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青い果実 命をつなぐ

「グユウさん、お願いします。兄上についてください」


言葉は静かだったが、その瞳には決して揺らがぬ決意が宿っていた。


ほとんど食べ物を食べれず、命を削るように過ごしているシリが、初めて口にした懇願だった。

その声に、グユウは何も言えず、ただ深く頷いた


その日を境に、彼の姿勢は変わった。

ワスト領の会議ではっきりと、「モザ家のゼンシ殿につく」と宣言するようになったのだ。


だが、すべてが順調に進んだわけではない。

グユウに従う家臣がいる一方で、

彼の父や多くの重臣は反ゼンシ派であった。中でもオーエンの反発は激しかった。


急に強い意志を見せ始めた主君に、オーエンは訝しんだ。


「あのミンスタの女に何か吹きこまれたんだろう」


仲間内でそう毒づくとき、オーエンの口調はあからさまに軽蔑を滲ませていた。


会議はたびたび紛糾した。

領政は、領主の一存では動かせない。それがこの土地の仕組みだった。


領の政治は、グユウの意志だけで動かすことは出来なかった。


ゼンシの元で育ったシリにとっては、それが不思議で仕方がなかった。


ーー領主であれば、己の意のままに決めればよい。


そう思っていたからだ。


ミンスタ領では、ゼンシがあらゆる権限を握っていた。

発せられる一言一言がすべての指針となり、

家臣はもちろん、侍女も、妻子でさえも、その顔色を読み、機嫌を損ねぬよう神経をすり減らしていた。


それが、当たり前の世界だった。


けれど、ワスト領に嫁ぎ、初めて知った。


ゼンシのやり方は異常であり、危ういのだと。


多くの領主たちは、家臣と話し合い、議を尽くして道を定めていく。


それが本来の統治というものなのだと、ようやく理解できたのだった。


――この現実を、兄に知らせねばならない。


シリは、ワスト領での様子、グユウの苦悩と板挟みの状況を、手紙にしたためてゼンシへ送った。


この報告は、いつか役に立つ気がする。

シリはそう確信していた。



つわりの影響で、食べ物を食べれない日が3週間になった。


シリの顔色は青白く、日に日に痩せていく。

日中も身体を横にしている事が多くなり、朝の散歩にも行けなくなってしまった。


こんなに辛そうなのに、何もしてあげることができない。

グユウは、シリが心配で胸が苦しくなった。


「辛いなら・・・子供は・・・」

シリの背中をさすりながら、グユウは思わず呟いてしまった。


だが、その言葉に、シリの瞳が静かに燃えた。


「何を仰っているのですか」


その声は弱々しくも、怒りを湛えていた。

グユウはそれ以上、何も言えなかった。


何度も医師に診てもらった。

「食べれるものだけを食べてください」


医師はそう言うけれど、水さえまともに飲めない場合はどうしたら良いのか。

グユウは途方にくれた。


今朝もシリは食堂の席に座っているけれど、何も口にしない。


「りんごの実がなってきました」

ジムが領民から、渡されたりんごの実をグユウにみせた。


まだ、青いりんごの実がテーブルに転がった。


「今年は、この実が鈴なりです。肥料を与えたのが良かったようです」


次の瞬間、シリはテーブルの上にあるりんごの実をつかんだ。


たまらなく美味しそうに見えたのだ。


誰もが息を呑む中、彼女は青りんごを手に取り、ためらうことなくかじった。


じゅわり、と果汁があふれ、酸味が舌を包む。

それなのに、シリの瞳には光が宿っていた。


「・・・美味しい」


泣きそうな顔で、もう一口、また一口と、果実を口に運ぶ。


「シリ・・・! 食べれるのか」

グユウの声は嬉しさで震える。


「はい・・・美味しい」

シリは泣きそうになった。


言葉にならないほど嬉しかった。


何日ぶりに、何かを“美味しい”と思ったことか。


周囲の者たち――ジムも、エマも、侍女たちも、声には出さぬまでも、その喜びは波紋のように広がっていった。



「ジム、りんごは他にないか?」

グユウが焦って聞く。


「ありません。見本に・・・2個だけしかもらってないので」

ジムは動揺した。


「すぐに馬を出せ。青りんごをとりにいく」


席を立つや、グユウはもう扉の向こうへ向かっていた。


ジムが慌てて後を追う。


そして一時間後、山のように盛られた青りんごが籠に詰められ、食堂へと運び込まれた。


シリは、輝く瞳でその籠を見つめ、次々と口にしていく。


「そんなに美味しいのか?」


その様子を見ていたグユウも、ひとつ手に取り、かじってみた。


「・・・っ!」


あまりの酸っぱさに、顔が歪む。

吐き出すのは、かろうじて我慢したようだ。


「シリ・・・これが本当に美味しいのか?」

涙目で質問した。


「はい!美味しい」

幸せそうな顔をしているシリを見ると、もう何も言えなくなる。


それからというもの、シリの食事には、必ず青りんごが添えられるようになった。


日に日に、青ざめていた頬に色が戻っていく。


不思議なことに、りんごを口にすることで、

少しずつ他のものも受けつけられるようになったのだ。


初めて、スープを二口ほど飲めた日。

温かいパンをちぎって口にした日。


そして、ついに――


「・・・チキンが食べたいわ」


弱々しい声ではあったが、その願いは、久しく耳にしていなかった“食への欲”そのものだった。


料理人たちが急いで用意したのは、詰め物をしたチキンの丸焼き。

香ばしい香りが部屋いっぱいに広がる。



「世の中は美味しいもので溢れているわ・・・」


一口かじったシリが、涙ぐみながら呟いた。


二ヶ月ぶりに、空腹を感じるという幸せ。


それは、生きていることそのものを肯定されるような、喜びだった。


「ああ・・・」


グユウはそれ以上、何も言わなかった。


けれど、黙ったまま彼女を見つめる瞳には、喜びと安堵が交錯していた。


そして、医師の許可を得てから、シリが真っ先に向かったのは――子ども部屋だった。


あの日以来、ほとんど足を運べなかった場所。


扉を開けた瞬間、顔を上げたのは、2歳になったばかりのシンだった。


「・・・はは」


小さな声だったが、確かに、そう呼んだ。


その瞬間、シリは胸が詰まり、涙が止まらなかった。


痩せた母の姿を見て、シンは困ったような、それでも嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。


2歳になったシンは、言葉が遅かったので乳母達は心配をしていた。


けれど、母の顔を見て、自然と声に出たのだ。


「・・・ごめんね。いっぱい待たせたわね」


震える手で、シリはシンを抱きしめた。


小さな手が、シリの背をぎこちなく撫でた。


嬉しくて泣きながら、シリはシンを抱きしめた。


――グユウは、その様子を少し離れたところから見つめていた。


「ちち」と呼ばれることを、ほんの少しだけ、期待していた。


だが、シンは彼を見ても、言葉を発することはなかった。


そんなグユウの淡い失望を、シリは知らなかった。


一方、乳母に抱かれたユウは、すっかりお座りが上手になっていた。


ころころとした手足を動かしながら、シリの姿を見つけると、嬉しそうに声をあげた。


「あー、あーっ」


口をぱくぱくさせながら、小さな体を前後に揺らしている。


「ユウ・・・」


しゃがみ込んだシリは、ゆっくりと手を伸ばし、愛おしげにその髪に触れた。


産まれてから半年。

ほんのひととき目を離しただけで、子どもたちはこんなにも成長していた。


日々は、容赦なく過ぎてゆく。


だからこそ、シリは思った。


――もう、見逃したくない。


もう、目を逸らさない。

この子たちのすべてを、抱きとめていくのだと。


そうしてシリは、少しずつ、日常を取り戻していった。



次回ーー


妊娠を喜び合い、静かな幸福に包まれるシリとグユウ。

けれど、シズル領主トナカからの手紙が、二人の心を曇らせる。

「人は自分の意志でしか変われない」

グユウの静かな言葉に、シリは必死に食い下がった。

春になれば、兄ゼンシが動く――。

夫婦の対話は、戦乱の影を前にして、切なく揺れていく。



初めて書いた小説が10万文字を超えました。

絶対に書けないと思っていたのでびっくりしました。

この物語のゴールまで三分の一が過ぎました。

シリの応援お願いします。

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