行こう、共に最期まで
「終わったわ」
安堵と寂しさがこもったシリの声が書斎に響く。
その日の昼下がり、家臣に宛てた500通余りの感状書きが終わった。
「感謝する」
グユウがシリ、ジム、エマの顔を見つめ礼を述べた。
「明日の午前中に皆に渡しますか?」
ジムが質問をする。
「あぁ。明日の午前中に、ホールに集まるように皆に伝えてもらえるか」
グユウが感状の束の数々を指でなぞりながら話す。
「承知しました」
感状書きが終えたとしても、領主の仕事は山のようにある。
その仕事とは終わりに向けての準備であった。
グユウとシリは2階の西側の部屋にむかって、日が当たる廊下をゆっくり歩いた。
「・・・良く似合っている」
グユウは目を逸らしながら、シリのドレス姿を褒めた。
「ここに嫁いだ時に着た服です」
褒められて嬉しかったせいか、シリは頬を赤く染めながら白く薄い生地を触った。
実際、そのドレスはシリによく似合っていた。
胸のところには紫色の花が散っている。
ゼンシが嫁ぐ日に、このドレスを着るように指示したものだった。
「・・・覚えている」
グユウは階段を登りながら答えた。
「グユウさんが・・・覚えているなんて意外です」
シリは目を丸くして答えた。
グユウは女性の衣類に興味がないと思っていた。
グユウは足を止めた。
シリもつられて足を止めた。
「この世のものとは思えなかった」
階段の壁を見ながらグユウがつぶやく。
「何がですか?」
シリは片眉を上げた。
「シリだ。オレにむかって歩いて来た時・・・雷に打たれたかと思った」
グユウは振り返りシリに告げた。
相変わらず口下手なグユウだった。
シリと初めて出逢った時の事を話しているようだ。
「それって・・・どんな感情ですか」
シリは自信なさそうに質問をした。
話だけを聞くと、一目惚れと言われているもののような気がする。
けれど、初めてグユウに出逢った時、
グユウは鉄仮面のような無表情で突っ立っており、
人形を通りこして、もはや置物のようになっていた。
とても、そんな感情を持っていたとは思えなかった。
「・・・わからない。シリがオレをじっと見つめた時に・・・何かが弾けた気がした」
グユウはジッとシリの顔を見つめた。
「それは・・・」
シリはグユウを見上げる。
「惚れてしまったのだと思う。あの頃と同じだ・・・シリ、キレイだ」
グユウは真っ直ぐにシリを見つめて伝えた。
その瞬間、シリの顔は赤くなり、途端に髪の毛をぎこちなく触り、瞳がパチパチと瞬きをした。
扇のように長いまつ毛が上下に動く、その様子をグユウは見惚れた。
「・・・ありがとうございます」
上擦った声で返事をした。
グユウは黙って、シリの頬に手をかけた。
「・・・プロポーズを受けたような気分です」
シリは真っ赤な顔で微笑んだ。
ーーこの服を着て良かった。
「あぁ」
目を細めたグユウが顔を近づけようとした瞬間、
「糸車の搬入準備ができました」
カツイのやや間の抜けた声が階段に響いた。
2人は飛び上がらんばかりに驚いた。
「すぐ行く」
耳を赤くしたグユウは階段を再び登った。
西側の部屋からは糸車が梱包され、運ばれる状態になっていた。
雑然とした部屋は、
つい半月前までオアソ布の作業を行なっていた部屋だった。
アオソ糸をとる糸車は高価なものなので、世話になった領民に手渡すことになっている。
◇
その部屋の隠し小部屋に、2人の子供が息を殺して隠れていた。
ユウと乳母の子供 シュリだった。
外に大人たちの声が響く。
笑っているはずなのに、どこかぎこちなく、耳に張り付くようで怖かった。
その笑い声が消えると、今度は不自然な沈黙が落ちてくる。
ーーいつもの家の音とは違う。
「やっぱり変よ」
ユウが小さな声でつぶやいた。
指先が冷たく、無意識にシュリの袖を握る。
「変・・・ですね」
シュリもうなづく。
胸の奥で心臓が早鐘を打って、言葉がうまく出てこない。
雑然とした部屋の隅に、封蝋を押された羊皮紙の束が置かれていた。
ユウはちらりと視線を向けて囁いた。
「・・・なんで、あんなに手紙があるの?」
シュリは首を横に振る。
けれど胸の奥に、いやな予感が広がっていった。
「大人達は何か隠している」
ユウは青い瞳を細めた。
ーーこの数日、子供部屋の荷物が減り殺風景になった。
大人達は、不安げな表情をしながらヒソヒソと小声で話す事が増えてきた。
たまに見かける父と母は、余裕のない顔をしていた。
自分を取り巻く空気が慌ただしくなっている。
何かがおかしいのに。
乳母のヨシノは、ユウの質問を避けるかのように始終忙しく過ごしている。
レイは寝てばかりいる。
赤ん坊だから仕方がない。
1歳年下のウイは、この状況に何も疑問を感じてない。
その状況を探るべく、各部屋の秘密小部屋に立ち寄ったけれど、
皆、一心不乱に作業をしているばかりで、まるでわからない。
こんな時、シンがいない現実が胸に迫る。
もし、シンが城に残っていたら、何かしらユウを納得する事を言っただろう。
ーーどうして誰も答えてくれないの?
怖い。
何も知らないままでいるのが、一番怖い。
隣で深いため息をつくユウを横目に見ながら、
シュリは、こういう時に気が利いた会話ができない自分を呪った。
伝えた言葉はこれだけだった。
「もう部屋に戻りましょう。皆が心配します」
◇
悲しいことに2日目は、あっという間に終わりそうになっていた。
いよいよ明日で休戦は終わってしまう。
争いに怯える事なく、グユウの隣にいる事が幸せで、それが終わってしまうのが切ない。
シリは一刻一刻を貪るように味わい、眠る時間でさえ貴重な時の浪費に思われて惜しんだ。
こうして、夕方にグユウと散歩している間も、
シリはグユウから目を離したくなかった。
「グユウさん、どうして北側の領地を解放するのですか」
シリは遠慮がちに質問をした。
「・・・最後の争いはレーク城になるからだ。そのためには、北側にいる兵を城に集めたい」
グユウは淡々と話す。
「それでは北側の領地は・・・」
シリが言い淀む。
「ミンスタ領の土地になる。義兄上に手紙を出した。
北側の領地を解放する。その代わりに領民を守るようにお願いをした」
「兄は・・・なんて答えました?」
「承知したと。門を開け放てば領民は殺さない。家も焼かないと」
グユウの答えに、シリは本当かしら?そう言わんばかりの表情をした。
「兄は約束を破ります」
シリは言葉尻が強くなることを抑えることはできなかった。
「大丈夫だ」
グユウは確信を込めて話した。
「何が・・・大丈夫なのですか?」
シリはグユウをじっと見つめる。
「約束したのだ」
グユウは目を伏せながら簡潔に答えた。
シリは唇を噛みしめた。
ーー兄はこれまで幾度となく約束を反故にしてきた。
血を分けた家族でさえ、信じるに値しないことを知っている。
それでも。
隣で「大丈夫だ」と言い切る夫を前にすると、その言葉を裏切りたくなかった。
疑うよりも、最後まで信じていたい。
たとえ、裏切られる結末が待っていたとしても。
その日の夕方は、いつになく見事な夕焼けが屋根のように覆っていた。
2人はいつもの倒木に腰をかけ、無言のうちに過ごした。
「シリ」
切なく掠れたグユウの声が夕焼けの空気に沁みていく。
「オレは最後まで出来る限りを尽くす所存だ。
この世で見納める光景は、シリの笑った顔を思い出すようにしたい」
グユウはシリの瞳を見つめた。
シリは黙って頷きながら、昼間に積み上げられていた感状の山を思い出した。
ひとつひとつの封蝋に込められた夫の想い。
ーーあれは、この城に生きた者への最後の贈り物なのだ。
長く伸びた二人の影は、夕日の中で一つに重なっていた。
それはまるで、最期まで共にあることを約束する印のように見えた。
シリは、手をそっとグユウの手に滑り込ませて固く握った。
「グユウさんと最期までいるわ」
ーーその時に笑っていられるか自信はなかった。
けれど、グユウのためにも笑って死にたいと願う。
グユウは名残惜しそうに立ち上がる。
「シリ、今日は子供達と夕飯を食べる予定だ」
真っ赤に染まる夕焼けを背に、グユウのシルエットをくっきりと映し出した。
まばゆい光でグユウの表情は見えず、シリは目を細めて、グユウが差し伸べた手を掴んだ。
「行こう。城に戻ろう」
グユウが何度も話したセリフは、これが最後だった。
明日の9時20分 最後の夜
春の晩、レーク城では家族で囲む最後の食卓が静かに灯っていた。
白い衣を纏うシリは、いつもより美しく、いつもより儚い。
その夜──夫婦は月明かりの下、胸に秘めた想いをそっと確かめ合う。
別れの足音が近づくなか、ふたりが選ぶ“最後の時間”とは。
ブックマークありがとうございます。
とても嬉しいです。最終話まであと1週間になります。
よろしくお願いします。




