オレの最後の大仕事だ
窓から射す光が橙から白に変わり、寝室を照らしていく。
眩しい光を瞼の裏で感じたグユウは、ゆっくりと瞼を上げた。
見慣れた天井を見つめ、昨夜のことを思い出した後に、顔を斜め下にむける。
グユウの腕の中にシリがいた。
白い背中や腕には赤い鬱血跡が点々とついている。
それは紛れもなく、昨夜、自分が残したものだった。
その鬱血跡は首元にはついていない。
以前、シリに首筋に鬱血跡をつけたら散々怒られた。
オーエンに鬱血跡を見られたらしい。
『それがどうした』
グユウとしては、そんな心境だった。
シリは無自覚に、男の人に気を持たせるような振る舞いが多い。
ーー美しい妻を独り占めしたいのだ。
その跡を残したって良いじゃないか。
そう思っていたけれど、シリを怒らせたくなかったので、
それ以来、鬱血跡は目立たない場所につけるようにした。
柔らかそうな腕に赤い跡がついている。
その上に重ねるように唇をつければ、シリはピクッと腕を上げて起きあがろうとした。
そうはさせないとグユウはシリを強く抱き直した。
「身体は大丈夫か」
グユウはシリに尋ねた。
「・・・そんな質問をするのなら手加減してください」
後ろから見えるシリの耳と頬は赤くなっている。
「すまない。抑えが効かなかった」
グユウは腕に力を込めて、深く息を吐いてシリの首元にすり寄った。
グユウの吐息が何かを暗示している。
「起きましょう」
慌ててシリは慌てて身を起こそうとする。
ーー今日は休戦最終日だ。
忙しい1日になるはずだ。
そのシリをグユウは再び強く抱き直して、首元から放つ甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
廊下から足音が聞こえた。
「エマだわ」
シリが声をひそめて囁く。
その声にグユウは弾かれたように、シリから手を離した。
あっという間にノック音が聞こえ、扉が開かれる。
エマが見た光景は、慌てふためいた2人がベットの中で形勢を整えようと足掻いているところだった。
「おはようございます」
エマが少し呆れた声で話す。
「2分ほど廊下にいます。その間に支度を整えてください」
再びドアを閉めた。
その間、グユウは神業のように着替え、寝室を後にした。
グユウが逃げるように歩く後ろ姿を見届けた後に、エマは寝室に入った。
「シリ様、今日は何を着ます?」
今日の午後、エマはレーク城を離れる。
最後だから特別な何をするのではなく、いつもと変わらぬ仕事をするエマの存在がありがたかった。
「ピンクの服を着たいわ」
珍しくシリがリクエストをした。
そのドレスは、結婚した年にグユウが始めてシリに贈ったものだった。
寡黙なグユウが戦地に赴くように、洋品店に入り懸命に布地を選んだらしい。
買い物に同行した西領の領主 ジュンの手紙に書いてあった。
そんな思い出があるドレスは数えるほどしか着ていない。
汚すのが怖いし、もったいなくて着れなかった。
ーー明日から争いが始まる。
もう、このドレスを着ることはないだろう。
このドレスは、あの人が初めて私に贈ってくれたもの。
妻として、この装いを最後まで彼に見てほしい。
ドレスに袖を通し、シリは鏡に映った自分の姿を何度も確認した。
その生地は、シリの肌を美しくみせてくれる色だった。
「よくお似合いです」
エマが鏡越しでシリを見つめながら声をかけた。
背中に残る跡は、見て見ぬふりをした。
「髪には、この髪飾りでしょうか」
エマはピンク色に光る櫛を取り出した。
それもグユウがプレゼントしたものだった。
贈る時に無表情で櫛を突き出したグユウを思い出し、シリは微笑んだ。
「ありがとう。エマ」
髪飾りを差すとき、エマの指が少し震えていた。
当たり前のように隣にいたエマを、今日は見送らねばならない。
そう思うと、何気ない会話まで宝物に思える。
朝焼けの美しい雲のような裾を引きずって階段を降りるシリを、
グユウは眩しいものを見るように目を細めた。
今日のグユウは、シリが摘んだオアソで作られたシャツを着ていた。
それもグユウの美しい黒い瞳と髪に良く似合っていた。
朝食後に、家臣達が集まるので正装をしている。
食堂ではジムがいつものように挨拶をし、朝食が始まった。
パンを焼く香ばしい匂いが漂ってきて、戦の前の日常を思い出す。
ーーこんな風に朝食を食べるのも今日が最後だ。
賑やかな朝食の声から一転、ホールでは低く抑えたざわめきが満ちていた。
ホールに足を進めると、家臣達が集まっている。
壇上に上がった領主夫婦を見て、家臣達の感嘆のささやきがホール中に流れた。
2人が結婚した当初、寡黙で無表情のグユウに、
気位が高く美しいシリは不釣り合いだと家臣達は思っていた。
ーー1回目の結婚と同じように、今回の結婚も破綻する。
あのゼンシの妹、ミンスタ領から嫁いだシリが、グユウと仲良くできるはずがない。
そう思っていたが、日が経つにつれ、この夫婦の仲は深まってきた。
グユウは、シリの歩いた地面ですら拝むほど惚れ抜いている。
その姿は、誰の目にもわかるほどだった。
妾も持たず、グユウがシリに愛情を注ぎすぎていることに不安を感じたこともある。
その不安は取り越し苦労だったことがわかる。
生家と争うことになっても、シリはワスト領に残り、お金を生み出すために奔走し、
籠城と争いの策を立ててくれた。
こうして今も落城寸前の城に残っている。
ここのホールにいる家臣達は、シリとグユウを心から尊敬し、
残ってくれたもの達だった。
「なんて立派な組み合わせだろう」
感にたえたチャーリーがロイにささやいた。
グユウは、シリと共に壇上に下り、1人ずつ礼を伝えながら家臣達に感状を手渡していた。
領主直々に、もらった感状に家臣達は平伏して受け取った。
最後に感状を渡したのは、重臣のカツイだった。
「グユウ様・・・シリ様」
カツイは褐色の瞳を潤ませながら声をかけた。
「私も最期までお二人のそばにいます」
もらった感状を握りしめながら、声を振り絞った。
他の重臣達も、カツイに同意するように顔を上げた。
「カツイ、その気持ちだけで十分だ」
グユウは優しく声をかけた。
そして、カツイの前にしゃがみ、その肩に手をかけた。
「お前には妻と子供がいる。オリバーが一人前になるまで、そばにいろ」
グユウの発言にシリもうなづく。
「でも・・・グユウ様とシリ様も・・・」
カツイは涙がとまらなかった。
ーー息子 オリバーはもうすぐ15歳になる。
もう1人前に近い年齢だ。
グユウだって、すぐ隣に妻がいる。
子供達は4歳と3歳。
レイに関してはまだ産まれて半年も経たない。
そんな幼い子供達を置いて、グユウとシリは逝ってしまうのか。
カツイは、そんな責任の取り方をするのなら、領主と妃は酷で重い立場だと思った。
グユウは肩に置いた手を優しく離した。
再び、壇上に上がり皆に声をかけた。
「もし、生きて落ち延びることがあったら、この感状を持って仕官してくれ。
ゼンシを3度も追い詰めたワスト領の家臣ならば、仕官を拒む領主はいない」
静かに愛情がこもった話し方だった。
威張ることも、怒鳴ることもない穏やかな話し方は、
家臣達の闘争心に火をつけた。
ーーこの領主を最期までお守りする。
言葉にしなくても、その覚悟がありありと伝わった。
壇上から降りたグユウは小さなため息をついた。
「グユウさん、終わりましたね」
シリが優しく見上げる。
この日のために、グユウは一生懸命感状を書いていた。
「あぁ」
グユウは美しい妻の顔を見つめてから、次の領務に取り掛かるようだ。
「サム、重臣達を書斎に集めてくれ」
グユウに命じられたサムは少し戸惑った顔をした。
ーーこういう仕事はジムが受け持つことが多い。
「承知しました」
サムは頭を下げた。
シリも一緒に書斎に行こうとした。
「シリ様、2階の西の部屋の確認をお願いします」
ジムが声をかけた。
「西の部屋?」
シリが目を見開く。
「ええ。荷物は全部撤去をしたつもりですが最終確認をお願いします」
ジムが答える。
シリが中心になって行ったアオソ布の作業部屋だ。
確認をするのは最もだと思った。
「行くわ」
ジムを連れ立ってシリは2階にむかった。
その姿をグユウが見届けた後につぶやいた。
「オレの最後の大仕事だ」
明日の9時20分 グユウさん どうして?




