美しい娘、知られざる血
出産から20日が経っていた。
身体の回復は順調で、産室の中では少しずつ日常が戻りつつあった。
初めての育児に、シリは何度も戸惑いを覚えた。
「どうして泣くの?」
ユウが泣くたび、シリはおろおろと立ち尽くした。
「ユウ様はヨシノにお任せください。休まねば、体に障ります」
エマの忠告はもっともだった。
シリ自身も、乳母に育てられた身だ。
自分の母がどんなふうに子を抱いたかなど、知る由もない。
それでも、ユウの泣き声には抗えなかった。
グユウは毎日訪れ、顔を見に来てくれた。
「身体は・・・辛くないか?」
毎回、言い回しを変えながら同じ質問を繰り返す。
シリの額に手を当て、指先で髪を撫でるだけでも、彼の優しさが伝わってくる。
ユウが産まれてから、グユウの表情は柔らかくなった。
あの寡黙な瞳が、幼子に向けられるたびに穏やかに揺れていた。
けれどーー
赤ん坊の顔は、変わっていく。
シリは密かに願っていた。
成長とともに、グユウに似ていくのではないかと。
だが、ユウの顔立ちは日を追うごとに、シリ自身に似てきた。
ーーあの夜の、血を受け継いでいる。
現実がゆっくりと、けれど確実に形を成していく。
嬉しいはずの毎日。
そのなかで、シリの胸には微かな痛みが残り続けていた。
エマの薬湯の効果もあって、出産後、ようやく外出が許された。
とはいえ、城下ではなく、レーク城の敷地内にあるグユウの両親の屋敷までだった。
山の上に建てられたこの城は広さに限りがあり、
グユウとシリの暮らす居城から義父母の屋敷までは、徒歩で十五分ほどの距離。
ユウにとっても、これが生まれて初めての外出になる。
「しっかり包んで。風が入らないように」
ヨシノが抱くユウの顔を、シリは何度も覗き込んでは確認する。
寝息ひとつにも敏感に反応してしまう。
出産から日が浅くても、胸の奥に不安の種は尽きなかった。
それ以上に気がかりだったのは、グユウの両親との対面だ。
ユウの父がグユウでないことを知っているのは、エマとグユウ、そしてシリだけ。
ーー他の者には、決して知られてはならない秘密。
「心配はいりません。私が何とかいたします」
そう言ったエマの言葉が、シリの背をそっと支えていた。
小さな橋を渡って屋敷の玄関に入ると、オーエンが無言で立っていた。
その無愛想な表情に、歓迎の気配はなかった。
シリがこの家に足を踏み入れるのが、どうにも気に食わないのだろう。
渋々といった風に、頭を下げる。
客間へ進むと、義父マサキと義母マコが待っていた。
マサキはすでに領主を退いていたが、城内ではいまだに発言力を持つ人物だった。
ゼンシを露骨に嫌い、かつてはシリを“ミンスタの魔女”と呼んでいた。
だが、美しいものに弱い彼は、シリの顔を見て手のひらを返した。
「ユウを抱いてください」
グユウの一言で、ヨシノがそっとユウをマサキに渡す。
眠っていたユウは、マサキの腕に抱かれた瞬間、ゆっくりとまぶたを開いた。
吸い込まれそうな、澄んだ青。
マサキとマコの視線が、その瞳に吸い寄せられる。
息を飲むような間があった。
「・・・可愛い子だな」
言うつもりのなかった言葉が、マサキの口からぽつりと漏れた。
「本当に」
マコが小さく頷いた。
「将来、美人になる」
その口調は、まるでグユウのようだった。
「シリ、ご苦労だった」
「お気遣い、ありがとうございます」
「美しい赤ん坊だ・・・こんな子は見たことがない」
シリは静かにもう一度頭を下げた。
「次は男の子を頼むぞ」
それは、この時代ではごく自然な台詞だった。
第2夫人を持たぬと宣言しているグユウにとって、後継ぎの重みはシリの肩にかかっている。
「はい」
「励みます」
シリとグユウは、ほぼ同時に言葉を返した。
無事に面会を終えた帰り道、シリは胸をなでおろした。
「疲れただろう」
「大丈夫ですよ」
並んで歩くだけで、心がほぐれていく。
グユウと、こうして再び“夫婦”に戻れている実感が嬉しかった。
◇
産後一ヶ月、ようやく寝室に戻れる日が来た。
ユウはヨシノに預け、今夜は久しぶりにグユウと二人きりだった。
静かな夜。
布団の中、グユウがそっとシリを抱き寄せ、額にやさしく口づける。
あの香りーー木の皮のような、落ち着く香りが鼻をくすぐる。
「今夜こそ・・・」
シリの胸は高鳴る。
けれど、それ以上のことは何もなかった。
「疲れているだろう」
その一言とともに、グユウはそっと身を離す。
翌日も、そのまた翌日も、同じだった。
やさしく、思いやってくれる。でもーーそれだけ。
また触れてほしい。
心音が重なる距離に戻りたい。
けれど自分から求めるのは、怖かった。
何より、グユウの本心がわからない。
あの凪いだ瞳が何を映しているのか、知る術がなかった。
次回ーー
出産から四十五日。
グユウは変わらず優しいけれど、二人の夜は戻らない。
避けられているような距離に、シリは胸を締めつけられる。
ついにこぼれた問い――「私のこと、嫌いになったのですか?」




