チク島の午後、幸せは静かに揺れる
途中で残酷な描写があります。苦手な方はご遠慮ください。
7月、シリとグユウは舟に乗ってチク島へ訪れた。
セン家が守り伝えてきた木像へ、新たな命の誕生を報告するためだった。
報告後、2人は岸の青草の中に座った。
ロク湖の水は2人のそばをきらめき、低い声で歌っていた。
持参したサンドイッチ、そしてアップルパイを食べた!
シリが厨房に頼んで作ってもらったのだ。
サクサクのパイ生地から良い香りがする。
食べる前から美味しいものだとわかっていた。
口に入れると爽やかなりんごの風味とパイのハーモニーに酔いしれる。
「美味しい!」
シリは笑顔で平らげた。
「シリは甘いものが好きだな」
幸せそうなシリの様子にグユウは目を細める。
「シリ・・・」
グユウが控えめに声をかける。
その音色で、シリは良くない話しだと察しがつく。
「どうしました」
真剣な顔でグユウの顔を覗きこむ。
「ゼンシ様が東領との争いに勝ったそうだ」
湖の風が止まったように、静けさが落ちた。
東領の領主夫人――ルビーは、シリの伯母にあたる。つまり、ゼンシにとっても血縁だ。
生家と伯母の嫁ぎ先が争う。
シリの立場からしてみると、どちらが勝っても複雑な思いをする。
「シリは・・・ルビー夫人にあったことがあるか?」
ルビー夫人、敗れた領主の妻のことだ。
「親族の集まりで何度か・・・」
「ルビー夫人は美しかったらしいな」
「ええ。その美しさゆえに・・・兄上から命じられて4回も政略結婚をしました」
モザ家の特徴である美しい金髪、青い瞳をもった伯母の顔を思い出す。
「ルビー夫人は…無事ですか?」
グユウは黙って首を振る。
暖かな日差しの中、シリの身体は血が凍るような感覚になった。
「東領の領主は降参した。
城を開け放す代わりに、家臣と自分達の命の保障をゼンシ様に頼んだ」
「兄上はどうされたのですか」
「ゼンシ様は承知した。家臣と領主夫婦の命を保護すると」
「だったらなぜ…」
その問いの語尾は消え入りそうになった。
「城の開放後、ゼンシ様は約束を破った。丸腰の家臣達を次々と殺めた」
シリは息を呑んだ。
「そして、領主とルビー夫人を逆さ吊りにした」
「逆さ吊り…」
「逆さ吊りは…逆さまに縛り付けられたまま放置される酷い刑罰だ。
三日三晩、地獄の苦しみを得て最後には目が飛び出て血を吹き出す」
グユウは淡々と話す。
シリの瞳に怒りが宿る。
「兄上は自分を裏切った人には容赦がない。そのくせ、自分は平気で約束を破る」
投げ捨てるような言い方をした。
グユウと無言で見つめ合う。
2人とも口にしないけれど、思っている事は同じだった。
自分達もゼンシを裏切れば同じような目にあうだろう。
叔母に残酷な刑をするゼンシ。
グユウやシリにも同じ目をあわせるだろう。
自分だけなら良い。
グユウさんやシン、ユウが同じ目にあったら…。
そう思うだけで気が狂いそうになる。
大事な人がいるということは守りたいと思う一方、臆病にもなる。
「この争いはワスト領に衝撃を与えた」
グユウが静かに話す。
「オレも家臣達を守りたいと思った」
「私は自分でも自分の気持ちがわかりません」
立ち上がったシリは、怒りと恐れに揺れながら、湖を見つめた
「兄上が憎い。倒したい。そんな気持ちがある反面、兄上に逆らうのは怖い。
・・・私の中にはたくさんの自分がいるんだわ」
ロク湖を睨みながら話す。
「もし、シリがたった1人だとしたら面白くないだろうな」
グユウの声は、どこか慰めるようで、同時に自嘲にも聞こえた。
「オレもずっと迷っている」
グユウは、ゼンシを尊敬する気持ちと父や家臣の意見で揺れていた。
「未熟な領主だ」
グユウは拳を握りしめる。
「そんなことはありません」
シリはグユウの前に座り、そっと手を取った。
「グユウさんは優しい。柔軟な頭がある、ありのままの私を認めてくれる」
日光を受けてシリの髪は焔のように輝いていた。
「シリ・・・オレは何も・・・」
「争いがない時代だったら、グユウさんほど素晴らしい領主はいません」
シリはグユウの瞳を見つめながら、ゆっくりと伝えた。
グユウは、眩しいものを見るように目を細めた。
「シリ・・・ありがとう」
そのまま、グユウはシリの膝に頭を預けた。
疲れた獣が安心を得るように、瞼を閉じる。
いつも見上げている黒い瞳、スッと通った鼻筋、薄い唇がシリの膝の上にある。
絶景だわ。
シリは頬がゆるむ。
「争いがない時代か・・・」
満ち足りた表情でグユウはつぶやいた。
ロク湖から吹き下ろしてくる涼しい風がグユウの髪の毛をなびかせる。
シリは見た目より柔らかいグユウの髪をなでた。
「争いのない世界でグユウさんと共に過ごせたら・・・幸せだわ」
「乱世だからシリと出会えた」
グユウの声は、そっと膝の上から響いた。
「オレは2歳から8年間シズル領で人質として過ごした。両親がいる暖かい家庭に憧れていた」
グユウの手はシリの左頬をそっと添えた。
「今はシンが笑い、ユウがいる。シリが目の前にいる。乱世でもオレは今幸せだ」
寝転んでいるグユウにむかってシリは顔を近づける。
グユウの顔の周りには金色の髪がカーテンのように取り囲んだ。
驚きで戸惑っている薄い唇に、そっと唇を寄せた。
どんな状況でも幸せを感じることができる。
そして・・・グユウと共に生き抜こう。
その時、シリはそう思った。
次回ーー
夏の光に包まれたレーク城。
花と笑い声に満ちた三日間は、シリとグユウ、そして友トナカにとって忘れられぬひとときだった。
だが湖畔で交わされた言葉は、やがて来る決裂を暗示する。
――友情と愛の記憶は、嵐の前の静けさにすぎなかった。
「惚れた女の兄が人でなし」
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