すまない。最後の約束
「シリ、すまない。ここでお別れだ」
突然のグユウの宣言にシリは呆然とする。
グユウは唇を一文字にして、シリを見つめている。
「グユウさん、何を言うのですか?お別れってどういう意味?」
シリは目を見開き、その声は震えている。
「その言葉の通りだ。この門を出て、シリはミンスタ領に帰ってもらう。
そのための手筈は整えた」
信じられないことをグユウは淡々と話す。
「嫌です」
シリの声は大きくなる。
青い瞳に強い意志が揺らめく。
離れた場所で見守っていたチャーリー、ロイ、サムが躊躇いながら少し顔を上げた。
ジムはじっと地面を見つめていた。
グユウは、シリの態度を見ても何も動じない。
まるで、そうなることを予想したかのようだった。
シリは思わずグユウに掴み掛かった。
「私は最後までレーク城にいます。あなたと共に死ぬ覚悟はできています」
シリは声を荒げた。
ーーどうして、こんな事を言うの?
悲しくてやるせない気持ちが胸をついて止まらない。
我慢をしようにも涙が溢れてくる。
「それはダメだ。ミンスタ領に戻ってくれ」
グユウは静かに話す。
「嫌です。私の気持ちは前から話していた。伝えていた!!
私は決めたのです。グユウさんと最後まで一緒にいる!!」
最後の言葉は叫び声に近い。
叫んだ後、自分の声が地面に反響して、静かに消えていった。
シリは唇を噛みしめたが、それ以上言葉が続かなかった。
涙だけが頬をつたった。
グユウは優しくシリを見つめた。
「シリの気持ちはとても嬉しい。けれど、オレはシリを生かしたいのだ」
泣いて縋るシリの背中を優しく撫でる。
「グユウさんがいない世界で生きるなんて・・・辛い。私にはできない。
お願い。帰れなんて言わないで」
シリは頭を振りながら必死に訴える。
「子供達の事を考えてくれ」
グユウはシリの瞳を覗きこむ。
「子供達の事はエマに任せています。セン家の血は娘達に託すつもりよ。
私はグユウさんのそばにいたいの・・・お願い。そばに居させて」
シリは泣きながら懇願する。
「父だけではなく、母を失う子供達の気持ちを考えてくれ」
取り乱すシリの肩を抱き、グユウは真面目な表情で話す。
ーー母としては、生き延びて子供達を守るのが正しいのかもしれない。
だが妻としては、愛する夫に死に場所を与えられるなど、これ以上の裏切りはなかった。
胸の奥で二つの想いがせめぎ合い、声にならない嗚咽となって溢れた。
「あぁ・・・」
シリは辛そうに眉を寄せた。
ーーそれを言われると辛い。
シンがいなくなり、心が不安定になっている子供達にとって、
自分達が死んだらどう思うだろうか。
それは想像を絶する苦しさだろう。
自分だけ死んで、子供達をエマに任せるのは責任逃れなのかもしれない。
「シリが死んでしまえば、義兄上は子供達の命は助けないかもしれない。
子供達のためにシリは生きねばならない」
グユウが説得すると、シリは地面に崩れ落ちそうになった。
そのシリをグユウは支える。
「シリ。セン家の血を残してくれ。頼む」
シリを抱きしめ、グユウは必死にお願いをした。
「私が生き残っても・・・子供達は助からないかもしれませんよ」
シリは唇を震わせて伝えた。
「大丈夫だ。義兄上と約束をした。
オレの命と引き換えに、シリと子供達、そして家臣の命を助けると」
グユウは優しく話す。
「そんな!そんな約束を・・・兄としていたの?私に秘密にしていたの?」
「すまない。最後にシリとの約束を守ることができなかった」
グユウは切なげに黒い瞳を揺らす。
5年前、結婚したばかりのグユウはシリに約束をした。
『シリに嘘をつかないと』
「グユウさん。ひどい。家臣の命を条件にするなんて」
シリは唇を震わせた。
自分の命と引き換えに、妻、子供達、家臣の命を助ける。
そんな条件を出したら、シリは絶対に拒まない事をグユウは察していただろう。
もし、シリが拒んでグユウと一緒に死んだら、ゼンシは怒って、子供達や家臣を殺すだろう。
「すまない」
「グユウさん、兄は約束を破るかもしれないのですよ」
シリは語気を強くした。
「この約束は守る」
グユウは静かに話す。
「兄は約束を破る人です。誰にも言えない乱暴を受けた私が、一番よく知っています」
シリは切なさそうに頭を振った。
ーー兄 ゼンシを信じるなんて。
グユウが無駄死にしてしまうかもしれない。
「オレと同じように・・・義兄上はシリのことを大切に想っている。
愛情表現が間違えたとしても・・・オレにはわかる。この約束は必ず守る」
グユウはシリの瞳を見つめた。
ーー兄はひどい人です。信用してはいけません。
反論をしたかったけれど、グユウの決意に満ちた表情を見るとシリは何も言えなくなった。
「オレは信じている」
グユウはもう一度つぶやいた。
「シリ、これを」
グユウは腰から短剣を取り出しシリに手渡した。
「これは・・・」
その短剣は結婚する時に、ゼンシがグユウに渡したものだった。
剣の茎にセン家の旗印が刻まれている。
「これをシリに持って欲しい」
グユウがシリにそっと手渡した。
シリは何も答えない。
急で受け入れられない現実に、心と頭がついていかない。
「ジム」
名前を呼ばれたジムは、手に包みを持って近づいた。
「そして、これも」
その小さな包みをシリに渡す。
「これは・・・」
掠れた声でシリが質問をする。
渡された小さな包みは、柔らかい布で厳重に包まれていた。
「これはチク島にあった木像だ。代々、セン家に伝わるものだ」
3日前にグユウとチク島に行ったことを思い出した。
シリが外にいる間、グユウはジムと建物内で木像を片付けていたのだ。
自分の死に支度に併せて、私を逃す準備をしていたのだろうか。
それは、どんな心境なのだろうか。
昨夜、シリを抱きしめて『終わりたくない』とグユウが話していたことを思い出した。
ーーあれがグユウの本当の気持ちだと信じたい。
私を生かして、自分は死ぬつもりなの?
グユウの命と引き換えに生きるなんて・・・!
とてもじゃないけれど受け入れられない。
様々な想いが浮かぶけれど、誰かに口を塞がれたように言葉が出ない。
思ったことを口に出せないのは始めてだった。
「グユウさん・・・」
掠れた小さな声でしか声が出ない。
グユウは優しくシリを見つめた後、後ろに控えている重臣達に声をかけた。
「扉を開けてくれ」
ジムとサムが城門の横木を引き抜く。
サムとチャーリーが重い扉を開けると、
そこには、エマと子供達、乳母が立ちすくんでいた。
明日の9時20分 強くて優しい人
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シリとグユウのお話、ラスト9話になりました。




