シリ様が嫁ぐなんて、それもワスト領!? 兄の視線が気持ち悪い
シリがワスト領のグユウの元に嫁ぐ──その噂は、瞬く間にミンスタ城中へと広がった。
「シリ様がご結婚!?」
「それも、あのワスト領へ!?」
「グユウって誰だ。そんな名、聞いたこともない!」
城内の誰もが驚いた。
嘆いた。
信じられないという顔をした。
モザ家は、美男美女を多く輩出する名門。
その中でもシリは、まさに家の誇りだった。
黄金を溶かしてそのまま糸にしたような長い髪。
切れ長の蒼い瞳。
その視線を向けられただけで、多くの者が思わず膝を折りたくなる。
──ああ、我が姫君。
背が高く、すらりとした姿。
優雅に廊下を歩くだけで、城の空気まで変わるような気がする。
そんな彼女が、この城を離れてしまう。
家臣たちの喪失感は深く、重かった。
一方で、乳母のエマは朝から晩まで動き回っていた。
血相を変えて、侍女たちを怒鳴りつけ、指示を飛ばし、婚礼の準備に奔走している。
本来ならば婚礼資金は両家が出し合う。
しかし今回は、全てミンスタ領が負担していた。
「もう、やってられません・・・」
疲れた顔のエマがそう漏らすのも無理はない。
衣装の件に関しては、兄・ゼンシのこだわりが恐ろしく強かった。
⚪︎素材は柔らかく、繊細なひだが入ったもの
⚪︎レース、リボン、パフスリーブは禁止
⚪︎色は青、もしくは淡い紫
⚪︎刺繍は銀と白と金に限る
⚪︎宝石は透明度の高いブルーサファイアを使え
──「これを短期間で作るなんて」と仕立て屋が愚痴をこぼすほど、細部まで厳しく指定されていた。
この婚礼には、単なる結婚以上の意味があった。
美しいシリを、完璧な装いでワスト領に送り込み、相手に圧をかける。それがゼンシの狙いだった。
しかし肝心のシリ本人は、そんな準備に心底うんざりしていた。
ドレス、髪飾り、宝石、帽子──そんなものより、戦術や馬術の方が百倍面白い。
「馬に乗りたい」と口にするたび、エマに烈火のごとく叱られる。
「ダメです! 婚礼前に怪我でもしたらどうするのです!」
そんな日々も、ようやく終わりが見えた。
婚礼の2日前、ついにウェディングドレスが完成したのだ。
青いドレスはシリの瞳と同じ深い色をしていた。
裾にかけては銀の花刺繍が舞い、柔らかな生地が風に揺れる。
髪はエマが美しく結い上げ、黄金の光を宿していた。
「まあ・・・」
「シリ様、本当にお美しい!!」
侍女たちが歓声を上げる中、ドレスに興味のないシリですら、自分の姿を鏡に映してしばし見とれていた。
「ゼンシ様にお見せしましょう。あの方のこだわりの結晶ですから」
エマの言葉にも一理ある。
ゼンシは何度も修正を指示し、仕立て屋を泣かせるほど手間をかけた。
確認を取り、わずかな時間だけ謁見の許可が下りた。
石畳の階段を、長い裾を引きながら上がる。
仄暗い広間では、ゼンシと数人の家臣が明日の「いとまの式」について打ち合わせをしていた。
いとまの式──家族や家臣に婚礼の報告をする正式な儀式である。
「シリ様!」
最初に声を上げたのは、小柄な男──キヨ・トミ。
その小さな身体と薄毛から「ハゲネズミ」とあだ名される男は、シリの元へ一目散に駆け寄った。
「なんという!なんという美しさ!」
その言動、視線、表情すべてが不快だった。
ねっとりとした視線で、舐めるようにシリを見上げてくる。
ーー気持ち悪い・・・
シリは思わず身を引いた。
「おい、ゼンシ様より先に話しかけるな。失礼だぞ」
注意したのは、無骨な家臣ゴロク・クニ。
年上で真面目、いつもシリと目が合うと顔を真っ赤にして視線をそらす。
シリはこの誠実な家臣を心から信頼していた。
ワスト領までの旅路は、キヨとゴロクが警護を務めることになっている。
「シリ、よく似合っている」
奥の椅子から立ち上がったゼンシが、熱を含んだ目で妹を見た。
「兄上のおかげで、美しいドレスを作っていただきました。ありがとうございました」
お礼を述べるシリに、ゼンシはそっと近づき、頬へ手を伸ばした。
「・・・髪は、結わない方がいい。自然のままが、美しい。エマに伝えておけ」
耳元で囁かれる声に、シリはぞっとした。
「・・・わかりました、兄上」
目を逸らし、ゼンシからそっと距離を取る。
──視線が、まるで絡みつくようだった。
それ以上耐えられず、シリは早々に礼を述べて部屋をあとにする。
彼女が去った直後、ゼンシは家臣に命じた。
「今夜、シリの部屋には近づくな」
次回ーー
政略結婚を前にした最後の夜。
シリの寝室を訪れたのは、兄ゼンシ。
その瞳に宿るのは、姉妹への愛ではなく――禁忌の執着だった。
「私は美しいと言う牢獄の中で暮らしている」




