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落とし穴と口づけ

「なんて有り様だ」

引き攣った顔でゼンシが立ちすくんでいる。


ミンスタ領の本陣は、争いで怪我をした兵達がぐったりしながら横たわっていた。


「申し訳ありません」

ゴロクが頭を下げた。


「北側を攻撃した兵達の怪我が酷いです」

ビルが悔しそうに説明した。


ゼンシは本陣で待機をしていたので、北側の様子を知らない。


「落とし穴を仕掛けられました。兵達が動揺していた隙に攻撃されました」

悔しそうにビルが話す。


多くの兵が犠牲になった。


「落とし穴程度で、こんなに怪我をするのか?」

ゼンシの顔は青ざめていた。


「その・・・落とし穴にたくさんの杭が配置されていました。多くの兵がそれで・・・」

ゴロクが眉をひそめて話す。


こんな事を考えるのは・・・


「シリか。相変わらず喰えない女だ」

ゼンシが悔しそうにつぶやいて、レーク城を見上げた。


その脳裏には不敵に笑うシリの姿が映った。


弱小のはずのワスト領。


この3年間、何度も争っては決着がつかないまま取り逃していた。


さらに武器製造や堀、戦費までも稼ぐようになっており、その裏では、実の妹が糸を操っている。


「どうしましょうか・・・」

ゴロクが指示を仰ぐ。


「兵の数は我々の方が多い。焦らずとも運はまわる。

夕刻まで絶えず攻撃を仕掛けろ。少しでもワスト領を弱らせろ」

ゼンシが命じた。


初日はワスト領が優位に立った。


レーク城内の士気は上がり、皆が高揚していた。


「倍以上の兵がいても勝ったぞ!」

チャーリーが興奮して叫んだ。


「見たか?ミンスタ領の兵達は悲鳴をあげていたぞ」

ロイも興奮を抑えきれずに話す。


「まだ争いは始まったばかりだ」

グユウが淡々と話し、シリはうなずいた。


「暗くなったら領民達に死体の処理、弾丸、弓、石の回収をお願いしましょう」

シリが指示をした。


あくる日、レーク城の堀周辺から大きな石が続々と投げられた。


予想できない石の攻撃にミンスタ領の兵達は右往左往した。


石だけではない。


強固な堀によじ登った兵達が待っていたのは、

鉄砲、弓矢、さらなる石の攻撃が待っていた。


「前より強くなっている・・・」

ゴロクがつぶやく。


攻撃は高所の方が有利だった。


どうしたものか・・・思案に暮れていると、耐え難い悪臭が漂ってきた。


振り返ると汚物にまみれたキヨとビルが、立ちくすんでいた。


「また、汚物か・・・」

ゴロクは鼻をつまみ、ひとつため息をついた。


キヨとビルの鎧から、まだ悪臭が立ちのぼっていた。


「兵の顔が・・・死んでいた」

ビルがぼそりとつぶやく。


本陣には風呂もない。このまま戦えというのか。


「・・・ロク湖で水浴びをする」

キヨがつぶやいた。


「今が夏で良かったな」

ゴロクが慰める言葉はこれしか浮かばなかった。


「これもワスト領の妃が考えているのか」

ビルが忌々しそうに吐いた。


「おそらく・・・」

ゴロクは答えた。


汚物の攻撃は3日間続いた。


ミンスタ領の兵達は疲弊してきた。


予想もつかない攻撃、周到に用意された罠、戦意喪失する汚物。


夜が更けた時にミンスタ領の重臣達は、ゼンシの元に集まった。


「あの城は強固だ。籠城で戦い続けることは難しい」

ゼンシは顎を撫でながらつぶやく。


「はい。野戦なら半日で勝てるはず」

ビルが悔しそうに吠えた。


身体中に染みついた悪臭に、タダシが少し距離をとる。


「シリめ・・・」

少し顎をあげゼンシがつぶやいた。


「ゼンシ様、どうしましょうか」

ゴロクが再び質問をした。


「待つのだ」

ゼンシの声は揺るぎがなかった。


「何を・・・待つのですか?」

ビルが怪訝な表情をする。


「いずれわかる」

ゼンシがゾッとするほど美しい微笑みを浮かべた。


◇◇


「明日は・・・汚物じゃなく、熱湯にします」


シリがさらりと告げたその一言に、グユウは目を丸くした。


「そ、それは・・・熱いな」


「鍋も燃料も準備済みです。あとは、楽しむだけですね」


どこか少女のように目を輝かせるシリに、グユウは言葉を失った。


ーーこの人は本気だ。


「楽しんでるな」

グユウが呆れたように言うと、シリはくすっと笑った。


「・・・そうですね」


ふと、空気が変わる。


グユウはそっと彼女の手をとり、シリの顔を見つめた。


ーーこの人は、本当に、オレのものなのだろうか。


いつも気丈で、誰にも心を明け渡さない。


戦場でも、政でも、人の上に立つ強さを持っている。


けれど今、こうしてオレを見上げる目は、

どこか怯えて、どこか迷って、それでも・・・俺を求めているように見えた。


青い瞳に映る俺の姿が、ふと愛しく思えて。


気づけば、唇が触れていた。


ああ、やっぱり。


どんなに強くあろうとしても、彼女はひとりの女で。


自分だけが知っている、その震えが、堪らなく愛おしい。


その美しい青い瞳に自分の影が映った。


グユウは少し身を屈めて、少しずつ顔を寄せ、

唇が触れ合う瞬間に目をつぶった。


「グユウさん・・・明日も争いがありま」

シリの声は途中で途切れた。


「ん・・・」

少し身体を震わせ、声にならない声をシリが漏らす。


グユウはその反応を味わうようにシリの唇を当てる。


そのままシリの後頭部に手をやり、口づけを続けた。


ようやく唇を離すと、

多くの人がひれ伏すと言われている勝気で強い瞳は、

揺れて乙女の色を出してくる。


シリ自身も、「嫌」と言いながら、心の奥では、

グユウの腕に包まれることを、なぜだか安心している自分がいた。


ほんの少し、目を閉じた。


ーーわかっている。この戦に勝ち目はない。


それでも私は、城を守る。策を練って、士気を保って。


それはただ、この時間を少しでも延ばしたいから。


あなたと一緒に、もう少しだけ。


たった一秒でいい。


この人の隣にいられるなら、私は命さえ差し出せる。



この時代の理想の女性像は、

『疑問を持たず、口にせず、微笑んでいる方が可愛らしい』だった。


シリの性格とは対極で、彼女の気の強さは周囲から有名だった。


親友のトナカにも、その気の強さに辟易とし、

『見た目は良いけれど付き合いきれない』と評されていた。


けれど、グユウはそんなシリのことを好ましく思っていた。


情事のさなかでも、シリの気の強さは現在だった。


ギュっとグユウにしがみつきながら、『嫌だ』『やめて』とシリが文句を言う。


「そうか」

なだめるようにグユウがつぶやく。


「嫌です・・・」

熱を帯びた潤んだ瞳でシリはグユウを見上げる。


それは、シリの本心ではないのはグユウは承知していた。


「あぁ」

駄々をこねる子供をあやすように伝える。


怒って、泣いて、それでも自分に身をゆだねてくる彼女が、堪らなく愛おしかった。


そんな彼女を知るのは、自分だけだと思えることが、何よりの誇りだった。



争いは1週間、ワスト領優先で続いた。


不思議なことにミンスタ領は負け戦を甘んじていた。


「妙だわ・・・」

シリがつぶやいた。


気が短いゼンシらしくもない。


「兄は・・・何を考えているの?」

シリの不安と疑問は的中した。


次回ーー


夫を送り出す妻。

愛する人の胸で眠る妃。

戦の影で笑う男。

三つの祈りが交差するとき、運命は静かに軋み始めた。



明日の17時20分 怖い夜

暖かくなってきて雪が溶け始めました。

春ですね。

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