負けるとわかっていても戦わねばならない時がある
「兄者 ここにいましたか」
ワスト領の砦に佇むキヨは、いつもの場所でレーク城を見上げていた。
「エル。どうした」
キヨは声をかけたけれど、目線はレーク城から離さない。
ーー最近、いつもこうだ。
エルは胸の奥でため息をついた。
領主ゼンシは今、シズル領を滅ぼすために戦っている。
武功を挙げる日を夢見てきたエルに下った任務は、レーク城の包囲だった。
ーー俺だって前線に立ちたかった。
そう思っているのに、兄は悔しがるそぶりも見せず、ただひたすら城を見上げている。
その城には、キヨが憧れてやまない妃 シリが暮らしている。
「今日もワスト領の兵がここに逃げ込んできた」
エルが報告する。
シズル領が攻撃され、残るはワスト領だけになった。
滅びつつあるレーク城に見切りをつけて、
仕官先をミンスタ領に鞍替えする兵は跡を立たない。
「身元を確かめて、問題なければ仕えさせろ」
キヨは顔を動かさすに答えた。
「承知」
いつまでも城を見つめ続ける兄に、エルは抑えていた疑問をぶつけた。
「兄者は焦らないのですか。ここにいても武功は挙げられない。
ゴロク殿やビル殿は敵の首をたくさん取ったと聞く」
キヨはゆっくりと顔を向け、痩せた頬に含み笑いを浮かべた。
「無名の兵の首を取ることより大きな事を成し遂げるつもりだ」
「は?ここにいたら大きな事は成し遂げれるはずない」
エルは呆れと苛立ちを混ぜて言いかけたが、
「今にわかる」
キヨはそれだけ言い、再び視線を城へ移した。
その背中は、小柄で頼りなげなのに、妙に揺るぎなかった。
◇◇
「シズル領の領主の首です」
砦の主ヒロが、籠を抱えてゼンシの前にひれ伏した。
「頭を上げろ」
ヒロは恐々とゼンシを見上げた。
初めて目にするミンスタ領の領主――ゼンシは、背が高く痩せており、赤いマントを翻して立っていた。
金の髪は陽光を受けて輝き、深く澄んだ青の瞳は、底に冷たい光を湛えている。
事前に聞いた噂が脳裏をよぎる。
酒も飲まず、眠りも惜しむ古今独歩の大天才。
だが一方で、狂気じみた残忍さを隠し持つ鬼の顔。
鬼を想像していたヒロは、その美貌に息を呑んだ。
「ヒロと申したな」
視線を向けられた瞬間、胸の奥を氷の刃で突かれたように息が詰まる。
「はい」
その瞳で見つめられると、恐怖のあまり身をすくめたくなる。
ヒロは身体を縮こませて、再び頭を下げた。
「よくやった。前例にない働きだった」
ゼンシは薄く微笑んだ。
「これも、それも・・・キヨ殿が声をかけてくれたお陰です。
こうして、強い領主 ゼンシ様にお仕えできること光栄に思います」
ヒロは籠を差し出しながら言った。
2人の話を聞いて、ゴロクが弾かれたように顔を上げた。
ゴロクは、その名を聞いてはっと顔を上げる。
――やはりキヨか。
シズル領の砦という砦を回り、主や家来たちを説き伏せ、
ミンスタ領への鞍替えを勧めていたのは彼だった。
筆まめで、どの砦の主とも親密に連絡を取り合うキヨ。
北西の砦の主ヒロも、その網の中にいた。
武力ではなく、言葉と交渉でシズル領を崩した。
貧弱な体で、非力なキヨが勝利の決め手を作ったのだ。
「ゼンシ様、城に残った領主の家族を捕らえました」
ビルが報告に上がる。
城を攻める前に、シズル領は降伏し城門を開け、
城に残っていた無抵抗の妻子を拘束した。
「連れてこい」
ゼンシが短く答えた。
連れてこられたのは、トナカの母、第2夫人、第3夫人、そして9歳のカガミ。
ゼンシの前に引き出された。
手荒な扱いに慣れてない第3夫人は泣き声を上げた。
「この者たちに戦意はありません。許してください。孫のカガミはまだ9歳です。命だけでも!!」
トナカの母が、小さな手でカガミの肩を抱き締め、必死に頭を下げる。
「私どもは戦意はありません。生家に戻らせてください」
第2夫人は泣きながら訴えた。
「どうされますか」
ゴロクが控えめにゼンシに声をかけた。
ーー本来であれば、女性は殺さない。
それが争いのルールだった。
ゼンシは座り込む少年を見下ろした。
鳶色の髪にソバカス、そして――怒りと悲しみを宿した瞳。
短い沈黙。
周囲の兵が息を呑む。
「気に入らない瞳だ」
ゼンシはつぶやく。
ゼンシのつぶやきに、ゴロクの背筋を冷たいものが走った。
「ゴロク、全員殺せ」
ゼンシは立ち上がり、怯える面々を見つめながら冷酷に伝えた。
◇◇
レーク城 書斎
「トナカが死んだ」
羊皮紙を握りしめたグユウの顔から血の気が引いていた。
古くから親交のあるシズル領。その領主の死に、重臣たちも青ざめる。
トナカの跡を継ぐものは9歳の息子 カガミだ。
その年齢では、領主の仕事は担えない。
シズル領は、やがて滅びる。次は――自分たちだ。
グユウは羊皮紙を握りしめた。
指先が白くなり、やがて細かな震えが伝わる。
重臣たちは誰も目を上げない。
炉の火がぱちりと爆ぜる音だけが、静まり返った書斎に響いた。
「負けるとわかっていても戦わねばならない時がある」
グユウは静かに切り出した。
皆がグユウを見つめた。
ーー珍しい。
こんな風に話すグユウは見たことがなかった。
悲しみを秘めた黒い目に黒さと深みが増した。
それは、グユウの感情が以前より強く働き出したからだ。
「勝っても負けても、勝負を持って人物を評することはない。全力でミンスタ領に立ち向かおう」
決然とした表情でが話すグユウに、シリは大きくうなずいた。
シリだけではない。
他の重臣もグユウを見つめ、深くうなずいた。
「潔く散ったトナカのためにも、最後まで戦おう」
グユウは立ち上がり、手を差し出した。
すかさず、シリがグユウの手の上に自分の白い手を重ねた。
オーエン、ジムが手を重ねると、続々と重臣達が続いた。
誰からともなく声が上がる。
「最後まで戦おう」
次回ーー
シズル領の城前広場に、
無数の悲鳴と嗚咽がこだました。
「ゴロク、全員殺せ」
ゼンシの冷酷な声が、空気を凍らせる。
命じられたのは、彼の息子タダシ――
わずか十八歳の少年だった。
優しかったあの子の手が、初めて血に染まる。
明日の17時20分 その時が来たら・・・私も行きます
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