オレは運が良い。お前を妻と呼べる時間が、まだある
あくる日の午後、ミンスタ領の兵は、ワスト領に戻ってきた。
レーク城周辺は、あっという間に敵兵の群れで埋め尽くされる。
馬場の淵から、その様子をシリとグユウは眺めていた。
湖面から吹き上がる風が、優しく頬をなでる。
「これが最後の争いだわ」
澄んだ声が風に溶けた。
「シリ・・・」
グユウが何か口を開こうとする。
その雰囲気を察したシリは慌てて制する。
「あなたと最後までいます」
懇願するような声だった。
思い詰めた表情を見て、グユウは深くため息をつく。
「昔から、一度決めたら意地でも曲げなかったな」
「よくご存知で。そんな女を妻にしたのが運の尽きです」
柔らかく笑うシリに、グユウがふいにこぼす。
「オレは運が良い。惚れた女が妻だった」
グユウは無自覚に、こういうセリフを口にすることがある。
ポロッとこぼした発言は、シリの頬を赤くする。
「人は誰でも死ぬまで生きるわ。
寿命の長さは、それぞれ違うけれど、長いことが成功でもない。短いのが失敗でもない。
全力で生き抜いたことが大事だと思うの」
気恥ずかしいせいか、シリは俯きながら話す。
「あぁ」
相変わらずグユウの返答は短かった。
「私が幸せと感じたら、誰がなんと言おうと幸せなんです。
グユウさんのそばにいることが幸せ・・・です」
話した後にグユウの顔を見上げると、いつもの無表情が僅かに緩んでいるのが目に飛び込んだ。
グユウの慈しみに溢れる表情に胸がドキッとする。
「シリ・・・」
グユウが話す言葉はそれだけだったけれど、
その瞳を見つめるだけでシリは心が満たされる。
自分はグユウの見た目が、とても好きなことを思い知る。
湖風が、やがて湿った匂いを運んできた。
西の空が暗く沈み、ぽつりと雨が落ちる。
◇◇
同じ雨が、ゼンシの陣営にも降りかかっていた。
「ゼンシ様、レーク城からの手紙が届いております」
無言でゼンシは羊皮紙を広げた。
固唾を飲んで見つめるキヨとエルに短く報告をした。
「降伏は受け入れない。ワスト領は争いを続ける」
その返答にキヨとエルは、がっかりした顔をした。
「あんなに心が揺れていたのに」
キヨは思わず口にする。
ーーあんな暗い男に寄り添って、シリが死ぬことは到底受け入れられない。
「少なくとも、グユウ様とシリ様は争いを終わらせたい雰囲気でした」
エルが口添えをした。
ゼンシの息子タダシは、悲しげに瞳を揺らす。
「家臣を説得できないグユウが悪い」
ゼンシは手短に答えた。
「明日から全軍をあげてレーク城を攻撃する。容赦はするな」
ゼンシは家臣達に告げた。
「承知」
皆が頭を下げる。
争いは翌朝から始まった。
多くの兵を率いたとしても、強固なレーク城は、守りが硬い。
攻め落とす事に苦戦を強いられた。
上から降ってくる鉄砲と弓矢、石の攻撃に見舞われる。
争いが始まって10日が過ぎようとしていた。
「あんな弱小な領に苦戦している・・・」
ビルが悔しげにつぶやいた。
この日は、激しい雨に見舞われていた。
凄まじく降り注ぐ雨に、争いは一時中止となった。
不機嫌そうに紅茶を飲むゼンシの前に、キヨが頭を下げる。
「ゼンシ様、レーク城の攻略を考えました」
キヨの薄い茶色の瞳は、決意に満ちていた。
「話せ」
ゼンシが答える。
ゼンシの要求は高いものだった。
レーク城を攻め落とし、シリを救うことを求めていた。
ゼンシは、あえてシリの事を口にしなかったけれどキヨは察していた。
キヨは濡れた地図を取り出した。
「レーク城から逃げ出した兵から聞き出した城の見取り図です」
キヨが説明する。
「ほぉ」
ゼンシは顎をさする。
「ここがグユウ様がいる館、こちらが父 マサキ様の館です。
2つの館を結びつけているのは橋のみ。マサキ様の館を攻め、父子の連絡を遮断しましょう」
キヨは、地図を指で刺しながら説明をする。
そして、雨で煙るレーク城を指差した。
あの崖の上にマサキの館がある。
「私は何度も館の位置を確認しました。
この城で一番崖の距離が短いのはマサキ様の館です。険しい崖ですが、登れないことはありません」
キヨの発言にエルが弾かれたように顔を上げた。
キヨは暇さえあれば、あの角度でレーク城を眺めていた。
シリを焦がれて見つめていたと思っていたけれど・・・本当は攻め込むための算段を立てていたのだ。
「その館に辿り着く前に、上から攻撃をされる」
ビルが口を挟んだ。
崖を登ろうとするたびに、投石が投げられ死傷者が続出だった。
「そうです。なので今夜行いましょう」
キヨがシレッと答えた。
「こんな雨が降っているのに?夜に行うのか?」
ゴロクが驚いた声で質問をした。
月も出ない夜、それも土砂降りの雨で足場が悪い。
そんな状況の中で、崖を登るなんて正気の沙汰とは思えない。
「そうです。明るくて安全な時に攻めたら敵は攻撃する。
誰もが予想もしない時に攻め込めば敵も油断している。それがチャンスだ」
キヨが瞳を強めながらゼンシに説明した。
ゼンシは黙って聞いている。
「暗くても、足場が悪くても大丈夫です。地形はしっかりと頭に入っています。
ゼンシ様、私に攻撃することを許可してください」
キヨは頭を下げた。
「面白い」
ゼンシは薄く笑った。
「キヨの策をとる。今夜、遅くに攻撃を開始するぞ」
家臣に告げた。
外では、雨がさらに激しくなる。
崖の向こう、マサキの館は濃い闇に包まれていた。
次回ーー
雨が止む気配はない。
レーク城を包むのは、湿った空気と、誰にも言えぬ想い。
シリは決意を胸に、オーエンは忠誠と恋のはざまで揺れていた。
その夜を境に、運命の歯車が再び回り出す。
やがて――
闇を裂くように、最初の攻撃の合図が鳴り響く。
明日の17時20分 好いた女性から残酷なお願いをされた




