幸せは私が決める――この道を選んだのも、私
「4000人・・・」
シリは呆然とつぶやいて佇んだ。
その日の夕方、グユウはシリを書斎に呼び出した。
呼び出したのは、スパイが報告してきた内容を伝えるためだった。
隣の領なので、報告が早くに来るのはありがたい。
けれど、伝わった報告の内容は残酷なものだった。
シズル領の敗北
重臣、家臣を含め4000人の死者
そして・・・
「トナカは行方不明だ」
グユウがつぶやいた。
シリは震えを落ち着かせるように自らの腕を抱きしめた。
「ミンスタ領の兵は・・・今何をしているの?」
「トナカの城にむかっている。明日には攻撃が始まるだろう」
グユウが静かに話した。
その瞳は、悲しみの色が混じっていた。
表情には出さないけれど、グユウの心は痛み、傷つき、心配していることがありありとわかった。
シリは足が震えて、立っていられなくなった。
多くの兵が失った今、シズル領の城は空っぽだ。
戦意がない妻や子供がいる。
ゼンシは降伏を促すのだろうか。
それとも・・・
想像するだけで、胸が苦しくなる。
「あぁ。グユウさん!」
グユウはシリの背後にまわって、そっと手を取り、
青く揺れる瞳を見下ろした。
「トナカは・・・やるだけのことをするだろう」
グユウは苦しそうにつぶやく。
「あぁ。グユウさん・・・しばらくしたら勇敢になるようにするけれど・・・
今はダメなの。私に時を与えて」
シリはグユウの胸に顔をすりつけた。
2人は黙って抱き合っていた。
日が暮れ、薄暮に微かに星が光るようになった。
「・・・子供部屋に行かないか?」
グユウはシリの頭を撫でながら提案をした。
ーー親友の命が尽きるかもしれない時に、子供部屋?
シリは不思議な顔をしながら、薄暗くなったグユウの顔を覗きこんだ。
「今のうちに・・・子供達の顔を目に焼き付けておきたい」
グユウがつぶやいた言葉にシリはうなずいた。
ーーシズル領が滅びたら、兄の敵はワスト領しかないのだ。
その日が近づいてきている。
久々に両親が子供部屋に訪れ、子供達は歓喜の声を上げた。
グユウの膝の上に、ユウとウイが競うように座る。
シリは寝かしつけのために、シンと一緒に布団に入った。
腕の中で幸せそうな顔をしながら、うつらうつらするシンを見つめると胸が苦しくなる。
グユウの命が風前の灯火のように、シンの命も揺らいでいるからだ。
ーーこの黒い瞳をした可愛い子供が殺されてしまう。
セン家の長男だという理由で!
シリはたまらない気持ちになって、横たわるシンを後ろから抱きしめた。
「母上・・・?」
眠そうな表情をしながら、少し照れたように笑うシンの頬に唇を落とす。
「シン・・・」
その名を呼ぶだけで涙が溢れる。
静かに涙を流すシリを、グユウは気づかないふりをしてくれた。
寝室へ戻ると、グユウは無言でシリをじっと見つめた。
シリを見下ろす眉毛に薄い影が宿っている。
今のグユウは感情に蓋をしている状態だ。
耐えがたい悲しみを抑えていることがわかる。
「どうされました?」
グユウが閉じ込めている感情を知りたくて、シリはグユウの顔を見上げた。
何を考えているのかよくわからない表情に凪いだ瞳、新婚時代を思い出す。
そっとグユウの左頬に手を添えると、グユウの黒い瞳が揺らめいた。
「すまない」
グユウの言葉は短かったが、その胸中には重く沈む影があった。
ーートナカが無事かどうか、確かな報せはまだない。
もし彼が倒れれば、次は自分たちの番だ。
その時、シリを守り切れるだろうか・・・いや、守り切れないかもしれない。
そんな未来を思い描くたびに、胸が締め付けられる。
「どうして謝るのですか?理由を教えてください」
シリは優しく問いかけた。
「オレは・・・シリを悲しませなくない。豊かで幸福にさせたかった。
今の状況はシリを悲しませることばかりだ」
グユウが悲しげにシリを見下ろした。
親友を失う辛さ、豊かではない経済状況、子を失う悲しみ、生家との争い。
結婚以来、グユウはシリを幸せにしたいと願っているのに、その願いは叶わない。
ーー目の前にいる美しい女性は、
落城寸前のこの城で、自分の隣にいるべき女性ではないのだ。
「この状況を・・・選んだのは私です」
シリが微笑む。
「悲しい話を遠くで聞くよりも、今、あなたと聞いた方が良いの」
シリの瞳に強い力が宿る。
ーーそうだ。
離れた場所でグユウを想うよりも、こうしてグユウと抱き合いたいのだ。
きちんと話を聞いてくれる静かな間、優しげに輝く黒い瞳、低く掠れる声、
不器用で誰よりも優しい人。
シリは愛おしげにグユウを見上げる。
「幸せは私が決めます。私は幸せなんです」
シリは決意をした。
残り少ないグユウとの日々を悲しみに浸るよりも、幸せを感じて過ごすのだ。
しばらく間が空いた後、グユウはシリの頬に触れる。
少し荒れたグユウの親指が戸惑うように震えていた。
見開かれた目がほどけるように柔らかく変わり、
いつも、閉ざしがちな唇は少しだけ微笑んでいるようにも見える。
「相変わらず・・・すごい妻だ」
グユウの手はシリの輪郭を不器用になぞった。
「その妻が惚れ抜いているのは・・・あなたですよ」
シリはグユウの腕の中で悪戯っぽく微笑んだ。
「シリ」
抑えこんでいた感情の全てが溢れ出してしまう。
力強く抱きしめた後に、シリをベッドまで運んだ。
シリが戸惑いながら受け入れてくれたので、グユウは止まらなかった。
無我夢中で触れ、溺れ、抱いた。
◇◇
そのころ――。
友トナカは、北西の砦を目指し、闇の山道を駆け抜けていた。
真っ暗な山道を松明の灯りを頼りに馬を走らす。
「あと少しで北西の砦に到着します」
家臣が話した言葉にトナカはうなずいた。
ーー多くの兵が死んでしまった。
生き残り、寄り添ってくれた家臣達は数えるほどしかいない。
無事に北西の砦に到着した。
門を叩くと、すぐに扉が開いた。
迎えた砦の主ヒロは深々と頭を下げた。
その礼は完璧だったが、顔を上げた時、その目の奥が一瞬だけ冷たく光った。
ーー気のせいだろうか
トナカは軽い違和感を覚えた。
「よくぞご無事で」
ヒロは声を掛け、手を広げて砦の中へ案内した。
砦の兵たちは、久々に主を見るはずなのに笑顔を見せない。
足早に視線をそらす者もいる。
ヒロは、食事と身体を休める部屋に案内をした。
「ここなら安心です。お好きなだけお休みください」
そう言ったヒロの声は丁寧だったが、妙に急かすようでもあった。
食事と身体を休める部屋に案内される。
離れの室内は居心地が良く、ろうそくの灯りが柔らかく揺れていた。
けれど、なぜか部屋の戸締まりは外から掛けられる仕様になっていることに、トナカは気づかなかった。
武具を脱いだトナカはため息をついた。
「とんでもない状況になった」
昔から寄り添う重臣に声をかけた。
重臣は、うなずいた後に優しく話す。
「今日は良くお休みください。見張りは私が行います」
「明日から体制を整えよう」
トナカはうなずいた。
争い、敗北、逃走・・・心だけではなく身体も疲弊していた。
トナカの良いところは、どんな状況でも眠れるところだ。
眠る直前に愛する妻達、息子の顔、そして、親友であるシリとグユウの顔が浮かんだ。
「必ず・・・立ち直ってみせる」
自分自身に誓うようにつぶやき、あっという間に深い眠りに引きこまれた。
数時間、眠っていたのだろうか。
明け方に見張り役の重臣がトナカを揺り動かす。
「トナカ様!起きてください!!」
「どうした?」
寝ぼけ眼のトナカに重臣が恐ろしいことを告げた。
「謀反です」
謀反とは家臣が領主を裏切り、兵を挙げることを指す。
慌ててカーテンの隙間から外を眺めると、
暗闇の中で、複数の松明の灯りが照らされ、周囲は昼間のように明るかった。
多くの兵が、トナカが滞在している離れを取り囲んでいる。
指揮をとっているのは砦の主 ヒロだった。
「裏切りか!!」
トナカは声をあげ呆然と立ちすくんだ。
次回ーー
忠義の果て、友トナカは血に沈み、
妻サラを待つのは、さらなる地獄。
その夜、シリとグユウは静かに愛を交わした。
――祈りと裏切り。
次に失われるのは、誰の命か。
明日の17時20分 裏切り、逃走、絶望、告白
初めて小説を書いて5ヶ月が経ちました。
流行のテンプレが全くないこの小説を読んでくれている読者様に感謝しています。ありがとうございます。




