滅びるくらいなら、変えてみせる
「シリ様 お久しぶりでございます」
商人ソウが頭を下げた。
ここはレーク城の客間。
シリとソウは数ヶ月ぶりに再会していた。
グユウは今、城の麓で戦っている。
奪われた領土を取り戻すために、野外戦の指揮を執っていた。
街道が開いたと聞きつけ、他領で商いをしていたソウはすぐに駆けつけてくれた。
「争いの最中、こんなに軟膏を作って・・・素晴らしいです」
ソウが口にした。
「ソウ、今度はどこの領へ行くの?」
「今度は・・・ミンスタ領に行きます」
「・・・そうですか。ミンスタ領でゲンブ様も争っていますものね」
シリは静かにうなずく。
「はい。ゲンブ様の所に行ったら他の領へ向かいます。この軟膏は・・・良いものです」
陶器の入れ物を撫でながらソウは微笑む。
「春になったら・・戻ってきて。その頃にはアオソ布ができています」
ソウは夏に売れた軟膏の料金は支払ってくれた。
大きなお金だった。
ーーこのお金で・・・家臣や領民達の支払いを賄うことができる。
シリは、胸の奥からそっと安堵の息を吐いた。
◇
グユウが不在の間、シリの忙しさは増すばかりだった。
野外戦では怪我人が絶えない。
兵の食事、看病、寝床の手配・・・すべてを采配するのは、彼女だ。
レーク城内では、領民の女性たちが軟膏作りとアオソ布の製織に励んでいた。
「領民は奉仕で手伝っているのか?」
北の土塁建設現場で、トナカが尋ねた。
シリとトナカ、そしてシズル領の重臣たちは、土塁作りを見下ろせる高台にいた。
シズル領の兵も作業に加わっている。
彼らは帰還後、自領で同じものを築く予定だった。
領民が領のために無償で働くことを奉仕と言う。
労働が税金の代わりになる。
「違うわ」
シリは即答した後、ほんの一拍、風を受けるように静かに息を吸った。
「・・・労働に対して金銭を支払っています」
トナカは驚いたように眉を寄せた。
「この土塁作りもか?」
本来、これは領民が奉仕作業とし取り組むことだった。
「ええ。班分けをしてね。早く達成したチームには褒美も与えているの」
シリはさらりと答える。
まるで、それが当然であるかのように。
「皆、競うように頑張ってくれるわ」
シリが微笑む。
——張り切る、か。
トナカの胸に、ふと疑問がよぎった。
「なぜ、領民に金銭を払う?」
彼の声には、半ば呆れの色が混じっていた。
そんな事を続けていたら、いずれ財政は底をつくではないか。
「家を焼き払われた領民達にとって必要なのは金銭です」
言いながらシリは、遠く土塁作りに汗を流す人々を見つめた。
一瞬の沈黙。
風の音だけが、辺りを渡る。
「あぁ」
トナカは納得できない表情でうなづいた。
ーーシリの話していることは間違ってない。
けれど、金銭がかかれば領政を圧迫しかねない。
「労働の対価を支払えば、領民達は張り切って行うわ。土塁も立派なものができる。
軟膏もアオソ布も大量に生産できる。その売上で領は豊かになる」
そう語るシリの声に、確かな信念があった。
トナカは喉の奥で息を飲んだ。
「・・・とはいえ、重臣たちは反対したのでは?」
「そうね。最初はひどいものだったわ。特にオーエンと義父上の反対はすごかったわ」
シリは鼻に皺を寄せた。
「それは・・・」
トナカは絶句した。
だが、内心では頷いていた。
そうなるのも無理はない。
費用をかけずに領を立て直す、それが当然の道のはずだった。
「義父上は『セン家を滅ぼすつもりか!!』と怒鳴ったわ」
シリが話す言葉にトナカは黙ってうなづく。
「兄と戦う限り、戦乱が続き、領民は家と田畑を焼かれる。領民に未来はない。
領民を守れないならば滅びたほうがマシ 義父上に言ってやったの」
青く深い瞳で、シリはまっすぐに語った。
その目に射すような光を見て、トナカは一瞬、息を忘れた。
——美しい。
言葉にできぬ思いが、胸の奥に滲んだ。
「間に立ったグユウさんが、今までと違う結果を出したければ違う行動をしないと。
そう言って押し切ってくれたの」
シリは微笑んだ。
トナカはその光景を簡単に想像できた。
きっと凄まじいものだっただろう。
「けれどね、結果として・・・軟膏の売上は、これまでの税収を超えました」
シリは誇らしげに微笑んだ。
目は星のように輝いていた。
トナカは黙った。
またしても、自分とグユウの差を痛感していた。
ーーそんな発言をする妃など、普通なら部屋に閉じ込めるところだ。
ふと、胸の奥に浮かんだ本音に、トナカ自身が驚いた。
「シリ・・・その考えはどこから・・・?」
言いながら、トナカは息を潜めた。
奇抜な発想、恐れ知らずの実行力、圧倒的なカリスマ性。
ーーなぜ、この妃はこんなにも強いのか。
「それは・・・おそらく兄です。私の考えの源は・・・兄から得たものが多い」
シリの顔が、ふと曇った。
「ゼンシか?」
「トナカさん、兄・・・ミンスタ領が休まず争いができる理由を知っていますか?」
不意の問いに、トナカは戸惑った。
「・・・強いから?」
トナカの問いにシリはふふっと微笑んだ。
「違います。兄には“専属の兵士”がいるのです」
「専属・・・?」
驚きが、トナカの声ににじんだ。
この時代、争いの時の兵の7割は領民だった。
なので、田畑の作付けや収穫が忙しい農繁期は兵不足で争いができなかった。
「賃金で雇った専属の兵士ならば、農繁期も争いができる。
農民が命を落として田畑が荒れることもない。
絶えず争いを続けることができるから・・・ミンスタ領は強領です」
シリは淡々と話す。
「・・・それは莫大な財力があるからこそ」
トナカが話す。
「ええ。兄は領主であると同時に、優れた商人でもあります」
シリの声には、わずかな悔しさが滲んでいた。
「ワスト領にそんな財力はありません。でも・・・限られた予算で領と領民を少しでも豊かにしたい」
その言葉には、強い光があった。
ーー敵わない。
トナカはそう思った。
グユウを始め、ワスト領の重臣達がシリを認め、崇拝する気持ちがわかる。
「支払った賃金は、周りまわって自分たちの元に帰ってくるの。
領民達は手に入れた賃金で、城下町でお金を使う。家を建てるために材木を買う。
さっきもソウの商店の売り上げは良さそうだったわ」
トナカは長く息を吐いた。
遠くで笑い声がする。
領民たちが、土塁作りを楽しそうに進めていた。
「・・・おい。今までの話、記録をしろ」
振り返り、トナカは重臣に命じた。
次回ーー
雷鳴が城を揺らす夜。
戦の合間、わずかな休息の中で、二人の距離は静かに近づいていく。
だが翌朝、雨が上がれば――再び戦が始まる。
その夜の温もりが、最後になるかもしれなかった。
明日の17時20分 夜の恥ずかしい傷




