過去の上に成り立つ現在
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神の玩具、それは天使全てかも知れない。
二度と会いたくない天使に、私は聞けるだろうか?
あの日、彼女と何をしたのかと。
レイルとファーラは、いつも一緒の仲間達より一足早く、次の授業がある教室に向かっていた。先生からプリントを各席に配って置くように言われたからである。
「面倒だなぁ」
やる気無さそうにしているファーラを見やって、レイルは首を竦めて見せた。
「また身長、伸びたんじゃないか? ファーラ」
「んー? そうか? お前が伸びなさすぎじゃないか?」
「伸びてるよっ!」
「同じもの食ってるのになぁ」
レイルの身長も、ここ数年で確実に伸びて1メートル半を越していたが、ファーラの方が優に頭一つ高い。年齢差があるので仕方がない事だが、彼にとっては本当に自分が大きくなっていないような気がしてつい目が行ってしまう。
彼らは毎日、レイルの家で寝食を共にしているから、尚更だ。
前から歩いて来る者は、彼らにサッと道を開ける。
レイルが校内で有名なのは、もう瞳の色だけではなかった。
何故なら今はここ東校の最上級生、中級学校、医学系専門課程4年で現在副生徒会長を務めている為である。
彼は青年と言うにはまだ幼いが、とても愛らしい美少年に育った。父譲りの濃すぎて華やかなサラサラの黄金髪、整った目鼻立ちは希有な紫水晶瞳を際立たせる。いつも白や水色など色の薄い長衣を身に纏い、色鮮やかな組紐で腰ほどまで伸ばした黄金髪を軽く三つ編みにして結わえていた。
紫水晶瞳の持ち主を恐ろしいと、差別する考えは根強い。しかし何よりも前向きなレイルの生き方が、回りの目を改革してきた。前向きにしか生きていけなかったというのが正確だが。
いろいろ睨まれる事もあったが、それは他の生徒にも起こりうるイジメで、一概に紫水晶瞳のせいではなかった。
ファーラは中級学校の一般過程で同じく4年。普通の授業は共通なので、一緒に動く事が多い。
現生徒会長はファーラが務めている。「目立たず」が信条であったレイルを、最も目立つ生徒会に引っ張り込んだのは彼だ。レイルの目立ちたくない気持ちも知っていると言うのに、何故そうしたのか、今年が始まり4か月が経過した今も明かさない。
実務的には結局レイルが動いてほぼ何もしていないが、彼には部活などで培ってきた人脈があり、人望が厚い。いざと言う時は彼でないとダメだ。
頭上には光沢のある金色の二本角が聳え、黒のジーパンに襟付きの黒いシャツというカジュアルな服装が、ファーラをよりスマートに見せる。長めの銀色をした剣を常に身に着け、幼い頃から際立った才覚を見せていた剣の腕は一層磨かれ、洗練さを増している。
派手な印象がある緑がかかった黒髪を、レイルほどではないが少し長めにして、額にかかる髪の下に、後ろを長く垂らした白い鉢巻を巻いている。
よく見るとその生地には草花が細かく刺繍されていて、可愛らしい。気にするほど目立つわけではなかったが、女性物の生地と見て取れた。
レイルを見下ろしながら、ファーラは首を捻る。レイルは少し見上げるようにしながら口を読む。
いつものように。未だに耳栓生活は変わっていない。
「栄養が、身長じゃなくて頭ばかりに行ってるんじゃないのか? 魔力生産に栄養送れよ」
「出来るならしてるさ! うるさい、アリエル」
「あ、その名で呼んだな! おらっ! 嫌だって言ってるだろう?」
笑いながらレイルに足をかけるファーラ。何とか飛び越したが、手からプリントが数枚零れる。
「仕方ないだろう? 試験で成績上げなきゃ、魔法実技系はゼロ点なんだから」
レイルはあの日以降、魔法がまともに使えなくなった。
飛ぶ事に限らず、魔法具を介しても自分の魔力を少しでも使う電話や、ランプに火を灯す─────おおむね二歳児が出来る事─────が、できなくなっていた時には、さすがに涙が出るほど落ち込んだ。
その代わり記憶力の良さにあいかわらず恵まれ、勉強だけはよく出来た。
「それも勉強は真面目にやらないと、マジに辞めさせられる約束があるから……」
「約束? ……ああ、もう五年近くたつのにまだ有効なんだ? あの試験で良い点取った件だろう?」
そしてレイルはファーラの言葉で懐中時計の分解をして、余りの眠さにフラフラして受けた飛び級を思い出していた。
「当時を知る先生には脅されるよ。しかしあれは解く方に集中して、目立たないとか、手加減とか忘れていて。失敗だったな」
「いつも目立たないようにテストは加減してたのな、やっぱり」
眠気に空腹、とりあえず答案を埋める事に集中した初めての飛び級試験。
結果、ほぼ満点だった事で教師連中から厳重注意を受ける事になった。
普段手を抜いて点数調整をしていたのがバレたのだ。真面目に授業や試験を普段やらない者には卒業単位はやれないと。飛び級試験だから完璧に回答したのだと誤解されたのである。
レイルはその時点で点数だけなら幼少学校は卒業し、中級2年への編入資格ありと認められたが、以後真面目にやる代わりに進級進度はファーラに合せて欲しいと懇願した。
その為、実技物は赤点生徒が、試験成績はほぼ満点となり、目立たない、地味にやっていくつもりが、とても目立つ事になった要因の一つだった。
そこでふと、ファーラの言葉に引っかかって聞いてみる。
「なあ、「やっぱり」ってなんだよ?」
「マハイル父さんとレイルは試験の手を抜いてるだろうって、そんな話をした事があって……」
「そんな事、話してたんだ」
少しレイルの瞳が曇る。
「早く目が覚めるといいな」
「いや、もう、どうなんだろうか? でもいつまで寝てるんだろうな」
あの夜、レイルを狙った玉封じを受け、倒れた父マハイル。あれから夜明け近くまで防音効果のある対魔獣用の建物に居た為、ルナの奏でた死歌の餌食にはならなかったが、以来一度も目を開けていない。
酸素供給も、心臓の動きも正常値だと言うのに。
痛覚など脳への伝達も何もかもが普通だと医者は言う。
目覚めないのがおかしいと。
医学の方向に進路を向けているレイルには、それが間違いない事もわかっている。
だが父マハイルは目覚めない。
母メアリは昼間、ずっと彼の顔を眺めて過ごしている。いろんな所から補助が出て、入院費も母とレイルの生活費に、預かったファーラ、すべて贅沢しても、彼女が働く必要はない金が集まった。
それだけに苦痛かも知れない。
「メアリ母さん、優しいから」
一緒に住むようになって、ファーラは名前を付けてではあったが、レイルの両親を父母と呼んでいた。メアリが疑似でも家族だからと言い、そう呼ぶ事を勧めたからだ。その名で呼びながら、慈悲深い彼女の綺麗な、でもあれ以来曇って輝きの鈍い天使を思う。
「父さんには悪いけど、もうアレード叔父さんと引っ付いてしまえばいいって思う」
「うーん、メアリ母さんにはそれは難しいだろう? いくら似てても他人だから」
ファーラは気付いてないようだが、マハイルにそっくりの弟、レイルにとって叔父にあたるアレードと母の間には、もう義姉と義弟以上の関係があると思っている。
叔父の済し崩し的な勢いもあったろうが、そうでもなければ彼女はもうここにはいなかっただろうと思うほど酷い時期があった。もうレイルには支えきれなくて、止める事はしてなかった。
今更目覚めた所で、今保たれている家族としての体裁は壊れる事になるだろう。
あんなに目覚めを待っているのに。
「あら、副会長だわ、紫の目も見なれるといいかも……」
「生徒会長様も一緒よ。彼、歩いているだけで目立つわねぇ。こないだの試合見た?綺麗な剣捌きで」
「あ、対抗戦でしょ? その時、副会長の剣舞は美しくて……」
レイルは恋愛にまだ興味がないが、欝陶しくない程度の喚声は歓迎だ。と言っても声は聞いた事はない、口を読んでるだけ。ファーラは全般的に気付いていないようだ。
大半は生徒会の肩書に魅かれていると見当は付くので、真には受けない。
余り考え込んでもどうしようもない家族の問題を忘れようと、笑って、
「昔は紫水晶の瞳ってだけで、世界を滅ぼす者って殺されたっていうのにさ、今は本当に呑気だよなぁ」
他人事のように呟くレイル。
「本当にこの頃、憎々しい程、ふてぶてしいよな、お前は」
「そう? 目付きの悪さはファーラの方が上なのになぁ。俺は無害だよ」
「ウソぉつくな、嘘を」
そう言った後、ファーラは片手でレイルの頭をガシガシと撫でた。
この瞳が紫でなければ会えなかった天使はいるが、辛い現実が積み重なって押しつぶされそうになる自分をレイルは隠す。
レイルは父を亡くし、兄に見切られたファーラの酷く心細い歩みを。
ファーラは強く生きようとするレイルを。
二人はそれぞれの孤独を感じながらも、お互いで支え合っていた。
レイルはファーラの手を避けて、向き直り、落としたプリントを綺麗に揃え、
「髪の毛が立つだろー止めろよ。この授業の後、研究生の史官と女史が合計で10名来ているから接客。その後、会議あるから。今年の奉納舞について。後、今日は部活行くの?」
「いや、メアリ母さんに料理教えてもらうんだ。先に買い物しておくって約束になってる。しかし奉納舞か、懐かしいな」
「うん、後、俺は研究室によって、病院でシラーに会ってくるから」
お互いの放課後の行動を打ち合わせた後、思い出したようにファーラは眉を顰めた。
「そう言えばレイル、気をつけろよ。ヤな事を聞いたからさ」
「何を?」
ファーラは抱えたプリントを両手で持ち直して、
「タイム・ターゲットがまた流行ってる」
それは予め標的と期限、その内容を決めて行われるゲーム。
その内容が期限内に、標的に行えた者に掛け金が支払われると言う。
「なんか、また懐かしい響きだね」
レイルはユリナルを思い出した。
奉納舞で懐いてくれた巻き毛をした美少女。金の瞳に映る自分、初めての口付を奪って去った眩しい少女。時間が経って美化されている所もあるが、生意気で、でも間違いなく美しく可憐な少女だった。
彼女がいた頃も、ちょうどその悪戯が流行って、生徒会が困っている話をしていた。
思い出に浸っているレイルだったが、ファーラは一層、眉を寄せた。
「校内で水をかけたり、机から文具を取ったりする件が、頻繁に起きているだろう?」
「この前、教頭が騒いでたね。どうかしろって怒鳴られたよ。プリシラ達と次の代で、かなり徹底的に潰したハズじゃ?」
「あれからもう時間が経ってるからな」
掠り傷程度で大怪我をした者はいないが、既に幾つか組織ができていて、今回もなかなか生徒会側も学校側も実態をつかめずにいた。
「お前も標的に上がってるらしいぞ」
「ふぅん。一応副会長なんだけどな、俺。それは挑戦状かな?」
「お前が一番攻め易そうってことだぞ、気付いてるか?」
「なるほど。魔力がない天使なんてな。まあ、生徒会の誰かにやるなら、俺でも俺にするな」
ファーラは心配そうだったが、レイルは興味なさそうに聞き流していた。
小さい諍いは気に留めていたらキリがない。
そう言えば3日前には消しゴムが無くなっていたし、昨日は頭の上に誰が使ったかわからないびしょ濡れのタオルが降ってきた……だが、のんびりと欠伸をした。
魔道士が動かないなら命に別状はない。たぶん。
「真面目に聞いてくれよ」
ファーラは何時になく、不安げなまなざしを彼に投げる。
「わかったから。魔法が使えないけど、「譜」もあるし」
「あれもすぐには起動できないだろう?」
「うーん、まぁ誰かが居れば動くよ。球封じは懐中時計さえ持っていればかからないから」
「そんな大事にはならないだろうけど……なあ、レイル」
「それより今年卒業したらやっぱり軍に入るのか?」
心配性の友人の追及をありがたく思いながらも、逸らすために話を将来に振る。
現在4月。
1月から新学年が始まる天使界で、真面にいけば二人とも中級学校の卒業年であり、12月にはここを巣立つ。
それまでに上級学校など進学するか、就職するか、決めなければならない。
「俺はあんまり勉強好きじゃないから。剣が生かせる職が良いと思ってる。お前の叔父さんが警察に来ないかって言ってくれてるし」
「警察ね、うーん、俺も言われてるけどパスかな。叔父さんに祖父さん……七光りって言われそうなのは嫌だし。そう言えばお金とか、うちにいる事に気兼ねしてるんじゃないかって母さんが心配してた」
ファーラは「そんな事ないよ、ありがとうな」と答えて、窓から差し込む光に目を細める。
光を浴びると新緑の色に輝く髪に、白の鉢巻が眩しい。もう彼は来年で14、成人の年になる。
彼が銀色の天使をまだ心に残しているのは間違いがなかった。
額の傷を隠している布切れは、ルナの肩の傷を覆う為に切り裂いたワンピースの切れ端から作ったモノだ。いつも握って回っているので、レイルの母が気付いて、縫ってやった長い布切れ。レイルの左手首にも同じ布地で作った短い細紐を巻いている。
戒めとして。
だがあれ以来、銀天使の消息は知れない。
レイルはルナの側に居たレモン色をした金髪の女子が魔道士だった事から、魔道士長に直談判に行った事もある。自分によく似た魔道士ファリアも捕まえて問い質した事もある。
だが二人とも顧客から指名された、守るべき者の話をする訳がなかった。ただ、ファリアに生きているのかと問うた時、曖昧ながらも頷いてくれた事だけが彼女が生存している証だった。
だいたい魔を払う為の聖唱使いで、天使達を死に追いやるような事がまかり通っている。まともに行ってレイルが話をできる相手がルナを囲っているわけはない。
時が立ち、そもそも彼女が存在したのかさえ、あやふやな気がしてくる。
そんな時は左の布切れに触れる。彼女の上げた血飛沫を思い出して身を凍らせた。
あんな使い方しかできない力を振るってはダメだ。
使い道は別の所にあるはず、そう思って過ごしてきた年月を振り返りながら、歩いているうちに人影が途切れる。
この廊下は昼休みに人が集まるグランドや食堂などがあるブロックからは離れており、今はまだ静寂で満ちていた。
外には植林された森があった。薬草や野草、色んな魔法の為に必要な自然材料を採取したり、野外授業も行えるスペースもあったりする。その豊かな森から廊下へ目を戻した途端、
「おや?」
レイルの視界にフワリと暗い「影」がたゆとう。どこかでゴミでも燃やしているかとも思ったが、煙ではない。
もう一度目の前を見直すと、何の変哲もない、静かな廊下が真っ直ぐ伸びているだけ。眩しい陽光が差し込む。
「ヤ、だな、黒い文字が見えた」
「え、やめろよーお前の嫌な予感はあたるから」
「嫌な予感じゃなくて、悪意から使われる魔法は輝いてないだけだよ」
レイルは魔力が行使できなくなったが、それらを文字や図形で見る力は健在だった。横切った影は目を更にしてみればレイルには文字や図形に見えるモノだった。
それは誰かが魔法行使している片鱗、大した内容ではなさそうだったが、光っていない黒文字は行使者の心の底にある悪意や恨みから動く魔法とここ数年で学んだ。ただそれを口にしても誰にもわかってもらえず、ファーラの言うように悪い予感が当たるやつと思われている。
「……誰かくる」
ゴソゴソと気配がするのをファーラも感じた。二人はとっさに身を隠す。
天使界の建物というのは最初から複雑な建築様式で建てられる。
そして大抵、学校は広大なスペースに、四歳以上から通える幼少学校六年課程と、中級学校は四年課程、更に専門学校と呼ばれる施設が併設されていた。
その時点でかなりの大きさであるのに、これでもか、これでもかとばかりに増築され、よって多数の死角が生まれる。
その死角に身を寄せ、その場を見やる。プリントの束は近くの棚の上にファーラがひょいと上げた。
「大体、計画性というものがないのかな、この建物は……」
「ワザとらしいぜ、レイル。勝手に造りが変わる建物なんてのもあるらしい。ばあちゃんが言ってた……あれだ」
1人、前の角から出て来て、レイル達の向かっていた方向に歩き出した生徒。
その後ろに、別の生徒が魔法で気配を消して忍び寄っていた。
どうやらその片鱗を見たらしい。
「噂をすれば影か? タイムターゲット中だな、ありゃ……」
ファーラの台詞に頷く。
後ろの生徒の手には小さな小瓶。
中身は水だろうが、漂白剤など手に入りやすい薬品かも知れない。無暗に体へ浴びない方が良いだろう。
「ファーラ、力、貸して。一応、保護の「譜」を使うよ」
レイルはポケットに入れていた小さいメモ帳を取り出して捲る。
そこには自分で描いた図形や文字があった。その何枚かを破ると、内一枚をファーラの体に一瞬、押し付ける。
文字が紙からペロリと剥がれて小さな糸屑のように、だが意思を持って廊下を走る。
「あれで包み込めるはず。俺、前の生徒を保護するから、捕獲お願いするよ」
「おしいな。お前、そんなのを書けて、自分1人で起動できないって致命的だぞ。それも自分以外、他の誰も使えないって、意味ないな」
「魔力ゼロだから仕方ない……近くに天使が居れば、自然に排出しているのをもらえば動くから……あ、手から離れる、いくよ!」
後者の者の手から小瓶が離れたのを見計らい、レイルは残りの「譜」を口に咥え、浮遊靴のスイッチを入れて駆け出す。
空中に浮いた小瓶にレイルの放った文字が絡み付き、空中停止する。
レイルは投げた生徒を抜き去り、前の生徒の手を引っ張った。
「あ? 何っ、あ! 伏せて下さい、レイル様っ」
その生徒はそう言い、レイルはその生徒の目が自分に似た紫だった事に驚く。
それはレイルと同じ長衣をまとった魔道士、レイルの偽物として使われている少年だった。
「ファリア! こを、れ、俺狙い?????」
もごもごと口に「譜」を咥えたまま、自分の後ろで空中停止させた小瓶の気配が、ぐんっと大きくなるのに気付く。
もはや小瓶など存在しなかった。
そこには大人でも一抱えはあろうかと言う大きな光の玉が出来上がっていた。予備にと咥えていた「譜」をファリアの体に触れさせた後、投げつける。
文字が紙を離れ、玉を縛り上げるように取りまく。ただ、魔道士から放たれる魔力は天使とはそれとは違うようで、うまく動かないのをレイルは感じた。
それでも丸い球体は絞られた雑巾型に変化した。が、大きくなる勢いは増す。
このままでは爆発する。
巨大に膨らませた風船のような、割れる寸前の圧迫感。
レイルの作った文字の羅列の紐がプチリ、プチリと切れ、少しずつ球状に戻り、更に大きくなる。
「お前は下がれっ! ……我、ここに輝きの守りを広げ、全ての物を一点に集約し、平定を望まんと欲す……」
ファーラは小瓶を投げた生徒が呆然としているので、襟首を掴んで、なるべく後ろに放り投げる。即座に作った緑の魔方陣で、更にそれを包み込むが、
「さがれっ! おい、出るなっ。そんな物で何をっっ!!!」
それでも収まらない光の玉の勢いに叫ぶ。
だがファリアは制止を聞かず、何処から出したのか、くるくるっと手にしたガラスペンを回す。
そしてファーラの魔方陣で緑色を帯びた光の玉に切りかかる様に突っ込む。
「はい、消えました」
二人、そして投げた本人は呆気にとられた。
今までそこにあった、破裂寸前の圧迫感と光がファリアの動きで、瞬時に消えていた。
ほ、っとして息を抜きかけた途端、
「あ、伏せてっ!」
ファリアの大きな声で反射的に身を竦める。
ズ……ドーン!
地響き、そして起こった破裂音と共に、近くの窓ガラスがビリビリっと揺れ、派手な音を立てて弾け、砕け、散乱する。
ファリアはレイルの頭から覆いかぶさり、ガラスの破片から身を守り、庇う。
レイルが顔をあげると、先程までの清々しい光の中、外の森に一本の煙が立ち上がっているのが見えた。
爆風で剥げた木々も見て取れた。
廊下には粉砕したガラス片と舞い込んだ木の葉がきらきらと美しい。
「よかった、ご無事ですね。もう少し離してると思ったんですが。すみません。では……撤収!」
「おい、待てっ! 待ってっ!」
「では失礼いたします、レイル様」
素早く彼はその場から離れ、少し離れた場所で、頭を下げる。
「こっちから聞こえたぞっ」
「何だ、何だ? 外見ろよ、煙が上がってるぞ」
「こらこらっ! 危ないから行かない様にっ」
いつの間にか現れた魔道士らしき人影と共に走り去ると同時に、音を聞きつけた教職員や野次馬の生徒が現れ、彼らの姿を見る事はもうできなかった。
結局、小瓶を投げた本人から、芋蔓式に参加者は割り出せたが、肝心の首謀者にたどり着けなかった。今回のターゲットは、レイル・グリーン。
小瓶を持たされた生徒は6人、残っていた5つを回収して調べたが中身は水だった。破裂した小瓶の持ち主もそれを水と思っていたようだったので、急遽口止めし、爆発は本件とは関係なく、別の話で処理する事にした。
失敗した者にも、まだ実行していなかった者にも、参加料と称して幾許かが支払われていた。金と小瓶は各自のロッカーに勝手に入れられていたらしい。保護者を呼んで厳重注意がされた。
爆発について警察が来て現場検証などもされたが、やはりタイムターゲットの因果関係については全く触れず引き上げた。魔道士が手を回したのだろう。
ただレイルがいた階の廊下はほぼ無人だったが、他の階で生徒がガラス片で怪我をして騒ぎになった。ファリア以外に居た魔道士が小細工してくれていたらしく、ファーラも投げた生徒も至近距離から割れた破片を浴びたにもかかわらず無事だった。
結局、レイルとファーラは後処理に追われ、授業を一つ受けないまま、放課後となる。
そして二人がいるのは渋い色調でまとめられた狭い一室だった。
校長室、本当は広いのだが沢山の棚が並んでいて、そこには沢山の表彰状やらカップやら、この東校の歴史全てが押し込まれて倉庫状態になっている。
二人が座るソファーはぎちぎちのスペースに押し込まれている。
そしてやはり何とかして押し込んで置いたテーブルを挟んだソファーに座った先生二人。
太った方が甘そうな香りがする飲み物を飲み干す。
「では、フィール君は付いてくるように。グリーン君、北上校からのお客様を頼むよ。南上専からは好評だったよ」
「精進します、校長先生」
「各課からリストアップされた、上から3名が非常に優秀であるから推薦してくれて間違いがない。星付は他からすでに声がかかっているが、まだ4月だから決定ではないと伝えなさい」
「はい」
校長は50歳くらいの中年男性である。
身長と共に体重もありそうだが、柔和な表情でいつも笑っているので、目が細くて逆に何を考えているか不明な人物だ。白が混じった黄緑の髪がたまにソフトクリームのように巻いていて、生徒が後ろ指を指して笑っていても別に気にしない大らかさである。
「少し時間に遅れる事は告げているのかね? とにかく君は瞳だけで反感を買いかねないのだよ。くれぐれも失礼が無いように」
「心得てます、教頭先生」
教頭は校長と同じ年くらいだが、神経質でレイルの事が疎ましいようだ。その割にこき使ってくるから、好きにはなれない。でも表情に出さず、レイルは丁寧に頭を下げた。
これぐらいできないと生徒会はやっていけない。
その時に目に入った、ピカピカに磨いた靴や、きちっと整えられた金髪に神経質さが滲み出ていた。
「さあ、行こうか」
校長に促されて、倉庫めいた校長室を出る。
「レイル、家で、な」
ファーラが口の形だけでそう言った。レイルは頷いて少しだけ笑うと、別方向に足を向ける。
放課後に予定していた接客を一人で受け持ち、会議は補佐役員、広報や会計以下、他の委員長達に任せた。
ファーラには今日の料理は諦めてもらい、自分も父親の見舞いとシラーに会うのは取り止めた。
ジョージ・シラーは水晶の角を持った豹の使い魔を操る警察官。
多忙な為なかなか会えないが、レイルの描く文字や図形が読める唯一の人物である。何故読めるかは、レイルが見る事が出来て描けるのかが不明なように、よくわからない。
無口で表情がなく、一度だけ、
「純白の魔導師だからかも知れない」
そう言ったが、意味は解らない。
彼に色々書いて見せて、使えそうなものを「譜」として残したり、読み方を習ったりしている。
レイルはある一室の前で立ち止まる。
今日、この部屋には北の上級学校から派遣された生徒、「研究生」の一団が集まっている。
研究生は幼少・中級の視察と交流を目的としているが、要は出来の良い生徒を自校へスカウトする為に来る。寮に二週間は泊まり込み、めぼしい生徒に付いて回り、御眼鏡に適えば声をかけ、次年、自校への入学を薦めてくる。
良い上級学校にたくさん生徒が行けば、学校の株は上がり、寄付金が上級学校から入る仕組みになっている。
研究生を接客するのは生徒会役員の仕事になり、意外とひっきりなしにやって来る各校研究生相手も、だいぶ慣れてきていた。
だが、最初から一人で相手するのは初めてだ。
「大丈夫そうだな」
レイルは懐中時計を出して、秒針を見詰めた。音楽や変わった音があれば反応するはずだが、針に変化がない。
先程タイムターゲットを利用した襲撃の件が頭を掠め、音楽がいきなり鳴って、気を失った所を刺されるなど想像しなくはなかった。
だが、初対面、それも年上の客で自分しか居ないとなると、その場にいる全ての天使の口を読むなど、不可能に近い。
レイルは恐る恐る耳栓を抜き、ノックをして入室の許可を取る。
「どうぞ」
「失礼いたします」
用意された椅子に座った史官と女史、合計10人いる
その中心人物らしい女史をみた時、レイルはつい立場も忘れ、あー! と指差し、固まる。
「ソネット……」
ソネット。
薄いピンクの口紅に浮かべた優美な微笑み。
全員が白いブレザーを身に付けていたが、彼女だけが輝いて見えた。
瑞々しいレモンを思わせる金髪は、変わった形に切られたボブカットで、サイドの束が二本だけ長く伸ばされている。澄んだ海を思わせる水色の瞳が、レイルを優しく見つめた。
忘れもしない、ファーラが作った劫火の海が広がる上空で出会った少女。
彼女はあの頃と違って、既に女性と呼べる艶やかさに溢れていた。
それでもあの時に見た少女に間違いないが、纏う雰囲気がまるで聖女を思わせる清らかさと光に満ちている。具合の悪いファーラに声をかけた時、一瞬見せた優しい思いやりのそれだった。
彼女なら銀天使の行方を知るはずだ。
「あの後、レー…ルナ探し……」
こんな所で会うと思わず、しどろもどろで言葉を繋ごうとしたが、
「お久しぶりですわ」
彼女は爽やかすぎる笑顔のまま立ち上がると、そう言ってレイルの言葉を中断させ、柔らかく腕を回して彼を抱き締めた。
レイルより彼女の方が少し身長があったが、あの頃より差はなくなって、後、数年で追い付きそうになっていた。
ルナに抱き付かれた時に感じた、柔らかな香り。あの時は嗅いでいる暇はなかったが、同じ匂いだったように思う。弾力は銀天使の方があったが、あの時のレイルは子供だった。
母親とは違う、温かさ。
女子の丸みがブレザー越しにも感じられ、大人になりかけているレイルは言葉と共に息を飲む。
だが腕を回したソネットは他の研究生に見られない一瞬に、洗い落としたかのように笑顔を消し、レイルの耳に、
「あんた、頭悪いの? 立場を考えなさい。それからルナの事やあの夜の話をしたら絞めるわよ」
極小さく呟かれた声がレイルの耳に直接響き、女子の柔らかさに感動した気持ちも音を立てて崩れた。下手な魔法の呪文より黒い何かをレイルは感じる。
彼女のレイルに対する冷たい仕打ちは変わっていなかった。回りの目があるから繕っていると判断するのに時間はかからない。
紫水晶の瞳を嫌悪する人は少なくないが、初対面から彼女のそれは異常だ。二度目の再会もそれは緩んでおらず、いや、むしろ強く感じた。理由のわからない敵意に反抗する事は出来ない。
彼女がその場を対外的には取り繕ってくれようとしているのが明白だからである。
「お、お久しぶりです。ソネット女史」
彼女がかけてきた言葉から、知り合いとしては相手するのがわかったので、オウム返しで挨拶を返し、態度を改め、それに乗る。
腕を回したままなので、唇が触れ合いそうな距離で彼女は、
「ご友人は元気?」
そう言った後、レイルに口の形だけで、「話を合わせなさい」と指示した。
レイルは客人の彼女から出される提案に従うしかない。
「ファーラ……は、私と共に生徒会に所属して、今年の生徒会長を務めております」
「そう」
腕を緩め、距離をとると、また鮮やかな微笑みをみせた。
作り笑いをこんなに見事に作る天使は初めてだと思う。
「ねぇ、ソネットお姉様、その子を紹介して」
「俺らも興味あるな」
レイルの紫色の瞳に皆、少し引いている気はしたが、中心人物らしいソネットの知り合いとわかったからか、興味の方が強く感じられた。
「ソネット女史は男嫌いだと思っていたからね」
「まぁ、酷いわね」
レイルは合間を見て、自己紹介と謝罪を口にする。
「私、今年の副生徒会長をさせていただいております、レイル・グリーンと申します。本日は遅くなりました上に、私一人でお迎えさせていただく事になり、誠に申し訳ありません」
「何かありましたか?」
「学校の近くで爆発があり、生徒に被害が出たため、校長と会長はそちらにかかっており、また教頭は教育委員会に召集されまして。後日、時間を設けますので本日はご容赦いただければと思います」
「いいえ、大変な所、受け入れて下さり、大変、感謝致します。私は今回の班長でソネット・レイザ・ブルー。お怪我された生徒様は大丈夫ですか?」
こうして作り上げられた、和やかムード。
穏やかで波風がない深い水色。
誰も気付かない心の底の渦。
だが、レイルにはわかる。
微笑むソネットの言葉を文字や図形に変換して見る事をせずとも、彼女から放たれるそれは悪意の塊がそのまま突き刺さってきそうな勢いだった。
お読みくださった後に感想、一言でもいただければ。
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