裏切りの先に待つもの
「これからミンスタ領を征伐する」
グユウの文言に家臣達は力強くうなづき、鬨の声をあげた。
ワスト領の兵達は風のように馬を走らせていた。
城から出て2時間ほどで、ゼンシがいるシズル領の領境に辿りつく。
シズル領の北側に陽動部隊を配置し、ゼンシの注意を逸らした上で、
南から主力部隊が攻め入る算段だった。
◇
「スパイから報告です。ワスト領がこちらにむかっています。我々を攻撃するつもりです」
ゴロクがゼンシに伝えた。
「ワスト領・・・。グユウか?」
ゼンシは信じられないという顔をした。
ミンスタ領はスパイがたくさんいる。
その情報網は正しい。
けれど、ゼンシは信じられない思いだった。
「あのグユウがワシに刃向かうことはない」
ゴロクの報告を軽く受け流した。
しかし、その後、次々と報告が上がってきた。
「ワスト領が軍を挙げています。我々の背後を襲うつもりです」
キヨが甲高い声で報告した。
「そんなバカな・・・」
ゼンシは信じなかった。
「嘘だ。ありえない。何かの間違いだ」
ゼンシは否定した。
「ゼンシ様、我々の方にも情報が来ています」
西領のジュンが報告した。
「近づいています」
南の方角を指差した。
遥か彼方から、多くの軍隊が押し寄せてきている。
旗印が見えた。
紺色、六角形の模様が白く浮かぶ。
・・・ワスト領だ。
「グユウ、シリ、裏切ったのか!!」
ゼンシは怒気を含んだ声で怒鳴った。
家臣達は炎のような激しい怒りに身を縮めた。
「どうされますか」
ジュンが落ち着いた声でゼンシに問う。
「考えるまでもない」
ゼンシは躊躇せず、すぐ撤退を決めた。
行きに通った街道はダメだ。
ワスト領が見張っているはずだ。
険しい山道を通り抜け、ミヤビまで逃げることにした。
ゼンシは勝てないと判断をしたら、
見えも外見も捨てて一目散に逃げる。
この柔軟な考え方がミンスタ領を強領にしてきた。
「キヨ、ゴロク、ジュンは、ここに残ってワスト領とシズル領を押さえろ」
家臣達に命じた。
ゼンシはわずかな兵を引き連れ逃げ出した。
「グユウ・・・次に会ったら、容赦はしない」
ーー絶対に許さない。殺してやる
信頼していた義弟に裏切られて、その青い瞳は怒りで燃えていた。
グユウが目的地に辿り着いた頃、ゼンシは逃亡しており、
残ったミンスタ領の家臣たちと争いを始めた。
◇
「逃した」
トナカが忌々しそうにつぶやいた。
「あぁ」
グユウがつぶやく。
結果だけを語れば争いはワスト領・シズル領の勝ちだった。
敵を多く倒し、こちらの負傷者は少ない。
けれど、ゼンシを殺すことができなかった。
「グユウ・・・お前がいてくれて、本当に助かった」
「オレ達は、いつでも助けあっていたじゃないか」
グユウは目を細めた。
「苦労をかけた。シリは・・・どうした」
トナカは言いにくそうに質問をした。
「ミンスタ領に返した」
グユウは淡々と答えた。
トナカはグユウの顔を横目で見た。
凪いだ瞳をしているけれど、言わなくてもわかる。
グユウが傷ついていることがわかった。
「シリが・・・幸せに過ごせたらそれで良い」
グユウは自分を納得させるような言い方をした。
「必ずゼンシを撃とう」
トナカが手を差し伸べた。
「あぁ」
グユウはその手を強く握り返した。
◇
翌朝、城へ帰る道中は、淡い春の日差しも風も心地よく吹いていた。
道ゆく草花は芽吹に溢れているのに。
グユウの心は深く沈んでいるように見えた。
グユウの寂しそうな後ろ姿を、ジムは気遣うような目で見つめた。
ーーグユウ様、辛そうだ。
争いには勝てた。
シズル領を守ることができた。
けれど、ゼンシを裏切ったので、後々大きな争いになるだろう。
ジムは、近づきつつあるレーク城を見つめた。
ジムは重臣としての務めと、
グユウに対する個人的な想いでいつも揺れていた。
ーーこれから、沈みがちなグユウに寄り添い助けてあげなくてはいけない。
もう、レーク城にシリはいない。
今まで遠くへ出かけるたびに、シリが笑顔で迎えてくれた。
グユウは、シリに早く逢いたくて帰路を急いでいた。
毎回のように、必要以上に馬を早く飛ばした。
グユウの馬の速度に合わせられるのは、ジムとオーエンしかいない。
『もう少し、馬のスピードを落としましょう』
ジムは苦笑しながら、グユウに注意をしたほどだった。
今日は、いつもより馬の速度が遅かった。
疲れていたのもあるだろう。
城に戻れば、シリがいないことを認めることになる。
大事な領地と家臣、それを引き換えにグユウが失ったものの大きさを実感する。
◇
レーク城が見えた。
春の風が、ゆるやかに吹いている。
草木の匂い。馬の息づかい。
すべてが、争いの記憶から遠ざかっていくようだった。
城門が開く。
グユウは馬を降りた。
馬丁が鞍を外す気配も、どこか遠くの出来事のように感じられた。
玄関の扉へと向かう。
その一歩一歩が、異様に重い。
――もう、シリはいない。
わかっている。
だからこそ、急いでも仕方がないのだ。
この扉の向こうに、あの姿はいない。
何度も自分にそう言い聞かせてきた。
扉を押す。
その瞬間、
「・・・お帰りなさい」
静かな声が、風に溶けた。
目の前に――シリがいた。
白いエプロンをつけた、どこにでもいそうな、城の侍女のような姿。
けれど、その青い瞳だけが、すべてを物語っていた。
グユウは、言葉を失った。
息をすることさえ、忘れてしまった。
何も言えない。何も動けない。
ただ、立ち尽くしていた。
「勝利、おめでとうございます」
美しい青い瞳は、グユウを見つめている。
夢ではない。
けれど、現実として受け止めるには、まだ時間が足りなかった。
春の風が、ふっと室内に流れ込んだ。
グユウの影も、わずかに揺れていた。
次回ーー
「勝利おめでとうございます」
再会したはずのない微笑み。
逃したはずの妻が、なぜここにいる――。
温かな食卓と笑い声の中、
グユウの胸を締めつけるのは安堵か、それとも恐怖か。
やがて二人きりとなった寝室で、
避けては通れぬ問いが、静かに投げかけられる。
「シリ、どうして逃げなかったんだ」
明日の17時20分 逃したはず…何があった?
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