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任務 あなたのいない世界へ 


泣きじゃくるシリの背中を誰かが撫でてくれている。

顔を上げるとエマが隣に座っていた。


「シリ様」

その声は少し震えていた。


「やらなくてはいけない事があります」

シリは黙ってうなづいた。


悲しみに浸る時間は、あまりに短い。


シリと子どもたちが城を抜ける時刻は、10時。

その時間帯は、家臣や侍女たちの休憩時間にあたる。

城の警備が、ほんのわずかに緩むその隙を狙っての出立だった。


10時まで時間がある。


「最後に・・・シンに会いたい」

エマは黙ってうなずいた。


グユウと前妻の子、シン。

血は繋がっていなくても、シリは彼を心から愛していた。

そしてシンも、シリを本当の母親のように慕ってくれていた。


子供部屋に行くと、シンがシリに気づいてくれた。


「ははうえ!!」

無邪気な笑顔でシリに飛び込んできた。


「シン・・・!!」

シリはその鳶色の髪を撫で、頬を寄せた。

黒い瞳がまっすぐに見つめ返す。それは、グユウと同じ目だった。


涙を流しているシリを不思議そうな顔でシンは見つめた。


「痛いの?」

その言葉に、胸が締めつけられる。


この子とも、別れなければならない。

そう思った途端、シリの涙は止まらなくなった。


「シン、大好きよ・・・」

何度もそう告げて、何度も抱きしめた。


ーーグユウさんも、ユウやウイを抱いたとき、同じ気持ちだったのだろうか。


愛しい子どもと離れることが、こんなにも苦しいとは。



「シン様、体操の時間です」

乳母が言いにくそうに声をかけた。


ーー気を遣ってくれた。

シリはそう思った。


後ろには、ヨシノとモナカが待機していた。

ヨシノの息子であるシュリの姿が見えない。


「ヨシノ、シュリは連れていかないの?」

シュリ、乳母ヨシノの子供である。


「大丈夫ですよ。シュリは後から出る馬車に乗せます」

ヨシノはシリに嘘をついた。


馬車は1台しか出せない。


彼女は、乳母としてユウを守ることを選んだのだ。


急いで玄関へ向かう。


シリは、城のあちこちを愛しむような目つきで見まわした。


レーク城は、古い木造の城だった。


シリが育ったシュドリー城は、石造りで広さも豪華さも違う。 


けれど、その目は、たとえ豪華な宮殿に住んだとしても、

レーク城が世界中で美しい場所と心得なければ気のすまぬ目だった。


北側の窓でグユウと雪が降るのを見た。


階段を降りるシリを見かけると、嬉しそうにグユウが目を輝かせた。


あの古ぼけた扉の影で、こっそりグユウと口づけをした。


グユウの書斎の前を通った。


ウイを妊娠した時に、ここで2人で喜びをわかちあった。

グユウが髪を不器用に撫でてくれた。


寝室へは、行けなかった。

記憶が濃すぎて、足がすくんだ。


どの場所もグユウとの思い出が無数にあった。


グユウはシリの結婚相手であり、そして初恋の相手であり、恋人でもあった。


ミンスタ領で過ごした20 年よりも、

ワスト領で過ごした2年間の方が幸福だった。


それは・・・グユウがありのままのシリを認めてくれたからだった。


その人がいた場所から、今、離れなければならない。



シリとエマは散歩に行くようなそぶりで城外を出た。


「変だわ・・・」

シリは気づいていた。


侍女や女中達は、シリの行動を気づかないふりをしている。


ワスト領を抜け出して、故郷に帰る事を認めてくれている。


領主と同じように、優しい侍女、女中達だった。


馬車は馬場にあった。


家臣や侍女がいる手前、玄関まで馬車を乗り付けることはできない。


ひと足先に、馬車の中でウイとユウが待機している。


馬場まで歩いてむかった。


そこはグユウとシリの散歩コースでもあった。


いつも見ていた景色が眼前に広がった。


陽の光で輝くロク湖にぽっかりと浮かぶチク島。


「ここの景色が1番好き」

シリはグユウに何度もつぶやいた。


グユウは黙ってうなずいてくれた。

 

ユウの妊娠を告げたのも、この場所だった。


「シリさえいれば何もいらない」

グユウがシリを抱きしめたところだ。


「戻ろう。冷える」

夕暮れに、優しく手を握ってグユウと城まで帰った。


もう一緒に帰ることができない。


「あぁ」

思い出が、重くて、歩けない。


地面に座りこんでしまった。


「シリ様」

エマは老けて、弱り、疲れた様子でシリの隣に寄り添う。


「行かなくてはいけません」

静かに、けれど切実に。


「・・・なぜ、行かなくていけないの?」

シリは震える声で聞いた。


「シリ様は任務を全うしなくてはいけません」

エマの言葉は詰まりながらも、真っ直ぐだった。


ワスト領が裏切ることがあれば、ミンスタ領に即座に知らせること。


それがシリの課せられた任務だった。


兄ゼンシは約束を破った。

シリを乱暴し、ワスト領への裏切りを重ねた。

その兄のために、シリは今、グユウとこの城を捨てようとしている。


「そんなひとでなしのために・・・?」

怒りに染まった瞳が青く燃える。


「グユウ様は、シリ様の幸せを願ったのです」

エマは震えながらも言った。


「グユウ様は、シリ様の幸せを願って逃げるように勧めたのです」

一刻でも早く、シリを馬車に乗せないと。


「幸せ・・・」

シリが呟く。


「そうです。東領のルビー夫人のような思いをさせたくない。グユウ様はジムにそう話していたそうです」


伯母の姿がよぎる。

家族に裏切られ、無惨に命を絶たれた女性——


たしかに、ミンスタに帰れば平穏な日々が過ごせる。


少なくともユウ、ウイは健やかに過ごせるだろう。


けれど・・・けれど!!


ーーグユウがいない。


それを考えると気が狂いそうになった。


『シリがいない未来を想像するだけで真っ暗な気持ちになった』

かつて、グユウはそう言ってくれた。


ーーグユウさん・・・私も同じ気持ちです。


シリは自分の生涯から、苦痛を覚えずにグユウを捨て去れないことを知った。


グユウがいない世界。

彼がいない世界で日常を過ごす。


それは自分の前に広がる空虚な暗黒の年月に思えた。

とてもその年月を過ごしていかれない。


ーーとても行かれない!!


シリは自分が何をするべきか。


自分の役割を知った。


それには、大きな苦痛が伴うであろう事を覚悟した。


「シリ様・・・?」

急に静かになったシリを見て、不安げにエマがつぶやいた。


シリは立ち上がった。

湖から吹いた風が、シリの髪をそっとなでた。

その瞳は強く青く光っていた。


「エマ、ごめんなさい」

シリは静かに答えた。


ーー次回


戦は勝った。だが、シリを失った痛みは癒えない。

重い足取りで城門をくぐったその先に――

「……お帰りなさい」

春の風と共に、シリの声が響いた。


夢か現か、答えの出ない再会が待っていた。


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