子を授かり、初めて気づいた。兄は人でなし、でも味方にすべき男だった
「妊娠したの!来年の4月に赤ちゃんが産まれる!」
シリの報告にグユウは目を見開いた。
一拍遅れて、グユウは彼女をぐっと抱きしめ、思わず唇を重ねた。
何も言葉が出なかった。
ただ、抱きしめる腕に想いを込めた。
「ゴホン」
ジムの控えめな咳払いが現実を連れ戻す。
グユウは我に返ると、はっとしてシリを離した。
照れたように目を逸らすその顔は、耳まで赤くなっている。
驚いたのはシリの方だった。
あの無口で、感情をほとんど表に出さないグユウが。
しかも、昼間の書斎で。
ジムとエマの前で――。
「シリ様 おめでとうございます」
そう言い残し、ジム、そしてエマは席を外した。
廊下を歩きながら、エマがつぶやく。
「まだ、身体が回復してないと思っていたんですよ」
「ユウ様は生まれて半年・・・。早い妊娠ですね」
ジムはうなずいた。
「シリ様のお母様は、お子を6人産んでいます。その辺は・・・似ているのでしょうね」
エマは、シリの身体を心配していた。
「仲が良いのは良いことです」
ジムは微笑んだ。
◇
書斎に残されたふたりは、再び顔を見合わせた。
「シリ、少し休め」
グユウはソファーに座り、膝を軽く叩いた。
シリはためらうことなく彼の膝に横たわり、顔を乗せる。
そして、恍惚とした顔で目を細めて言った。
「幸せだわ」
あの時――最初の妊娠のときは、報告することすらできなかった。
子の父が、誰なのかも分からなくて。
不安と罪悪感で、胸が潰れそうだった。
それなのに今は、こうして言葉にできて、受け止めてくれる人がいる。
「男の子がいいな」
ぽつりと呟いた。
妃として、世継ぎを求める周囲の声があることは承知している。
「オレは、どちらでも良い」
グユウはシリの艶やかな髪を不器用に撫でた。
その手つきが愛おしかった。
「楽しみです」
「あぁ」
2人は見つめ合い、そっと唇を重ねた。
◇
しかし、幸福の余韻は長くは続かなかった。
翌朝から、シリの体調は激しく崩れた。
朝起きてから、眠るまで吐き気が続いた。
横になって、目をつぶると身体が揺れているようで気持ちが悪い。
それが日を追うごとに、ひどくなってきた。
食べ物は愚か、水も受け付けなくなった。
エマは必死になり、手を尽くした。
「シリ…せめて、水ぐらいは飲め」
グユウはお願いするように言った。
グユウの頼みなので、頑張って飲むけれど、すぐに戻しそうになる。
そのような体調が続いても、シリは幸せだった。
ユウの時は、つわり症状がなかった。
この不調は、グユウとの子の証のようにシリは捉えていた。
しかし、その状態が10日以上続いた。
シリの身体はみるみるうちに細くなった。
グユウの瞳は心配と不安で陰った。
医師に診せても、“時が経つしかない“という回答だった。
その“時“とは、いつぐらいなのか。
グユウは医師に質問をしたが、こればかりは誰にもわからないことだった。
2人の日課であった夕方の散歩は、しなくなった。
夕方になると、シリは起きていられなくなるからだった。
その代わり、朝に散歩をすることにした。
比較的、朝はシリの体調が落ち着いているからだった。
「歩けなくなったら、どうするつもりだ」
そう心配するグユウをよそに、シリは首を横に振る。
「・・・外に出たいの。ほんの少しでいいから」
その願いに、グユウは黙って付き添った。
歩幅を合わせ、何度も休憩をはさみながら散歩に行く。
グユウは、シリをショールで包み馬場にある倒木の上に座らせた。
朝日が水面を金に染める。
「ここの景色が1番好き」
シリがぽつりと呟いた。
「・・・あぁ」
短く応じたグユウの横顔を、シリはじっと見つめる。
ふいにシリが質問をした。
「トナカさんと何かあったのですか?」
シリは真っ直ぐにグユウを見つめた。
グユウの目が見開く。
その質問に答えることができなかった。
「何かあったのですか?」
シリは再び質問をした。
あの夏の日、別れの挨拶が不自然だった。
2人に何かあったことをシリは気づいていた。
けれど、体調が悪く、そこまで気がまわらなかった。
しばらく沈黙が続いた後、グユウは静かに話した。
――トナカは、ゼンシに「国王へ挨拶するように」と命じられている。
だが、それを拒んでいる。
つまり、シズル領は反ゼンシ側につく。
「そして・・・トナカは、ワスト領はゼンシ側につくと、思っているようだ」
「争いが始まる前に、楽しい思い出を残しておきたかったらしい」
グユウの言葉に、シリは静かに頷いた。
「・・・グユウさん。ワスト領は、どうするつもりですか?」
「・・・まだ定まってない」
その返答に、シリは深く息を吸い込んだ。
「私は・・・兄上についてほしいです」
シリはグユウの顔を見て伝えた。
「シリ・・・」
グユウの瞳は“なぜ?“と問いかけていた。
シリはゼンシを憎んでいる。
グユウはそんな認識でいた。
そのシリが、ゼンシ派についてほしいと言っている。
「・・・子供を授かって、わかったのです」
シリは、お腹に手を添えた。
「この暮らしを、守りたい」
シリの瞳は強い決意が揺らいでいた。
「兄上は・・・人でなしです。でも、味方ならこれほど頼れる者もいません。敵に回したら、私たちは・・・」
グユウも、子供たちも。
守れなくなるかもしれない。
「グユウさん、お願いします。兄上についてください」
シリの瞳は切実だった。
2人はお互いを見つめていた。
グユウは遠くを見つめ、小さなため息をついた。
領主として覚悟を決めたようだ。
シリの肩に手をのせ引き寄せた。
「シリ・・・わかった」
グユウはつぶやく。
「ゼンシ様の味方になるように、家臣達を説得してみせる」
次回ーー
「妊娠したの!来年の4月に赤ちゃんが産まれる!」
シリの報告に、寡黙なグユウは言葉を失い――ただ強く抱きしめ、唇を重ねた。
束の間の幸福。
だが翌日から、シリの体調は激しく崩れる。
命を宿した母の決意に、グユウは静かに頷いた。
運命の舵は、いま大きく切られようとしていた。
明日の17時20分に更新します。つわりとお願い
続きが気になる方はブックマークをお願いします。
読んでくれてありがとうございました。




