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惚れた女の残酷な願い

殴りつけるような雨がレーク城に降り注いでいる。


「兵達にとって良い休息になるでしょう」

シリがつぶやいた。


雨が降っている間、シリはやるべきことがたくさんあった。


包帯に使用する布を補充しにリネン室にむかった。


リネン室は地下にあるので、ろうそくを片手に階段を降りていく。


扉を開けると、薄暗い室内に少し怯んだ。


ろうそくの灯りを頼りに、リネン室の奥に進む。


目当ての布は高い棚の上にあった。


ろうそくを置き、ハシゴに手をかけようとした時に廊下から声が聞こえた。


「こんな所に呼び出して何だ?」

オーエンの声だった。


「ここでしか話せないことがある」

もう1人の男の声は焦りのせいか早口だった。


足音が近づいている。


シリは慌てて、ろうそくを吹き消し棚の奥に身を寄せた。


隠れた方が良い気がしたのだ。


天井近くにある細い窓には、激しい雨がザアザアと打ちつける。


薄暗い部屋に灯りが灯り、若い男が入ってきた。


オーエンとトムと呼ばれている家臣だった。


「オーエン、今のうちにこの城を逃げ出そう」

トムはオーエンの肩をつかんだ。


「逃げ出す?」

オーエンは眉を寄せた。


「あぁ。逃げだそう。セン家は近いうちに滅びる。ここに残っていたら死ぬのを待つしかない」

オーエンと同い年くらいの家臣は小声で話す。


「だから何だ?」

オーエンは憮然と答えた。


「オーエン、正気か?ミンスタ領が攻めてきたら、城内の家臣を皆殺しにすると噂になっている。

俺は、こんな城から抜け出してミンスタ領に行く。お前も行かないか?」

トムは必死に説得をする。


「勝手に行けばいい。俺はグユウ様とシリ様に最後まで仕える」

オーエンの暗灰色の瞳は揺るがなかった。


「・・・死ぬつもりか?」

トムの声は弱くなった。


「・・・重臣の仕事を全うするつもりだ」

オーエンの声は迷いがなかった。


「お前は強い・・・俺にはできない」

トムの声は泣きそうな音色になった。


「トム、子供が産まれたんだろ。守るべき人がいるのなら逃げ出したくなるだろう。俺にはいない。

お前がいなくなっても・・・俺は責めない」


「オーエン・・・」

トムの声は震えていた。


2人は無言で見つめあった。


「俺はここに残る。トム・・・元気で」

オーエンは震えるトムの背中を見送った。


1人になったオーエンは、小さなため息をこぼす。


一連の光景を、シリは息を殺して見守っていた。


ーーこの場にいなかった事にしたい。


シリは思った。


日が経つにつれて、兵の数が少なくなったのはこういう事情なのか。


滅びるとわかっていても、付き添ってくれる家臣達の存在がありがたかった。


より暗がりに隠れようと、忍足で移動すると古い床板はミシッと音がして軋んだ。


「誰だ」

素早くオーエンが剣を抜いた。


観念して、シリが棚の奥から出てきた。


「私よ」


薄暗い部屋の奥からシリが飛び出してきた。


光などないのに、その周辺は光が放っているように見えた。


素晴らしい目と薔薇のような唇に輝く金髪、美しく望ましい女性が

薄暗いリネン室に佇んでいる。


オーエンは目を見開いた。


「シリ様、こんな所に・・・」


「オーエン、ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなかったの」

シリは目を伏せる。


「あぁ・・・いえ、聞き苦しい事を・・・」

オーエンは動揺しながら剣をおさめた。


「オーエンの気持ち、とても嬉しかったわ」


シリは慈しむような瞳でオーエンを見つめる。


その瞳で見つめられると、何かが崩れるような気がして、

オーエンは必死で堪えた。


「当然のことです」

露骨に目を逸らしながらオーエンは答えた。


「そんな事ないです。私も・・・グユウさんも、あなたのような重臣がいて幸せだわ」

シリはオーエンに近づき、その手に触れた。


冷たくて、しなやかな手で触られると背筋がゾクっとする。


ーーここがリネン室で良かった。


明るい部屋だったら、オーエンの頬は燃えるように赤くなり、

みっともない顔をしていることがわかってしまう。


慌てて、握られた手を引っ込めた。


オーエンは心の邪心を取り払うように、シリに尋ねた。


「こんな所で何をされているのですか?」


リネン室は妃がいるべき場所ではない。


「包帯に必要な布を取りにきたの」

シリは再び部屋の奥に行き、ガタガタと梯子を引っ張り出し設置した。


「おやめください。私がやりますから」

オーエンがため息をつく。


「あら、私だって梯子くらいは動かせます」

強気な瞳でシリが言い返した。


シリは女性らしく振る舞われることを、望まない傾向があった。


付き合いが長いオーエンは、ため息混じりでシリの行動を見守った。


ところが、シリが梯子を登り始めたので、それは制止した。


「シリ様、危ないです。梯子は私が登ります」


「これくらい平気です」

シリが梯子の上から見下ろす。


「おやめください。怪我をしたらグユウ様に叱られます」

オーエンは必死だった。


「大丈夫・・・」

そう言った瞬間、長いスカートの裾が足に絡まり、梯子を踏み外した。


間一髪で、オーエンは手を差し伸べシリを捕まえた。


そのまま勢いは止まらず、ボロ布が集めてある布の山に2人もろとも転がりこんだ。


2人が着地した途端、大量のホコリと布が空中に舞い上げる。


気がつくと、2人は折り重なるようにボロ布の中に埋もれていた。


オーエンは思わずギョッとした。


不本意ながら后を抱きしめているからだ。


腕の中にいるシリはクスクスと笑っていた。


「どうやら、怪我はないようですね」

オーエンがつぶやく。


シリはオーエンの腕の中で声を上げて笑った。


「オーエンとは何度かこういう事がありましたね」

久しぶりに笑ったシリを、オーエンは眩しそうに見つめた。


ーー確かにそうだった。


暴走する馬車の中、堀の中、つわりで倒れた時も、馬に乗ってしがみつかれた事があった。


シリは、それを思い出しているのだろう。


それだけ、2人は接点が多かった。


「それも、これも、シリ様が無鉄砲だからです」

胸の高鳴りを悟られたくなくて、オーエンはわざとぶっきらぼうに話す。


胸の中にいるシリは笑い転げており、柔らかな金色の髪がオーエンの頬をくすぐる。


ーーこのまま・・・ずっと抱き合えたら・・・。


身分も立場も忘れて、ただの男になりたい。


笑みを浮かべるシリの顔が、眩しくて仕方がなかった。


オーエンは辛そうに天井を見上げた。


シリの柔らかい身体の感触、そして甘い香りに、

普段、押さえつけていた心の扉が開いてしまう。


オーエンは思わず、シリの身体をギュッと強く抱きしめた。


シリの身体が強張ったのを感じながら、ずっと気にしていたことを問いかける。


「ミンスタ領に戻らないのですか?」

震える声で問いかける。


「戻りません」

シリはオーエンの胸に顔をつけたまま静かに答えた。


トクトクとオーエンの規則正しい拍動が聞こえる。


「マコ様は・・・昨夜、屋敷から脱出しました」

オーエンの腕の力は強くなる。


マコはグユウの母である。


レーク城の隣の屋敷で暮らしていたが、

命の危機を感じて、嫁いだ娘のところへ避難をした。


「知っています」

シリは静かに目を閉じた。


「シリ様も・・・お逃げください」

必死の願いは、かすれるほど弱かった。


シリはガバッと起き上がった。


「オーエン、お願いがあるの」


オーエンは、いつでもシリが美しいと思っていたけれど、

今日ほど美しく感じたことはなかった。


少し乱れた黄金に輝く髪に、白いドレスの胸元から首筋にかけて陶器のように白く滑らかな肌が見えた。


その女性らしい姿に、不釣り合いな強く青い瞳が星のようにきらめいている。


一瞬、その姿に見惚れた後に、慌てて起き上がり、

ボロ布の中で座り込む妃にむきあう。


「私は最後まで、この城に残ります」

強い瞳でシリがオーエンに伝える。


オーエンは決意を込めた瞳のその深さに息を呑む。


シリは、そっとオーエンの首元を触った。


その仕草にドキッとした瞬間、話す言葉は胸を刺すような残酷なものだった。


「もし、最後の時に・・・私が死に損ねて苦しんでたら・・・迷うことなく首を斬ってください」

シリは薄く微笑みながら伝えた。


「斬る・・・私がですか?」

声が震えた。


ーー嫌だ。


惚れた女の首を斬るなんて。


人の気持ちを考えずに、目の前の妃は残酷なことを口にしている。


オーエンの瞳は苦悶の色を浮かべた。


領主の妃のお願いを、「できない」と断るのではなく、

「できる」と引き受けるのがオーエンという男だった。


今回は違った。


「私には・・・できません」

まるで自分が刺されたかのような悲痛な声で吐き出した。


「こんなお願いはオーエンしかできません」

シリはオーエンに近づいて手を握った。


美しい青い瞳に自分の影が映る。


その瞳で見つめられると・・・自分は絶対に逆らえない。


ーー惚れた方が負けなのだ。


トムには『守るべき人はいない』と話した。


それは嘘だった。


守るべき人は・・・目の朝にいる。


どんなに好いていても、決して想いを口に出してはいけない女性。


「・・・相変わらず、敵わない」

震える声で、オーエンは口を開いた。


「オーエン、頼みます」

シリは微笑んだ。


オーエンは震える手でシリの手を握り返した。


スゥと息を吐いた後に、愛おしげにシリを見つめた。


「最後までお側にいます」

プロポーズをするような気持ちで、愛おしい女性に伝えた。


次回ーー

穏やかな午後。

笑い声が響く子供部屋で、誰もがその一日が永遠に続くと信じていた。


けれど――夜が明ける前に、すべては変わる。


雷鳴が轟き、雨は大地を打ちつける。

そして闇の中で、キヨの軍が動き出す。


レーク城を包む、滅びの夜が始まった。



本日、最終話まで書き終えました。

明日から更新速度をあげていきます。

明日の9時20分悲しみが訪れる前の夜

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