妾はいない、ただ一人を愛して
「シリ、教えてくれ。土塁はどこに設置したら良い?」
レーク城の客間にはトナカの声が響いた。
季節は秋の終わりになっていた。
外は雷を伴った叩きつけるような雨だった。
こうなると、北側の領地の土塁作りも、領土争いも中止になる。
「トナカ、シリを質問攻めで殺す気か」
グユウは呆れたようにつぶやく。
「良いだろ。シリ、教えてくれ」
トナカはシリの元、土塁、籠城の準備の方法、武器製造などを学んでいた。
暖炉の低い焔が、時々ひらっ、ひらっと舞い上がって周辺を明るく照らす。
「私が兄上だったら・・・シズル城の西側を攻めます」
澄んだ声でシリは地図を見つめた。
「西側?どこの辺だ」
トナカは地図を手に持ち、シリのそばに詰め寄る。
「りんごが焼けるまで待ってください」
シリが微笑む。
シリ、グユウ、トナカは3人で雨の昼下がりを客間で過ごしていた。
激しい雷雨は疲れた兵達に休息をもたらす。
シリはスライスされたりんごを串に刺し、炙っていた。
暖かい暖炉の近くでシリの髪は黄金色に輝いていた。
その黄金色の髪が青いドレスの肩にかかり映える。
グユウは眩しいものを見るようにシリの顔を見つめ、
その後、小さなため息をついた。
シズル領の協力のお陰で北側の門と土塁は、予定より早く完成しそうだ。
一方、ワスト領はキヨとの領土争いは平行線のままだった。
このままレーク城周辺を包囲されたまま、冬を迎えることになる。
◇
激しい雨は夜になっても勢いが落ちなかった。
寝室の窓の外は濃い雨に閉ざされる。
「トナカは質問魔だな」
ソファーに座ったグユウは、暖かい暖炉の前で足を暖めていた。
レーク城では、シリとジムの行く先々に、
トナカと羊皮紙とペンを持った重臣2人がついてまわった。
「ええ。すごいですよ。何でも質問する」
隣に座ったシリが微笑む。
「あいつは・・・女が争いのことで口出しをするのを嫌っていたはずなのに」
グユウの声は、ほんの少しだけ拗ねたような音色になった。
「そこがトナカさんの凄いところだと思います。考えが柔軟だわ」
シリは微笑む。
シリが褒めると、グユウは少しだけ唇を引き締めた。
「グユウさん、ヤキモチですか」
シリは、からかうような口調でグユウの顔を見上げるように覗きこんだ。
その瞳は、炉の光を受けて美しく青く輝いており、グユウは目が離せなくなる。
「なぜ・・・」
そんなに感情が顔に出ていたのだろうか。
思わず、グユウは顔に手を当てた。
「グユウさんの顔を見れば・・・大体の気持ちはわかりますよ」
シリはグユウの口元に覆われた手を、細い指ですいと撫でる。
気づかれてしまったかと、グユウは少しだけバツが悪い気持ちを抱えて、ため息をついた。
こんなに独占欲を抱えるなんて・・・自分でも戸惑う。
「・・・いいか?」
グユウは遠慮がちにシリに質問をする。
何に対しての『いいか』は口に出さないけれど、
恥ずかしそうにうつむくシリをじっと見つめる。
「良いですけれど・・・」
耳まで赤くしてシリはつぶやく。
シリの瞳を覗きこんだ後に、グユウは自然と目を細めた。
「嬉しいのですか?」
シリは顔を赤くしたまま質問をした。
「そんな顔をしているのか?」
グユウは再び驚く。
自分がそんな顔をしているのかわからない。
でも、シリにはそう見えるのだろう。
「ええ・・・」
シリの声は寝室に吸い込まれた。
◇
翌日になっても雷雨はやまなかった。
「雨は当分降るようですし・・・トナカさんと温泉に行ったらどうですか?」
シリが提案した。
レーク城の麓、重臣カツイの屋敷のそばに温泉が沸いている。
「のんびり、湯に浸かっている場合では・・・」
そんなグユウの発言をかぶせるように、
「グユウ、行くぞ」
まるで城の主人のようにトナカが声をかけた。
2人を乗せた馬車を見送った後に、シリは厨房にむかった。
今年の秋も、りんごは豊作だった。
収穫したりんごを煮る甘い香りが城内に漂う。
「母上!りんごのにおい!」
シンが跳ねる。
鼻をヒクヒク動かすシンの手をつなぎ、久々に子供部屋にむかった。
戦のことも、雷の音も、その時ばかりは忘れられた。
◇
脱衣所でシャツを脱いだグユウの背中を見て、トナカはギョッとした。
グユウの背中を見るのは10歳の時以来だ。
ギョッとしたのは、グユウの身体にある無数の切り傷ではない。
「グユウ、家臣達の前で背中を見せるなよ」
トナカが半分笑いながら話す。
「家臣達はオレの傷を知っている」
グユウは何食わぬ顔で返事をする。
「今も朝は鍛錬をしているのか?」
幼い頃からグユウは、早朝に鍛錬をしている。
「あぁ」
「鍛錬後はシャツを脱いで水を浴びるのか?」
トナカの含み笑いは止まらない。
「ああ。鍛錬の後は暑いから脱ぐ」
グユウの問いにトナカは腹の底から笑う。
「何がおかしい」
グユウは不思議そうな顔をしながら湯に浸かった。
「そりゃあ、家臣は言えないわ」
トナカも腹を抱えながら湯に浸かった後に、気持ちよさそうにため息をついた。
グユウは訝しげに眉をひそめた。
「背中の派手な引っかき傷」
トナカがニヤリと笑う。
グユウは、まだ理解しないようで首を傾げている。
「昨夜、引っ掻かれたのか。少し前のもたくさんある。仲が良いな」
この言葉で、グユウはようやく気付いたようだ。
昨夜、グユウにしがみついたシリがつけた背中の引っかき傷。
目を見開いて、わずかに頬にさっと朱がのった。
わかりやすく驚いたグユウの顔を見て、トナカは驚いた。
こんな表情をするグユウは見たことがない。
「グユウ、妾は?」
答えはわかっているけれど思わず聞いてしまう。
「・・・いない」
グユウは鼻まで湯に浸かった。
こうしていると、顔の表情がわからないとばかりに浸かっている。
「シリは妊娠中だぞ」
呆れたようにトナカは揶揄する。
「・・・シリの乳母にも呆れられている」
ーーきっと、背中を見た家臣達にもそう思われているはずだ。
グユウは恥ずかしさのあまり、いたたまれない気持ちになった。
トナカは、結婚前のグユウの無表情だった黒い瞳を思い出した。
何事にも動じず、全ての感情を覆い隠した凪いだ瞳、周りと打ち解けず寡黙だったグユウ。
その瞳の中に、こんなにもわかりやすい情熱を宿していたことを、
幼い頃から共に過ごしていたトナカですら知らなかった。
そんなグユウを変えたのは・・・トナカは苦笑いをした。
「妾を持たないなんて、俺にはあり得ないけれど…」
トナカは苦笑いをした。
ーーそう思ってきた。けれど、そこまで誰かを想える人生は、どんなにか幸せだろう。
「そこまで惚れ抜く相手と結婚したグユウが羨ましい」
真面目な顔でグユウに伝えた。
トナカの言葉に、目を伏せたままグユウは黙ってうなずいた。
ーー城に戻って、シリに背中の件を話したら顔を真っ赤にして怒るだろう。
二度と服を脱ぐなと叱られるかもしれない。
雨が上がれば明日から争いが始まる。
秋の終わり、束の間の休息だった。
評価をくれた方がいます。ものすごく励みになります。
自宅の周辺は雪だらけですが暖かい気持ちになりました。
次回ーー
「国王とゼンシが決裂した」
静かな冬の兆しの中で、時代の歯車が音を立てて動き出す。
交わされた約束は、春を待つ者たちの――ほんの束の間の希望だった。
明日の17時20分 あの血が欲しい
続きが気になった人はブックマークをお願いします




