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明日、私は拒む


5月、離婚協議は明日に迫っていた。


「こんな緊張する任務は初めてだ」

オーエンがため息をつく。


ジム、ジェームズ、オーエンの三人が肩を寄せ合うように立ち話をしていた。


彼らは明日、シリに付き添って離婚協議に臨む予定だった。


「ジム、本来の離婚協議の流れを教えてくれ」

ジェームズが質問した。


政略結婚は同盟が破綻すれば離婚が定説だった。


「通常であれば、当事者の妻は出席しません。

双方の家臣が話し合い、そのまま妻と子は生家に戻されます」

ジムは淡々と答える。


「ところが、あの妃は生家に帰らない」

オーエンは呆れたように話す。


「しかも、妃、自らがミンスタ領の家臣と交渉する」

ジェームズが面白そうに話す。


「離婚を拒否するって・・・聞いたことがない。

俺はあんな気が強い女・・・妃は見たことがない」

オーエンはシリの鋭い眼差しを思い出し、顔をしかめる。


「シリ様の采配を・・・信じるしかないです」

ジムは静かに話した。


シリは離婚をしないと決めた。


この時代、女性が自分の意思で結婚、離婚を選択することは皆無だった。


嫁ぎ先に居残るのは前代未聞、揉めることは確実だった。


それでも、シリはその道を選んだ



昼過ぎ、シリはグユウとともに義父母の館を訪ねた。

明日の協議について、あらかじめ報告しておく必要があったのだ。


義父母の館に行く前に小さな橋を渡る。


義父マサキは、シリが行うことは事前に知っている。


ーーそして、義母マコも


マコは夫と違い寡黙な女性だった。


この時代の女性は、控えめが良しとされていたけれど、

それに輪をかけて自己主張をしない寡黙で控えめの女性だった。


グユウの顔立ち、性格はマコに似ている。

シリはマコの瞳を見ることが好きだった。

マコの瞳は、グユウと同じ黒く美しい瞳だった。


女が交渉の場に出ることも、離婚を拒むことも、この時代では異常とされる。


そんな「おかしな振る舞い」をしようとする自分を、マコはどう見るのだろう。

好きな人の母に嫌われることほど、怖いことはない。


不安な気持ちを抱えシリは橋を渡った。



義父母の前で、グユウが静かに口を開く。

「明日、シリはジムとジェームズ、オーエンと共に離婚協議に臨みます」


マサキの眉間に深い皺が寄る。


「女が男の話し合いに出ていくなんて。

グユウ、お前が腰抜けだと思われる可能性があるんだぞ」

マサキの口調は厳しい。


シリは唇を噛み締める。


「義父上、勝手な振る舞いを許してください。

グユウさんと一緒に過ごすためにも・・・ワスト領に残りたいです」

シリは例の真剣な眼差しでマサキの顔を見つめる。


その眼差しに、マサキは思わず息を呑む。


家臣たちが惹かれるのも無理はない。


グユウさえも、シリの意志と美しさに飲み込まれていった。


それでも、女に頭を下げられるのは面白くない。


「なぜ、オーエンを連れていく」

マサキは、嫌味の一つでも言わないと気が済まなかった。


オーエンはマサキの家臣であり、彼のお気に入りだった。


「オーエンは私ではなくワスト領の事を第一に考えています。

私に何があっても・・・情に流されず、オーエンはワスト領の事を考えて行動するからです」

シリは淡々と説明をした。


反論できないマサキは、不機嫌な態度で反対の意を表した。


ずっと沈黙を守っていたマコが静かに口を開いた。


「グユウ、あなたはどう思っているの?」

母の質問にグユウは戸惑う。


「危険な任務だと思う・・・シリが望む事ならオレは行かせたい」

自分と同じように凪いだ瞳の母に話す。


マコとグユウの瞳は交じった。


そして、真剣な眼差しをしたシリを見つめる。


「あなた・・・」

マコはマサキに静かに伝えた。


「シリは、生家ではなくグユウを選んだのです」


それは、普段ほとんど言葉を交わさないマコが放つには、驚くほど強い言葉だった。


「シリはセン家の人間になると覚悟を決めたのです。

それをなぜ、モザ家に返さねばならないのですか?」

凛とした声でマサキに話す。


いつになく強いマコの口調にマサキは動揺を隠せない。


「わかった・・・。わかった」

モゴモゴと口に何かを含む。


「シリ、気をつけて」

グユウそっくりな慈しむような目で、マコはシリを見つめた。


「ありがとうございます」

グユウとシリは頭を下げた。



帰り道、風は優しかった。


「母上が・・・あんなに話すのは初めてだ」

湖の風がグユウの髪を優しくなでた。


「いつもは何も話さないのに・・・」

シリがつぶやく。


2人は、いつもの散歩コースである馬場に足を運ぶ。


グユウの隣に立ち、ロク湖に浮かぶチク島を眺める。

それだけでシリは幸せだった。


夕日が湖に煌めき、周囲は黄金色に輝いていた。


「きれいだわ・・・」

シリがささやいた。


「あぁ」

グユウは夕日ではなくシリの横顔を見つめていた。


「シリの行動は、多くの人の気持ちを揺らすだろう・・・母上も」

グユウは預言者のようにつぶやいた。


「えっ?」

グユウの言葉は小さくて聞き取れなかった。

強く吹いた湖の風は、長く真っ直ぐな髪がシリの周りにさぁと渦を巻いた。


グユウはシリの姿を見て瞳が揺れた。


ーー行かないでほしい。

グユウは、思わず口に出そうになり唇を噛み締めた。


けれど、もし行かせなかったら、彼女の心を否定することになる。


グユウは唇を噛み締めた。


「何もしなくても離婚させられるなら・・・もがいてみせる」

シリはチク島にむかって呟いた。


「シリ、必ず帰ってこい」

後ろからグユウがシリを抱きしめた。


シリの長い髪がグユウの顔に触れ、切なげに吐息を吐き出した。


「はい」

グユウの腕に手を重ね、シリが呟いた。



夜になるとシリは子供部屋へむかった。


シンが眠るまで手をつないで子守唄を歌った。

寝ついたシンの柔らかい頬に唇を寄せた。


もう一部屋、ユウとウイがいる子供部屋へむかう。


グユウが先に部屋におり、子供達の寝顔を見つめていた。

ユウは輝く金髪を頭中に広げ、小さな片方の手を頬の下に入れていた。


ウイの青い筋の浮いているまぶたの奥の目は、グユウとシリの瞳が混ざった群青色だった。


息を飲むほど整った顔立ちのユウに比べて、

ウイは赤ん坊らしい顔立ちをしていた。


「必ず帰ってくるから」

眠っている2人を見つめながらシリがつぶやく。

シリの声は震えていた。


「あぁ」

グユウの声も硬かった。


この手を、もう二度と離さないために。


彼女は、“母”として戦いに向かう。


次回ーー


泣き崩れるエマ、祈るグユウ。

すべてを背に、シリは馬車へと向かう――その姿は、美しくも切ない出立だった。


明日の17時20分 旅立ちの朝 どうして私を連れて行かないの?

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