女の乗馬 風を切る
トナカが去り、レーク城には静けさが戻っていた。
昨日までの喧騒が嘘のように、領民たちはそれぞれの家へ戻り、焼けた町の再建に取りかかっている。
朝の空気は澄んでいて、どこか寂しい。
そんな中、シリは淡い水色のドレスに袖を通していた。
衣装にこだわる性質ではなかったが、明るい色の布に身を包むと、気持ちが少しだけ前向きになる。
シリは久々に淡い水色のドレスを着た。
衣装に頓着はないけれど、明るい色合いのものを着ると元気になる。
しばらくするとジムが深刻な顔で報告した。
「南側の砦にミンスタ領が若干名残っています」
シリとグユウの動きが止まった。
南側の砦・・・争いが始まって、すぐにミンスタ領に占拠されたところだ。
「兵は何名いる」
「30名ほど」
「ミンスタ領の見張りだわ・・・」
シリは唇を噛み締める。
「すぐに見に行く」
グユウが立ち上がった。
「私も行きます!すぐ支度をします!」
シリは話した瞬間、衣装がある寝室へ駆けて行った。
「おい・・・」
止める間もなかった。
ミンスタ領の残兵が残っているのなら、シリにはレーク城に滞在してほしかった。
「・・・言っても無駄か」
グユウは諦めたように独り言をつぶやいた。
「重臣達に伝えてくれ。準備ができたら出発する」
ジムに指示を出し、グユウも出立の支度を始める。
馬場の前では、困惑した表情の重臣達がシリを見つめていた。
シリが乗馬用のキュロットを履いているからだ。
自分たちと一緒に南の砦までついていくらしい。
シリの乗馬姿は、ジムとカツイしか見たことがない。
ーー噂は耳にしていたけれど、男装をして乗馬をするなんて・・・
そんな空気が漂っていた。
「女が乗馬・・・」
グユウの父 マサキはハッキリと不快感を顔に出していた。
「我々のスピードについていけないと思います」
オーエンは足手まといになると言わんばかりに忠告した。
「大丈夫です。オーエンこそ、その左腕で馬を操れますか?」
長い髪を一つに縛ったシリは勝気に答える。
けれど、本当は不安だった。
最後に乗馬をしたのは今から1年前。
争いがない平和な時に、トナカとグユウと一緒に乗馬をしたのが最後だった。
それから、妊娠、出産があり争いがあった。
乗馬ができるような状況ではなかった。
そっと馬の首筋を撫で、深く息を吸って鞍にまたがる。
視界がぐんと高くなり、顔に風が触れる。
走り出した瞬間、身体の奥に眠っていた感覚が甦った。
風を切る感触。馬と一体になるあの疾走感。
――やっぱり、好き。
シリは思わず微笑んだ。
腕は落ちていない。
これが戦の視察でなければ、声を上げて笑っていたかもしれない。
隣を駆けるグユウもまた、嬉しそうにシリを見つめていた。
“女が馬に乗れるはずない“
そんな顔をしていた重臣達は感嘆の声をあげた。
ーーうまい。
オーエンはシリの乗馬を認めざる得なかった。
前を駆けるグユウとシリの背中を見つめた。
後ろにジム、そして重臣達がついてくる。
乗馬が苦手なマサキと付き添う家臣が最後尾だった。
やがて、一行は小高い丘にたどり着き、馬を降りる。
ジムの報告通り、ミンスタ領の残兵がいる。
「ミンスタ領の旗があります」
ジムの言葉に、皆が目を凝らす。
風に揺れる旗は、確かにミンスタのものであった。
そして、その隣にもう一つ――黄色の旗がはためいていた。
「あの旗印・・・見たことがない」
サムがつぶやき、誰もが首を傾げる。
シリは目を凝らしてみる。
葉と花の模様――その配置、その色。
「キヨだわ。キヨがいる」
憎々しげに吐き捨てた。
シリの発言に重臣達が動揺する。
「キヨ殿か・・・」
「なんでまた・・・」
「キヨは兄に見張り役と・・・策略を頼まれたはず」
黄色の旗をにらみながら話す。
「キヨは争いには向かないけれど、交渉は得意。
この砦を拠点にして、周辺の地主を味方につけようとしている」
拳を強く握りしめる。
「ワスト領を中から崩すつもりよ」
怒りが、シリの全身から立ちのぼっていた。
あまりの迫力に重臣達がたじろぐ。
「グユウさん、キヨを追い出すことはできないの?」
「それはできない、あそこだけはミンスタ領の砦なんだ」
「もし、追い出したら・・・?」
「再び、ミンスタ領に攻め入る口実ができてしまう」
「何もできないなんて・・・悔しいわ」
「キヨ殿は、そんなに有能なのですか」
チャーリーが質問をする。
「愛嬌があって世渡り上手・・・人を虜にさせる才があるわ。でも・・・私は嫌い」
最後の一言を語気を荒く話す。
シリは一度嫌ってしまうと、とことん嫌う性質だった。
それは・・・兄 ゼンシもそうだった。
「シリ様が一緒に来てくれて助かりました」
ジムが話した。
あの旗印は、ミンスタ側の人間ではないと誰か判別できない。
「それでは・・・戦場に行こう」
グユウが声をかけた。
シリはもう一度、憎しみのこもった目で南の砦を睨みつけた。
風が、旗をはためかせる音だけが、丘に残った。
次回ーー
丘を越えた先に広がっていたのは、言葉を失うほどの地獄だった。
血に染まった川、横たわる無数の屍――。
青ざめながらも、シリは震える声で言った。
「鉄砲玉を拾いなさい。次に備えるのです」
その気丈な姿に、誰もが息を呑む。




