黒い瞳に映るもの
タイトル変更しました
結婚をして3週間が過ぎた。
グユウは少しずつシリに心を開くようになってきた。
シリがグユウの瞳を見つめると、
くすぐったそうな恥ずかしそうな顔をするようになった。
グユウを知らない人が見れば、一見無表情に見えるだろう。
けれど、グユウを見続けているシリはわかる。
深く黒く美しい瞳が、シリを見るたびに優しく揺れる事を。
シリは気がつけば、グユウのことを目で追ってしまう自分に気づいた。
グユウのことを想ったり、見つめると誤魔化しようもなく胸の奥がとくりとした。
わずか3週間しか経ってないけれど、結婚は悪くない。
そう思うようになってきた。
それは、結婚相手がグユウだからなのかもしれない。
最近の習慣は、夕暮れの散歩だった。
2人で城の外を歩く時間は、いつのまにか日々の楽しみになっていた。
領地の状況、政治の話。
グユウは無口だが、そうした話題には驚くほどよく語る。
シリもまた政治に興味があり、話のキャッチボールは心地よかった。
お気に入りの場所は、馬場の向こうに広がるロク湖。
静かな湖面に浮かぶ小さな島が、陽を受けて鈍く輝いていた。
「この景色が一番好き」
思わずそう口にしたシリに、グユウはシリを優しく見つめる。
ミンスタ領にいた時も美しい景色だと思っていたけれど、
ワスト領に嫁ぎ、グユウの隣で見るこの景色はどこよりも好きだ。
静かに揺れる湖面にぽっかりと浮かぶ島。
その島の存在は嫁いだ日から気になっていたけれど、いつも質問をするのを忘れていた。
「グユウさん、あの島はなんという名前なの?」
シリが指を指す。
「チク島だ。人は住んでない」
グユウは淡々と答える。
「あの島には何があるの?」
「セン家の建物がある。代々、大事にしている」
「どうやって島に行くの?」
「舟だ」
「舟!舟に乗るの?」
シリは瞳を大きく見開く。
ーー書物で読んで知っている。
舟は人や物などを乗せて、水上を移動する乗り物だ。
それを目にする日が来るなんて!!
「あぁ」
興奮したシリを、グユウは不思議そうな顔で見つめる。
「舟に乗ったことがないの。チク島に行ってみたい!」
シリは身を乗り出した。
「舟は揺れるぞ」
グユウは心配げにつぶやく。
シリのワクワクした瞳を見つめた後に、言葉を発した。
「すぐには行けないが・・・今度、チク島に行こう」
◇
5日後。
グユウとシリ、少数の家臣と舟に乗りチク島に向かうことになった。
見送るエマは機嫌が悪そうな顔をしている。
舟に乗ることは危険だと反対したのだ。
反対したところでシリは言うことを聞くはずもない。
シリの服装にも不満を抱いていた。
なぜなら、乗馬の時と同じように男装をしていたからだ。
揺れる舟やチク島は傾斜が激しいところだから
ドレスでは行けないとエマを説得し、渋々納得してくれた。
「この服装、グユウさんは似合うと言ってくれるのよ」
“それでは殿方に愛されない“
結婚前、シリが無鉄砲な事をするたびにエマは忠告をしていた。
最近は言わなくなってきた。
エマに見送られて舟に乗り込む。
グラグラと揺れる舟に驚く。
風に押されて舟が押し出された。
グラっと景色が揺れる。
10分ほど経つと周囲が全部湖に囲まれた。
「すごい。こんな景色見たことない」
シリが瞳を輝かして水面を見つめた。
湖岸から六キロほどの沖合に浮かぶ小さな島が近づく。
巨岩の上に繁った緑色の樹木が湖面に映える。
長い間、船に乗っていたので、島の地に降り立つと身体が揺れているような気がした。
100段を越えるゴツゴツした階段を登り切った頂上に建物が見えた。
ここはセン家が大事にしている建物で、中には小さな女性の木像が飾られていた。
芸事、在福、知恵の徳があるとグユウから説明を受けた。
シリはしばらくその姿に見入った後、風の吹く岸辺へと足を運んだ。
「シリ・・・」
控えめにグユウが声をかけた。
「ゼンシ様から手紙がきた。ミヤビへ行き、国王に挨拶をしたいらしい」
国王への挨拶。
それはゼンシが望んでいた領土統一の一歩でもある。
ワスト領を通らないと国王が住むミヤビには行けない。
シリがワスト領へ嫁いだ理由の一つだ。
「嫁いで1ヶ月も経たないうちに・・・兄上らしいけれど露骨だわ」
シリを嫁がせた背景を、周辺の領は敏感に感じている。
周囲の目を気にせず、早急に行動するゼンシに半分呆れていた。
「オレはそれを堂々と行うゼンシ様に興味がある」
思いがけない言葉に、シリの表情が固まる。
「そうですか」
「半月ほどしたら、その件について打ち合わせをする予定だ」
グユウは湖面を見ながら淡々と話した。
「シリはゼンシ様に似ている所がある」
不意にグユウはつぶやいた。
グユウの口ぶりからすると、ゼンシに何度か会った事があるのだろう。
それはシリが最も認めたくないことだった。
ーー確かに似ている。
輝くような金髪、切れ長の青い瞳、外見はもちろん、気性が激しいところもゼンシに似ている。
癇癪を爆発するたびに、シリは己の中に眠るゼンシを感じていた。
「兄上に似ているなんて嫌だわ」
シリの言葉尻は強かった。
「オレは・・・ゼンシ様を尊敬している」
グユウは淡々と答える。
「領主としての兄上は尊敬しています」
グユウの瞳をまっすぐに見つめながら挑戦的に言った。
「でも、1人の男として兄上は好いていません。
兄上の途方もない狂気で多くの人が苦しんでいました」
シリの脳裏にゼンシに乱暴された夜のことが浮かんだ。
「そうか」
グユウは、いつもの返事をつぶやく。
「私は結婚に夢を抱いていませんでした。
兄上は奥様の生家の勢力を削ぐため、奥様に嘘の情報を流したことがあります」
ゼンシの行動によって、たくさんの人が泣いていた。
幼い頃からシリは何度もその光景を見ていた。
シリの憤りは止まらない。
「騙し合いで夫婦生活が成り立っていました。
兄上夫婦の姿を見ていると結婚などしたくないと思っていました」
「そうか」
グユウの答えはいつも通り簡潔だった。
長い沈黙が続いた。
「でも、グユウさんに出会って少しだけ考え方が変わりました」
「オレは何も・・・」
「グユウさんは口下手だけど嘘はつかない。私を騙そうとしない」
グユウに一歩近づき、まっすぐに見つめた。
「あなたに出会って、幸せだと思ったの。あなたが好きです。結婚してよかった、と」
小さな声だったが、真摯な告白だった。
ーー胸に秘めた想い、伝えずにいられない。
柔らかな青い瞳を物問げに輝かし、クリームのような頬の色を濃く染めてシリは話す。
そんなシリをグユウは呆然と見つめた。
しばらく間が空いた後、グユウはシリの頬に触れる。
少し荒れたグユウの親指が戸惑うように震えていた。
見開かれた目がほどけるように柔らかく変わり、
いつも、閉ざしがちな唇は少しだけ微笑んでいるようにも見える。
「シリに出逢って驚くことばかりだ」
グユウの手はシリの輪郭を不器用になぞった。
手のひらの温度にシリは激しく胸が震えた。
「約束する。オレはシリに嘘をつかない」
そう囁いたあと、グユウはギュッとシリを抱きしめて耳元で囁いた。
「オレもシリを好いている」
次回ーー
グユウと結婚して六週間。
冷たさを失ったシリは、光をまとう花のように微笑むようになった。
シズル領主トナカは、その眩さに息を呑み、彼女の気丈さに驚かされる。
だが同時に告げる――「ゼンシを信用するな、グユウ」と。




