幸せは、私が決める
「シリ、どうして逃げなかったんだ」
グユウが静かに聞いた。
「逃げません」
シリの瞳は相変わらず強く光っていた。
「私はここにいます」
グユウの瞳は揺らいだ。
「シリ、ここにいてはダメだ。近いうちに、ゼンシ様はレーク城を攻めてくる」
思わずシリの肩をつかんだ。
「攻めるでしょう。兄上なら」
「逃げた方が良い。オレはシリに幸せになってほしい」
グユウの声は切実だ。
シリは無言でグユウの顔を見つめた。
美しいシリの瞳を見て、一瞬グユウの心が揺れた。
すぐにその気持ちに蓋をする。
「シリ、今なら間に合う。ミンスタ領に戻れ」
シリは黙って首を振る。
「ルビー夫人の事を忘れたのか」
グユウは懇願するような言い方になった。
「そのルビー夫人は・・・兄に命じられて結婚を4回しました」
シリは強い口調で話した。
グユウの瞳は動揺で揺れた。
「私はまだ22歳、子が産めるので利用価値があります。
ミンスタ領に戻ったら、再び兄に命じられて違う領主と結婚するでしょう。
グユウさんを想いながら、知らない男に抱かれる。それが幸せだと思いますか?」
グユウは何も言えない。
シリを手放すことを覚悟していたのに。
その先のことを想像もしていなかったからだ。
グユウの回答を待たずにシリは再び話す。
「それとも・・・兄上の慰み者になるかもしれませんね。
以前はナイフで拒絶できた。今はダメです。
同盟が破綻したので兄上を揺さぶることはできません。兄上は約束を平気で破る。私を犯すでしょう」
グユウの瞳に苦痛の影が宿った。
「幸せってなんでしょうか」
シリが遠くを見つめてつぶやく。
「安全な場所で、知らない男に抱かれることでしょうか」
挑戦的な目でグユウを見つめた。
「シリ…」
「女は嫁ぎ先を選ぶことができません。
けれど、どんな風に生きたいか。選択肢があるのなら私は選びたい」
シリは立ち上がり、グユウの元まで歩く。
「私はレーク城に残ります」
強く美しい瞳がグユウの目の前まで近づいた。
グユウは何も言えない。
シリが美しすぎて目が離せなくなる。
「幸せは他人が決めることではないです。私が決めます」
次の瞬間、グユウはシリを強く抱き寄せた。
「シリ、なんて事をするんだ」
その声は、もはや泣き声に近かった。
「良いんです」
「・・・きっと後悔する」
「後悔しません」
普段、表情を変えないグユウが切なそうな瞳で
苦しそうに眉を寄せて、シリの顔を見つめた。
シリの首筋に顔を埋め、さらに掻き抱くように抱きしめた。
「・・・グユウさん」
「シリ・・・未熟ですまない・・・オレは嬉しい」
「グユウさん 口づけをしてもらえますか」
シリが上目遣いでお願いしてきた。
グユウは恐る恐る伺うように、そっと口づけをした。
そっと唇を離すと、
「もっとしてください」
シリがお願いをしてきた。
迷いなく挑むように見つめてくる瞳の強さが、薄暗い部屋の中でもはっきりと見える。
グユウは、今度はもう一度唇を重ねた。
口づけの時間が長くなるにつれ、2人の吐息は乱れがちになった。
たまらなくなって、ベットにもつれこんだ。
見上げるシリに、グユウはもう一度唇を合わせた。
そこから先がなかなか進まなかった。
強く美しいシリが選んだ道に自分が相応しいか、グユウは戸惑っていたのである。
「グユウさん」
葛藤が伝わったのか、シリは身体を少し起こした。
反動でグユウは少し後ろに下がる。
「グユウさんの考えていることはわかります。
私が決めたことなので、迷わないでください」
男気あふれるシリの伝え方に、思わずグユウは吹き出す。
「シリは・・・強いな」
グユウの表情と柔らかい雰囲気に、シリは胸をぎゅっと掴まれるような心持がする。
滅多に見ることがないグユウの微笑み。
美しいその姿にシリの頬は赤くなる。
「それは・・・グユウさんが隣にいるからですよ」
シリはそっと耳打ちをした。
「・・・オレで良いのか?」
グユウは泣き出しそうな瞳をしている。
この人はいつもそう。
シリは思った。
どうして、こんなに自信がないの?
間近で揺らめく黒い瞳を見つめながら伝える。
「グユウさんじゃないとダメなんです」
シリの瞳に込められた決意に、グユウは息を呑んだ。
ーー目の前にいる美しい女性は、自分よりもずっと強い。
彼女を守るために手放そうとした。
けれど、自分がいないところで彼女が泣くことのほうが、何倍も怖いと知ってしまった。
気がつけば、抱き寄せていた。
◇
「無理をさせてしまった・・・身体は大丈夫か」
グユウは罰の悪そうな口調でシリに問いかけた。
少し息を切らせたシリがグユウの手を握りしめた。
その手は力がなく、気だるそうだった。
「大丈夫です・・・」
シリは幸せそうに微笑んで、力尽きたように瞼を閉じた。
◇
ゼンシ征伐から10日後。
レーク城内では、ゼンシとの戦の準備に明け暮れていた。
シリの元に二通の手紙が届いた。
グユウも手紙の内容が気になるようで、面白くなさそうな顔でシリの隣に座った。
一通目の手紙はシリの母からだった。
手紙の内容はゼンシが無事にミンスタ領に戻ったこと。
ゼンシがシリとグユウに対して猛烈に怒っており、大変だったこと。
子供達を連れて、シュドリー城に戻るようにと書いてあった。
シリはため息をついて手紙を閉じた。
「ゼンシ様は無事戻ったのか」
「ええ。裏切った私たちを怒っているようだわ」
母の胸中を思うと胸が痛む。
けれど、怒ったゼンシがいる城に帰りたいと思うわけがない。
二通目は差出人が書いてなかった。
配達をした男は、正体を告げる前にいなくなった。
「男の字だ」
グユウが不機嫌な顔をしていた理由はこれだ。
訝しげに手紙を開けると・・・
「ジュン殿だわ!」
シリが声を上げた。
西領を納めるジュンが極秘でシリに当てた手紙だった。
「ジュン殿には・・・世話になった」
洋品店に入ることができないグユウを助けてくれたのがジュンだった。
「ジュン殿は兄上の臣下のはず・・・」
「あぁ。先の戦で戦った」
手紙はゼンシが相当怒っている。
裏切ったワスト領を全力で滅ぼそうとしている。
ミンスタ領に戻った方が良いとシリの身を心配した内容だった。
ジュンの手紙を読んだ後に、グユウが不安げに声をかける。
「シリ・・・」
「(ミンスタ領には)戻りませんから」
シリは前をむいてキッパリと言い放った。
その翌日、ミンスタ領から公式の手紙が届いた。
その文字を見た瞬間、部屋の空気が凍った。
手紙の内容は、グユウとシリの離婚命令だった。
次回ーー
届いたのは、ゼンシからの離婚命令。
重臣たちが当然と口を揃える中、ただ一人、シリが立ち上がった。
「私は『引き渡される妃』ではありません」
その瞳は、燃える青い炎のように会議室を圧した。
明日の17時20分 実家から離婚命令




