花嫁任務、心を殺して
「噂には聞いていたが・・・これは、想像以上だな」
ワスト領の重臣サムが感嘆の声を漏らした。
荘厳なシュドリー城は、朝の光に輝き、城内は活気に満ちていた。
早朝、ワスト領から迎えの重臣3名が入城し、花嫁・シリ姫を迎えるため控えの間に通された。
「見ろよ、この食事・・・」
ジェームズが肉汁滴るローストビーフを前に、思わずため息をつく。
目の前に並ぶ料理の数々は、ワスト領では滅多に口にできないものばかりだった。
重臣のひとり、ジム・ボイドの表情は曇っていた。
16歳から仕え、今では領を代表する老臣。
ミンスタ領との同盟を強く後押ししたのも彼だ。
「シリ様はこの城で20年育った。ワスト領の暮らしに、馴染めるのか・・・」
その声には、かすかな後悔すら滲んでいた。
「贅沢に慣れたわがまま娘かもしれん」
ジェームズが率直に言う。
「ゼンシの妹だろ。恐ろしい女かもしれない」
サムが苦笑し、ジェームズが同意するようにうなずいた。
やがて広間に通され、ゼンシの前で三人は挨拶を済ませる。
「シリを呼べ」
ゼンシの声に従い、家臣が静かに下がった。
やがて、軽やかな足音が近づき、目の前でぴたりと止まる。
三人は恐る恐る顔を上げた。
――そこに立っていたのは、想像を遥かに超えた姿だった。
白と赤のモザ家の旗を背に、青いドレスを纏った一人の姫。
金の髪が揺れ、ドレスよりも深い青の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。
白い胸元に煌めくサファイア。
一瞬、空気が凍りついた。
「美しい・・・」
ジェームズが熱に浮かされたように呟く。
涼やかで、どこか刺すような気品に満ちた美貌。
丁重に挨拶するその声に、重臣たちは息を呑んだ。
ジムはようやく我に返り、形式的な言葉を返した。
しかし心の中では、不安が膨れ上がっていた。
ーーあの気高い姫と、寡黙なグユウ様が・・・やっていけるだろうか。
結婚が破綻すれば、同盟も崩壊する。
ワスト領にとって、それは命取りだ。
だがこの面会こそが、ゼンシの思惑通りだった。
城の豪奢さ、食事、服飾、そしてシリの美しさ。
すべては、圧倒的な力の誇示。
小領に"妹を与えてやる"という、無言の圧力。
昼過ぎ、出立の時が来た。
城門前には、家族、親族、家臣、女中、庭師……多くの人々が集まり、別れを惜しんでいた。
シリは、20年間をこの城で過ごした。
背は高く、金髪をなびかせ、馬上に座る姿は見違えるほどだった。
意見を口にし、ゼンシすら怯ませる気の強さ。
誰もが、娘のように、孫のように、シリを誇りに思っていた。
見送る列の先頭に、ゼンシが立つ。
「シリ。頼むぞ」
「わかっています、兄上」
強く青い瞳を輝かせ、シリは答えた。
まるで戦場へ赴くような覚悟で、馬車へ乗り込む。
その後ろに、エマが乗り込んだ。
馬車の両脇には、ミンスタ領の護衛・キヨとゴロク。
後ろには、衣装や道具を積んだ従者の列。
そして、最後尾にはワスト領の重臣たち。
壮麗な花嫁行列だった。
窓の外には、見慣れたミンスタ領の景色が広がる。
豊かで穏やかな土地。これが、最後の別れになるだろう――
シリはそう、静かに思った。
次回ーー
湖畔に立つ二人の青年。
ワスト領主グユウは、政略のために妻と別れた不器用な男。
そして新たに迎えるのは――「ミンスタの魔女」と噂される姫シリだった。




