父を殺した男
「1階が騒がしいですね」
エマがシリに話しかけた。
エマの言う通り、下では人がざわめく気配がする。
軽い足音が聞こえ、急に部屋のドアが開いた。
「邪魔をする」
唐突にゼンシがシリの部屋に入ってきた。
輝くような金髪、深く青い瞳の端整な顔立ちの男は、少し汚れた軍服に赤いマントをつけていた。
突然のことでエマは息を呑んだ。
「兄上」
シリは4年半ぶりにその名を呼んだ。
ゼンシに気づかれないように左手で帯に触れ、ナイフの位置を確認した。
そのシリの動きをゼンシは目で追った。
「ワスト領は負けた。グユウは死んだ」
ゼンシが話す。
「存じています」
反発的な声音だった。
「わしに何か言うことがあるのではないか」
青く美しいゼンシの瞳は射るようにシリを見つめる。
ドアの後ろに控えていたゴロクとタダシは身を縮めた。
ゼンシは明らかに不機嫌だった。
「何もありません」
シリは全く動じることなく言い切った。
ゼンシに口答えができるのはシリしかいない。
「わしはある」
ゼンシの怒りは膨れ上がったように思えた。
シリは表情を変えずにゼンシを見つめる。
「シリ、嫁ぐ前に約束をしただろう。なぜ裏切った!!」
嫁ぐ前にシリはゼンシに誓わされた。
生家ミンスタ領のために、ワスト領の情報を伝えると。
ミンスタ領に刃向かうことがあれば、すぐに知らせる。
それがシリの任務だった。
その任務を背き、ワスト領のためにシリは働き、策を立て、時に兵を指揮していた。
裏切るどころの話ではない。
「はい。約束を破りました」
シリは冷ややかに話す。
その顔は約束を破っても後悔はしてない口ぶりだった。
「なぜ、裏切った」
ゼンシからは炎のような怒りがメラメラと湧き上がる。
ゴロクとタダシは、スッと部屋に入った。
ゼンシが、シリを剣で斬り殺そうとしたら止めるためだった。
「私がグユウさんを好いていたからです」
シリは椅子から立ち上がって答えた。
「それならば、グユウを殺したわしが憎いか」
ゼンシは一歩シリに近づいた。
「はい。憎くて仕方ありません」
シリの瞳には怒りと憎しみが渦巻いていた。
粗末な黒い服を着ても、シリは輝くように美しかった。
嫁ぐ前のほっそりしたシリは、今は均整がとれ丸味を帯びており、
怒りを含んだ瞳は美しく、人を惹きつける魅力に溢れている。
殺意にも似た衝動の底に、手に入れられなかったものへの執着が潜んでいた。
ーーシリが憎い。だが同じだけ、どうしようもなく欲している。
「そうか。今の立場は、わしに殺されるかもしれないのだぞ」
ゼンシはシリの顎をつかもうとした。
一瞬、空気が凍りつく。
シリは息を呑み、ゴロクとタダシも剣に手をかけた。
――その時。
「母上、この者が父上を殺したのですか?」
部屋に澄んだ声が響いた。
開いたドアの前にユウが立っていた。
「ユウ!!」
シリは喘ぐような声を出した。
ーーユウをゼンシに見せたくない。
その存在を知られてはいけない。
なぜなら、ユウの父親は目の前の男なのだ。
ゼンシは振り返り、ユウを見た後に目を見開いた。
輝く金髪、深い青色の瞳を持つ美しい子供だった。
少し顎をあげてシリとゼンシにむかって歩いてくる。
目の前にいる子供は、恐ろしいほど自分に似ていた。
ーーわしの血が、グユウに抱かれて育ったのか。
そう思うと、怒りなのか悔しさなのか分からぬ感情が込み上げてくる。
ユウはシリのスカートにしがみついた。
母の兄は鬼のような人だと、ユウの耳にも届いている。
ーー実際に逢ってみたら、鬼の顔をしていない。
色白の顔に赤い唇に輝く金髪、
母と自分にそっくりな切れ長の瞳は、どこまでも青い。
長い沈黙の後、ゼンシは口を開いた。
「いかにも。ワシがお前の父親を殺した男だ」
ゼンシが話した後、ユウは憎しみをこめた目でゼンシを睨みつける。
シリは真っ青な顔でユウを見下ろした。
「モザ家の顔立ちだ」
ゼンシの声にシリの肩はピクリと動いた。
「ユウと言ったな。いくつだ」
ゼンシは射るような目でユウを睨んだ。
「4歳よ」
物怖じしない瞳でユウは、ゼンシを見上げる。
「4歳・・・」
ゼンシは独り言をつぶやいた。
事情がわからないゴロクとタダシは、不思議そうな顔をした。
ーー子供の年齢を聞いてどうなる。
一方、シリは紙のように白い顔をしていた。
「エマ、この子は何月に産まれた」
今度はエマに質問をする。
「ヒッッ」
エマが息を呑む音が聞こえた。
「答えろ!エマ!」
ゼンシが怒鳴るとエマは観念したように話した。
「嫁いだ翌年の・・・2月です」
エマの答えにゼンシは、シリをじっと見つめた。
ーー気づかれた。
シリは目をつぶった。
聡いゼンシならば、いつか気づく日がくる。
それは覚悟をしていた。
けれど、夫が死んだ翌日に知られるとは・・・
「グユウは知っていたのか」
ゼンシの声は少し強張っていた。
シリは観念したように唇を噛み、ユウをギュッと抱きしめた。
「この子の名前はグユウさんが名付けました。グユウさんの2文字をとって・・・ユウと」
続いて、シリはすぅと息を吸って話す。
「グユウさんと私の子供です」
少し顎を上げ、強い目線でゼンシを睨む。
その返事でゼンシは確信した。
ーー自分も同じ立場なら、同じような言動をするだろう。
顎を上げている時点で虚勢を張っている。
この子の本当の父親はわしだ。
グユウはそれを承知で、子供を育み、妻子を助けるために己の命を差し出したのか。
愚かな男だ。
父親が自分ではない事を知っていて、あんな振る舞いをしたのか。
長い沈黙の後にゼンシは口を開いた。
「助けてもらった命を大切にしろ」
ゼンシはそう告げ、部屋を出ようとした。
部屋の入り口に、ウイと乳母に抱かれた赤ん坊がいることに気づいた。
「この子達は・・・」
ゼンシはシリに質問をした。
「グユウさんと私の子供です」
シリは涙声で叫んだ。
「争いの最中に産んだのか」
ゼンシはつぶやく。
ウイとレイの顔立ちを見ると、グユウの面影が見える。
ゼンシは振り返り、ユウの顔を見つめた。
「ユウ、お前の父は立派な男だ・・・それを忘れるな」
そう言い残し、ゼンシは部屋を出た。
今日の17時20分 全てが終わった後に読んでほしい
あと2回で最終話になります。
最後までよろしくお願いします。




