ゼンシの影、グユウの誓い
「ミンスタ領より、ゼンシ様の使いでございます」
出産して半月、重々しい報告が、早朝の廊下に響いた。
その言葉に、シリの背中がひやりと冷たくなる。
ユウの青い瞳は、誰かを思い出させる色だった。
グユウが「我が子」と目を細めるたびに、シリの胸には言葉にできない罪の重みが積もっていく。
ーーまさか、ゼンシがユウの存在を疑った?
使者が自分を呼んだのはそのため?
胸の奥の冷たい予感を押し殺すように、シリは産室に使者を呼び寄せた。
「兄上は?」
「お忙しいとのこと。今日は、書状のみをお預かりしています」
使者の返答に、シリは小さく安堵の息をついた。
ーーまだ、直接顔を合わせずに済む。
でも、書状の中身が穏やかなものである保証はどこにもない。
エマと顔を見合わせ、黙ってうなずいた。
「グユウさんには私からお伝えします」
小さくそう告げると、使者は静かに部屋を出た。
扉の向こうには、いつか過ぎ去ったはずの影が、まだじっと息をひそめているようだった。
使者から預かった書状は、黒漆の小箱に丁寧に収められていた。
表書きには「シリへ」とだけ。
中を開くと、いつもの癖で書かれた流麗な筆致が、まるで皮肉のように優雅だった。
『ご息女ご誕生の報、つつがなく拝しました。
天より授かった祝福であろう。
わがミンスタに咲く花のように、末永く健やかであれ。
贈り物をいくつか送らせた。
心を込めて選んだものばかりだ。
いずれ、顔を見に伺おう。
そのときは、よもや“他人の子”などと間違えぬように。
ゼンシ』
最後の一文を読み終えた瞬間、シリの指先から震えが伝わった。
“他人の子”などとーーあまりにも直接的だった。
まるで、すべてを承知していると言わんばかりだ。
「・・・グユウさんに見せるべきではないわ」
ひとり言のように呟いた声が、薄く室内に落ちた。
だがその時、扉の外から気配がした。
「シリ」
振り向くと、グユウが静かに立っていた。
「今、使者が・・・ゼンシ様の書状を?」
「ええ・・・読まなくていいの」
シリは慌てて書状を胸元に隠そうとした。
けれど、グユウの手がそっとシリの手に重ねられた。
「・・・読ませてくれ」
数秒の沈黙ののち、シリは観念して手を離した。
グユウは一文字ずつ丁寧に目で追い、最後まで読むと、唇をきゅっと結んだ。
「・・・ごめんなさい」
シリは思わず謝っていた。
心のどこかで、グユウにこの手紙を読ませたくなかった。
だがグユウは、深く首を振った。
「謝るのはオレじゃないといけない。お前が恐れているのに、オレは・・・」
言葉の途中で止めると、グユウは静かにシリの肩を抱いた。
「何があっても、ユウは“オレの娘”だ。誰が何と言おうと、変わらない」
その一言が、どれだけ心強かったか。
シリは静かに目を閉じて、彼の胸元に頬を寄せた。
だが心のどこかでは、こうも思っていた。
ーーゼンシは近いうちに来る。
今は顔を見せずとも、いずれ必ず現れる。
そして、すべてを引きずり出しにくる。
胸の奥に巣くう静かな恐れは、まだ消え去ってはいなかった。
使者が去ったあと、静まり返った産室にエマが入ってきた。
「お手紙・・・読まれましたね」
「ええ・・・」
シリは視線を落としたまま答えた。
エマは何も問わなかった。
ただ、シリの表情を一瞬だけ見つめ、それから薬湯の湯飲みを差し出す。
「ゼンシ様はお忙しいようですね。噂では、王の城の建設に尽力なさっているとか」
言葉の端々に含みがあった。
「ええ。・・・しばらくは、会いに来られないみたい」
そう口にしながらも、シリの胸に湧くのは安堵だった。
エマは頷き、静かに答える。
「良いことです。いま大切なのは、お身体と・・・姫様です」
「・・・ユウのこと、気づかれてしまうかもしれない」
シリの不安を、エマは遮らなかった。
ただ一歩、そばに寄って言った。
「気づかれたとしても、私たちはごまかせます。シリ様とグユウ様、そしてこの子を守るのが、私の役目です」
その言葉の中には、これまで何度も彼女が危機をくぐってきたことの確信があった。
「・・・ありがとう、エマ」
そう言って一礼し、エマは音もなく部屋を後にした。
その背中を見送りながら、シリは思った。
ーーどれだけ運命が波立とうとも、味方がいる限り、前を向ける
次回ーー
出産から二十日。
シリは初めての育児に戸惑いながらも、ユウと向き合っていた。
やがて迎えた義父母との対面で、赤子の青い瞳が注がれる。
――その瞳は、決して隠しきれぬ血の証だった。
明日の17時20分に更新します。産後のすれ違い
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小説を始めて書いて一ヶ月になりました。
読んでくれている皆さんのお陰で書けます。
ありがとうございます。




