私の望みは最後の瞬間まで自分らしく生きること
「これが投石棒か」
トナカは目を見開いて棒を見つめた。
シリとトナカはレーク城の敷地内に立っていた。
「この武器の扱いは安全性が高いので、少年兵でも扱えます」
傍で立っていたジムが説明をした。
小さな手で石を選ぶ少年の指が、泥で汚れている。
少年兵が投石棒に石を設置して、棒を押すと、遠くに石が投げられる。
「こんな武器を考えるなんて・・・シリ、すごいな」
トナカは感嘆のため息をつく。
「大きな石が理想ですが、小さな石でも活用したいと考えています」
シリはトナカの賛辞が耳に入らないようだった。
頭の中は、新しい何かで占められている。
「小さい石が武器になるのか?」
「致死には至らないけれど・・目潰しには有効かな・・・と。
大きな石の合間に、小さな石達を投げて、敵を惑わす・・・」
シリはブツブツと呟きながら考えていた。
トナカの問いに答えるというより、自分に発言しているような言い方になっていた。
「ジム、試してみたいの」
シリの提案にジムは嬉しそうにうなづく。
少年兵達が小石を袋に集め投げると、石は途中で散らばり雨のように落ちた。
「飛距離は伸びないけれど・・・合間に投げるのは良いかもしれないわ」
シリが満足気に微笑む。
「敵兵も動揺するでしょうね」
ジムが静かに答えた。
「ええ。もっと精度を上げるために何度か実験をしましょう。石は山ほどあるわ!」
シリの瞳はキラキラと輝いていた。
傍で眺めていたトナカは思わず唸った。
棒とその辺に落ちている石を武器にする。
それを考えついたのは、領主でもなく、重臣でもなく妃だった。
「投石棒の仕組みについてジムに教えてもらえ」
トナカは自分の重臣達に命じた。
「シリ、いいか」
トナカは倒れている倒木に腰をかけ、空いている隣を叩いた。
振り向いた親友の妻は、質素な服をまとっていたが輝くような美しさがあった。
帽子をかぶっていない頭は、熟れた小麦のような色をした輝く髪を
豊かに編んだのが冠のように頭に巻き付けてあった。
シリはトナカの隣にそっと座った。
2人は少年兵の動きを観察していた。
しばらく続いた沈黙をシリはふいにやぶった。
「グユウさんに聞いたのですか?」
驚いて顔を上げたトナカの瞳をシリはジッと見つめた。
決意を込めた瞳の色と深さにトナカは思わず息を呑んだ。
トナカはシリに質問をしたかった。
『なぜ、グユウと殉じるつもりなのか』
トナカは背筋がヒヤリとした。
「そうだ。よくわかったな」
心の動揺を上手に隠したつもりだ。
シリは物珍しそうにトナカを眺めた。
トナカは、いつものようにへだてのない口調で話した。
「気になっただけだ。妃が領主と殉じるなんて聞いたことがない」
「そうですね」
シリは穏やかに言った。
「子を産んだばかりだろ?ユウもウイも幼い」
「ええ。あの子達は生かしたいと思っています。その準備をしています」
シリは、何度も回答の練習をしたような口調で滑らかに話す。
「俺の妻達は・・・俺が死んだら生家に帰るつもりでいる。3人とも若い。幸せになってほしいと思っている」
トナカはそう言った後に、思い切ったように続けた。
「グユウだってそう思っているはずだ」
ーー確信をついた。
トナカはシリの瞳を見つめた。
「政略結婚で・・・グユウさんと出会えたのは幸せでした。
こんな私に似合う人はいないと半分諦めていました」
シリは日焼けをし、少し荒れた手を握りしめた。
「確かに。シリのような妃が嫁いできたら俺は震える」
トナカの発言にシリはフッと微笑んだ。
「長生きしたとしても、グユウさんのような人と出逢うことはないでしょう」
シリは確信を込めて言った。
トナカは黙ってうなずいた。
ーー同じ領主だからわかる。
グユウのようにシリの行動を認め、見守れる男は少ないだろう。
しかも、領主ならいない。
「私の望みは最後の瞬間まで自分らしく生きること」
シリは胸に手をのせて話す。
女性が自分らしく生きる。
聞き慣れない言葉だった。
少なくともトナカの妻達は考えもしない発言だろう。
トナカは吸い込まれるようにシリを見つめた。
「女に生まれた以上、嫁ぎ先を選ぶことができません。
けれど、どんな風に生きたいか。選択肢があるのなら私は選びたい」
そこまで言い切ってシリは、トナカを見つめた。
「グユウさんと共に命を散らします」
迷うことがない強い瞳を見てトナカは脱帽した。
ーーこんな風に宣言されたらお手上げだ。
もう誰もシリを止めることができない。
惚れたわけじゃない。
ただ、ああまで強く、美しく、揺るぎない人間を見たことがない。
自分自身にそう言い聞かせながらも、トナカの心はざわついていた。
「シリらしい」
トナカはため息をついてつぶやく。
「こういう時代です。生きるだけが全てだとは限りません」
シリは優しく微笑む。
トナカは何か返そうとして、けれど言葉が見つからなかった。
その沈黙を破るように、ジムが近づいた。
「お話中にすみません。投石棒の角度について伺いたいことがあって・・・」
「すぐに行くわ」
シリが答えた。
「トナカさん失礼します」
シリは微笑んでスカートを持ち上げて駆け出した。
ふくらはぎが丸見えだ。
風が吹き、倒木の影がわずかに揺れる。
トナカは空を仰いで、もう一度、小さく息を吐いた。
「スカートが捲れている・・・」
呆れたように笑いながら、トナカは視線をジムとシリに向け直す
「オーエン」
トナカは近くにいた重臣のオーエンに声をかけた。
いつも感情を見せないオーエンだったが、今日は違っていた。
シリを見つめるその瞳に、なにかしらの痛みが宿っているように、トナカには見えた。
トナカは、誰かに愚痴りたくなったのだ。
年齢が近いオーエンなら、わかってくれるような気がした。
「どうされましたか」
オーエンが近づきながら声をかける。
「ワスト領の妃は取り扱いが難しい」
トナカは疲れた顔をしていた。
「そうですね」
珍しくオーエンが笑った。
トナカはシリの座っていた倒木を軽く叩いた。
「まぁ座れ」
「いえ・・・私は・・・」
ワスト領の重臣とはいえ、シズル領の領主の隣に座るのは恐れ多い。
「良い。俺は生まれて初めて女に言い負かされた。愚痴を言わせてくれ」
トナカの軽口に、オーエンは苦笑いをしながら隣に座った。
2人の目線の先は、シリに注がれていた。
投石棒の角度について、皆と意見を交換していた。
どこにいても眼に立つほどの際立った美しさだった。
「あの顔であの気性。敵わない」
トナカは呆れ半分、尊敬半分で話す。
「強いお心の持ち主です」
オーエンはつぶやいた。
「オーエン、シリの覚悟は知っているか?」
トナカはオーエンの顔を見ずに質問をした。
覚悟について詳しくは語らないけれど、勘が良いオーエンなら察するだろう。
オーエンは視線を上にむけ、少し迷った後に話した。
「口にこそ出していませんが・・・覚悟は察しています」
重臣の身で、シズル領の領主にどこまで話していいのかわからなかった。
「さっき、その件について聞いてみた。揺るがない」
トナカの発言に、オーエンは少しだけ切なそうな瞳をした。
「やはり・・・そうですか。シリ様なら・・・全うでするでしょう。
決めた事は必ずやり抜くお方です」
オーエンの口調は、尊敬と敬い、そして悲しみの気持ちが溢れていた。
ーー重臣としてではなく、男として傍にいたい。
けれど、それは叶わぬ願いだと、とうにわかっている。
オーエンはその思いを胸の奥に押し込め、顔には出さなかった。
オーエンの脳裏には、離婚協議に同行した時のシリの瞳を思い出した。
ーー負けず、曲げない、決意を込めた瞳。
それと同時に、離婚協議後に馬車の中で泣き出したシリの顔も思い出した。
「決めた事とはいえ・・・内心は怖いのではないでしょうか」
その声は少し震えていた。
ーー好いた女性が覚悟を決めている。
それと同時に、とてつもない不安や恐怖を表に出さず胸に秘めていることも知っている。
やめろと伝えたい。
死ぬなと頼みたい。
怖いのだろうと抱きしめたい。
けれど、そこに寄り添うのは自分ではなくグユウなのだ。
トナカはチラッとオーエンを横目で見た。
かたわらにいるオーエンの苦しそうな目と複雑な顔立ちを見れば、
重臣というより、ただの1人の男のように見えたのだ。
オーエンの表情は、シリへの隠しきれない想いが表に出ていたので、
トナカは何も言えなくなってしまった。
「罪な女だ」
陽の光を浴びて笑っているシリを見て、トナカはつぶやいた。
笑顔はまるで希望のように明るいのに、その背中は、すでに夜の中にあるように思えた。
ついに150回目の更新です。ここから読み始めた方も最初から読み始めた方もありがとうございます。
次回ーー
「幸せに」――
その言葉を最後に、トナカはレーク城を去った。
もう二度と、彼と笑い合う朝は来ないかもしれない。
残されたシリとグユウは、わずかな平穏の中で互いを抱きしめる。
けれど、その静けさは嵐の前触れだった。
明日の17時20分 友との別れ




