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私の首は私のもの


「このナイフで私の首を切るんです」

シリの声は静かだったが、その瞳には怒りの炎が揺れていた。


ゼンシは表情を崩さぬまま、わずかに動きを止めた。

その視線はシリの手元――ナイフの鋭い切っ先に釘づけだった。


「これ、兄上が私にくださった嫁入り道具です」

シリは右手の薬指と小指を持ち上げてゼンシにグリップを見せる。



鹿角でできたグリップにはミンスタ領の旗印が刻印されていた。


「とても美しいナイフ。小ぶりで帯に収まりやすく、持ち運びに便利。……気に入っていますよ。ありがとうございます」


言葉とは裏腹に、その声音には冷たい怒気が含まれていた。


「お前の腕力じゃ、首は斬れん」


ゼンシは苦くつぶやいた。



その問いにシリは軽く笑った。


「首なんて切れなくて良いのです。ここ、ここを強く傷つければ血を吹き出して私は死ぬんです」

太い血管が走る場所をナイフでピタピタと叩く。


「そうだ。死ぬ。だが切り方を知らないだろう」


「知っています。先ほども仰いましたね。グユウさんは“そのままで良い“と私を認めてくれたんです。

ワスト領に嫁いで何をしていたと思います?家臣達からナイフの扱い方や手入れも学んだのですよ」


ゼンシは絶句した。


「単なる好奇心で聞いていたけれど、役に立ちました。

昨夜もナイフの切れ味が良くなるように一生懸命研ぎました。ほら」


ナイフを軽く動かすとシリの黄金色に輝く髪が一房床に落ちた。


「切れます」

シリは、まるで神に選ばれし者のような美しさと狂気を孕んだ微笑みを浮かべた。


「シリが死んだ所で何も変わらない。無駄死にだ」


「いいえ、違います。ミンスタ領のナイフで私が血を吹き出して死んだら――ワスト領との同盟は消えます」


その瞳は、兄を見据えたまま動かない。



「グユウさんは怒るでしょう。隣のシズル領と共にミンスタ領を攻めるはずです。・・・そうなればミヤビになど行けませんね。兄上の夢が叶うのは相当時間がかかるでしょう」


ゼンシの顔にわずかに影がさした。


「兄上と同じように私もスパイを入れています。一人だけですけどね」

クスクスと笑った。


「しばらくしたら、グユウさんの元に情報がいくでしょう」

ゼンシは目をつぶりため息をついた。


正直、ここまでシリが領政を把握しているとは思わなかった。


「誰の指図だ」

「私が考えました。兄上の妹ですよ?」

シリはキッとゼンシをにらみつける。


「・・・望みはなんだ」

ゼンシが問う。


シリは首にナイフを当てたままゼンシを睨みつける。


「今後、私に指一本触れないでください。それが私の望みです」


「・・・わかった」

その表情はぶれない。


「兄上は目標達成のために平気で約束を破る。それは承知しております」

シリはゼンシから目を離さない。



「私がいつでもナイフを忍ばせていること忘れないでください」


シリの言葉にゼンシは笑った。


「見事だ。シリ」


ゼンシの瞳は落ち着いた。

シリは用心深くナイフを帯にしまった。


「シリ、わしを殺そうとしなかった理由を教えてくれ」

ゼンシは椅子に座りながら質問をする。


「兄上を傷つけたとしても何の得もありません」

シリは椅子に深く腰をかけた。



「なぜだ」

「兄上を傷つけたら、それこそワスト領を占領する言い訳ができてしまいます。

ミンスタ領の家臣は怒るでしょう。“恩知らずの妹が兄を殺めようとした“・・・と」


ゼンシは沈黙し、しばしの後に苦しげに言葉を吐いた。


「シリ・・・何度も言う。お前が男だったら・・・。

お前が男だったらわしの立派な右腕になっていただろう。有能な領主になったはずだ」



「私も昔は思っていました。男になりたかった・・・。

今は違います。女が良い。グユウさんのそばにいられますから」


殺気に溢れた雰囲気が少しだけ和らぐ。


シリが“グユウさん“と言葉にすると、それは柔らかな空気に変わった。



「帰る。朝食前に出発する」

ゼンシは席を立った。



「見事な振る舞いだった。それこそ、わしの妹だ」


ーー次回


◇ ノルド城 東の部屋


隠し小部屋に潜むジムは、羊皮紙に震える手で筆を走らせていた。

シリがゼンシの首にナイフを突きつけ、自らの喉に刃を当てる――。

「これが……遺言なのか」

彼が記す一字一句が、やがてグユウへの報せとなる。



明日の17時20分に更新します。

「全てを夫に伝えるように」

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