シリ、すまない。ここでお別れだ
「こうして一つずつ終わっていくのね」
荷物が全て運び込まれ、ガランとした西の部屋でシリはつぶやいた。
シリとジムは西側の部屋にいた。
高価な糸車は作業に励んでくれた領民達に与えた。
ワスト領の戦費を稼ぐために必死になって取り組んだアオソ布と軟膏作り。
ーーもう、その作業はしなくて良いのだ。
明日から争いが始まり、数日中に自分もグユウも死ぬだろう。
「なんだか寂しいわ」
シリの声はシンとした西の部屋に響く。
「シリ様、ここでお礼を言わせてください」
ジムが急にかしこまって膝をつく。
「ジム・・・」
「短い間でしたが、シリ様にお仕えできたこと光栄でした」
ジムは深々と頭を下げる。
「ジム、あなたがいなければ・・・乗り越えられないことが何度もあったわ」
シリは心を込めて話した。
ジムはいつでもシリとグユウに寄り添い、尽くしてくれた。
「私とグユウさんの結婚を強く後押ししたのもジムだと聞いたわ」
ミンスタ領とワスト領が同盟をする際に、
渋るグユウと重臣達を説得したのはジムだった。
強領のミンスタ領と手を組めば、ワスト領は生き延びる可能性がある。
同盟を断ったら、それを理由にワスト領は攻撃されるからだ。
苦渋の決断をジムが後押しした。
「・・・その決断のせいで、このような結果になりました」
ジムは悲しげな声が部屋に響いた。
「私はそう思いません」
シリが伝えた言葉にジムは顔を上げた。
「ジムが後押しをしたから、グユウさんに出逢えました。素晴らしい出逢いでした」
シリは微笑みながら答えた。
「シリ様・・・」
ジムは声を震わせた。
「ジム、あなたが最期までグユウさんに付き添うと聞きました・・・良いのですか?」
シリは躊躇いながら質問をした。
「もちろんです。グユウ様に付き添いできる事は幸せです。
亡くなった妻に再び逢った時に、胸を張れるように生きて死ぬつもりです」
ジムは少しだけ恋しそうな顔をした。
その言葉に、シリはようやく気づいた。
ジムは妻を失って以来、他の誰にも心を向けられないまま、この日まで歩んできたのだ、と。
「亡くなった妻は私の心も一緒に持っていったのです」
ジムは目を閉じ優しく話した。
「そうですか・・・」
「妻は失った寂しさは・・・グユウ様が慰めてくれました。立派な領主になられた」
「私も・・・そう思います」
シリは頷いた。
「良い妃に巡り逢えて、グユウ様は変わった。今日の文言は素晴らしいものでした」
ジムは再び頭を下げた。
「ジム、今までありがとう」
シリはしゃがみ、ジムのシワが寄った手を握り伝えた。
「シリ様にお仕えした事は私の人生にとって良いものでした。
多くの人を魅了する人に仕える事の楽しさを知る事ができました」
ジムの優しい灰色の瞳は、涙であふれた。
シリは胸の奥が熱くなるのを覚え、言葉を返そうと口を開きかけた。
「邪魔をする」
グユウが静かに西の部屋に入ってきた。
ジムは立ち上がり、一礼をして部屋を出た。
「散歩をしないか」
涙で滲む、シリの顔を見つめてグユウが誘った。
断る理由などなかった。
昼間にしては、城の中も外もひっそりと静まっていた。
まるで来るべき争いを待ち構えているような雰囲気だった。
今日は、いつも付き添っているジムもエマもいない。
2人きりだ。
歩み慣れた道をグユウと歩くのは、なんて楽しいのだろう。
花開いた薔薇の香り、ヒナギクが揺れ、草が吹く音に混じって、
きらめくロク湖が見える。
「この景色が一番好き」
シリは何度もグユウに伝えた言葉を口にした。
グユウは黙ってうなづいた。
暖かい湖風がグユウの髪の毛が撫でる。
「グユウさん 良い文言でした」
シリは尊敬をこめてグユウを見上げた。
「最後の最後に領主らしい振る舞いができた」
グユウは照れたように下をむく。
「グユウさん、本当に変わったわ」
寡黙なのは変わらないけれど、昔のグユウは自信がなかった。
『オレは未熟な領主だ』と口にすることが多かった。
ーー今は違う。
自分が死んだ後、家臣達が有利に生きていけるように。
死の直前まで心を砕いたグユウを心から尊敬する。
家臣達も、その心を深く理解しているだろう。
「オレが変わったと言うのなら・・・それはシリのお陰だ」
グユウをシリを柔らかく見つめた。
「グユウさんは、元から立派な領主の資質がありました・・・それを自分で認めてなかっただけ」
シリの言葉にグユウは、微笑んだ。
ーーまた見れた。グユウさんの微笑み。
滅多に笑わないグユウが微笑むたびに、シリは胸が高鳴る。
「オレは義兄上のように名を残すような活躍はしなかった」
グユウは、ロク湖を眺めながら呟く。
「けれど、心から好いている妻と結婚することができた。
可愛い娘達も授かった。領主としては大成できなかったが、1人の男として幸せだった」
グユウは真っ直ぐにシリを見つめた。
ーー珍しい。
グユウがこんなに喋るなんて・・・。
「私も・・・幸せでした」
そう答えるのが精一杯だった。
シリの胸は熱くなった。
妻としては、この人と結婚できたことに一片の悔いもない。
けれど母としては、幼い娘たちを残して逝くことが胸を裂いた。
二つの想いがせめぎ合い、涙となって溢れた。
「シリ、本当に感謝をしている。
戦費を稼ぐために一生懸命働いてくれた。
こうして、敵に囲まれても飢えることなく、武器も豊富にある。
それはシリが力を尽くしたお陰だ」
グユウが握りしめた手から想いがトクトクと伝わる。
「私もです・・・。結婚して幸せでした。
ありのままの私を認めてくれた。グユウさん・・・好いています」
シリは美しい青い瞳でグユウを見つめた。
「シリ、お前ほど美しい人はいない」
不意にグユウは真剣な声でささやいた。
シリの顎の下に添えられた指をそっと上げた。
もう一方の大きな手は遠慮がちにシリの頬に添えられる。
近づく黒い瞳に高鳴る胸。
その黒い瞳が集点を結べないほどの距離になった時、シリは瞼を閉じた。
グユウの乾いた唇が離れた時に、頬を真紅に染めてグユウを見上げる。
「良いのですか・・・こんな所で・・・」
ーー誰かが見ているかもしれない。
グユウは少し微笑んで、再び唇を近づけた。
「良いんだ。もう・・・」
その先のセリフは言わなかった。
グユウが再びシリの唇を奪ったからである。
名残惜しそうにグユウが唇を離した。
その後、再びシリをギュッと抱きしめた。
「グユウさん そろそろ・・・」
シリはささやいた。
城に戻り、子供達やエマに挨拶をしなくてはいけない。
「・・・少し付き合ってくれないか」
グユウはシリの手をとり、歩き出した。
馬場を通り抜け、マサキの館の方にむかっていく。
「グユウさん、どちらへ行かれるのですか?」
先を進むグユウの背中に声をかけても、グユウは返事をしない。
グユウの背中が、これまでになく遠くに感じられた。
鳥の声すら止み、ただ風だけが耳に触れた。
「何か仰ってください」
シリが問いかける。
歩くほどに胸がざわめいた。
行き先を知らないのに、足取りだけが妙に重くなる。
曲がり角の先に、家臣たちが一列に並んでいるのが見えた。
その整然とした姿に、シリは背筋が冷える思いがした。
彼らは一列に並び、シリの姿を見た時に一斉に頭を下げた。
ジム、チャーリー、ロイ、サムは、誰も口を開かない。
礼を尽くすように頭を下げるその姿は、まるで別れの儀式のようだった。
「皆、どうしたの?」
シリは疑問を口にした。
突然、グユウが足を止めた。
辿り着いたそこは、北側の裏城門だった。
グユウは、ゆっくりと振り返った。
そして、信じられないことを口にした。
「シリ、すまない。ここでお別れだ」
今日の17時20分 シリ すまない ここでお別れだ
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