明日、私は拒む
5月、離婚協議は明日に迫っていた。
「こんな緊張する任務は初めてだ」
オーエンがため息をつく。
ジム、ジェームズ、オーエンの三人が肩を寄せ合うように立ち話をしていた。
彼らは明日、シリに付き添って離婚協議に臨む予定だった。
「ジム、本来の離婚協議の流れを教えてくれ」
ジェームズが質問した。
政略結婚は同盟が破綻すれば離婚が定説だった。
「通常であれば、当事者の妻は出席しません。
双方の家臣が話し合い、そのまま妻と子は生家に戻されます」
ジムは淡々と答える。
「ところが、あの妃は生家に帰らない」
オーエンは呆れたように話す。
「しかも、妃、自らがミンスタ領の家臣と交渉する」
ジェームズが面白そうに話す。
「離婚を拒否するって・・・聞いたことがない。
俺はあんな気が強い女・・・妃は見たことがない」
オーエンはシリの鋭い眼差しを思い出し、顔をしかめる。
「シリ様の采配を・・・信じるしかないです」
ジムは静かに話した。
シリは離婚をしないと決めた。
この時代、女性が自分の意思で結婚、離婚を選択することは皆無だった。
嫁ぎ先に居残るのは前代未聞、揉めることは確実だった。
それでも、シリはその道を選んだ
◇
昼過ぎ、シリはグユウとともに義父母の館を訪ねた。
明日の協議について、あらかじめ報告しておく必要があったのだ。
義父母の館に行く前に小さな橋を渡る。
義父マサキは、シリが行うことは事前に知っている。
ーーそして、義母マコも
マコは夫と違い寡黙な女性だった。
この時代の女性は、控えめが良しとされていたけれど、
それに輪をかけて自己主張をしない寡黙で控えめの女性だった。
グユウの顔立ち、性格はマコに似ている。
シリはマコの瞳を見ることが好きだった。
マコの瞳は、グユウと同じ黒く美しい瞳だった。
女が交渉の場に出ることも、離婚を拒むことも、この時代では異常とされる。
そんな「おかしな振る舞い」をしようとする自分を、マコはどう見るのだろう。
好きな人の母に嫌われることほど、怖いことはない。
不安な気持ちを抱えシリは橋を渡った。
◇
義父母の前で、グユウが静かに口を開く。
「明日、シリはジムとジェームズ、オーエンと共に離婚協議に臨みます」
マサキの眉間に深い皺が寄る。
「女が男の話し合いに出ていくなんて。
グユウ、お前が腰抜けだと思われる可能性があるんだぞ」
マサキの口調は厳しい。
シリは唇を噛み締める。
「義父上、勝手な振る舞いを許してください。
グユウさんと一緒に過ごすためにも・・・ワスト領に残りたいです」
シリは例の真剣な眼差しでマサキの顔を見つめる。
その眼差しに、マサキは思わず息を呑む。
家臣たちが惹かれるのも無理はない。
グユウさえも、シリの意志と美しさに飲み込まれていった。
それでも、女に頭を下げられるのは面白くない。
「なぜ、オーエンを連れていく」
マサキは、嫌味の一つでも言わないと気が済まなかった。
オーエンはマサキの家臣であり、彼のお気に入りだった。
「オーエンは私ではなくワスト領の事を第一に考えています。
私に何があっても・・・情に流されず、オーエンはワスト領の事を考えて行動するからです」
シリは淡々と説明をした。
反論できないマサキは、不機嫌な態度で反対の意を表した。
ずっと沈黙を守っていたマコが静かに口を開いた。
「グユウ、あなたはどう思っているの?」
母の質問にグユウは戸惑う。
「危険な任務だと思う・・・シリが望む事ならオレは行かせたい」
自分と同じように凪いだ瞳の母に話す。
マコとグユウの瞳は交じった。
そして、真剣な眼差しをしたシリを見つめる。
「あなた・・・」
マコはマサキに静かに伝えた。
「シリは、生家ではなくグユウを選んだのです」
それは、普段ほとんど言葉を交わさないマコが放つには、驚くほど強い言葉だった。
「シリはセン家の人間になると覚悟を決めたのです。
それをなぜ、モザ家に返さねばならないのですか?」
凛とした声でマサキに話す。
いつになく強いマコの口調にマサキは動揺を隠せない。
「わかった・・・。わかった」
モゴモゴと口に何かを含む。
「シリ、気をつけて」
グユウそっくりな慈しむような目で、マコはシリを見つめた。
「ありがとうございます」
グユウとシリは頭を下げた。
◇
帰り道、風は優しかった。
「母上が・・・あんなに話すのは初めてだ」
湖の風がグユウの髪を優しくなでた。
「いつもは何も話さないのに・・・」
シリがつぶやく。
2人は、いつもの散歩コースである馬場に足を運ぶ。
グユウの隣に立ち、ロク湖に浮かぶチク島を眺める。
それだけでシリは幸せだった。
夕日が湖に煌めき、周囲は黄金色に輝いていた。
「きれいだわ・・・」
シリがささやいた。
「あぁ」
グユウは夕日ではなくシリの横顔を見つめていた。
「シリの行動は、多くの人の気持ちを揺らすだろう・・・母上も」
グユウは預言者のようにつぶやいた。
「えっ?」
グユウの言葉は小さくて聞き取れなかった。
強く吹いた湖の風は、長く真っ直ぐな髪がシリの周りにさぁと渦を巻いた。
グユウはシリの姿を見て瞳が揺れた。
ーー行かないでほしい。
グユウは、思わず口に出そうになり唇を噛み締めた。
けれど、もし行かせなかったら、彼女の心を否定することになる。
グユウは唇を噛み締めた。
「何もしなくても離婚させられるなら・・・もがいてみせる」
シリはチク島にむかって呟いた。
「シリ、必ず帰ってこい」
後ろからグユウがシリを抱きしめた。
シリの長い髪がグユウの顔に触れ、切なげに吐息を吐き出した。
「はい」
グユウの腕に手を重ね、シリが呟いた。
◇
夜になるとシリは子供部屋へむかった。
シンが眠るまで手をつないで子守唄を歌った。
寝ついたシンの柔らかい頬に唇を寄せた。
もう一部屋、ユウとウイがいる子供部屋へむかう。
グユウが先に部屋におり、子供達の寝顔を見つめていた。
ユウは輝く金髪を頭中に広げ、小さな片方の手を頬の下に入れていた。
ウイの青い筋の浮いているまぶたの奥の目は、グユウとシリの瞳が混ざった群青色だった。
息を飲むほど整った顔立ちのユウに比べて、
ウイは赤ん坊らしい顔立ちをしていた。
「必ず帰ってくるから」
眠っている2人を見つめながらシリがつぶやく。
シリの声は震えていた。
「あぁ」
グユウの声も硬かった。
この手を、もう二度と離さないために。
彼女は、“母”として戦いに向かう。
次回ーー
泣き崩れるエマ、祈るグユウ。
すべてを背に、シリは馬車へと向かう――その姿は、美しくも切ない出立だった。
明日の17時20分 旅立ちの朝 どうして私を連れて行かないの?




