欲という名前の愛
「3度目の春が来た」
淡い水色の空を見ながら、砦の中でハゲネズミのキヨは背伸びをした。
「今年もひどい雪だった」
キヨの弟エルがつぶやいた。
2人は春の風を浴びながら、レーク城を取り囲んでいる土塁と堀を眺めた。
大雪が降ったせいで、土塁のあちこちが崩れていた。
「ワシが不在の間、土塁の補修を頼む」
キヨはエルに頼んだ。
「承知。今日もシズル領の砦に行くのですか?」
人懐っこいキヨは、ワスト領内だけではなく、シズル領の砦に出向き、
そこの家臣達に、ミンスタ領に味方するように勧誘をしていた。
「あぁ。領境の砦は抑えた方が良い。
ゼンシ様がカイ領と争っている間は、ワシはワシなりの争いをする」
キヨは手早く旅支度を終えた。
「気をつけて」
「今日は酒だけではなく女をつけるぞ」
キヨはニヤッと笑う。
片手の包みには、手土産のワインが数本はいっている。
酒と女があれば、人と人との距離は縮めることが容易い。
「女遊びはほどほどに・・・ミミ様に知られたら怒られますよ」
エルは呆れたような口調で、キヨの妻の名前を出した。
不器量で貧弱な身体を持つキヨだが、不思議と女性に不自由をしたことがなかった。
機転が利き、プライドが低いキヨは人の心を掴むことが得意だった。
屈託のない笑顔の裏には、計算高く、醜悪な野心が見え隠れしていた。
そんなキヨの裏の顔をシリは把握しており、彼を激しく嫌っていた。
「ミミはわかってくれるはずだ。あそこに未来の第2夫人も控えている」
キヨが指を刺した先をエルが見ると・・・そこにはレーク城があった。
「兄者・・・まだシリ様のことを」
エルの声は本当に呆れていた。
「当たり前だ。そうじゃなかったら、こんな雪深い土地に3年もいるはずがない。
早くあの城を滅ぼして、シリ様をお迎えするのだ。行ってくる!」
意気揚々とキヨは砦から出発した。
「諦めないな・・・」
砦に残されたエルは独り言をつぶやいた。
ーー兄のように強くも賢くもない。
けれど、せめて冷静でいたい。
エルはそんな自分を苦笑しながら見送った。
エルはシリと直接会った事がない。
領民出身のエルにとって、シリに逢える機会は皆無だ。
けれど、シリの噂話は耳にすることが多い、
圧倒的な美しさと佇まい。
美しい澄んだ青い瞳と、ひとすじ、ひとすじが生きているような黄金の髪の色。
そして、領主 ゼンシにも似た非凡なオーラと眼差し。
その眼差しで見つめられたら、ひれ伏したくなると聞く。
シリを実際に見た人たちは、
恍惚とした顔でため息混じりにシリの容姿を話す。
ーーそのシリを第2夫人にしたいと話すなんて途方もない夢だ。
無謀な夢に対して、諦めることなく、
着々と準備を重ねる兄を、エルは呆れ半分、尊敬半分の気持ちを抱いた。
この地で暮らすこと3年。
仲良くなった領民の話を聞くと、
シリとワスト領の領主 グユウは大層仲が良いらしい。
「グユウ殿は、どうやってシリ様の心を掴んだのだろうか」
エルの疑問は思わず唇から出てしまった。
◇◇
「シリ、そろそろ・・・いいか」
夜が更けたレーク城の寝室で、グユウは真剣な表情でシリに質問をしていた。
「まだ・・・身体の回復が・・・」
シリは耳まで赤くなりながら答えた。
出産して1ヶ月半が経った。
シリはグユウの要求を何回か断っていた。
普段なら『そうか』とグユウは納得するはずなのに、今夜は引かない。
「シリ、客観的に見て妊娠中より動いている気がする。
乗馬もしている。 身体の回復とは・・・何だ?」
グユウは首を傾げながら質問をした。
その疑問は、邪なものではなく純粋に思っていることだった。
「それは・・・」
シリは言い淀む。
「オレが嫌いになったのか?」
グユウはストレートに聞いた。
このように結婚当初に比べたら、グユウのコミニケーション能力は目覚ましく進歩した。
昔なら、目も合わせず無言を貫いていただろう。
「そんなことないです」
シリは必死に否定する。
「それでは・・・なぜ?」
グユウは、ますますわからないという顔をした。
「・・・体型が戻らないのです」
シリは真っ赤な顔で打ち明けた。
ーーユウやウイの時と違って、出産後の体型が戻らない。
グユウの前では、いつでもキレイな自分でいたいのだ。
「問題ない」
グユウは、あっという間にシリをベットに誘う。
「元に戻るまで待ってください!」
シリは必死だった。
「待てない」
グユウはシリの顔を包み込むようにして、口づけをした。
シリの勢いが少し弱まった。
「グユウさん。ダメです。きっとがっかりするはずです」
シリの腰は引けている。
「大丈夫だ」
「大丈夫ではありません。せめて・・・真っ暗にしてくれますか?」
弱々しく提案をした。
カーテンを閉めてない窓には春の月は眩しく輝き、炉のあかりもある。
夜にしては薄明るい。
「オレは夜になると目が見えなくなる」
グユウはキッパリと言い放ち、シリの艶やかな髪に顔を埋めた。
「そんな情報、初めて知りました!嘘ですよね?」
シリは必死だ。
ベットに横たわったシリにグユウは覆い被さった。
月明かりの下のグユウは、こんな状況なのに憎たらしいほど平常どうりの顔だった。
ーー私ばかりが動揺している・・・。
「・・・どうして、こういう時に限って、お口が達者なんですか・・・」
動揺していることが悔しくて、つい軽口を叩いてしまう。
シリの上に覆い被さっているグユウと目があった。
グユウは手の動きを止めて、考えた後に口を開いた。
「シリを目の前にして・・・我慢できるほど強くはない」
「争いでは、最前列で戦っていたじゃないですか」
シリは言い返した。
グユウの身体は傷だらけだった。
敵兵に対して強靭な身体と意志があったように思う。
組み敷かれたシリの顔に、グユウの顔が近づき、
薄い唇からの吐息が混じり合いそうなほどの近さで低く囁く。
「シリはいつもキレイだ」
そんな事を言われたら嬉しくなってしまう。
その夜、何度も名前を呼ばれ、何度も褒められた。
グユウの甘い掠れた声と熱い眼差しに、シリの恥ずかしさと緊張と快楽が許容範囲を超えた。
シリはどんどん自分の欲が強くなるのを感じていた。
争いが始まった3年前は、グユウと一緒に過ごせる日が
1日でも長く続く事が夢だった。
ーー今は違う。
産まれたばかりのレイは可愛いし、
グユウと一緒に子供達の成長を見守りたい。
大事に想う人との絆が深くなり、家族が増えると欲が増えてしまう。
その夜の熱の余韻が残るまま、春の朝が来た。
・・・だが、その幸せは長くは続かなかった。
白水仙を抱えたシリが上機嫌で客間に入ると、重臣達が意気消沈して座っていた。
「どうしたのですか?」
皆の顔を見て、シリの声は緊張で震えた。
テーブルの上には羊皮紙が置かれていた。
明らかに良くないニュースがあったのだろう。
グユウが沈んだ声でシリに伝えた。
「ゲンブ様が亡くなった」
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次回ーー
頼みの綱だった同盟の崩壊、そして迫る滅亡の足音。
それでもシリは微笑み、立ち上がる。
震える心を隠して、皆を導くために。
彼女の強さは、恐怖を飲み込みながら咲く花のように――静かで、美しかった。
明日の17時20分 モノマネが本物になれるように




