必死に生きてこそ、争いは勝つのだ
「善は急げだ。ワシが先陣を務める。ついてこい」
ゼンシは少し顎を上げて言い放った。
家臣達は呆然としながらゼンシを見つめた。
その青い瞳は、負けず、曲げない、強い意志が宿っている。
ゼンシは無言で愛馬を操り、荒れ狂う川に入ろうとしていた。
「お待ちください!!」
古老の重臣 ゴロクが意見を言った。
ーーゼンシ様は決めたことを必ずやり遂げる。
常人では考えられない途方もないゼンシ様の意見を、
止めれる家臣はいない。
けれど、ここはゼンシ様を止めなくていけない時だ。
「ゴロク、どうした」
ゼンシの声は怒りが孕んでいた。
川を渡ろうとしたのに止められた。
「ゼンシ様、この荒れている川を渡るのは危険が伴います。
川の流れが落ち着くまで、少々待ちましょう」
ゴロクは汗だくでゼンシに伝えた。
ゴロクの話すことは正しい。
しかし、ゼンシの眼差しは冷たいものだった。
「ゴロクは、お前は懸命に生きているのか?」
ゼンシの問いにゴロクは顔を上げる。
「はい。ゼンシ様のために懸命に生きているつもりです」
ゴロクは真っ直ぐにゼンシの青い瞳を見つめた。
「ならば、もっと必死に生きろ」
ゼンシは顎を上げて言い放った。
ゴロクは口を開けてゼンシを見つめた。
ゼンシは燃えるような青、諦めを知らぬ光で荒れ狂う川を見つめた。
「この川は渡れる。必死にやり遂げなくては争いには勝てない」
ゼンシはそう言い残し、川を渡り始めた。
ゼンシが渡り始めたので、他の家臣達も後には引けなくなった。
皆が無事に渡り終えたのを確認した後、
ミンスタ領は国王が籠る城の四方を包囲した。
「火を放て」
ゼンシの静かな声が響いた瞬間、油を染ませた布が城の四方に投げ込まれた。
数瞬ののち、風にあおられた火がぱちりと音を立て、乾いた枝のようにあたりを飲み込んでいく。
どこからともなく上がる悲鳴。
濃い黒煙が天を突き刺し、城門の内外で火柱が弾けた。
湿った木材が爆ぜ、火の粉が空に舞い、逃げ遅れた兵が混乱の中をさまよっていた。
「く、くせ者か!? 水はどこだ!」
「煙で・・・見えない!」
城内は、命令の声すら届かない。
熱気に満ちた空間で誰もが咳き込み、指示を待つどころではなかった。
逃げ場のない要塞は、炎によって檻となり、人々を閉じ込めていく。
高楼から外を見下ろしていた国王は、唇を噛み締めた。
「・・・籠城が通じぬと、申すのか」
家臣が怯えた声で進言する。
「陛下・・・このままでは、兵も領民も焼け死にます。ご決断を!」
しばしの沈黙ののち、国王は肩を落とした。
そして、白旗が掲げられた。
それを見届けたゼンシの顔には、歓喜も怒りも浮かばなかった。
ただ、静かに顎を上げる。
「これで終わりではない」
――この一戦で、ゼンシは王権の頂に一歩近づいた。
すでにカイ領の領主ゲンブは病に倒れ、残る敵は、シズル領とワスト領のみ。
燃え盛る城の残骸を前に、ゼンシは口元をゆがめて笑う。
「必死に生きてこそ、争いは勝つのだ」
◇◇
同じ頃、レーク城周辺は激しい雨が降っていた。
昼下がりの午後、子供部屋は賑やかだった。
生後4ヶ月のレイが寝ている籠に、兄姉達が群がっている。
シリとグユウは、その光景を見ながらソファーに座っていた。
レイは際立って可愛くなってきた。
丸く引き締まった頬はうすいピンク色で、涼やかな切れ長の瞳は父親譲りだった。
小さな手には、指の根本一つ一つにエクボが刻まれており、
髪の毛は父親譲りのインクのような黒かった。
ユウやウイの遊びにはまるで興味を示さず、
けれどシリが話すと、そのたびに首を動かして追おうとするのだった。
「レイはいつになったら笑うの?」
母親譲りの金色の髪を揺らしたユウが、心配そうにつぶやく。
隣にいるウイは、レイにむかって百面相をしているけれど、
レイは笑う気配すらない。
それどころか、不思議な生き物を見ているような顔をして、
姉を見つめている。
シンと乳母の子供シュリがお腹を抱えて笑っている。
「そうね。私もレイの笑う顔を見たいわ」
シリも不安げに答えた。
シリの声にレイが反応した。
レイはシリにむかって顔を傾け、ジッとシリの顔を見つめた。
レイは無表情を崩さなかったが、
瞳は熱心でそれでいて内気な訴えるような何かがあった。
シリとグユウは、その瞳から目を離せなくなった。
その瞳は、シリを求めるグユウの瞳のようだった。
「グユウさんに見つめられているみたい・・・」
シリは思わず声に出した。
「オレは・・・ああいう瞳をするのか?」
グユウは戸惑いながらシリに質問をした。
「ええ。特に寝室で・・・」
そこから先は答えなかった。
ここは子供部屋なのだ。
シリは、その瞳に吸い寄せられるようにレイの元に座り込んだ。
籠からレイを抱き上げ、その柔らかい身体を抱きしめると、突然、レイが声を立てて笑い出した!
「笑った!!」
ウイが嬉しさのあまり叫んだ。
皆がシリの周囲に集まった。
クックっと喉を鳴らし、嬉しそうな可愛い笑い声が子供寝屋に響く。
その笑いはレイの顔に大きな変化を与えた。
可愛いエクボが2つ頬に現れ、黒色の瞳は笑いが溢れているように見えた。
「なんて可愛いの!」
シリは心が弾み、焦がれるような気持ちでレイを抱きしめた。
レイの絹のような良い匂いのする小さな頭と、よく肥えた小さな頬に唇を落とし、ソファーに座った。
「笑うともっと可愛いね」
シンは嬉しそうに小さな指が自分の指をつかむがままにしながら言った。
ユウが甘えた顔でシリに擦りより、ウイはグユウの膝の上に座った。
ーー子供達はどんどん成長していく。
あと10年もすれば、爪先だってくる青春が来て、
シンは、グユウの跡を継ぎ、娘達は嫁ぐかもしれない。
その時まで・・・・愛し、導き、グユウと子供の成長を見守りたい。
今の戦況では、数ヶ月先の未来を夢見ることすら贅沢だった。
無邪気に過ごす子供達の背後には、以前より濃くて深い影が忍び寄ってきている。
それでも、こうして家族で集うと、シリは夢を見ずにいられなかった。
その笑い声をかき消すように、遠くで雷鳴が響いた。
その日の夜、グユウは目を覚ました。
カーテンの隙間から、黒塗りの空に月が朧げに輝いている。
眠っている間に雨は上がったようだ。
床に散らばった衣類を取り上げ暖かいベットから離れる。
寝室にある水差しから、水を一口飲んで喉の渇きを潤した後、
グユウは窓辺のソファーに座った。
ぐっすりと眠るシリの隣にいたら、髪に口付けをしたくなり頬を撫でたくなる。
平静さを取り戻すことができなくなるので、こうしてソファーに座った。
静かな夜だった。
だが――耳を澄ませば、風の音が変わっているのがわかる。
木々のざわめきが、一瞬だけ止まった。
まるで、夜そのものが息をひそめたかのようだった。
その刹那、どこからか犬の遠吠えが響いた。
グユウはハッとし、わずかに顔を上げる。
ーー争いが近い。
この夜の平和な静けさは仮初のもので。
月が欠けていくように、
近いうちに、きっとその日は来るだろう。
「この予感・・・外れるとありがたい」
グユウは独り言のように、誰にともなくつぶやいた。
次回ーー
夕刻、運命は動く。
「国王が敗れた」
グユウの言葉に、シリの膝が崩れた。
その夜、二人は抱きしめ合いながら、
避けられぬ戦と別れの予感を、静かに受け入れていた。
明日の17時20分 死ぬより辛いこと




