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午後の接客

いつも覗いて下さっている方、本当に感謝です。

始めて来られた方、ここまでお読みいただき有難うございます。

お気に入り登録下さった方、感想下さった方、感謝です。

すごく励みになります。



年齢設定はずらす場合があります。

誤字脱字等ご指摘いただけると助かります。

 

 選ぶ事も許されない道を歩く。

 だから俺は選んでしまった事への後悔を知らなかった。












「はい?」

 ソネットは耳を疑った。

 一緒に連れだってきた史官の中でも一番賢く、天使を見抜く力に長けたリュトジリック・フィール。同じ医学を志す彼は、緑玉の瞳でソネットを見つめ返した。

「だから……あの金天使の少年は何課かな? 礼儀は正しかったし、よさげだったから興味があるのだけど。グリーンと言ったかな? あの子の名前が候補者リストにないんだよね。副会長だけど成績はいまいちなのかな?」

「私も昔、会ったきりですので、詳しい事は。もう少しでここに戻ってくるのではないでしょうか? その時、聞いてみてはいかがでしょう?」

 レイルが案内係を呼びに一度退出している間に、配られていたリストをチェックしながら投げてきた質問に、濁る事のない微笑みを浮かべ、ソネットは言葉を返す。

 学友の前では普段崩す事のない、慈悲深き女神を思わせる表情で。



「よさげとは言いますけど、紫水晶瞳だからですか?」

「いや、うん。そうだね。それもあるのかもしれないのだけど。ちょっと他の子にはない雰囲気がするね。僕は気になるよ」

 心の中で溜息を彼女は吐いた。



 耳を疑う事もないかもしれない、そう思ってしまったからだ。

 あの夜は幼かった少年はだいぶ大きくなって、見目の麗しさが増していた。

 綺麗に整った顔立ちも去る事ながら、驚きから立ち直った後のしっかりした言葉から、自分より七つも年下なのに、ドキリとさせられた。

 そして理知的な紫の瞳は他者にはない吸引力と魔性がある。

 あれを見たら興味を持たない者は少ないだろう。

 魔王の瞳、それは憎悪の対象でもあるが、常人がどんなに欲しようとも、手に入れる事の敵わない大きな力の象徴でもある。まだ幼さを残しながらも、その片鱗を感じさせる気配は見る者を隔てなく魅了して止まない。

 見た目だけではなく、あの後、彼が淀みない言葉を並べて行った学校のプレゼンや対応。他の研究生の意地悪い質問にも、緩やかに受け流し、返す知性も機転も充分に整っていた。

 彼の瞳が他の色であったなら、そしてルナに何かしたのでなければ、恨みなどせず、自分も彼に興味を持ってリュトのように思ったかもしれない。



「レイル・グリーン、ね」

 ソネットはこの地区の学校に研究生として割り振られた時から、何度、断ろうと思ったかしれない。

 それでもここに来たのは過去に向き合おうと決めたから。過去に向き合う第一歩は紫水晶の少年と会う事だとわかっていた。しかし下調べの猶予が無かった為、まさか彼が生徒会の一員とは知らず、初っ端で会うとは思っていなかった。

 それでも会った時にレイルが見せるだろう、幾つかのパターンは考えてあった。

 あの夜、見捨てた黒天使が死んでいる場合は最悪も考えたが、それはなく、あれからルナがどうなったかに関心がある様だった。

 だが今は銀天使の側に居た事など吹聴されても困る。馬鹿だとけなしたものの、本心からではなかった。個人的な見解を除けば、賢そうな子……早々に口止め出来たのでまず問題はない。




「まだ幼い気がするが、迫力的には今後が楽しみだね」

 リュトが呟くのに、ソネットはやんわりと、

「リュトにそう言わせるほどではないと思いますよ」

「手厳しいね」

「そうかしら? これ会長……の名前もないわね」

 そう返しながら、リストをめくる。確か、炎を放って瀕死だった黒天使と今は生徒会に居る様な話をしていたが、彼の名前もない。

「ファーラ……苗字はわからないけど、その名前自体、居ないな。でも今回の生徒会長は女の子か……」

 名前からすると女子と思うのは彼だけではない。ソネットも以前に関わっていなければ、そう思っただろう。特に北の街出身者ならファーラと言う名は女に付ける名だった。

「ふふ、可愛いといいわね」

「そう言うつもりじゃぁないよ。僕はソネットが一番素敵な天使だと思っているから」

「私は魔道士ですけどね。お世辞でも嬉しいわ」

「今は魔道士の仕事してないから、それだと聖天使って名乗るんだろう?」

「明確に使い分けてるわけではないけど、仲間内で便宜上……やはり無いわね、2人とも」

 生徒会は学校の顔なので、しっかりとした生徒を据えるのが定石となる。

 教師支配が強すぎるのはいただけないが、品行方正、成績などでいくと、おすすめ生徒を載せたこのリストに載るくらいでなければ、生徒会には入れないはず。



 しかし何度見直しても、二人の名はない。



「それもグリーンって良くある名ではあるけれど、もしかしたらマハイル教授の血縁じゃないかな? 雰囲気が似すぎてて、とっても他人には見えないな」

「マハイル教授?」

「僕が上級学校に入りたての頃に、外来講師で来ておられたんだ。確か東の上級学校からだった。天使遺伝子学の権威で。天使の遺伝に付いては右に出る者はいないと言われていてね。体の具合がどうとか聞いて以来、姿をお見かけしてないから……」

「遺伝子学の? ……そう……なるほどね」

 その頃は学校よりルナにかかりきりだった為、外来講師で来ていたのは知らなかったが、その名前に覚えがあった。繋がっているなど考えても居なかった。いや、今までは故意に紫水晶の少年の事など考えないようにしていたから。

 だが、言われてみれば似ていたかもしれないと思う。



「ふーん」

 リュトは少しだけソネットの方を見て、首を傾げた。

 ソネットは、どうかしましたか? っと尋ねる感じの顔で同じように首を傾げてみせる。

「久しぶりと抱き付くぐらいだから、かなり深い知り合いかと思ったけど、そうでもないんだね」

「え? ええ」

 リュトをはじめとする他の研究生に気付かれず、レイルの口を塞ぐ台詞を告げる為に取った行動だったが、不自然だっただろうか? ソネットはそれでも笑顔を崩さない。

「子供の頃の付き合いなので、その、あんまり懐かしくて。あの、……そんなのっておかしいですか?」

 笑顔のまま故意に言葉を詰まらせ、少しうつむき加減で頬を染めてみせると、リュトは追求するのを辞めた。可憐で清楚な花のように下を向いている彼女に、恥ずかしがらせてしまった事を後悔し、取り繕うように、

「そ、そんなことはないよ。なあソネット、この菓子食べたかい? お茶もうまいよ。コレ全部、生徒が作ったらしいよ」

 リュトは話を切り替え、一時休憩とばかりにそう感心しながら、小さめに作られた焼き菓子をつまむ。



 ……彼は目が効くけど、こと、女子の事になると甘いのよ……そう思いながらソネットは、はにかみながら、菓子を口に運ぶ。目新しいわけではない、だが舌が肥えている事を自負する彼女にも満足いく味だった。ハーブやオレンジが入れてあるのか、香りのいいゆったりとした気分にさせてくれるクッキー、淡く彩られたマカロン、目にも美味しい菓子だった。

 菓子はレイルがこの部屋を訪れる少し前、約束より遅れる事を告げた接客係の生徒達が置いていったものだ。

 ファーラが面白みのない買ってきた菓子を出すよりもと発案し、料理に長けた生徒達を呼び集めて、午前中の内に腕を振るわせて用意させていたものである。

 作られた菓子達はレイルの指示で前々から何度か試し作りがされ、手で食べられ、汚れない、零れにくいサイズに統一してある。甘すぎず、それでいて忘れられない味にも、程よい温かさのお茶にも細かな気遣いが感じられた。



「生徒会が生徒に任せて、作らせたみたいだよ」

「そうなのね。素朴だけど、美味しいわ」

「昨年もいろいろ回ったけど、こういう接客は初めてだね。運んできた子の手つきもなかなかだった」

「ねえ、お姉様。これ見た目が可愛いし、並べ方が素敵だわ。こういうのが得意な生徒がいるのね」

 生徒の名前が羅列されたプリントを見ながら、間から別の女史が割り込む。

「私的にはこんな事が出来たり、色彩に優れた子に会いたいけど、これに載ってると思いますか?お姉様」

「……たぶん居ないでしょうね」

「でしょ? 埋もれた才能の発掘がしたいので、決める前に授業中の校内見学と、授業参加を三日ぐらいさせてもらって、改めてここで付く生徒を決めたいですね。面白い生徒が居そうでわくわくしちゃう」

「パティ、前に南に行った時はそんな話しなかったのにどうしたの?」

 ソネットが優しく聞くと、今まで喋っていたパティの隣にいた別の史官が呟く。



「こんなもてなしが出来るなら、と、思ったからだろう? 生徒力って言うのかな? このもてなしが表面上のモノでなければ素晴らしいね……いくら金をかけて豪華な食事やパーティーを開かれても、そんな事、思いつきもしなかったが」

「みんなどう?」

「賛成ですわ、お姉様」

「いいと思うよ、ソネット」

「私は面倒ですね、それは。通例通り、さっと絞って数人に付く方がわかり良いかと」

「僕はこのリストの星付を中心に漁ってみます。他の学校が目を付けた子の実力も見たいです」

「では二班に分かれましょうか? 見学希望者は手をあげて…………どうぞ」

 ノックに気付き、ソネットが返事する。

 そうすると一度退出していた派手な黄金の長い髪を後ろに緩く束ねた少年が、頭を下げて入ってくる。



「再度、失礼致します」

 ……銀天使の事は聞きたいけど、もう、二度と来たくなかったんですけど……そんなレイルは心の叫びは表情に出さない。もともと表情に出るタイプでもない事に、感謝する日が来るとは思わなかった。

 今回の班長であるソネットの方を見ないわけにはいかなかったが、出来るだけ目を合わさないようにした。

 彼女が綺麗に切りそろえ、手入れしてある綺麗な爪を小さくカチッ、カチッっと鳴らしているのが耳に入る。ごく小さな音だが、耳栓をしていない今、こういうのを聞き入ると気を失いかねない。

 ……癖なのだろうか? レイルはそう思いながら出来るだけ意識を外し、一緒に連れてきた学生を招き入れる。



「これから寮へお荷物を運ばせていただきます。貴重品は身に付けられるか、寮の警備にお預けください。以後、学校滞在中はこのお部屋はご自由にお使いくださって構いません。掃除は放課後に一度、いすや机など、足りないモノはその時に言いつけていただければ、随時ご用意いたします。宿泊は各寮の寮長の指示してますが、何かご不明の点がありましたらお気軽にお聞きください」

「わかりましたわ。よろしくお願いいたしますわね」

 彼女が爪を鳴らすのをやめ、レイルが連れてきた案内兼お世話係の寮生に、暖かな微笑を向ける。何名かの男子寮生が恋に落ちたのではないだろうか。

「今からお荷物を預かる案内の子達はまだ中級一年ですが、出来る限り皆様がご専門とされている課を専攻している者を当てていますので、ぜひお話してみて下さい。本校の生徒も研究生の方々からお話を聞けば、励みとなる事でしょう。今日はお疲れでしょうし、明日にでもご希望の生徒をご紹介いたします」



 レイルはホッとする。

 ここまでたどり着けば、後は各課寮生達をそれぞれの客人に引き合わせ、寮へ案内させるだけだ。自分の役目は滞在中に不都合はないか顔を出し、最後の送り出しだけとなる。

 ソネットに聞きたい事はあるが、在学している場所が分かったので、日と場所を改めて会いに行くことを考え、今は研究生への接客に集中する。

 客人全員の名前も顔も覚えたので、スムーズに引き合わせられた。

 記憶力の良さがモノを言う。



「では、責任を持ってお連れして下さい」

 そう言って送り出そうとした時、

「お菓子もお茶も美味しかったです」

 そう言って笑った天使はちらっとソネットを見やった。

「そうですね。レイル君、お話があるのですが」

「はい?」

「まずは大変おいしいお菓子とお茶でした、素敵な心遣いをありがとう」

「恐縮です」

 お礼だけ、には、とどまらない事を察して、レイルは動きを止める。案の定、ソネットからずっと湛えていた笑みが消えていた。



「このリスト、貴方のお名前が載っていませんね?」

 どういう意味だろう、そう思い、つい「俺?」っと言いかけたのを飲み込み、

「私、ですか?」

 何とか言葉を返した。

 そこからどこに話が流れていくのか考えると嫌な気がして、気持ちを引き締めつつ、

「各課、上から3名が非常に優秀であるから推薦してくれて間違いがないと、校長からも……」

「それは先程、お聞きしました」

 ぴしゃりとソネットはレイルの言葉を遮った。

「ですから……このリストにも乗らないような方が、何故私達を相手しているかという事が問題なのです。私達は北の上級学校から選抜して、わざわざ参りました。それなのに何故貴方のような特別でもない天使が中心で接客という事に? 私達をバカにしていますか? 紫が珍しいからなんて理由ではありませんよね?」

「お姉様……」

「女史、そういう事では……」



 ソネットの様子が厳しい事に回りが気付き、止めようとしたが、彼女の発言は正しい。

 声は穏やかであったが、その発言の重みに、低学年である荷物持ちの子達にまで、緊張が走るのがわかった。

 窓の外には青い空が広がっている。

 白い窓枠に区切られた空は、一枚ずつ飾られた絵画のようにも見えた。グランドから運動部の活動する活気のある声が聞こえる。レイルにとって、いつもは耳に入らない音が新鮮であったが、まるでこの部屋は隔絶された檻に閉じ込められた気分にさせられる空気に満ちていた。



 レイルは紫水晶の瞳で、レモン色の髪をした女史を見やる。

 険しい表情で笑顔はなく、簡単には陥落できそうにない感が伝わってきた。ここで揉め事を起こすわけにはいかない、校長から任されたこの場を守るのは自分の役目。

 だが争う事でもなく、気負う事でもない、そう思いフッと気を抜くと、自然に鮮やかな笑いがレイルの顔に浮かぶ。前から見ていた研究生達はその柔和な微笑に不意を突かれる。

 ソネットの穏やかさは知っているが、攻撃的になった彼女が激しい事も知っていた。その表情を前にこうも胆の座った顔ができる下級生はそう見ない。




「……口で言うより、これを見てもらえば、わかると思います」

 レイルは側にあったペンを眺めた。どれが魔法具のペンかは薄い輝きを見ればレイルにはすぐわかる。その一本を取り上げると、近くにあった紙の上に走らせる。だが何もそこには残らない。

 その後で近くの子に渡した。

「これに何か書いて、お見せして」

 受け取った紙とペンでその子が描くと、その筆跡通りにインクが走る。もう一度、レイルは同じように書いて見せるが、インクが出てこない。

「何? 見世物をして欲しいなんて、頼んでないわよ?」

「いえ、私は魔力がないので、少しでも魔力を使う魔法具すら使えません。飛ぶのも妖霊に頼っていましたが、今は全く……」

「え、魔力がない?」

 その台詞に驚いたリュトが、レイルに近付く。

 レイルは彼の瞳がファーラと同じ緑玉色をしている事に気付いた。友人より彼の方が少し浅いが、透明で輝きのあるそれはこの街ではあまり見ない色だった。北の街には多い色とは聞いたが、不思議な気がした。彼はファーラと同じフィールと言ったし、それは天使界で多い苗字であったが、親近感が沸く。

「君、ちょっと、手を握らせてもらえる? 君、何課?」

「医学課です」



 そう言いながらレイルが頷くのを見て、手を握ったリュトは、信じられないと言う顔をした。他の女史も近づいて確認する。

「ありえないよ、天使、で、まったく魔力が感じられないなんて。あれ……いや……これはある意味凄いね」

「この子、何? 本当に天使?」

 その驚き方があんまりだったので、魔力がない事を自覚はしていても、少しショックだったレイル。

 幼い頃はなかったわけではない、だが銀天使と共にファーラの体を治した夜に枯渇してしまったのか……消えてしまった魔力。天使ならば自然に再生産されるはずのそれが、時間を経ても沸いてこない。

 だがそれに凹んでいる暇はない。

 尚の事、何故貴方が? と、突っ込まれる前に話してしまわなければならない。

「で、……ですから魔法の実技系では0点を叩き出してます。体育系も苦手ですし。その代わり、試験や論文などではほぼ首位をキープしてます。記憶力では誰にも負けません」

「誰にも?」

「はい。当校では勉強だけではなく、努力する生徒にもチャンスは与えられ、受け入れられます。私の様に紫水晶瞳の持ち主であっても、魔力がなくても、差別する事なく、です。ですから私は生徒の支持も教師の支持も受け、生徒会役員として、この場に立たせていただいております」

 レイルは一度言葉を切ってから、反応を見る。瞳が紫水晶である事も、魔力がない事も、恥じる事ではないと付け加えて彼は言い切った。

 ソネットは腕を組み、レイルを見下すようにさえ見える値踏みの視線を外さない。



「ですが、私の様な者を認めていただけるのは、なかなかない事です。ですから平均的に学習能力に長けた、素行の良い生徒をご紹介させていただきました。ですから、私のような者の名は載ってません。ご理解いただければと思います」

 レイルは重ねて、希望を聞かず、リストを差し出した不手際を詫びる。通常儀礼であるから、渡さない方がおかしいのだが、客にその非を押し付ける事のない配慮だった。

 納得せざるを得ない説明に、笑顔は戻さないまでも、ソネットはとりあえず頷いて見せた。



「我が北の上級学校では、様々な才能の天使を見たいと言う意見が出ています」

「才能ですか?」

「ええ。例えば、今いただいたお菓子を作った生徒に興味を持った研究生もいます。私は集中力の高い医学、医療係の子に会ってみたいです」

「集中力……」

「ええ。半数の研究生は今のリストから生徒を選ばせていただきますが、残りの半数で授業中の校内見学と、授業参加の後に改めて選ばせていただくという事は可能ですか?」

「それは可能ですが、その分、探すだけでお時間と手間が必要となるでしょう、ちょっと失礼いたします」

 レイルは側の生徒にこっそり耳打ちすると、その子は一礼して飛び出していく。



「どうでしょう? お疲れかと存じますが、どのような生徒がご希望か上げていただければ、今、残っている生徒だけではありますが、ご案内できるかもしれません。部活動で残っている生徒が多いので、その様子を見るだけでも損はさせないと思います。時間的に短いですし、急かした形になりますので、明日の放課後でも構いませんが」

「明日の放課後の方が、そちら的に都合がいいのでは? 今日、いきなりの事に対応できるのかしら?」

 ソネットに戻った微笑は先程のモノと質が違い、挑戦的だった。レイルは挑発に乗らず、ただただ柔らかく、

「身構えている生徒の様子ではなく、より普段の様子が見たいのではないかと、お話から判断いたします。それならば今、視察される方が、より良いかと思います、ソネット女史」

「自信がおありなのですね」

 小さくノックがされたので、レイルが招き入れると、先程使いに出した生徒だった。耳打ちされた言葉に頷いて、

「今日の見学をご希望でない研究生の方は、先に寮の方にご案内いたします。まず先程、菓子を制作した生徒がまだ残っているのでそこへお連れしたいと思います。その間に、他にご希望の生徒を聞かせていただければ……」










「おおおおおおーい、どういうことだよー」

 怪我した生徒宅へ校長と共に詫びを入れに行っていたファーラは、割に早く役目を終えていた。

 接客はレイルに任せれば問題ないだろうと思っていた為、街へぶらぶら買い物に出ていた。たぶんそうだろうとレイルの指示で、彼の元へ飛ばせた生徒から事情を聴き、買い物を中断して学校に戻ったファーラ。

 道すがら別れた校長は連絡が付かず、教頭はまだ会議で缶詰らしい。

「ですから、自分達の条件に合った子に引き合わせて欲しいと言われたのを、レイル先輩が受けて……」

「あいつは他人の気持ちを汲むのが上手いからな……」



 生徒会室に普段置きっぱなしにしている詰襟を羽織り、見た目の体裁を整える。先程ジーパンから黒いズボンに履き替えていたので、下は良いだろうとロッカーを思い切り殴るかのような勢いで閉める。

 その大きな音で、回りを取り巻いていた6人の役員がビクつく。

 それで自分自身が動揺しているのに気付き、呟く。

「まあ、一番大変なのレイルだよ」

 銀色をした長めの剣を腰に差し、優美で綺麗な小川を思わせる細工が施された柄をそっと握る。

 鍔に施された細工は天使の羽を思わせる繊細さで、握る者の甲を守るように作られている。それは思いを寄せる銀色の天使を想像させた。



 時間が経つにつれて、街に、空に、道に、銀の彼女を探す事が多くなっていた。要る訳がない、あんな殺しの人形を野放しにしているわけはない、わかっている。

 だが、彼の目はどうしても彼女を探してしまう。

 在りし日の自宅から突然出て来た、彼女の可愛らしい顔を思い浮かべ、またひょっこりやって来るのではないかと有り得ない期待する。

 理由をあれこれつけて拒否しようと、あの瞬間にもう心を掴まれてしまって、彼女と過ごした数日が忘れられない。



 彼女を使い父を殺そうとしている後ろめたさ、出てこない兄、地に足がつかないような数日。訳のわからない銀天使の行動や言動の振り回されながら過ごした時間。



 銀色をしたガラスの破片がハラハラと降るような歌声が今も耳に響く。今も彼女は悲しさも寂しさも感じぬままに引き受けて、その歌を奏でているのだろうかと考える……だがファーラはあの夜の事を克明には覚えていない。

 レイルは隠しているが、彼女に何かあったのくらいは、言葉尻から推察できる。聞けば身を割くように辛そうなレイルの顔が見ていられなくて、追求できないでいたが。

 ……レーヴェはもうこの世には居ないのかもしれない。そうも考えていた。



「落ち着いてないで、早く行きましょう」

 役員の言葉でファーラは記憶に焼き付いた銀天使の追憶から、現実に戻る。レーヴェに対する焦燥はあっても、もうすっかり心は落ち着いていた。

「いや、今回、北上校がお客……今、手詰まりじゃ無いんだろう?」

「運動系の子がいい感じで、特待したいって話も出て進んでいます。でもレイル先輩、かなり頭痛がしてるみたいです」

 急かす生徒を見ながらも、ファーラは剣から手を放し、近くのソファーにどっかりと座った。

「で、マカロン残ってる? クッキーでもいいよ」

「焦って下さいよ、会長!」

「もともと会長が副会長に、生徒会に入ろうって言ったって聞きましたよーそれなのに任せっぱなしで、どうなんですか? 行きましょうよっ」

「いや、俺は図書が見たかっただけなんだよ、あいつと」

「特別図書室の事ですか?」

「うん、俺の頭でわからない事でも、あいつならわかりそうだから。まあいいや。割り込むとペースが崩れるから、接客はレイルだけにさせろ。俺はここで対策を立てる。出て行くのは最後の方でいい」

「接客苦手ですよね、ファーラ会長」

 役員の1人に突っ込まれて、ファーラは苦笑した。

「まあな。で、今、出された条件は?」

「ですから身体能力が高い子は、体育館とグランド周回で見つけられたんですが。医療系の集中力が高い子と機械関連に強いのと、後は色彩の……」

 ファーラは差し出された菓子をモゴモゴ食べながら、話を聞き、頭を捻る。



「うーん、機械関連の手際の良さなら3年のクーリンが一番だけど。卒業確定の4年からだと機械言語系の強さなら、リッカだな。どうせどちらも一緒に理科室の準備室に居るはず。医療系の子はレイルの分野だろうに。だからこそ慎重になるか。で、……ここには今、俺を退けて、6人いるな。レイルの近くには誰かいるか?」

「広報のジュリがいると思います」

「じゃあジュリはそのまま基軸な、他は基本は2人1組、3班で動いて……あ、クーリンを逃がすなよ、あいつは面倒事が苦手だから。美術部は今どこだ?」

 1班を生徒の所在確認に出し、もう1班はレイルの近くに待機させ、話の流れをいつでも掴めるようにした。残りの1班はすぐに伝令が飛ばせるように側に置く。3班をローテーションさせつつ、紹介する生徒の所在を押さえ、ジュリと言う生徒から情報がレイルに伝わるようにする。



「後、レイルは耳塞いでいるか?」

「研究生の言葉を聞き漏らすわけにはいかないからと、外しているんですよ」

「じゃあ、合唱部は防音室に移動させて。軽音部は今の所、大丈夫だろう。ラジオなんかは使用中止させてくれ。まあ、5時半前には片を付けようか」

 ファーラは差し出された冷たいお茶を一気に飲み干すと、自分が知る限りの生徒の顔を思い浮かべつつ、指示して全校生徒のファイルを持って来させた。












「大変、有意義でした」

 ファーラが来て、ソネットからその一言が聞けたのは、もう空がゆっくり茜色に染まる頃だった。

「……ありがとうございます。来たばっか……いえ、来て早々に、長い時間お付き合いいただいた研究生方々の熱意に支えられました」

「いいえ。これからの研究期間が楽しく過ごせそうです」

 得意ではない敬語を使ったファーラの世辞の後、他の研究生からも同意が聞かれ、レイルも安心した。

 ファーラはソネットとあの夜、出会っていたが、彼の方は覚えていない様でレイルと違い、初対面の反応だった。

 ソネットもそれについて突っ込んだりしない。多数の天使を生かすために犠牲としても良いと言ってルナを謳わせた彼女。だが犠牲第一号になりかけたファーラを直視するのは、流石に後ろめたかった。



「授業中の校内見学などにつきましては、また後日……」

「では、失礼いたします」

 ソネットもはじめに浮かべていた優しげな笑みに戻っている。荷物持ちの生徒と研究生が寮に引き上げていく後ろ姿を、2人を含めた役員達全員で頭を下げて見送る。

 その後、役員達や野次馬になっていた生徒達を解散させると、ファーラは夕焼けで赤みが差した緑の視線でレイルを見やった。



「お疲れさん、レイル。面倒なのに良く対応したなぁ」

「そう思うなら、早く来てくれてもよかったのに」

「俺の名前を聞くと、話の腰が折れただろう?」

 ファーラの名前を聞いて、今回の生徒会長が女性と思った研究生が多く、変わった黒髪に緑玉瞳の少年が現れた事に驚いていた。そこまでは普通の事だったが、フルネームを聞くと更に戸惑っている感が倍増したのは確かに感じた。

「北の街出身の奴に言うと、特にそうなんだ。それで折角、話が乗ってる所を邪魔したくなかったんだ」

「そうか。接客が面倒だったって事だね」

「そんな事は! ……あるけど」

「もういいや、お前が裏で動いてくれて助かったよ。俺、少し座りたい」

 レイルは頭痛を堪えていたので、考えるのを止めた。



「あの女史、どこかで見た事がある気がしたなー」

「そうだね、うん」

 レイルはファーラの言葉に、気のない返事で返した。

 夕焼けの赤が紫の目に痛い。

 陰に沈み、暗みがかった針葉樹の緑。山の巣へと飛び立つのか、鳥影が赤い空へと舞い上がっていくのが目に入る。そんな中、一匹だけレイルを見下ろすように木の上に止まる一際大きな黒い鳥がいた。

「ファーラ、あいつ、この学校が縄張りなのかなぁ」

「ん?」

「大きいだろ? あの鳥。よく目に入るんだよ。何匹もいるのかな?」

「あんな大きいのが? うーん、朝は門の所にいるな、そういえば」

 レイルは煤けて忘れられたようなベンチに座り込んだ。この辺りは寮と学校の境目に近く、夕方は通る天使も少ない場所だった。

 それも今日、昼間にファリアが校内爆発を避ける為に、爆発物を移動させた森に近かったので、危険を感じて近づかない者も多いはずだ。学内を出れば回りは中心街となるので、街はそれなりに騒ぎになったらしい。



「あんまり何もやってないのに、疲れたよ」

「敬語使うだけで疲れるって」

「まあ、ね。敬語より音が……」

 今日やったのは、レイルにとって大した事ではなかった。

 自分が知る限りで優秀と思われる生徒を、紹介すればいいだけだった。途中からファーラのフォローが入り、狭い世界に居る自分が知るより、広い範囲の生徒の情報が的確に彼から下され、案内するだけでよくなった。

 一番の敵は自分の体だった。

 いつもは流入しない声を耳に入れていると、だんだん頭痛がし始めて、すでに二時間を超え、いつ倒れるか分からない緊張感と痛みへの我慢は限界に達していた。背もたれにだらりと腕をかけ、天を仰ぎながらまだ星のない空を眺める。



「大丈夫か? 耳に栓してないとそんなになるのか」

「こんなに長く外した事なかったから、眩暈がするよ。嵐の中で船に乗ってるみたい」

「もうそろそろ、5時半だ。音楽室で練習しているヤツらが窓、開けて演奏し出すから、耳栓しとけよ」

「そうなんだ。ああ、合唱部を移動させてくれたのは助かった」

 そう言いながらレイルはしまっていた栓を取り出して耳に戻そうとした途端、一つの音を捕えた。



 カチッ……カチ……



 他の誰もが気付かない程、小さな音がレイルの気を引く。



 レイルは立ち上がって頭を下げる。ファーラも気付いてそれに倣う。

 そこには空の茜色を映した白いブレザーの女史が一人、踵を返してそこに立っていた。苛立ったように爪を鳴らす音が小さく聞こえる。逆の手には厚めの装丁本が握られていた。

「ソネット女史、どうかされましたか?」

「レイル君、貴方と話したいのですけどいいかしら?」

 レイルには胡散臭いとしか思えない彼女の笑み。ファーラはやはりあの夜に居た少女とは思い出していないようだ。

 それでも彼はレイルを一瞬見る。夕日で焼けて赤い空気を吸い込んだレイルの顔色をファーラは読めなかった。だが頭痛で辛そうなのは感じ、

「明日ではダメ……いけないでしょうか? レイル、あんまり調……」

 レイルは手でファーラの言葉を制する。有無を言わさない絶対的なその態度は子供の時よりもはっきりし、何者にも口を挟ませない重さを増していた。



「先に帰っていてくれる? ファーラ。少し遅くなるって母さんに言って」

 彼の額を覆う白く長い布切れを見て、レイルは言った。

 たぶん今から銀天使の話もする事になる、元気ならいい、だが死んだと告げるならタイミングというものがある。

 有無を言わさないレイルの態度に、訝しげな目線を送ったが、ここに居る事を良しとしない気配にファーラは折れた。

「じゃあ、俺……いや……私はこれで失礼します。でもレイルは聴力が普通と違うので、耳に栓させてやって下さい」

「ええ、わかりましたわ」



 にこやかにソネットは彼を見送った。

 その姿が見えなくなると、息を一つ吐き、その笑顔は吸い込まれるように消えた。

「早く、それを耳の中に押し込みなさい。出来ないなら聴力自体、永久に閉ざしてあげましょうか?」

「いや、何か冗談になってませんよ、女史」

「冗談で言ってないからよ。ああ、敬語とか、もう、どうでもいいから」

「え?」

「学校では一応お嬢様で通ってるからあんな感じなの、疲れるわ」

 レイルは耳に栓を押し込んで、音を完全に遮断した。それでも頭痛は消えなかったが、気持ち的に落ち着く。先ほど言われた音楽室の音が響く時間も迫っていた為、その前に入れられてよかったと思う。

 ソネットはレイルの隣に立つとくるっと回転し、短い白のスカートが弧を描く。そして今までファーラが座っていた場所を占拠する。

「座ったら? キツいのでしょう?」

 レイルが着ている長衣を引っ張る。彼はありがたくそこに座る事にした。



「貴方、医者を目指しているって?」

「一応……医学系に進路は向けてるけど」

 それを聞いてから、間が開いた。

 レイルの耳には届かないが、どこからかピアノの音が響き始めた。

 軽快な足取りで踊り子が舞うような、軽いタッチの弾き方。きっと心を解き放つ気分で鍵盤を叩いているのだろうとソネットは思う。茜に薄い紅がかかり、幻想的な青と溶け合う中を、音は抜けて、遠くまで届く。その音楽に勇気づけられても、なかなか彼女は口を開けなかった。



 そして先に口を開いたのはレイルだった。

 爪を鳴らしている音は耳には入らなかったが、その指を見て、まだ彼女が爪を鳴らしているのはわかった。

 すらりとして整った指は苛立ちを募らせている。刺激してはいけないのはわかっていたが、押し黙っている事と頭痛が彼の判断を誤らせた。



「レーヴェ……ルナって言った方が良いのかな? 彼女は元気?」



「あ……」



 そう尋ねた途端、二の句を忘れたかのようにソネットの言葉に間が開き、その後は叩きつけるように、

「貴方がそれを聞くの? 私が聞きたいわよ。あの夜、ルナに何をしたのっ!?」

 側の樹の上に止まっていた大きな黒鳥が、立ち上がって咆えたソネットの語気の強さに驚いて飛び立つ。大きな翼から抜け落ちた黒い羽が赤い空気の中にふわふわと舞い落ちる。

 レイルは紫の目を見開いて彼女の口を読もうと、下から覗きこむ。

「何って、……診てないの?」



 彼女の口は動かないまま、ストンとまた座り、両手で顔を伏せた。



「怖くて、診れなかったの、医者なのに。そのまま、彼女を置いて去ったの」



「何て、言った?」

 下顎が動いていた事で何か言っている事には気付いたが、顔を伏せられると何を言っているのかわからず聞き直す。

 レイルが防音状態にしている事、先程自分が付けさせた上、魔道士である彼女は理由を知らないわけではない。だが気が荒立っている彼女は正常に判断できず、顔をあげて再び立ち上がると、レイルに言葉を投げつけた。



「姉は貴方が居なければ死ななかったのよ、貴方さえいなければルナだってあんなに血を吐いたりしなかったのよね? そんな貴方が医者なんて笑わせないで!」

「姉? 何の話だよ!」

 元気があれば立ち上がりたかったが、体に力が入らず、それでも何とか睨み上げながら、レイルも言葉を荒げて返す。

「ルナの為に、大勢の為に、ファーラは死んでも良いって思って詠わせたろう? あんたもさして変わらないと思うよ」

「そうね、じゃあ、貴方は選べていたの? 街の大勢か、貴方の友人か!」

 レイルはただただ言葉を詰まらせ、その表情でソネットは叫ぶのを止めた。

「ごめんなさい、争いたくて来たのではないの。でもやっぱり冷静になれないから。また日を改めるわ」



 ソネットがそのまま立ち去ろうとする。

 白いブレザーに映えていた赤が薄まり、闇色を溶かし映す時間となりかかっていた。

 レモン色の髪の二つの房が、ゆっくりと風に薙がれるように揺れる。

「待って!」

 そう言って約五年、忘れられない銀天使の姿が一瞬思い浮かんだと思ったら、激痛が頭を走り、ソネットに手を伸ばしたままレイルは立ち上がれずに地面へ膝をついた。

「何をやっているのよ、貴方」

 ソネットはそのまま歩き去ろうとした。



 しかし腹立たしげに地面を一度踏み鳴らしてから、仕方なさそうに振り返って戻る。その体をベンチに戻そうとしてレイルの手を取る。

「意外とヒトがいいよね……」

「そんな事、言ってる場合? 熱いわよ」

 それでやっと彼の体温が異常に高いのに気付く。夕闇が迫り、辺りは暗くなっていると言うのに、レイルの顔はまだ夕焼けに照らされているようだった。


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