祈りをこめて送り出す 見送る立場は・・・辛いな
その朝、首に何もつけないと決めた。
──最後の覚悟だった。
シリの部屋には、ろうそくの灯りが揺れていた。
炎が揺れるたびに、青いドレスの銀糸の刺繍が光を返す。
「ネックレスはいらないわ」
エマの手にあったサファイアの首飾りに目をやり、シリはそっと首を横に振った。
「首に何もつけないのですか?」
エマの声は、どこか不安げだった。
けれどシリは鏡越しに青白い顔を見つめるだけだった。
「ええ。首には何もつけないの」
まるで首元の白さが、心の決意を映すようだった。
この日は離婚協議があるので正装だ。
結婚式の時に着た青色のドレスに袖を通し、銀色に輝く帯をつけた。
裾に縫い付けられていた銀色の刺繍がろうそくの光に反射する。
ゼンシがシリのために用意した贅を尽くしたドレス、
嫁いだワスト領では買えない高価な布地だ。
あの頃、当たり前のように感じていたけれど、今は生家の莫大な財産を感じた。
そして今日は、その生家と決別する日でもある。
身支度を終え、シリが階段から降りると、
グユウは眩しげに目を細め、唇が何か言いたげに動いた。
「あの時、言えなかったけれど・・・」
グユウの低い声が、控えめに響いた。
「あの時?」
シリが振り返ると、彼は一瞬、言葉をためらった。
「結婚式・・・」
シリは黙って、グユウが次の言葉を出すのを待っていた。
「こんな美しい妃が・・・オレに嫁ぐのは・・・夢のようだと思っていた」
彼の瞳が真っ直ぐシリを見ていた。
きっと、もう伝えられないかもしれないから。
だから、口下手な彼は一生懸命、言葉を紡いだ。
「グユウさん」
シリはグユウを見上げる。
その黒い瞳は今はシリのことを優しく見つめてくれる。
「その言葉、毎日言ってくれると嬉しいです」
「それは難しい」
2人は少しだけ微笑んで、無言で抱き合った。
最後の別れにならぬように想いを込めて、グユウはそっとシリを手放した。
子供達は眠っている。
可愛い盛りのシン、ユウ、そして、産まれたばかりのウイの顔を見ると決意が揺らぐ。
子供達の顔を見ずに出発することにした。
◇
城の門の周辺に多くの人が集まっていた。
離婚協議に参加するメンバーは、シリ、ジム、ジェームズ、オーエン、それに馭者2名だった。
馭者を2名にしたのはシリの指示だった。
どちらか1人が不慮の事故に遭っても何とか帰れるようにした。
人間より馬の数の方が多かった。
計画は前例がない。
だからこそ、無茶でもやるしかなかった。
オーエンが「無茶苦茶だ」と嘆いたそれに、誰もが従った。
ジム、ジェームズ、オーエンは緊張で顔が硬っていた。
やがて、城からシリが姿を現す。
青いドレスの胸元から首筋にかけて、陶器のように滑らかな肌が現れ、
金糸のような髪が朝の光に輝いていた。
その姿に、城の者たちは息を呑む。
誰もが見慣れたはずの后妃だった。
けれど、今日のシリには別の輝きがあった。
強さと、美しさと、そして覚悟。
シリの姿を見た時に、オーエンは一瞬我を忘れた。
同行する家臣をシリは見つめる。
家臣の緊張を緩めるように、イタズラをする子供のように微笑む。
「行きましょうか」
まるでピクニックに行くような口ぶりだった。
「はい」
ジムが微笑みながら返事をする。
「行きましょう!」
根が明るいジェームズは楽しそうに話した。
ーー妙だな。
オーエンは周囲の人々の顔を見渡した。
城の者たちの目がシリを一心に見つめている。
これからシリが行うことは前代未聞、常識からかけ離れた事なのに。
もう、シリは戻ってこないかもしれないのに。
けれど、城の者たちは"シリならやってくれる"
そんな期待と信頼に満ちた眼差しだった。
城の者たちの心を掴んでいる。
マサキの后、マコが見送りに来ている。
オーエンは悔しそうにため息をついた。
◇
「行ってきます」
強い瞳でシリがグユウに伝えた。
グユウは決意を込めた瞳のその深さに息を呑む。
「行ってこい」
グユウは凪いだ瞳で皆を送り出す。
「エマ・・・」
グユウの少し後ろに立っているエマに、シリは声をかける。
「シリ様、どうして私を連れて行ってくれないのですか」
エマは身を振り絞ってシリに詰め寄る。
2人はいつでも一緒だった。
「エマ・・・同行するには危険すぎるのよ。・・・連れていけない」
「そんな危険なところに、シリ様はお一人で行かれるのですか!!」
エマは涙声で訴える。
シリはエマの頬に両手を挟んで、優しく見下ろした。
「エマ、私が帰って来なかったら・・・ユウとウイをお願いします」
シリの瞳は真剣だった。
ユウとウイのことも考えてエマを城に置いておくのだろう。
「・・・わかりました」
それを悟ったエマは気丈に答えた。
シリは微笑んだ後、後ろを振り向かずに馬車に乗った。
馭者が馬を走らせる。
エマは数歩追いかけて地面に座り込んだ。
グユウはエマの老いた肩に手をかけた。
「見送る立場は・・・辛いな」
エマは泣きながらうなづく。
小さくなる馬車を見送りながらグユウがつぶやいた。
「・・・祈ろう。あの強さが、無事に戻る日を」
次回ーー
「私は離婚をいたしません」
シリの一言で、場の空気は凍りついた。
誰もが常識を疑い、ただその瞳に釘付けとなった。
明日の17時20分 前例にないことは承知です。私が決めました 良い週末をお過ごしください。




