばない子供。

 片耳には栓をしている。外した栓が揺れに合わせてフラフラしていた。彼は母親の声掛けを無視して寝かけている。



 次の瞬間にはその視界が赤く赤く、朱に染まる。



 大量の血に驚いた母親、抱いた子の頬にポツポツとかかった赤い血、母親から伝った青い涙。そんな事態なのに、うっとりと眠りかかっている少年。彼の瞳は二つの悲しみを混ぜた魔王の紫水晶色。

 母親は透明感のある翼を広げ、慌てて子供を抱えて逃げていく。魔道士長がマントで包むように2人の視界を遮りながら誘導する。



「あ、ああ」

 目の前で姉が血まみれで。他の魔道士が手を尽くそうとしたが、その血は止まる事なく地面を汚し、ソネットの視界を満たしていった。

 姉の血に酔ったあの日、気が付いたら、ベッドに寝ていた。

 聞くと何日も寝ていて、姉の葬儀はあらかた終わり、父はもう姉の遺品も片付けて、残ったのは父と共に共用していた蔵書や愛用の医療道具だけ。

 そこで考えるのを止める。いつの間にかキチキチと爪を鳴らしていた。

 考えただけで気分が悪くなるなど久しくなかったのにと思いながら、網に足をかけて降りる。不安定な場所からフラフラと降りると立ち上がって、歩き出した。

「完治させたいのに、悪化させてどうするの、私」

 彼女は呟いた。

 気分が悪いので、考えるのを止める。いや、止めて良いのだろうか? ソネットは戸惑う。

 とりあえず考えるのを止めなければいけないのに気付いたのは、無暗に歩いてしまい、寮に着かないのに気付いたからだ。

 そして近くにあった椅子に腰を下ろして、落ち着くまで待つ。

 暫くして目を開け、やっとそこがどこかわかった。そこは数日前、レイルと話した場所だった。

「もう、最悪……でもココからなら帰れるわね」

 そう言いながら少しの間、眠っていたレイルにここで見入った事を思いだす。



 何故こうも精巧に作られているのだろうと思った。



 長い黄金のまつ毛は長く、同じ色の髪はとても豪華で金天使の血筋を感じさせた。耳には金色の鎖で繋がれた音を弾く栓。耳など、どの天使でも同じだと思っていたのに、触れてみたいと思わせる美しい形と言うのが存在するのだと初めて感じた。

 目の位置も鼻の位置も、整い過ぎて気持ち悪いぐらいだ。男にしては細い体。でも抱え上げるにはもうだいぶ重い、少年と青年の間くらいにある天使。触れると魔力を感じないのがとても興味を引いた。

 それなのに起きた彼は薬を鮮やかに分けて見せ、魔法ではないと言い張る。ルナの事もきちんと問い質したいが、彼自身が意外と面白い素材だった。



「面白い、か」

 自分で思った事に笑ってしまう。

 姉の仇と恨んでいたのが、少しだけ、ほんの少しだけ氷解していた。

「そ、そんなのダメ!」

「何がダメなの?」

 ぽつりと街灯があるとはいえ暗闇で急に声をかけられて、ソネットはビクつく。だがその目に捉えたのは、優しい緑の目をした男性だった。

「リュト……」

「驚かせたかな?」

「いいえ、大丈夫ですわ。忘れ物をされたと聞きましたけど?」

「食事の前に街の古本屋でね、買ったのを置き忘れてしまったんだ」

 彼が手にしていたのは黒い表紙の装丁本。ソネットは驚いた。それは姉の蔵書から借りてきた銀天使の関する研究本、今レイルの手元にある本と同じモノだった。

 そこらにある品物ではないので、一瞬レイルに貸していたそれを彼が売ったのではないかと思ったほど。だが、ソネットがレイルに貸したのと違い、それは新品同様に美しい背表紙だった。

「運が良いだろう? 君は家柄的にすぐに手に入るだろうけど……」

「姉が配置されていた関係で家にあるだけで、そうでもない品物ですよ? ちょっと見せていただけませんか……」

 後ろから捲る。

 こういう貴重な本は持ち主が記名しているものなのだ。だがその名が記されていると思しき場所は、綺麗に切り取られていた。

「研究者の誰か身内が価値を知らないで処分したんじゃないかと思うよ」

「で、しょうね」

 そう言ってソネットが彼に本を戻す。



「で、何がダメなんだい?」

 彼はお酒が入っているせいか、いつもより少々強引な印象をソネットは受けた。だが決して嫌な雰囲気は漂わさない優しい面持ちだった。

「カウンセリングする気?」

「そんなつもりはないけど。でもここ数日、君は辛そうで。学友……として僕は心配していたんだ。聞かせてくれないかな?」

 ソネットはリュトを見た。

 女性に甘い彼だが、天使を見抜く力に長けている。それは病気や身体能力を測る医療行為にとても有利な能力だ。医師と言う仕事に対して考えはしっかりとしており、学習レベルも才能も安定していた。惜しまれるのは家族の反対に遭い、家からの支援なしだった為、苦学生で勉強だけに集中する環境に恵まれていなかった事だ。

 ソネットと同じく医師の免許は取得済で、来年には一足先に学校を卒業し、就軍を決めている史官。きっと実地で座学を取り戻して余りあるだろうから、前途は明るいと彼女は思っている。



 そして……彼がソネットに告白してきてもうだいぶ経つ。ソネットは今は恋愛に力を割けないと即断で断ったのだが。彼は自身も忙しい身で、恋愛は今でなくていいし、嫌いでないなら側に居たいといい、紳士的に彼女に接している。

 残念ながらソネットの恋愛感情は全く動かせていない彼ではあったが、信頼は確実に得ていた。

「ありがとう、リュト。心配してくれて」

「ありがたいと、そう思ってもらえてるなら、ここで話す事で何か得るものがあるかもしれないよ」

 リュトは、このまま貯め込んで、以降支障が出てしまうのは困るのは君じゃないかな? と続けた。

 そう言い包められて、ソネットはゆっくりと息を吐いた。

「じゃあ、聞いてもらえる? ここでの話は守秘義務でお願いしますね、リュト」

「わかっている、つもりだよ。さあ、僕の手を握って」

 彼の返事を聞いて、もう一度深く呼吸をすると、手を預ける。



「でも、何から話せばいいのかしら?」

「君が気になっている事、かな?」

「じゃあ、貴方は私の病気を知っているのね」

 ソネットは水色の瞳でリュトを覗き込む。

 こちらが訊問されている様だよと笑ってから、君が聞く方が落ち着くならとリュトは答える。

「薄々は……解剖実習中に倒れそうなのに気丈にしていた時から君を見てた。頑張る子だなって。結構ダウンする子は少なくないからね。でも気持ち悪いのが嫌いとかじゃないって気付いたのは、パティが間違って赤いペンキを校舎内で零した時、あの時の表情かな……血液恐怖症だね、ああいう赤い液体自体がダメなんだ」

「血と思ってしまって、固まっちゃったの……そんなにわかりやすかったかしら?」

「いや、いつもすぐに持ち直しているし、生徒でそう思っているのは僕ぐらいかな? うちの教授連中だと知っているんじゃないかな?」

「それはもともと知らせてあるのよ。刃物や劇薬あつかっている時に倒れたら困るから。レイザの娘だから特別扱いしてくれって言うわけではなく、むしろ逆なの。父は医者より研究員になって欲しがっているから」

 なるほど、と、リュトは頷いた。

「それを知った上で単位を与えたという事は、ソネットの病気は医者と言う仕事をする上で支障がないと判断されたんだね」

 その台詞がソネットの気持ちに何か触れた事に気付いたリュトは、更に言葉を柔らかくし、手から揺らぎの波長を彼女に流す。

「皆が認めても不安なんだ?」

 ソネットは戸惑いながらも、極僅かに頷く。

「だからここに来たの、でもあの子……」

「あの子?」

「……紫水晶の子よ。あの子に聞きたい事があって来たのに、ずっと休んでいるし。そういえばあの子、指先だけで薬の微粒子を選り分けられるのよ?」

「え?」

「信じられないでしょう? 指先で触れば薬効がわかる、私の力だってそんなに易くないのよ。でも彼、薬を見ただけで判断してた。名前も薬効も相当覚え込んでるわ。そしてね、彼が触れた途端、その一粒ずつが意志を持ったように、別れていくのよ。アレを使えば口腔から飲ませた薬を、ワイヤーケーブルなしに確実に患部だけに送ったりは無論、体内にある薬物を無害なモノに分解したりとか、そんな事も可能なんじゃないかしらとか、ずーーーーーーっと考えてるのよ」

ソネットが語る口調が熱を帯びて、まるで恋人の話でもしている少女の様だと思い、リュトは少しイラっとしてしまう。放っておいたらずっとしゃべりそうな彼女を遮って、気持ちを奥に隠し、

「それは……興味深い話だね? 良い事じゃないか、ぜひとも我が北上校に……」

「ダメよ!」



 先程一人で彼女が呟いていたダメと、今の言葉か重なる事に気付き、リュトはソネットが落ち着くまで様子をみた。

「いや、本当はダメじゃないのかもしれないわ……」

 ソネットは目を閉じて話し始めた。

「あの子のせい……いや、あの子を庇って姉は亡くなったの」

「庇って?」

「魔道士だったから警護してたのよ。だから彼が居なければって、一方的にずっと彼を恨んで」

 


 彼さえいなかったら、ソネットは何度そう思っただろう。

 彼が居なければ守る任務も争いもなかったのだから。

 レイルが何かしたわけではない、居るだけで不幸が舞い込んでくる子供。

 姉を亡くしてすぐの頃は彼を恨んで、刃物を握った日も度々あった。

 だが魔道士の厚い壁を破って彼に手を下すのは、仲間に手をかけるという事。力量に問題がないとしても、彼女にその勇気はなかった。

 その後、彼を恨んだまま、だからと言って何かするわけにもいかず時は過ぎる。

 ソネットはルナの相手を本格的にするようになって、忙しくなる。また姉を失った事で、より一層彼女の背を追うようになった。

 医療を勉強する中、血が怖い事に気付いた。それの克服に努めながら、ルナや他の聖唱使いの仕事調節を任され、魔道士として長に報告し、雑用に追われた。

 そんな中、ルナは紫水晶の少年に関わって、血塗れになった……忘れ、克服しかけた恐怖症が蘇り、またそれを克服すべく費やした5年がソネットの全て。



「全然仲良くなんかなかったの。でも私ったら、あんなに恨んでたのに。あの子に会って、話したら、普通、いや、普通なら良いのに、彼が面白いなんて思ってしまって……そう、貴方の言っていたマハイル教授、あの子の父親だったわ」

「やっぱり……」

「うちの姉の恩師だったのよ。だから彼を庇ったんだと、都合の良い方に考えて」

「彼が嫌い?」

「嫌いも何も、知らないわ、あんな子。でも……」

 本当に解決するかは不明だが、ルナに会いに行き、彼女に触れられなければ医師を始められないと彼女は思っていた。ただルナの医事補佐の座から退いた今、簡単に会えるはずはない。

 会うならあの夜、あった事ぐらいは知っておかねばならない。だからレイルの下に来た、だが彼は良くわからないと言う。ちゃんと聞き出す暇はまだ持てていない。

「聞かなくてはいけない事があって、彼に関わったのに……」

 そんな中、無造作とも言える作業で、微細な薬を扱うレイルの姿は、同じ道を歩む者としてとても美しく、真剣だった。だからこそ血が苦手だと告げられた。ただ告げてしまった事で、何か忘れてはいけないモノを奪われた気がして怖かった。



 とてもとても長く間が空く。リュトは急かさず、ソネットの言葉を待った。



「そんな事、どうでもよくなっていて。本来の目的より彼の事が頭から離れなくて。面白いと思ってしまったりするのは、背徳のようなのに……あんなに好きだった姉を忘れる事のような気がして」

「誰かを恨むのは辛いよ。でも許すのはもっと辛いんだね」

 隣に腰を下ろした彼は、そっとソネットの肩を抱く。

「でもお姉さんが守ったのが彼でよかったかな」

「ど、どうして?」

「だって、ソネット。君が面白いと思える、価値のある天使じゃなければ、お姉さんは何の為に命を賭けたかわからないだろう?」

 確かに姉が助けた命が、ロクな成長を遂げていなかったら、ソネットはその場で逆上して刺殺していたかもしれない。

 リュトは思いついたかのようにソネットに切り出した。



「その子、レイル・グリーン君。僕が張り付いてその力量を見てあげるよ。許せって言ってるわけじゃなくて、気になるなら知ってしまえばいいんだよ。知る事は別に罪じゃないだろう?」

「そ、それは……」

「僕はもともと彼には興味があったんだよ。前に言っただろう?」

「そうだったわね……」

 リュトが彼を見てくれると言った事で、ホッっとしたような気もしたが、何だかそれ以上にとても残念な気分になった。

 それはどうやって遊ぼうかと楽しみにしていたおもちゃを、横からひょいと取り上げられたような気分だった。



「そうね」



 ソネットは立ち上がって、いつもの笑顔を浮かべた。

「許すのは無理でも。本当に、彼は姉が守るほどの価値があったのか、それが分からないからイライラするのね……知る事は罪じゃないわよね?」

「ん? ああ」

「公私混同かも知れないけど、彼は……私が側に置こうと思うわ。聞きたい事もあるし、姉が守ったモノの価値を知りたいわ」

「おや、今、僕が彼に付くと言ったのに」

「あら、パティから迷うくらい候補がいると聞いたわよ。だから譲って貰って大丈夫よね」

 ソネットの微笑はお願いではなく、当然と言った雰囲気だった。リュトは君には敵わないと言う顔をして、笑い返す。

「明日手続きを取るわ。ではもう、私、寝るわ」

「僕はもう少し酔いを冷ましていくよ」

「じゃあ、これ。あげるわ」

 彼女はポーチから薬を一包取り出した。二日酔いにならないようにと付け加える。

 ネグリジェの裾をふんわりと揺らしながら、優雅に歩いていく。

「ありがとうリュト。おやすみなさい」

 振り返りもせず、そう言った彼女の言葉に、リュトが笑っていなかったのに彼女は気付かなかった。



 彼女が立ち去り、その影が見えなくなって、充分間を置いてから、リュトは呟いた。

「これで、いいんですか? リトアー先生」

「ああ、上出来だ」

 その返事は近くの茂みの方から聞こえた。

 ゆっくり現れた彼は、漆黒の翼を背に、赤い水晶質の角を持った黒天使だった。黒い薄手のコートに身を包んでおり、所々に取り付けられた用途不明の黒金具がチャラチャラと鳴る。

「本人自体が決め兼ねている道を指示してやったんだから、堂々とするんだな」

「僕があのタイミングで言わなければ、彼を側に置くなんて言い出さなかったんじゃないかと思いますけど」

「ずっと前から決められたレールだ、ここでお前がしなくても誰かがやって、彼女は彼といずれ交わり道を歩む。お前は彼女が気落ちしているのが気になっていたのだろう? そして今夜、偶然散歩中の彼女を見つけ、偶然話している間に、偶然そう言う流れになっただけ。ついでに欲しかった本をもらうチャンスも掴んだ、それだけだ」

 リュトは立ち上がって、本を抱えた。



「本当に貴重な本、良いんですか?」

 その言葉に彼は笑った。

「もし返せと言って、返すかな? 君は特別図書室に出入りできるワケでもないから、こうでもするか、頭を下げて借りまわるしかない。働きの対価だ。胸を張って持って帰るといい」

「あ、りがとうございます」

「まあ、言っては悪いが、俺にはその本にゴミほどの価値も見出せない。気の抜けたような教授の口から訳の分からない理論が滑り出すのも、頑なで研究心の強い女性医師が死にそうな銀天使を生に戻す瞬間も、すべて目の前であった事。原本に書き込んでいた身の上だからね。百聞は一見にしかず。だよ、リュトジリック君」

 ぽん、っと彼は肩を叩き、ソネットが消えた方向を眺める。

「やっぱり彼女はバイオレットに似て、綺麗に育ったな。1度は抱いてからじゃないと、紫とはいえ、初物を食わせるのは勿体無さすぎる」

「ちょ……」

「はっ、わかりやすいな。後から後悔するくらいなら、押さえつけて奪ってしまえばいい。ただ体をいただいた所で、心までが沿うとは限らない。まあ、漬け込みやすくはなる」

「……それはリトアー先生の経験からですか?」

 少しだけ空に目をやり、頭を掻いた後、

「間違いなく君より経験は多いだろうな。この世から消してしまって、目の前からなくなって、やっと気づく事もあるかもしれない」



 彼がそう言い残して飛び去ろうとした時、リュトは緑の目を真っ直ぐ向けて、

「ソネットのお姉さんを殺した犯人は誰なんですか?」

「ん?」

 黒い切れ長の瞳でリュトを見やる。

「彼女の考え、微妙におかしいですよね? 本来なら姉の守っていた紫の少年ではなく、彼女の怒りの矛先は姉を殺した犯人に行くべきものだ」

「君の言う所の、犯人に矛先を向けないようにした結果が、偶然、紫の子に行っただけなんだが。あの血液恐怖症は副作用だな」

「そう術をかけたのは、リトアー先生、貴方ですか?」

「そんな目をしないでくれるかな? 仮に術をかけたのが俺でも、犯人は俺じゃない」

 非常に他人を不快にする笑いを残して去る黒い影に、リュトに残っていたアルコールの効力は薬を飲むまでもなく、すべて消え失せ、冷たい本の手触りだけが重く彼に残った。


お読みくださった後に「読んだよー」など

一言でもいただければ。

いえいえ無理なら評価だけでも……

あ、ポチして下さった方、ありがとうございます。


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前回登録いただいた方、ずっと継続していただいている方に感謝を。

そう言えばアルファポリスに登録してみたので、そちらのポチも嬉しいです。


来週は祝日アリの上、まだインフルAの家人が居る為、

早ければ15日にも出したいとは思いますが、更新は22日までに遅くとも一本とさせて下さい。

早く週一ペースに戻せるよう、全力尽くします。

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