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怖いのは、死ではなく幸福の終わり


「ゲンブ様が亡くなった」

グユウが沈んだ声でシリに伝えた。


グユウの答えに、シリは思わず花を取り落とした。


床に広がる白い花を一瞥し、ふらりと客間のテーブルまで歩いた。


ーーカイ領の領主 ゲンブが亡くなった。


なかなか受け入れられない出来事だった。


ゼンシ率いるミンスタ領に、唯一対抗できる力がある領主だった。


震える手で手紙を読むと、

出陣中に病気で亡くなったと書いてあった。


「そんな・・・」

それしか言葉にできず立ち尽くす。



足元に散らばった白水仙から、爽やかな甘い香りが広がった。


「カイ領は強領だ。けれど、領主ゲンブ様が亡くなれば勢力は弱まるだろう」

グユウは淡々と話した。


シリ自身も何度か、そういう領の話を耳にしている。


カリスマ性を持った領主が亡くなることで、家臣が一斉に離れ、敵領に攻められ消失することがある。


カイ領は打倒ミンスタ領を掲げて争っていただけではなく、

軟膏を大量に購入してくれた。


ワスト領にとって辛い損失だった。


シリは立ってられず椅子に座った。


胸の動悸が強くなり、耳元でドクドクなっていた。

手先がスゥと冷えてくる。


シリのささやかな願い、グユウと共に子供達の成長を見守ることが叶わぬ夢のように感じた。


重臣達の表情は暗く沈んでいた。


シリは目を閉じて、深呼吸をした。


閉じた瞼の裏には、敵である兄 ゼンシの顔が浮かんだ。


どんなに苦しい争いが控えていても、

兄 ゼンシは、恐れを知らず、少し笑みを含み、堂々と振る舞っていた。


大きな争いが控えている時、ゼンシはゆっくりと歩み、顎をあげていた。


今ならわかる。


ーーゼンシだって、不安で逃げ出したくなる時があっただろう。


それをチラッとも見せず、堂々とふるまっていた。


その姿を見て、シリを始め多くの家臣、侍女、女中、馬丁も、

『ゼンシがいるなら大丈夫』と安心したものだった。


シリの胸中は不安で揺れていた。


大きな勢力、カイ領の領主が亡くなった今、

ワスト領の滅亡が足音を立てて近づいてきている。


ーー不安で怖い。


本当は、ベットにもぐりこんで泣きたい。


けれど、領主の妃ならば不安を表に出してはいけない。


ゼンシのモノマネをしよう。


瞼を開けたシリの瞳は、強い光を放ち、口元は微笑んでいた。


「ゲンブ様にはお世話になりました」

シリの澄んだ声が客間に響いた。


皆がシリを見つめた。


シリは、わざとゆっくりと床に落ちた白水仙を拾った。


「ミンスタ領と互角に争い、たくさんの軟膏を買ってくれたわ」


白水仙の花をかき集めた後に、スクッと立ち上がった。


「けれど、一度もお逢いしたことがないです」

強く輝く青い瞳に白い肌、金髪の髪、

胸に白水仙を抱えたシリの姿は、絵のように美しかった。


グユウを始め、家臣達は魅入るようにシリを見つめた。


シリは白水仙をテーブルに置き、グユウの背後にまわった。


グユウの肩に手を置き、顎を少し上げた。


「一度も会った事がない人の死を嘆くのは時間の無駄だわ。

今、この瞬間、ここにいる人は誰も怪我をしていません」

シリは皆を見回し、一人一人に目を合わせた。


グユウの肩に乗せた手に力が籠る。


「ワスト領を守るためにも、最後の瞬間まで諦めないで頑張りましょう!」

毅然とした表情で言い切った後、場の空気が一気に変わった。


オーエンが真っ先に立ち、グユウの隣に座るマサキに頭を下げた。


そして、暗灰色の大きな目でグユウとシリをじっと見つめた。


思い入った決心を眉に集めて、オーエンは片膝を床についてひざまづいた。


「私の命、セン家と共にあります」

そう宣言をして、頭を下げた。


オーエンの発言の後に、続々と重臣達が習うようにひざまづいた。


「感謝する。座ってくれ」

短い言葉だったけれど、グユウの声は暖かい音色だった。



その日の夜、寝室の窓辺でグユウとシリは佇んでいた。


星が瞬く音が聞こえそうな静かな夜だった。


「星が降るようだわ」

平和な静けさを、壊したくなくてシリはグユウにささやいた。


「今日は・・・感謝している」

唐突にグユウが話した。


疑問に思い、シリは顔を上げた。


グユウはシリの肩を抱き、自分の方に寄せた。


「ゲンブ様の件は残念だが・・・重臣達との結束は強まった」

グユウはシリの顔を見つめた。


「ええ」


「・・・オレだけなら、皆をあんな風にまとめられなかった。

オレは、声を上げるのが下手だし・・・信念があっても、それを口にすることなどできない」

グユウは俯きがちになった。


「そんな事・・・」


「自分の事は、よくわかっている。オレは領主の器ではない。シリの方が・・・ずっと・・・」

グユウは言いかけた。


「グユウさん、私も怖くて仕方ないのですよ」

シリが打ち明けた。


驚いた顔をしたグユウの顔を見て微笑む。


「カイ領の後ろ盾がなくなることは恐ろしい。

残る反ゼンシ派はわずかです」


「あぁ」

グユウがつぶやく。


冬の間、国王はミンスタ領に敗れた。


3年前、多くの領が反ゼンシ派だったけれど、その領のほとんどはゼンシの手によって滅ぼされた。


「近いうちに・・・兄は私達を滅ぼす・・・」

シリはグユウの服をギュッと握った。


「・・・怖がっているようには見えなかった」

グユウがシリの手を優しく包んだ。


「当然じゃないですか。妃が怖がっていたら重臣達の不安は強くなるでしょう。

・・・ここは意地でも踏ん張る時だと思いました」

シリは引き攣った笑いをした。


「その考えは・・・」

答えはわかっていたけれど、グユウは質問せずにいられなかった。


「兄です」

悔しそうにシリは漏らした。


グユウは黙ってうなずいた。


ーーシリを苦しめた義兄を殺したいほど憎らしい。


けれど、領主としては尊敬せずにいられない。


憎みきれない強さと魅力が義兄にあった。


「モノマネでも良い。危機が訪れた時ほど、強い領主らしく振る舞うしかないのです」


シリは、グユウの胸元に身を預けた。


グユウの体温と心臓の音、清涼な香りを近くに感じた。


「けれど・・・本当は怖いです」

シリは声を震えないように低い声で話した。


ーーきっとみっともない顔をしている。


妃らしくもない弱々しい怯えた女の顔だ。


顔を隠すように擦り寄る。


「死ぬことが怖いなら・・・」


ーーミンスタ領に戻るべきだ。


グユウはそう言おうとした。


シリはグユウの言葉を察して、キッと顔を上げた。


「死ぬことが怖いのではないのです。

今のこの暮らしが…幸せな暮らしが壊れるのが怖いのです」

その瞳は、妃というより、ただ1人の若い女性のようだった。


シリはグユウに強くしがみついた。


「とても怖いです」

その声は震えていた。


グユウは何も言わずにシリをじっと見つめた。


気休めに『大丈夫』と言えない戦況だった。


言葉が出ない分、強く抱きしめて、震えるシリの唇に唇でふさいだ。


長い口づけが終わり、唇が離れた後、シリの顔は、

グユウ以外に見せることのできない表情になっていた。


その顔が嬉しいようで、グユウはシリの顔を見て少し微笑んだ気がする。


「強いシリも好いているが・・・」

グユウはシリの長い髪を優しく耳にかけた。


「弱音を吐くシリも愛おしい」

グユウは微笑んで髪に唇を落とした。


完全なるグユウの微笑みに、シリは抑えきれないほど胸が熱くなる。


「シリ」

大きな手がシリの頬を包む。


見上げると、額にそっと口づけが落ちた。


「オレの前では甘えてほしい」

グユウが優しく話す。


シリは何も言えずにコクコクとうなずく。


「オレも見習う。強い領主ではないが・・・それらしく振る舞う」

グユウはシリの背中を抱きしめた。


「モノマネがいつか・・・本物になれるように務める」

グユウは腕の力を強めた。


「はい」

シリもグユウを抱きしめ返した。


ーーあと何回、こうしていられるのだろう。


力強い抱擁に幸せを感じながら、シリはぼんやりと考えた。


いつまでもこうしていられたら。


そんな願いが胸に芽生える、静かな静かな五月の夜だった。




次回


レーク城では新たな命を抱いたシリとグユウが、

静かに迫る戦の気配を前に、互いの覚悟を確かめ合っていた。


「オレは、シリを死なせたくない」

優しさと絶望のあいだで揺れる声が、春の終わりの空に溶けていった。



明日の17時20分 シリを死なせたくない

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