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母上・・・僕は誰の子ですか

あくる日の早朝、シリは子供部屋の寝室にいた。


窓の外はまだ藍色で、夜の気配をわずかに残している。


ベッドの中でシンは深く眠り、口元と小さな手には昨日のブラックベリーの赤い名残がついていた。


日に焼けた指は、使い込まれた熊のぬいぐるみをぎゅっと抱いて離さない。


鳶色の髪が枕に広がり、安らかな寝息が聞こえる。


この顔を起こしたくはなかった。


だが、不意に黒い星のような瞳がぱちりと開き、母をまっすぐ見つめた。


「シン、おはよう」


シリはシンを抱き上げた。


「母上・・・?おはようございます」


ーー目覚めた時に母がいることは初めてだ。


頬に唇を寄せてもらうのは良い気持ちだった。


美しい青い瞳が、シンを優しく見つめるといかにも大事にされているような気がする。


「母上、どうしたの?」

シンが問いかけると、母の瞳は悲しそうに揺れた。


「起きたか」

グユウがドアを開けて、子供部屋に入ってきた。


シンは目を丸くした。


ーー今日はどうしたのだろう。


朝から両親が自分の部屋にいる。


グユウはシンの顔を見て、何か言おうとした。


けれど、その口から言葉は出なかった。


「シン、お腹が空いてない?」

シリの発言にシンは目を丸くした。


ーーまだ外は暗い。


夜明け前だ。


こんな時に朝ごはん?


「昨日は夕食を食べてないでしょう」

シリが説明する。


ーーそうだった。


昨日は楽しくて・・・でも、疲れたから夕食を食べずに寝てしまった。


「・・・今日の朝食はチキンパイだ」

グユウが話す。


「朝からチキンパイ?素敵だな」

シンははしゃいだ。


朝食は珍しく食堂でとった。

大きなテーブルの向こうで、父も母も手をつけず、母は一瞬たりとも視線を外さない。

奥に控える乳母の目は赤く、膝の上の手が固く握られていた。


ひとかけらも余すことなくチキンパイを食べた後に、シンは書斎に連れて行かれた。


分厚い扉が閉まる音がやけに大きく響いた。


父と母と、自分だけの空間。


壁に飾られた曾祖父の肖像画が、厳しい眼差しで見下ろしている。


「シン」

父がしゃがみ、目の高さを合わせた。


そして静かに、城がまもなく攻められること、敵は母の兄であること、

自分たちが生き残れないかもしれないことを告げた。


「お前は・・・生きてほしい」

その声は、かすれ、重く沈んでいた。


「父上・・・」

後ろに立つ母は唇を噛み、こらえきれず涙を落としていた。


ーー母が泣いている姿を見るのは2回目だった。


領主の息子は泣いてはいけない。


そう教育されていた。


けれど、切なさそうな顔をした両親の姿を見ると泣きそうになる。


「もう・・・会えないの?」

答えはなかった。


沈黙だけが満ちる。


『そんなことない』と言ってほしかったのに、誰も言わなかった。


父は辛そうに顔を上げた。


「シンには・・・セン家の血を残してほしい」


ーー血を残す。


その言葉の意味はわからないけれど・・・2人の期待に応えたかった。


「はい」

シンは力強く答えた。


父は目を伏せた後立ち上がった。


「シン・・・」

その後、真っ赤な目をしながら母が自分を抱きしめた。


「母上・・・泣かないで」

暖かい母の胸に抱かれながら、シンはお願いした。


「あぁ・・・シン!シン」

母は何度も名前を呼び、自分を強く抱きしめてくれた。


「シリ・・・そろそろ」

父が控えめに声をかける。


「母上・・・」


ーー胸に秘めていたことを口にする時がきた。


「どうしたの?シン」

母は無理に笑おうとした。


「僕は母上の子ではないのでしょ?」

シンの質問に母は息を呑んだ。


確かにシンは、シリが産んだ子供ではない。


グユウと前妻の子供だった。


そのこと自体は、秘密でもなく皆が知っていることだった。


シンが成長をしたら、折を見て話すつもりだった。


「シン・・・それは・・・」

母は動揺して、手が震えていた。


「侍女達が話しているのを聞いたの。ユウも知っている」


ーー隠し小部屋の中で聞いた話だった。


聞いた当初、ショックだったけれど、

シンを見つめる母の瞳は、いつも優しかった。


ーー本当の母だと思いたかった。


「その通りだ」

父が答えた。


「シン・・・私はあなたを産んでいません。けれど・・・あなたが一番大切な息子であることは変わりません。

私の息子は・・・あなただけなの」

母はもう一度、自分を強く抱きしめた。


「大好きよ。シン」

その声は温かく、シンは目を閉じた。


父も黙ったままうなずいた。


泣いている母と辛そうな父を見ていると、

胸の奥がむずむずする、喉がギュッと締まり、鼻の奥がツンとした。


ーー泣き出してはいけない。


「シン・・・これを」

母が懐から小袋を取り出した。


すべすべした水色の布に包まれたそれは、手のひらにすっぽり収まるほど小さい。


「母上・・・?これは?」


「あなたを最初に抱いた時に母が着ていた服です。小さな指がドレスをつまんで・・・とても可愛かった」

母は愛情を込めた瞳で自分を見つめた。


「母上・・・この袋は母上が作ったの?」

シンが信じられないという顔をした。


ーー母は裁縫が苦手だった。


「試してみたけれど・・・ダメだったの。その袋はエマが作ったわ」

母は決まりが悪そうに答えた。


ーー悪戦苦闘している母の姿が簡単に想像できる。


シンはちょっとだけ笑った。


「その袋には母の髪の毛が入っています。持っていれば・・・いつでも母と一緒よ」

母の説明を聞いて、シンは大事そうに懐にしまおうとした。


「オレの髪の毛も入れる」

父が言い出したので、母は帯からナイフを取り出した。


切り取られた父の髪の毛を袋に入れた。


「これで、いつも一緒だ」

父が手渡す。


ドアを優しく叩く音がする。

ジムだった。


空が白みはじめている。


「父上、母上」

シンは両親の顔を見上げた。


「うちは良い家族だと思うな。父上も母上もそう思わない?」


「あぁ」

父は絞り出すような声でつぶやいた。


「私もそう思っているわ」

母は泣き腫らした瞳で力強く答えた。


すぅと息を吐いて母は伝えた。


「セン家の誇りを、あなたに託します」


シンの旅立ちはひっそりしていた。


居場所を把握している人物は少ない方が良い。


「後ほど、乳母と家臣をそちらにむかわせる」

ジムが孫のマナトに声をかけた。


「はい」

ジムと同じ灰色の瞳を持つマナトは、青年というより少年に近い印象だった。


グユウがシンを抱き上げて馬に載せた。


マナトは慎重な手つきで、自分とシンを紐でくくりつけた。

落馬防止のためだった。


北側の領地から出発し、ミンスタ領の兵を避けて移動するので、

到着は遅い時間帯になるだろう。


厨房が昼食と夕食の弁当を用意した。

どれもこれもシンの大好物だった


「ハチミツも入っているのよ」

シリは震える声で手渡した。


ハチミツはシンの大好物で、採集するときに味見と称していつも舐めていた。


「父上、母上、行ってきます」

シンは明るい声を出した。


「行ってらっしゃい」

シリの唇にのぼったこの言葉は、愛しい子のために愛と祈りが込められていた。


「必ずお届けします」

マナトは領主夫婦を見つめ、その後、後ろに佇む祖父の顔を見つめた。


群青色の空が茜色に染まってきた。


夜明けが近い。


2人を乗せた馬は駆け出した。


蹄が地面を叩き、朝の冷たい空気が頬を切る。


思わず後ろを振り向くと、母が泣きながら跡を追いかけていた。


足音が石畳を打ち、裾が風に翻る。


白い息が途切れ途切れにこぼれ、泣き声と混じって耳に届く。


ーー追いかけても・・・無駄なのに。


追いつくはずがないのに。


どうして、母は追いかけるのだろうか。


それでも、母は腕を伸ばし続けていた。


その指先が届きそうな気がして、胸が痛くなる。


涙があふれる。


レーク城の屋根が、振り返るたびに小さくなっていく。


高くそびえていた塔も、朝靄の向こうにかすみ始めた。


城下町の石造りの屋根や煙突が、ゆっくりと地平の向こうへ沈んでいく。


風の冷たさが強まり、家々の灯りはもう見えない。


キレイで・・・勇ましい母、無口だけど優しい父・・・。


妹達に別れを告げなかったことを思い出した。


ーー急に自分がいなくなったら悲しむだろうな。


近づくと何かを訴えるように声を上げたレイ・・・可愛かった。


ウイとは、いつも笑っていた気がする。


そして・・・『僕の方が年上だぞ』と説得しても名前を呼び捨てにしていたユウ。


いつも一緒に行動して、いろんな話をした。


一緒に稽古をしていたシュリ・・・。


いつも当たり前のように、そばにいて、それがずっと続くと思っていた。


もう、皆に逢えない。


視界が揺れ、頬を伝う雫が風にさらわれていく。


胸の奥からこみ上げる熱が、喉を震わせた。


「シン様、もう泣いても大丈夫ですよ。誰もみていません」

マナトが優しく話しかけた。


「泣いてない。目にゴミが入っただけだ」

そうつぶやいたけれど、悲しくて嗚咽がこぼれる。


「そうですね。今朝は埃っぱい」

マナトは片手でシンの背中を撫でた。


遠ざかる故郷を背に、揺れる馬に乗りながらシンは声を上げて泣いた。



次回ーー

息子シンを逃がした夜、シリは涙に暮れながら走った。

もう二度と会えぬ我が子を見送り、悲しみを抱いたまま立ち上がる。

――兄ゼンシが迫る中、彼女には泣く時間さえ許されなかった。


明日の17時20分 たった1人の息子なのに

ついに40万字を超えました。初めて書いた小説なので自分でもびっくりしています。長文を読んでくれてありがとうございます。

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