二つの死、ひとつの愛
残酷な表現があります。苦手な方はご遠慮ください。
「シリ様 お着替えをしましょう」
一晩中、窓辺に座り込んでいたシリを見かねて、エマが声をかけた。
シリはゆっくりとエマを見上げた。
その美しい青い瞳は、悲しみを閉じ込めているようにも見える。
「黒・・・黒い服がいいわ」
シリはそっとつぶやいた。
黒い服は作業用の服しかなかった。
エマは黙って、質素なゴワゴワとした手触りの服を取り出した。
シリは人形のような虚な目で、エマに誘導されるがままに着替えた。
ピンク色の服を脱いだ時に、腕の内側にグユウが残した鬱血跡に気づいた。
ーー2日前より色が薄くなっている。
シリはそっと自分の腕を触った。
この腕に唇を寄せた人が、もうすぐ死んでしまう。
優しく、美しく瞳を輝かせ、いつも自分を見つめてくれた。
その腕で宝物を抱えるように大事に自分を抱きしめてくれた。
『シリ』
グユウの掠れた声が頭の中に響いた。
途端に涙が溢れ、シリはその場に座りこんだ。
「グユウさん」
小さな声でその名を呼ぶ。
ーー今、何をしているの?
◇◇
ジムの屋敷はレーク城のすぐそばにある。
「こちらへ」
ジムが案内をすると、部屋は家具が片付けられており、白い布が敷き詰められていた。
「これは・・・」
グユウが目を見張る。
自分を終わらせるための準備をジムがしてくれた。
ジムはどんな気持ちで、この部屋を整えたのだろうか。
「ジム・・・感謝する」
グユウはジムの顔を見つめ、心からの感謝をのべた。
「とんでもないです」
ジムは床に膝をつき頭を下げる。
「ジム、オレの最期の願いを聞いてくれるか」
グユウも床に膝をつく。
「何なりと」
ジムは顔を上げた。
「オレの首は目立つ場所に置いてくれ」
グユウは真剣な目で話す。
ジムは少し戸惑った。
斬った首を目立つ場所に置く。
聞いたこともない話だからだ。
「オレの首は・・・義兄上に早く届けた方が良い。見つかる時間が遅ければ遅いほど、皆が困る」
グユウは他人事のように淡々と話した。
「しょ・・・承知しました」
ジムが苦しそうに話す。
これから迫り来る死の直前に、誰かを想うグユウの気持ちに胸が震える。
ーー心優しい領主だ。
「ジム、オレは幸せ者だ」
グユウの発言にジムが弾かれたように顔を上げる。
「ジムのような忠実な家臣がいる。感謝する」
不思議そうな顔をするジムにグユウは微笑む。
「私もグユウ様にお仕えできて幸せです」
ジムは涙を抑えきれず身を震わせた。
グユウは淡々と死に支度を始めた。
父親や親友、多くの領主のように無念の死を迎える訳ではない。
妻のため、子のため、家臣のため、領民のために命が終わるのは辛くない。
自らが進んで、その道を歩く。
選んだ道には『答え』はなく『選択』があるのみ。
自分が決めたことを『正解』と思って逝くのだ。
グユウは今までの自分を振り返っていた。
幼い頃から人質としてシズル領で暮らし、窮屈ではあったが不幸ではなかった子供時代。
最初の結婚、挫かれた希望、領主として生きていかねばならない重圧。
口下手なグユウは、灰色で葛藤に満ちた日々を過ごしていた。
それからシリの到来。
いきいきとした瞳に気の強さ、
思ったことを口にして、真正面にぶつかる衝動的で美しい妻が
グユウに色彩と暖かさと輝きを携えて嫁いできた。
グユウは28年間の生涯の中で、自分が生きていたと言えるのは、
シリの出現に続くわずか5年に過ぎない気がした。
シリがそばにいてくれたこと、
その美しい瞳が強く輝くたびに見惚れた。
『グユウさん』
その美しい唇が、自分の名を呼ぶたびに幸せを感じていた。
輝く金色の髪を撫でるたびに心が震えた。
この5年間、ずっと不思議に思っていた。
この美しい女性は、どうしてこんなに自分を好いてくれるのだろう。
何度も何度も思った。
自分は、この美しい女性に相応しい夫ではない。
そう口にするたびに、シリから怒られた。
目に浮かぶのは、最期の別れの時に見たシリの笑顔。
美しい。
あぁ、美しい。
誰よりも愛おしい妻の顔を思い浮かべながら、
グユウはスゥと息を吸い、短剣を自らの腹に持ってきた。
部屋の中は、しんと静まり返った。
外の風すら止まったかのように感じられる。
左側にジムが剣を持ち立つ。
苦しそうに喘ぐグユウの後ろ姿を見て、ジムは剣を振り下ろした。
どさり、グユウの身体が倒れる音とともに、ジムはガックリと膝を折った。
「グユウ様・・・」
剣を握った手は激しく震え、涙があふれる。
震える身体に鞭を打ち、ジムは歯を食いしばる。
ーーまだ、やらなくていけないことがある。
グユウ様に頼まれたことを成し遂げる。
それは自分でしかできないこと。
「私の最後の大仕事です・・・」
つぶやき、震える手でグユウの開いた目をそっと閉じた。
「グユウ様、立派な最期でした」
ジムは平伏した。
まだ、暖かい胴体を白い布で包んだ。
その後、震える足を抑えながら屋敷の外へ行く。
屋敷の前にある大きな石に白い布を敷いてから、
自宅から少し離れた空き地に足を運ぶ。
そこには事前に薪を集めていた。
油を撒き、薪に火を放つと、炎がメラメラと立ち昇った。
この煙を見て、城にいる者は気づくはずだ。
全てが終わったということを。
火が燃えたことを見届けると、ジムは再び屋敷の中に入った。
まだ暖かいグユウの首を愛おしげに大切に運ぶ。
事前に敷いた布の上に、グユウの首をそっとのせた。
これがグユウが最後に望んだことだ。
目立つ場所に首を置くことを。
ジムはグユウの血で濡れた己の手と身体を見つめた。
それは生涯をかけて大事に育てた温もりだった。
ーー領主と同じ場所では死ねない。
自宅の庭、ここが自分の死に場所に相応しい。
グユウの血に濡れた剣を掴み直すと、ジムは顔を上げた。
長い人生の全てが一瞬で胸に去来する。
ほんの数秒の沈黙が、永遠に続くように思えた。
「グユウ様、私もお供します」
少し微笑んで、掴んだ剣を首筋に当て、沿えた手に力を込めた。
激しい熱感とともに身体から熱いものが噴き出した。
声にならない呻きを上げて、ドサリと前のめりに地面に倒れ込む。
ドクドクと自分の身体から流れる音を聞く。
身体が冷え、目が霞み、呼吸が苦しくなってくる。
ここに至る今までの出来事が次々と思い浮かぶ。
多くの顔が瞼に重なる。
ーー愛してやまない大切な人・・・。
最初に浮かんだのは、若くして逝った息子、孫のマナト。
マナト。お前の代で、セン家を必ず守れ。
そしてグユウ・・・。
グユウとシリが笑っている姿が目に浮かぶ。
素晴らしいご夫婦だった。
そして・・・出産と同時に亡くなった妻の顔が鮮明に蘇る。
精一杯生きたつもりだ。
騎士として・・・自分は妻に誇れるような生き方をしたのだろうか。
目を開けることが辛くなってきた。
ゆっくりと目を閉じた時に、誰かが自分に寄り添っている気配がした。
この気配、見なくてもわかる。
失ってから34年、ずっと逢いたかった女性だ。
あぁ・・・。
迎えに来てくれたのか。
ジムは少しだけ微笑んだ。
「ベス・・・」
長い間、口にしなかった愛おしい妻の名前をつぶやき息をおさめた。
ワスト領 領主 グユウ・セン 28歳 死亡
ワスト領 重臣 ジム・ボイド 61歳 死亡
2人の最期は、愛してやまない女性を想いながらだった。
今日の17時20分 敗戦…そして4年半ぶりに兄との再会
最終話まであと4話。よろしくお願いします。
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タイトルを少し変えました。




