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妾はいない、ただ一人を愛して


「シリ、教えてくれ。土塁はどこに設置したら良い?」

レーク城の客間にはトナカの声が響いた。


季節は秋の終わりになっていた。

外は雷を伴った叩きつけるような雨だった。


こうなると、北側の領地の土塁作りも、領土争いも中止になる。


「トナカ、シリを質問攻めで殺す気か」

グユウは呆れたようにつぶやく。


「良いだろ。シリ、教えてくれ」

トナカはシリの元、土塁、籠城の準備の方法、武器製造などを学んでいた。


暖炉の低い焔が、時々ひらっ、ひらっと舞い上がって周辺を明るく照らす。



「私が兄上だったら・・・シズル城の西側を攻めます」

澄んだ声でシリは地図を見つめた。


「西側?どこの辺だ」

トナカは地図を手に持ち、シリのそばに詰め寄る。


「りんごが焼けるまで待ってください」

シリが微笑む。


シリ、グユウ、トナカは3人で雨の昼下がりを客間で過ごしていた。


激しい雷雨は疲れた兵達に休息をもたらす。


シリはスライスされたりんごを串に刺し、炙っていた。


暖かい暖炉の近くでシリの髪は黄金色に輝いていた。

その黄金色の髪が青いドレスの肩にかかり映える。


グユウは眩しいものを見るようにシリの顔を見つめ、

その後、小さなため息をついた。


シズル領の協力のお陰で北側の門と土塁は、予定より早く完成しそうだ。


一方、ワスト領はキヨとの領土争いは平行線のままだった。


このままレーク城周辺を包囲されたまま、冬を迎えることになる。




激しい雨は夜になっても勢いが落ちなかった。


寝室の窓の外は濃い雨に閉ざされる。


「トナカは質問魔だな」

ソファーに座ったグユウは、暖かい暖炉の前で足を暖めていた。


レーク城では、シリとジムの行く先々に、

トナカと羊皮紙とペンを持った重臣2人がついてまわった。


「ええ。すごいですよ。何でも質問する」

隣に座ったシリが微笑む。


「あいつは・・・女が争いのことで口出しをするのを嫌っていたはずなのに」

グユウの声は、ほんの少しだけ拗ねたような音色になった。


「そこがトナカさんの凄いところだと思います。考えが柔軟だわ」

シリは微笑む。


シリが褒めると、グユウは少しだけ唇を引き締めた。


「グユウさん、ヤキモチですか」

シリは、からかうような口調でグユウの顔を見上げるように覗きこんだ。


その瞳は、炉の光を受けて美しく青く輝いており、グユウは目が離せなくなる。


「なぜ・・・」

そんなに感情が顔に出ていたのだろうか。

思わず、グユウは顔に手を当てた。


「グユウさんの顔を見れば・・・大体の気持ちはわかりますよ」

シリはグユウの口元に覆われた手を、細い指ですいと撫でる。


気づかれてしまったかと、グユウは少しだけバツが悪い気持ちを抱えて、ため息をついた。


こんなに独占欲を抱えるなんて・・・自分でも戸惑う。


「・・・いいか?」

グユウは遠慮がちにシリに質問をする。


何に対しての『いいか』は口に出さないけれど、

恥ずかしそうにうつむくシリをじっと見つめる。


「良いですけれど・・・」

耳まで赤くしてシリはつぶやく。



シリの瞳を覗きこんだ後に、グユウは自然と目を細めた。


「嬉しいのですか?」

シリは顔を赤くしたまま質問をした。


「そんな顔をしているのか?」

グユウは再び驚く。


自分がそんな顔をしているのかわからない。

でも、シリにはそう見えるのだろう。


「ええ・・・」

シリの声は寝室に吸い込まれた。



翌日になっても雷雨はやまなかった。


「雨は当分降るようですし・・・トナカさんと温泉に行ったらどうですか?」

シリが提案した。


レーク城の麓、重臣カツイの屋敷のそばに温泉が沸いている。


「のんびり、湯に浸かっている場合では・・・」

そんなグユウの発言をかぶせるように、


「グユウ、行くぞ」

まるで城の主人のようにトナカが声をかけた。


2人を乗せた馬車を見送った後に、シリは厨房にむかった。


今年の秋も、りんごは豊作だった。

収穫したりんごを煮る甘い香りが城内に漂う。


「母上!りんごのにおい!」

シンが跳ねる。


鼻をヒクヒク動かすシンの手をつなぎ、久々に子供部屋にむかった。


戦のことも、雷の音も、その時ばかりは忘れられた。



脱衣所でシャツを脱いだグユウの背中を見て、トナカはギョッとした。

グユウの背中を見るのは10歳の時以来だ。

ギョッとしたのは、グユウの身体にある無数の切り傷ではない。


「グユウ、家臣達の前で背中を見せるなよ」

トナカが半分笑いながら話す。


「家臣達はオレの傷を知っている」

グユウは何食わぬ顔で返事をする。


「今も朝は鍛錬をしているのか?」

幼い頃からグユウは、早朝に鍛錬をしている。


「あぁ」


「鍛錬後はシャツを脱いで水を浴びるのか?」

トナカの含み笑いは止まらない。


「ああ。鍛錬の後は暑いから脱ぐ」

グユウの問いにトナカは腹の底から笑う。


「何がおかしい」

グユウは不思議そうな顔をしながら湯に浸かった。


「そりゃあ、家臣は言えないわ」

トナカも腹を抱えながら湯に浸かった後に、気持ちよさそうにため息をついた。


グユウは訝しげに眉をひそめた。


「背中の派手な引っかき傷」

トナカがニヤリと笑う。


グユウは、まだ理解しないようで首を傾げている。


「昨夜、引っ掻かれたのか。少し前のもたくさんある。仲が良いな」


この言葉で、グユウはようやく気付いたようだ。


昨夜、グユウにしがみついたシリがつけた背中の引っかき傷。


目を見開いて、わずかに頬にさっと朱がのった。


わかりやすく驚いたグユウの顔を見て、トナカは驚いた。


こんな表情をするグユウは見たことがない。


「グユウ、妾は?」

答えはわかっているけれど思わず聞いてしまう。


「・・・いない」

グユウは鼻まで湯に浸かった。


こうしていると、顔の表情がわからないとばかりに浸かっている。


「シリは妊娠中だぞ」

呆れたようにトナカは揶揄する。


「・・・シリの乳母にも呆れられている」


ーーきっと、背中を見た家臣達にもそう思われているはずだ。


グユウは恥ずかしさのあまり、いたたまれない気持ちになった。


トナカは、結婚前のグユウの無表情だった黒い瞳を思い出した。

何事にも動じず、全ての感情を覆い隠した凪いだ瞳、周りと打ち解けず寡黙だったグユウ。


その瞳の中に、こんなにもわかりやすい情熱を宿していたことを、

幼い頃から共に過ごしていたトナカですら知らなかった。


そんなグユウを変えたのは・・・トナカは苦笑いをした。


「妾を持たないなんて、俺にはあり得ないけれど…」

トナカは苦笑いをした。


ーーそう思ってきた。けれど、そこまで誰かを想える人生は、どんなにか幸せだろう。


「そこまで惚れ抜く相手と結婚したグユウが羨ましい」

真面目な顔でグユウに伝えた。


トナカの言葉に、目を伏せたままグユウは黙ってうなずいた。


ーー城に戻って、シリに背中の件を話したら顔を真っ赤にして怒るだろう。


二度と服を脱ぐなと叱られるかもしれない。


雨が上がれば明日から争いが始まる。


秋の終わり、束の間の休息だった。


評価をくれた方がいます。ものすごく励みになります。

自宅の周辺は雪だらけですが暖かい気持ちになりました。


次回ーー


「国王とゼンシが決裂した」

静かな冬の兆しの中で、時代の歯車が音を立てて動き出す。

交わされた約束は、春を待つ者たちの――ほんの束の間の希望だった。


明日の17時20分 あの血が欲しい

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