甘酸っぱい約束と45日ぶりの再会
「これがりんごなの?」
レーク城のホールにシリの声が響く。
赤く小ぶりな果実が、収穫を終えた領民たちによって次々と運び込まれていた。
「綺麗な色・・・」
「思ったより小さいのですね」
エマと並んで覗き込むシリの目は、好奇心で輝いている
だが、妊娠中の身では、山間の険しい農地までは足を運べず、実る様子を見に行くことは叶わなかった。
「りんごが実っている様子・・・見たかったなぁ・・・」
しょんぼりしているシリにエマが優しく声をかける。
「来年は見れますよ」
生のりんごの実をシリは食べたことがなかった。
「どんな味なんだろう」
家臣や侍女、領民達が反対したけれど一口かじってみた。
「!!!!!」
びっくりするほど酸っぱい!
「これは砂糖で煮ないと食べれないわね。食べて納得したわ」
ホールに笑いが広がった。
ミヤビに滞在中のグユウへ、シリは毎日のように手紙を書いた。
初めて口にしたりんごの酸っぱさ、
痩せた土地を耕す領民たちの懸命な姿、
整備が進む街道、
そして赤ん坊のシンに初めて小さな歯が生えたこと――
「あなたに、早く会いたい」
そう締めくくられた手紙には、日々募る恋しさが滲んでいた。
グユウの優しい瞳、低く掠れた声、あの清涼な香り、硬そうに見えて柔らかい髪の毛、
シリは全てが恋しかった。
ミヤビは、大きな都市なので魅力的な女性がたくさんいるだろう。
一方で、ゼンシにも手紙を書かねばならなかった。
グユウの動向、ワスト領の現状、それがシリの“仕事”だった。
ミンスタ領を警戒している家臣がいること、
それはグユウの父 マサキの家臣達であることを簡潔に書いた。
グユウから届いた手紙には、ゼンシに対する戸惑いが書いてあった。
本来、これはゼンシに書くべき内容だった。
義理の弟が兄に不信感を抱いていることを伝えなくてはいけない。
そして、友人のトナカがゼンシに警戒をしていることも・・・
散々、悩んだがそのことは書かなかった。
生家、ミンスタ領に秘密が増えていく・・・
シリはため息をついた。
ミンスタ領には母、義姉、同い年の弟、甥っ子、姪っ子、そして小さい頃から共にいた家臣、侍女達がいる。
大事な人達を裏切っているような気がした。
ゼンシへの手紙の最後に妊娠の報告を書いた。
シリは確信していた。
グユウはゼンシに妊娠の報告をしていないだろう。
兄上は私を抱いたことなど、忘れているはず。
シリは苦々しい気持ちでペンを進めた。
自分が父親かも・・・なんて考えもしないだろう。
分厚い手紙と薄い手紙を、各地に送るように手配をした。
季節は秋から冬に移り変わろうとしていた。
空は、どんよりとした灰色になって風が冷たくなってきた。
2日前に届いたグユウからの手紙に“もうすぐ帰る“と書いてあった。
シリは前日からソワソワしていた。
「グユウ様がお帰りになりますよ」
エマが教えてくれた。
シリは慌てて鏡を覗いた。
お腹のふくらみは、グユウが旅立った時より大きくなった。
なんだかグユウに逢うのが気恥ずかしい。
ゆっくりと階段を降りてグユウの到着を待った。
玄関の扉が開き、家臣達と共にグユウが帰ってきた。
グユウと目が合う。
口に出さずとも、グユウの瞳と口元が嬉しそうなのがありありと伝わった。
忙しかった1日が終わり、グユウとシリは寝室ー自分たちの部屋で2人の時間を過ごすことができた。
ソファーに座っていると、グユウがいつもの表情でシリに包みを渡した。
「私にですか?」
シリがグユウに問うと無言で頷いた。
柔らかくて細長い大きな包みをそっと開けてみると、
淡いピンク色のモスリンの生地だった。
グユウはどんな顔でこの生地を選んだのだろうか。
後ほどジムから話を聞きたいと思った。
「春には着れるだろう」
グユウが恥ずかしそうに話した。
「ありがとうございます。仕立て屋さんに頼みますね」
シリは頬を緩めて答えた。
「ミヤビはどうでした?」
「多くの人が賑わい、様々な店があった」
「美しい女性もたくさんいたでしょうね」
シリの声は少し棘があった。
「あぁ。いた」
「・・・そうですか」
「シリより美しい女性はどこにもいなかった」
グユウはそっと答えた。
シリは頬が赤くなり急に指の動きがぎこちなくなった。
グユウさんは無自覚でこういう事を口にする。
「いつか、シリをミヤビへ連れて行きたい」
グユウはそっとシリの肩を抱いた。
「オレが行くより・・・良い刺激になると思う」
「私も・・・グユウさんとミヤビへ行きたいです」
グユウの胸に頬を寄せシリはささやいた。
「いつか一緒に行こう」
グユウはシリの髪に口づけを落とした。
年月が経ってから、シリはミヤビの地名を聞くたびに
黒い瞳、端正な顔の男性を思い浮かべ、胸が締めつけられる切ない気持ちになった。
叶わなかった甘い約束。
しかし、今夜のその約束は2人の甘い時間…それだけのものであった。
次回ーー
番外編 寡黙な夫 妻のお土産にドレスを選ぶ
花の都ミヤビで、グユウは妻シリのために布を選ぼうとする。
けれど不器用な彼にとって、それは戦場に立つほどの大仕事。
立ちすくむ彼を助けたのは、西領のジュンだった。
――寡黙で真っ直ぐな夫の愛が、不器用な仕草に宿る。
明日は番外編 17時20分に更新します 寡黙な夫 ドレスを買う
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