頑固者と星の瞳
「あの頑固者!」
シリは毒を吐いた。
妃らしくない口調にオーエンは、思わず笑ってしまった。
城に戻った後、シリもグユウも忙しかった。
グユウは昼食を5分で食べた後に書斎へ行った。
シリは乗馬服のまま、養父母が住むマサキの館へと馬を走らせていた。
城と館のあいだには、深い谷がある。
橋を渡らなければたどり着けないその地形は、シリにとって悩みの種だった。
「敵が攻めるなら、義父上の館が狙われる。傾斜の緩い崖の上にあるもの。橋を切られたら終わりよ」
シリの語気が荒くなる。
橋を切り落とせば、親子の館が分断される可能性がある。
その危険性をマサキに訴えても耳を傾けなかった。
『レーク城は強固な山城であり、攻めることは不可能だ。女が口を出すことではない』
義理の父親 マサキはそれを繰り返すばかりだった。
シリはマサキを説得するのではなく、マサキの重臣達を説得することにした。
シリの訴えを唯一聞いてくれたのは・・・オーエンだけだった。
「敵に橋を落とされてもグユウ様の城まで行ける方法・・・そんな事できるか?」
オーエンを眉をしかめる。
シリとオーエンは、深い谷底を見つめながら考えていた。
「橋を落とされたら、この谷を降りて這い登るのは現実的ではない」
「ええ、この橋が切り離されたら義父上は危険だわ」
シリは形の良い顎を少し上げた。
「そうですね。マサキ様はそれも理解しているのですか?」
オーエンが質問した。
「してないわ!レーク城は強固だから大丈夫と言い張るのよ・・・!あの・・・頑固者!!」
シリは思わず毒づく。
オーエンは思わず声を出して笑った。
オーエンが笑うと、周辺がぱっと明るくなる。
本来はユーモアがある人物なのかもしれない。
「義父上に内緒で渡れる方法を考えないと」
2人は谷沿いをゆっくり馬で走らせ、山の奥へ進んでいく。
オーエンが言いかけたとき、シリが急に馬を止め、するりと鞍を降りた。
「ブラックベリーだわ!」
彼女は目をきらめかせて茂みに駆け寄る。
赤黒く熟れた実が太陽の下でつやつやと輝いている。
「おい、危ない。棘が――」
忠告も聞かず、シリはその実をひとつ摘んで口に入れた。
「うん。美味しい!ワスト領でもブラックベリーは実るのね」
「食べます? 美味しいですよ」
彼女は嬉しそうに、果実をひと粒つまんでオーエンの口もとへ差し出す。
「どうぞ。試してみて」
「・・・は、はい」
戸惑いながらもオーエンは口を開けた。
果汁がプチッとはじけ、甘酸っぱい香りが口内に広がる。
「・・・美味しいですね」
頬を少し赤くしながらオーエンは答えた。
「籠城の食糧になるわ!明後日、ジムと採りに行く」
無邪気に喜びながら、シリはブラックベリーを布袋に詰めていた。
シリはそのまま草場に座り、谷の川底を見つめた。
「オーエン 座りましょう」
シリの許可がないと、オーエンは座れない。
シリの少し後方の草葉に座った。
「本当は橋を作る方が良いのだけど・・・それは派手だわ。義父上に見つかる」
「木の梯子を設置するには・・・」
「目立つでしょう。敵に見つかって没収される可能性もある。ここは湿気が多いから木は腐りやすいわ」
シリは形の良い顎を膝の上に乗せて思い悩んでいた。
軽やかな服装をした、ほっそりとしたシリの姿は白いアヤメを思わせた。
「味方にも、敵にも見つからない方法・・・」
オーエンは口に出すと、その方法は不可能のような気がしてきた。
それなのに、目の前にいる男装した后は諦めない。
ーー本当に無茶苦茶だ。
オーエンは苦笑いをした。
「ロープを使えば良いのだわ!」
シリの瞳が星のようにきらめいた。
「ロープ?」
オーエンは怪訝な顔をする。
「そう。細い紐を弓矢に結んで、向こう岸に飛ばすの。向こうで人に杭を打たせて、徐々に太いロープを渡していけば、簡易な吊り橋になるわ」
「なるほど・・・弓矢とロープなら腐らないし、目立たない」
「しかも安いわ! 緊急時に備えて事前に準備しておけばいいの。
編み方もハシゴ状にしておけば、すぐに使える」
シリはすっくと立ち上がり、草を払いながら先を見据えた。
「対岸に数カ所、弓矢とロープを隠しておきましょう」
「杭も五カ所ほど埋めておくべきですね。万一の備えとして」
真剣にうなずくオーエンに、シリも頷き返す。
「オーエン、もう一つお願いがあるの」
シリはオーエンに話しかける。
「グユウさんに、争いの時は最前列に並ばないように説得したわ」
「・・・説得できたのですか?」
「できました」
シリは静かに答えた。
「シリ様の願いなら・・・グユウ様は聞くでしょう」
オーエンは苦笑いを浮かべた。
グユウがどれほどシリを大切に思っているか、周囲の者には一目でわかる。
歩いた地面すら拝みそうなほど、だ。
それでも、戦士としての誇りを持つ男が戦い方を変えるのは並大抵ではない。
ーー俺にはできない。
女に指摘されて争いの仕方を変えるなんて!
オーエンは、シリの聡明さとグユウの器の広さに、
再び羨望と嫉妬に満ちた感情に駆られる。
「先の争いではオーエンがグユウさんに付き添っていたと聞いています」
シリはオーエンの瞳を見つめる。
「はい」
グユウのスピードに他の誰もついていけなかった。
同い年のオーエンだからこそ、隣に寄り添うことができた。
シリは一歩、オーエンに近づいた。
長身同士の視線が合う。
湖の底のように澄んだ青い瞳が、オーエンの心を射抜いた。
「もし・・・また無茶をするようなら、止めてください。オーエンにしかできないから」
その言葉とともに、小さな手が彼の大きな手を包む。
その触れ合いに、オーエンは一瞬、目を閉じる。
――これは恋ではない。
彼女の強さに、抗えないだけだ。
忠義。従属。理性。
それでも、その言葉を前に、心が浮き上がる。
「・・・グユウ様を、全力でお守りします」
熱に浮かされたような声音で、オーエンは応えた。
次回ーー
争い間近、朝から晩まで働いても、シリはまだ休めなかった。
心に決めていた人物がいたのだ。
『カツイに託す、大切な“願い”』




