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扉を開けたままの逃避行

扉を開けたまま、ものすごい勢いで馬車は走っていた。


オーエンは、狭い馬車の床にシリを抱いたまま倒れ込んでいた。


シリを馬車に引きずり込んだ時、床に肩をぶつけた。


身体を動かすと痛みに顔を歪める。


開いた扉から強い風が吹き込んで、シリの青いドレスが揺れていた。


追っ手の影は、まだ見えない――だが安心などできるはずもなかった。


けれどーー、


自分の腕の中で震えているシリがいる。


思わずギョッとした。


不本意ながら妃を抱きしめているからだ。


腕の中にいるシリは、背中が震え、そして荒い呼吸音がする。

息を吸うことができず、苦しそうに喘いでいる。


ーー気が動転している。


オーエンは察した。


腕の中にいる女性はまだ22歳。


怖かったのだろう。


震える身体をそっと抱きしめて、シリの耳元でつぶやく。


「息を吸って・・・吐いて・・・吸って・・・」

シリの髪の毛が顔にまとわりつく。


ーー柔らかい・・・良い匂いがする。


「吸った息を・・・そうだ、ゆっくり細く吐く」


オーエンの指示に従うにつれて、シリの震えは落ち着き、急に脱力した。


ーーもう、腕を離しても良い。


慌てて腕を離して、オーエンは四つん這いになり馬車の扉へむかった。


落下しないように、風に煽られる扉と格闘すること数分。


ようやく馬車の扉を閉めることができた。


強い風の音も、馬が駆ける足音も少し遠のく。


ーーとりあえず、これで一安心だ。


とんでもない展開になったけれど、何とかなった。


馬車の窓から外を見ると、ミンスタ領の兵は追いかけてきてないようだ。


ジム、ジェームズ、馭者の2人も無事だ。


目の前にいるシリは、座席に頭を埋めて泣いている。


落ち着いた今、オーエンは苦手な女・・・シリと2人っきりの状況に気づいた。


・・・気まずい。


シリが怪我をしたことを思い出した。


止血をしないと。


「シリ様」


“様“と名称をつけて呼ぶことに抵抗を感じる。


シリは未だに座席に顔を埋めている。


「シリ様」

もう一度呼んでみる。


未だに顔を上げないシリに呆れ、ため息をつく。


「手当をします」

無理やり身体を自分の方にむけた。


美しい青い瞳は涙で濡れていた。

その瞳を見て、オーエンは息を飲んだ。


すぐに目を伏せて、傷の観察をする。


首の傷は深くない。

けれど、痛々しく傷が開き止血をしないと血は止まらない。

青く美しいドレスに血の跡がついている。


目立つが浅い傷だ。

きちんと手当すればすぐに塞がる。



「消毒します。顔を上げてください」

オーエンはアルコールを布で浸した。


手当をするとシリの顔が近いことに気づく。


オーエンはどうやっても意識せずにいられない。


顔に息を吹きかかないように用心した。


傷口に布をそっと当てる。

鋭い痛みにシリは身を固くする。


「無茶をした」

オーエンはシリをじっと見つめた。


「無茶なんてしていません」

シリは涙に濡れながら勝気な瞳で言い返す。


オーエンの大きな暗灰色の目に何かが灯った。


「・・・泣くほど辛いならミンスタ領に戻れば良いのに」

立場を忘れ、オーエンは、つい思ったことを口にした。


「泣いてません」

シリは泣きながら答える。


「止血します。顔を少し上げてください」


ーー泣いているじゃないか。


オーエンは、ため息をつきながらネッカチーフを取り出す。


手当はスムーズに進まなかった。


緊張が解けたからだろうか。


シリはひっきりなしに泣いて震えていた。


そのせいだろうか。


白く細く震える喉に、ネッカチーフを巻き付けるのにオーエンは時間がかかった。


間近に揺らめく青い瞳と薔薇のような唇があるだけで、

オーエンの指は急にぎこちなくなった。


泣き止まないシリを椅子に座らせた。


「無鉄砲ですが・・・見直しました」

オーエンは悔しそうに伝えた。


シリの対応には脱帽だ。

とてもじゃないけれど真似ができない。


純粋にすごいと思った。


泣き腫らした目で笑うシリを見つめた。


次に何をするか・・・目が離せなくなる。


馬車が止まった。


ジムが扉をノックして開ける。


「休憩をしましょう」


シリと2人でいると妙な気持ちになる。


オーエンは、この場を離れる事に心底ホッとした。


そして、馬車から降りて安定した地面に立った後に座り込んでしまった。


ーー疲れた。


それはオーエンだけではなく、ジム、ジェームズもそうだった。


緑の草葉に座り、きらめく湖面を眺める。


鳥の囀りに春の風が頬を優しく撫でる。


今まで何も見えてなかった景色に気づく。


・・・平和だ。


馭者が敷いた敷物に上に座ったシリは、ヒステリックに笑った。


「すごい事をしたわね。私たち」


首にはしっかりと白い布が巻かれており、出血はすでに止まっていた。

傷は浅いとはいえ、興奮と緊張で体は消耗しているはずだ。



「はい。なかなかできない経験でした」

ジムが微笑む。


「戦より疲れた」

オーエンが力なく答える。


「我々はあの大軍から逃れた!」

ジェームズが嬉しそうに膝を叩いた。


「シリ様、見事な采配です」

「あんなに馬に鞭を打ってのは初めてです」

馭者が興奮した声で話す。


一同は声を出して笑った。

笑い声は春の空に響いた。


昼食にサンドイッチ、アップルパイが並んだ。


「アップルパイ!」

シリが嬉しそうに微笑む。


厨房で働く者たちが、シリの無事を願って作ったのだろう。


シリ以外のメンバーは、見た事がない食べ物に怪訝な顔をしていた。


「美味しいんですよ」

シリが勧めた。


半分、怪しみながら一口食べたオーエンは、あまりの美味しさに言葉をなくした。


シリは包帯の上から首元をそっと押さえながら、アップルパイを頬張っている。


「ちゃんと治るのか?」と誰かが尋ねれば、

「見た目より浅いのよ」と軽く返しそうだった。


アップルパイを頬張り、幸せそうな顔をしているシリを見つめた。


ーーさっき泣いていたのに。


コロコロと表情が変わる、その姿を目で追う自分に気づき焦った。


惑わされるな・・・。


そう言い聞かせる。


馬車の扉の向こうには、レーク城が待っている。


そしてその向こうにいるのは――あの人だった。


次回ーー


夕陽に染まるレーク城。

血に濡れたドレスのまま「ただいま」と告げたシリを、グユウは衝動のように抱きしめ、唇を重ねた。


誰もが見守る城門前での再会。

その熱は、次なる戦いへの誓いとなる――


イブにブックマークのプレゼントを頂きました。一番嬉しいクリスマスプレゼントでした。

ありがとうございます。


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