シリを死なせたくないから、オレは生きる
6月、遠くの空に金色に霞む早朝だった。
「兄者はどこへ行った?」
ワスト領の砦では、エルが兄、キヨを探していた。
家臣に聞いても誰も居場所を把握していない。
砦の外を探してみると、崖の端にハゲネズミのキヨが佇んでいた。
キヨはレーク城を一身に見つめている。
ーーまたシリ様のことを考えているのか。
エルは眉毛をひそめ、呆れたように声をかけた。
「兄者、ここにいましたか」
声に呆れの音色が出てしまうのは仕方がないこと。
最近のキヨは、熱心にレーク城を眺めることが多い。
「おお、エルか。どうした」
キヨは、弟に声をかけたが視線はレーク城から離れない。
「今日はロク湖周辺の見回りに行く予定です。準備が出来次第、行きましょう」
「予定は取りやめだ」
キヨは相変わらずレーク城を眺めている。
「なぜ?」
キヨが指差す方向には2台の馬車が見えた。
白地に三つの黒い花柄が馬車に刻まれている。
「シズル領の馬車」
エルがつぶやく。
「あぁ。それも領主と重臣が乗っている。上等な馬車だ」
ニヤリとキヨが笑う。
「シズル領の領主とグユウ殿は仲が良いと聞いています」
エルは領民から聞いた話を伝えた。
「これからシズル領の砦にむかう」
キヨは砦にむかって足を早めた。
「なぜ?」
エルが慌てて追いかける。
「領主が不在の間に話をすすめるぞ」
キヨの茶色の瞳は野心が宿っていた。
「レーク城が揺らげば、ワスト領の未来も揺らぐ。
そのとき・・・このわしがが何を食うか、見ているが良い」
キヨはひとりごちるように笑った。
キヨの状況判断は素早い。
成功の匂いがする場所や人物を見極め、すぐに行動をする。
天性の感の良さがあった。
支度を早々と済ませ、キヨは馬を走らせた。
領民からミンスタ領の重臣へ登り詰めた兄 キヨの猛烈な出世ぶりを
エルは身近で見ていた。
武力で相手を打ち負かすのではなく、
戦わずに仲間を得る才能があるキヨは、弟からみても凄い人物だ。
「兄者は次に何を考えているのか・・・」
見る見るうちに小さくなるキヨの後ろ姿を見ながら、
エルはつぶやいた。
◇◇
「これは、また器量が良い赤ん坊だな」
レーク城の客間にはトナカの朗らかな声が響いた。
トナカは春に産まれた子供の顔を見にきてくれた。
シリとグユウの三女 レイ・センは確かに美しい赤ん坊だった。
涼しげで真っ黒な瞳は、父親に似て凪いだ夜の湖のようだった。
「瞳がグユウさんそっくりなの」
シリは嬉しそうに話した。
頭の上で一つにまとめた美しい金髪は、黄金の冠をのせたようにも見える。
シリはレイの上に屈み込んでばかりいた。
「確かにグユウは男にしてはキレイな顔立ちだ」
トナカは顎に手を当て唸った。
「シリが美しいからだ」
グユウは真面目な顔で返事をした。
グユウの無自覚な発言に、トナカは戸惑い、シリの頬は赤く染まった。
シリはレイを籠から抱き上げ、小さな丸い繻子のような頬に、
自分の熱く火照った頬をすりつけてゾクゾクするような喜びを味わった。
「この子がいない人生なんて・・・考えられないわ」
シリは愛おしげにレイを見つめた。
◇◇
「ゲンブ様が亡くなった」
トナカは書斎の椅子に座りながら、ため息をついた。
「あぁ」
相変わらず、グユウの返事は短かった。
トナカとグユウは書斎に移動していた。
領主同士で今後について話し合う必要が2人にはあった。
2人は黙って自分たちの足元を見つめた。
「国王は財力がある。再び、ミンスタ領と争うだろう。」
トナカはつぶやいた。
グユウは黙って聞いていた。
トナカは、少し黙った後に思い切った口調で切り出した。
「俺は・・・国王が負けると思っている」
「オレもそう思っている」
グユウは静かに答えた。
「今のミンスタ領の兵は神がかっている」
トナカは悔しそうに話した。
「この3年間、あれだけの敵と戦っても勝ち続ける。軍も兵も強いのだろが・・・やはり・・・」
グユウはその先のセリフを言えなかった。
ーーゼンシは凄い。
口に出したら認めることになりそうで言えなかった。
2人は、しばらく黙っていた。
残る反ゼンシ派は、国王とシズル領、ワスト領のみになってしまった。
「争いは何があるかわからない。勝敗は運が左右することが多い」
トナカは自分に言い聞かせるように言った。
「例え、負けるとしても・・・オレは1日でも長くワスト領とこの命を保ちたい」
グユウは真っ直ぐに前を見つめながら話した。
グユウの発言はトナカは目を見張った。
この時代、グユウの発言は珍しいものだった。
トナカもグユウも、幼い頃から領主の作法を学んでいた。
争いに敗れ、領が滅びるときは、領主は責任を取り自刀をするのも作法の1つだった。
潔く、美しく死ぬことが良しと言われるこの時代に、
『1日でも長くこの命を長く保ちたい』という発言は稀だった。
「グユウ・・・それは何故?」
トナカが質問をするとグユウはうつむいた。
「前にも話したが・・・シリはオレに殉ずる覚悟でいる」
グユウはつぶやいた。
トナカは拳を膝に当てて、ぐっと押し込んだ。
シリという存在の重さが、今さらながら胸に迫る。
以前、グユウは「シリが城に残る」と話したことがあった。
トナカはグユウの死を見届けてから、シリはミンスタ領に帰ると思っていた。
まさか、一緒に死ぬつもりだとは…
「本気か?子が産まれたばかりじゃないか・・・」
トナカの声は緊張を帯びてくる。
「あぁ。出産後にシリに聞いてみた」
グユウは、数日前の昼下がりのことを思い出していた。
有頂天でレイを可愛がるシリに、躊躇いながらグユウは質問をした。
『まだ決意は変わらないのか』と。
相変わらず、グユウの質問は主語や説明がなかった。
それでも、その質問の意図を察したシリは、例の深く強い眼差しで微笑んだ。
『私の決意は変わりません。あなたと共に最後までいます』
滑らかで迷いがない美しい声で話した。
グユウは深いため息をついた。
「決意は変わらない」
――新たな命を抱いてなお、決意が揺るがない。
その強さが、どれほど恐ろしいものか。
グユウは、痛いほどに知っていた。
グユウの発言にトナカは思わず息を呑んだ。
この時代、領が滅びたら領主と息子は死ぬ運命にあった。
けれど、妃と姫は命の保証があった。
生家に帰るのが常識だった。
ーー妃が領主と殉ずる話は聞いたことがない。
「そんな話・・・聞いたことがないぞ」
トナカの声は触れるほど硬い声だった。
妃といえども、作法はある。
でも、それは誰かを攻撃するものではなく自分の身を守るための作法だ。
辱めを受けた時に自刀することはあるけれど・・・領主と共に殉じるのはあり得ない。
「シリに世の常識は通用しない」
グユウは淡々と話す。
トナカは何も言えなかった。
ーー確かにシリに常識は通用しない。
嫁ぎ先と生家が対立した時に、離婚が常識と言われる中、
シリは自らが離婚協議に乗り込んだ前例がある。
トナカ自身、シリが男装をし、馬を乗りこなし、
争いの場に行き、重臣会議に参加して、発言と提案をするシリの姿を見て度肝を抜いた。
この5年間、シリは多くの常識をひっくり返し、新しい仕組みに組み替えてきた。
「オレは・・・シリを死なせたくない。そのためには・・・もがいてみせる」
グユウは組んだ指先を白くなるほど握りしめて答えた。
そんなグユウの表情を見て、トナカは何も言えなかった。
ーーこの心優しい親友とその妻が一緒にいるためには、何としてでも国王はゼンシに勝ってもらいたい。
心からそう思った。
次回
新しい武器を生み出す妃の瞳は、未来を見ていた。
けれどその背中には、すでに“終わり”の影が落ちている。
「私の望みは、最後の瞬間まで自分らしく生きること」
その言葉は、戦の風よりも鋭く、美しく、哀しかった。
明日の17時20分 一緒に死ぬつもりか?




