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その手に触れた夜のあとで


「シリ様、そろそろ朝食のお時間です」


エマの柔らかな声に、シリはのろのろとベッドから身を起こした。


足元には微かな違和感。全身がふわりと宙に浮いているような、不思議な感覚だった。


エマが手際よくブラシで髪をといてくれる。


窓の外には、いつものように鍛錬するグユウの姿。


その黒髪が朝陽に濡れてきらめいている。



昨夜の記憶が、じわりと胸の奥に蘇る。


グユウは2度目の結婚のはずなのに、女性に慣れているとは言い難かった。


ぎこちない手つき、戸惑うような視線。


けれど。


ーーあの人は、私を壊れもののように、大切に・・・。


思い出しただけで、頬が熱くなる。


どうして、私・・・あんなにしがみついていたのかしら。


恥ずかしくて、消えてしまいたいほどだった。


朝食の席で、どんな顔をすればいいの・・・?




エマは鏡越しに、シリの表情を見つめていた。


20年の付き添い。


この姫が赤子のころから世話をしてきた。


ーー美しく育った。


誰もが目を奪うほどに。


けれど、どこか人より賢すぎて、不器用で、危なっかしい。


それでも、何があっても守りたいと思える、たった一人の姫だった。


今朝のシリは――幸せそうに見えた。


「シリ様、お支度が整いましたよ」


「・・・エマ。あの、花瓶の赤いバラ。髪に挿したら、変かしら?」


その恥じらう声に、エマはふっと笑みを漏らす。


洋服、髪型、お化粧を、全てをエマに任せていて無頓着だったシリ。


髪型を気にするなんて大きな進歩だ。


「とてもお似合いになります。小ぶりな方が、より映えるかと」


エマがそっと花を挿すと、シリは鏡をのぞきこむ。


「似合う、かしら?」


「ええ。とても、素敵です」



鍛錬を終えたグユウが食堂に現れた。


テーブル越しにシリとグユウは目が合う。


「おはようございます」

シリは恥ずかしくて頬に血が上り、ぶっきらぼうに言ってしまった。


ーーあぁ。もっと優しい言い方にすれば良かった。


「あぁ」

グユウは答えたけれど、いつもと変わらぬ表情をしている。


何事もなかったように淡々と朝食を食べている。


ーー会話がないのは仕方がない。


口下手な人なのだから。


それでも、昨夜の後なので少し欲張りになってしまう・・・。



グユウはシリの存在はもちろん、

左耳の上に挿してある赤いバラにも関心を示さなかった。


グユウの反応を見て、シリは1人で舞い上がった自分が恥ずかしくなった。


ーー私だけ緊張しているなんてバカみたい。


シリは髪に挿した赤いバラを引き抜いてポケットにしまった。


朝食後、グユウは婚礼の儀式で滞っていた領務に取りかかる。


シリはモヤモヤとした気持ちを抱え、花嫁道具の整理整頓をした。


ようやく日常生活が戻った気がする。


午後は、赤ん坊のシンと面会した後にゼンシ宛に報告の手紙を書いた。


城内で何度かグユウとすれ違ったが、

グユウは相変わらずいつもと同じ表情だった。


シリとは目も合わせない。


そんな態度にシリは苛立ちが増してきた。



夕方になり、レーク城の周辺を散歩してみた。


馬場に行くと、小高い丘の先にオレンジ色に色づいたロク湖が見える。


ロク湖には小さな島がぽっかりと浮かんでいる。


「散歩か」

突然、後ろから声をかけられてびっくりして振り向く。


グユウだ。


黒い髪をなびかせ、真っ黒な瞳、相変わらず無表情。


グユウは湖の先をぼんやりと遠くを見つめていた。


シリは横目でグユウの顔をみた。


ーーキレイな横顔だわ・・・。


「身体は大丈夫か」

突然、グユウが問う。


ーー身体?


あぁ。昨夜のことを気にしているのね。


「だ・・・大丈夫です!」

その問いに、シリは咄嗟に背を伸ばした。


「そうか」

そのまま沈黙。


沈黙を破ったのはグユウから。


「ゼンシ様に手紙を出しているのか」

「はい」

「それが仕事だ。励んでくれ」


シリの仕事、それはワスト領の情報をミンスタ領に提供することだ。


それはわかっている。


けれど、その言い方は政略結婚なので、

深い付き合いや恋愛感情は持たないと宣言されたような気持ちになる。


ーー昨夜、あんなに優しくしてくれたのに。


今日は、素っ気ない態度といつもの無表情だ。


目も合わせてくれない。


優しくしてくれたと言っても、ベッドの中での口づけ、手つき、目つき、これくらいのことしかない。


シリは小さなため息を落とした。


ーー私は愚かで、ロマンスを夢見た女だったわ。


いいわ。これからはもっと賢くなる。


賢く、慎重になろう。


もう、その場の雰囲気で流されない。


一瞬でもグユウに対して浮かれていた自分を愚かに感じた。


ポケットに入ったままの赤いバラを握りしめた。


「ええ。励みます」

シリは背筋を正し、硬い声で答えた。




その夜。


もはや監視もない寝室。


シリがベッドに入ると、グユウはシリをチラッと見た後に背中をむけた。


一日中、グユウの態度に振り回されていたシリは、その態度に抑えきれない憤りを感じた。


次の瞬間、ひらりとベットから抜け出してグユウの目の前に立ちすくんだ。


「グユウさん、昨夜の私にご不満ですか」


次回ーー

すれ違いも涙も越えて。

その夜、二人はようやく本当の夫婦になった。

胸に宿ったぬくもりは、もう後戻りできない絆へと変わっていた。


「昨夜の私にご不満ですか」

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