その時が来たら・・・私も逝きます
「シリ、散歩に行かないか」
グユウの誘いに、血止めの軟膏を作っていたシリは手を止める。
「行くわ」
浮かないグユウの表情を見ると、何かあったことを察した。
2人は夕闇迫る馬場を歩いた。
結婚してから、シリとグユウのお気に入りの散歩コースだった。
平和だった頃、2人で馬場から見えるロク湖が眺めながら、
幸福な、熱心な、聡明な若い人々が見つけ出せる無数の事柄について話し合っていた。
ミンスタ領の兵がシズル領に行っているので、兵の数は少ない。
2人は、いつも腰掛けている倒木に座った。
湖面は夕陽に染まり、金色と藍色が入り混じってゆらめいていた。
風は湖の水面を渡り、シリの髪を優しくなぶる。
倒木の上に腰を下ろすと、木肌のざらつきが掌に伝わる。
二人の間を、湖から吹く風が抜けていった。
しばらくして、グユウが口を開いた。
「トナカの妻 サラが亡くなった」
グユウの声は淡々としていたが、その奥に沈んだ色が混じっていた。
「サラ様が・・・亡くなった?」
誰もいないのにシリの声はささやき声になった。
「あぁ」
グユウは瞳は辛そうに瞬いた。
「どうして?」
震える声でシリが質問をした。
妃は滅多なことでは死なない。
グユウは懐に入っていた手紙を取り出した。
奪い取るように手紙を読んだあと・・・
「あぁ・・・」
シリは苦しそうに呻いた。
ミンスタ領の兵に乱暴されると察したサラは、
ちょっとした隙に監視の目を盗んで抜け出し、井戸に身を投げて死んのだ。
「シリ・・・」
グユウはシリを後ろから抱きしめた。
「いつか・・・サラ様に逢いたいと思っていた」
シリは苦しそうに途切れ途切れ言葉を吐き出した。
ーーその、いつかは2度と戻ってこない。
トナカも、サラも死んでしまった。
「あぁ」
グユウはシリの髪に顔をつけて、力強く抱きしめた。
「こんな事って!!」
やり場のない悲しみが声となって漏れる。
領主の娘として産まれたのなら、幼い頃から防衛の作法は受ける。
ーー争いは何があるかわからない。
辱めを受けた時に、自分の身を守るため、自害をするためにナイフの扱い方を含めて学ぶ。
サラも身を守るため、自ら死を選んだのだろう。
「立派な最期です」
涙をこらえて、シリは言った。
「サラ様はどんな女性でした?」
シリはグユウに問いかけた。
グユウは少し考えて答えた。
「小柄だった」
グユウの問いに、シリはあきれたようにため息をついた。
「それだけですか?」
グユウはサラの容姿を思い浮かべた。
ーーあまり彼女の顔を見たことがない。
そもそも美人の基準がよくわからない。
理想の女性と言われている容姿と性格をしていたはずだ。
「トナカから聞いたことがある。
オレが・・・シリと仲が良いのだと話したら、サラは驚いた顔をしていたらしい」
サラはグユウの性格を把握していたに違いない。
今以上に寡黙で他人と接しなかったグユウが、
女性と仲が良くなることに驚いたのだから。
グユウは一瞬、視線を湖に落とした。
「控えめで、自分の意見をあまり言わない人だったが、いつも鮮やかな衣を身につけていた。
花が咲いたように周りを明るくする人だった」
グユウがポツリ、ポツリと話す。
「やっぱり・・・お逢いしたかったです」
シリは言葉に詰まりながら答えた。
湖面に沈む夕陽が、ゆらゆらと二人の足元を照らしていた。
風が一度だけ強く吹き、葉擦れの音が過ぎていく。
その音が遠ざかるまで、二人は何も言わなかった。
「シリ、もしも・・・もしものことがあれば、シリも同じことをするのか?」
グユウはシリの顔を後ろから覗き込んだ。
「もちろんです」
強い瞳が返された瞬間、グユウの胸に痛みが走る。
抱きしめる腕の力が少し弱まった。
「ただ・・・私の場合は苦しい死に方はしません。
溺死は苦しいので、死ぬのなら・・・これを使います」
シリは腰に巻いた帯に触れた。
争いが始まってから、シリは帯を巻くようになった。
その帯には生家からもらったナイフが忍ばせてある。
「その時が来たら・・・私も逝きます」
湖面を映すシリの瞳は、夜の始まりを告げる空よりも澄んでいた。
次回ーー
トナカとその妻・サラの訃報が届いて数日。
レーク城では争いの準備が進むなか、シリは悲しみを押し殺すように働き続けていた。
「忙しくしていた方が楽なの」と笑う彼女に、グユウもジムも胸を痛める。
失った命の重さと、残された者の温もり。
そして――夜、静かな寝室で、シリは久しぶりに「生きている」ことを思い出す。




