妻が前に出る理由
「籠城の準備をシリ様が担うのですか」
シリの髪を結うエマの声がこわばり、手を止めた。
今日は家臣会議がある。
ウイのお披露目、ミンスタ領との開戦を告知する。
さらに、シリは家臣たちに籠城の準備の協力を仰ぐため話をする。
「ええ。今日はそれについて段取りを伝えるわ」
「シリ様、女性が大勢の前で…しかも争いの話をするなんて・・・聞いたことがありませんよ」
エマは例のピンク色の髪飾りを手に持ち、声を荒げた。
鏡に映るエマの顔には、はっきりと不賛成と書いてあった。
「エマ・・・」
シリは振り向いて、エマの顔を見上げた。
「争いが目の前に迫っているの。女性だから・・・と言っている場合ではないわ。
私たちは皆、この先何年も・・・今までした事もないような事を行わないといけないの」
シリは真面目な口調で話した。
「エマにも協力をお願いしたいの」
シリの真剣な表情を見てエマは悟った。
シリはワスト領の妃なのだ。
その瞳は、故郷ミンスタ領と戦う覚悟を決めたものだった。
シリが小さい頃からエマは何度も伝えた。
"女性は疑問を持たず、口にせず、微笑んでいる方が可愛らしい。殿方にも愛される"
シリに幸せになってほしいと思っていた。
根気強く何度も伝えたけれど、
シリは気が強く、疑問に思った事を口にする姫に成長した。
そんなシリを、夫のグユウは好んでいる。
そして、争いは近いけれどシリは幸せそうだった。
エマの願いは叶っていた。
「シリ様」
少し萎びた手でシリの娘らしい手を握った。
その手は、少し震えていた。
「なんでもしますよ。畑の草取りであれ、争いの準備であれ、しなければならないことを取り組みますよ」
「ありがとう。エマ」
シリは花が綻ぶような笑顔を見せた。
エマはその笑顔をみることが大好きだった。
こうして、シリは身内から協力を得ることができた。
あとは・・・家臣達の協力だ。
◇
レーク城のホールでは、家臣全員が集まっていた。
重臣たちは壇上を降りて左側に座っている。
オーエンは、自分の隣に空席の椅子が1脚あることに気づいた。
誰の席だろう。
ホールの壇上にシリとグユウが上がる。
長身の美男美女の領主夫婦。
この日、家臣たちの尊敬に満ちた眼差しは、
柔らかい白いドレスを身にまとったシリに注がれていた。
たった4名でミンスタ領に刃向かったシリは、ワスト領の英雄となっていた。
家臣会議は、4月に出産したウイのお披露目から始まった。
ウイは、金色がかった茶色の髪の毛、瞳は美しい群青色だった。
「オレとシリの子供 ウイだ」
グユウが嬉しそうに子供を紹介した。
ウイを乳母のモナカに手渡し、シリは壇上の後ろに下がる。
ーー妙だな。
オーエンは疑問に感じた。
本来であれば、シリの登場はここで終わりだ。
ウイのお披露目と共にホールを去るはずなのに、シリは壇上に残っている。
グユウがミンスタ領との争いの日を告知する。
事前に把握していたとはいえ、領主 グユウの口から発表されたので、
家臣達は野太い歓声を上げた。
「シリからの提案がある」
グユウは凪いだ瞳で伝えた後に、信じられないことをした。
壇上から降りてオーエンの隣の椅子に腰掛けたのだ。
領主が会議の途中で壇上を降りる。
今まで見たこともない状況に家臣達は唖然とした。
壇上に残ったシリがスッと前に立つ。
白いドレス、首には血のように赤いスカーフが巻かれていた。
緊張しているようにも見える。
紺色のワスト領の旗を背景に、シリのほっそりとした白い姿と精神的な顔が素晴らしく効果的だった。
家臣達は恍惚とした顔でシリの姿を見つめた。
シリは深く息を吸い込み、頭を高らかにふりあげた。
「皆さんに籠城のための協力をお願いしたいです」
星のような瞳から強い光が溢れだす。
澄んだ美しい声は震えもせず、途切れもせず、ホールのすみずみまで届いた。
シリが話し終わると、割れるような拍手と歓声が沸き起こった。
はにかみと嬉しさとで頬を染めながら、シリは座っているグユウを見つめた。
グユウは嬉しそうに大きくうなづいた。
ジムは微笑み、ジェームズは拳を上に突き上げた。
その見つめ合う領主夫婦を見て、家臣達はいっそう惹きつけられた。
それに続いた会議は、家臣たちを味方にした。
ーー話していることは無茶苦茶だ。
オーエンは苦笑いをした。
籠城の準備をわずか15日で終わらせる。
いくらなんでも無謀すぎる。
その無茶苦茶な話は、シリの口を通すと簡単そうに聞こえるから不思議だ。
ーー俺が同じ話をしたら反対されるだろうな。
隣を見ると、グユウが眩しいものを見るような目でシリを見つめていた。
その口元は微笑んでいるようにも見えた。
「どうして、そんな風に見守れるのですか」
オーエンは思わず質問をしてしまった。
グユウは驚いたような顔をして、オーエンを見つめた。
「不躾な質問をすみません・・・。前から思っていました。
シリ様があのような行動することに不満を抱かないのですか?」
グユウは不思議そうな顔でオーエンを見つめている。
「私でしたら・・・妻に対して、前に出ることより、俺に尽くしてほしい、
俺のためだけに何かをしてほしいと思うのです」
オーエンは躊躇いながら話す。
「・・・オレはそういう欲がない」
真っ黒な瞳でシリを見つめながら、グユウはつぶやく。
「シリには・・・オレにはない人を惹きつける才能がある」
グユウは再びつぶやいた。
オーエンは何か言いたげだった。
ーー男だったら・・・領主だったら、妻の能力に感心するのではなく張り合えば良いのに。
そう、ありありと顔に出ていた。
「聡明で・・・気が強い。奇抜なアイデア、負けない姿勢、
一緒に過ごすと・・・純粋にすごいと思う。張り合おうと思ったことは一度もない」
その言葉はお世辞やノロケではなく、純粋に尊敬している口調だった。
ーー清々しく、包容力がある、妬みやひがみがない。
オーエンはジムが話していたことを思い出した。
“前例にないシリ様の提案を受け入れ認める。なかなかできる事ではありません“
ーー俺にはできない。
女は自分より下にいてほしいと思ってしまう。
オーエンはシリと一緒にいると、劣等感と嫉妬を感じていた。
その才能を認めつつも、女に負けを認めるなんて恥ずかしいと思っていた。
そして、またグユウと話すと己の器の狭さを痛感した。
ーーおふたりには、とても敵わない・・・。
「シリ様が輝けるのは・・・グユウ様がいるからこそ。素晴らしいご夫婦です」
尊敬の念を込めてオーエンは伝えた。
だが、その尊敬は、同時に己の未熟さを突きつける。
『ああはなれない』という思いが、胸の奥で鈍く疼いた。
オーエンは静かに、手に握った会議資料を見下ろした。
視線の先では、シリとグユウが目を合わせて微笑んでいる。
まるで、揺るぎない信頼という名の鎧を、二人でまとっているかのようだった
ワスト領は、戦の準備を始めた。
そして、その先頭に立つのは、夫婦だった。
次回ーー
会議室に残されたのは、グユウとシリ、そしてジム。
「ジム――お前には城を守ってほしい」
戦場ではなく、シリの傍に。
領主の真摯な願いに、老騎士の胸は切ない気持ちがよぎる。
明日の17時20分 籠城の準備 オレに何かあったら…シリを頼む




