親友が羨ましい夜
「北側の領土はシズル領が守る。ワスト領はキヨ殿と戦ってくれ」
トナカが提案した。
「トナカ・・・こちらとしては、ありがたい提案だ。
けれど、シズル領に戻らなくてもいいのか?」
グユウが聞いた。
ゼンシが軍を引き上げたのなら、シズル領は帰っても良いはずだ。
明後日から、ワスト領はキヨとの陣地争いが始まる。
ハゲネズミ・キヨが率いる兵はわずかなので、今回の争いは籠城せず野外戦で争う。
「北側の門と仕掛けが完成したら帰る」
トナカは答えた。
そうすることで、ワスト領は安心してキヨと戦うことができる。
「・・・感謝する」
グユウがつぶやいた。
「シリ、例の件のことだが・・・そろそろ発表しないか」
グユウが咳払いをしながらシリに話した。
例の件、シリの妊娠のことだ。
「まだ・・・発表には早いと思います。キヨが領内にいますし・・・」
シリの肩はびくりとはね、視線が泳ぐ。
先ほどの会議では、真っ直ぐに見据えるその勝気な瞳は、不安げに揺れている。
「いや。ゼンシがいなくなれば…」
「グユウさん そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。春までには・・・」
シリの口調は歯切れが悪く、頬が赤くなる。
「しかし・・・」
シリの反応を見て、迷っていたグユウだったが、
怪訝そうな顔をしたオーエンと目があった。
「いや。話そう」
急に決断した。
「シリに子ができた。来年の春に産まれる」
言葉は淡々としていたが、その声には嬉しさが滲んでいた。
重臣達は驚きの表情をした。
「おめでとうございます」
ジムが真っ先に声をかけ、続々と皆が続いた。
「こんな時に・・・すみません」
シリが口ごもる。
「シリ、めでたい事じゃないか。謝る事なんて一つもない」
トナカが優しく声をかけた。
トナカの声を聞いて、シリは泣きたくなった。
妊娠はおめでたい事だった。
争いの最中にそういう感情を忘れかけていた。
こんな風に口にしてもらえると嬉しくて戸惑う。
オーエンは少し寂しそうな顔をしながら微笑んでいた。
「グユウ、何かお祝いをしたいな」
トナカは、まるで自分が城の主人ように提案する。
「・・・主人はオレだ」
わずかに口元が上がったグユウが答える。
「今日はチキンパイを用意しています。シズル領の皆さんの分もあります」
ジムが微笑みながら話す。
「よし!グユウ、祝いに飲もう!ゼンシ撤退とシリの妊娠祝いだ」
トナカが音頭を取り、皆を盛り上げた。
「・・・オレは飲まない」
グユウの声は歓声の中でかき消されたが、その目は柔らかくシリに注がれた。
シリも涙目になった瞳を輝かせ、嬉しそうにグユウを見つめた。
◇
夕食に提供されたチキンパイは絶品だった。
「こんな美味しいパイは初めてだ」
トナカは絶賛した。
シリも同席をしたが、1時間ほどしてエマに戻るように命じられた。
エマとしては、妊娠中のシリの身体が心配で仕方がなかったのだ。
宴に参加するのは1時間だけとシリに約束させた。
「大事な時期です。無理をしてはいけません」
その表情は石のように硬い。
エマの顔を見て、シリは宴の途中で退席をした。
彼女がいなくなると、空気の重さが少し変わった。
トナカはグユウとの距離を縮めた。
「グユウ、飲め」
アルコールを飲まないグユウの杯に、エルダーフラワーのシロップを注ぐ。
グユウは黙って赤ワインをトナカの杯に注いだ。
「しかし・・・驚いたな」
突然、トナカはつぶやく。
トナカの発言の意図が分からず、首を傾げるグユウにトナカは微笑んだ。
「シリだ。すごい妃だ」
「あぁ」
グユウは納得した表情をした。
「城の麓の大きな堀もシリが考案した」
グユウの目元は少しだけ柔らかくなった。
「俺は・・・シリのような女性にはあったことがない。
争いに口を出す女は、真っ平だと思っていた」
グユウは黙ってうなづく。
前から、その意見はトナカから何回も聞かされた。
「今日の会議で・・・正直、驚いた。
女が争いに口を出すなんて、俺は嫌いだった。
だが、シリを見て・・・認めざるを得なかった。
あんなに冷静で、的確に指示を出して、皆の意見も受け止める。
まるで、城の芯に灯る火のようだった。
「魅力だけじゃない。あの器と胆力・・・
グユウ、お前が羨ましくなった」
杯を持ち上げて、トナカはグユウに微笑んだ。
「オレは・・・シリは天から授かった妻だと思っている」
それは自分を卑下しているような言い方ではなく、
心からそう思っているような言い方だった。
トナカはグユウを黙って見つめた。
「いずれ・・・時が来たらシリを手放さなければいけない」
グユウの目線は先の先まで考えていた。
「・・・シリはどう思っている」
トナカは真面目な顔で質問をした。
「最後までレーク城に残ると話していた」
グユウは伏し目がちで答えた。
2人の間に重い空気が流れた。
「もちろん・・・そうならないように全力を尽くすつもりだ」
グユウは力を込めて話した。
「そうだ。春には子が産まれる。頑張れ」
トナカはグユウの背中を軽く叩いた。
「あぁ」
グユウは目を閉じながら口角をわずかに上げた。
「グユウもすごいが・・・ワスト領の重臣達もすごい。
シリが普通に会議に参加する姿・・・俺もシズル領の重臣達も度肝を抜いた」
笑いながらトナカは話す。
「どうやって重臣達を説得した?」
「オレは何も・・・」
ーーグユウは口下手だ。
トナカは他の重臣に話を聞こうとして周囲を見渡した。
会は半ばが過ぎ、座は程よく交ざりあっていた。
オーエンが1人で黙々と杯を飲んでいる。
「オーエン来い!」
トナカは手招きをしてオーエンを呼び寄せた。
「ほら座れ」
椅子をオーエンに勧め、杯に赤ワインを注ぐ。
人との距離の詰めかたがオーエンは上手だった。
しばらく、世間話をした後、
「初めてシリが重臣会議に参加した時はどう思った?」
トナカは率直に聞いた。
ワスト領の中で若く重臣になったオーエン、
一本筋が通った男が、シリを認める過程を知りたかった。
「最初は嫌でした」
赤ワインを飲んだオーエンは本音を漏らした。
「おっ話せ、話せ、今夜は腹を割って話そう」
オーエンは話を聞き出そうとした。
「グユウ様が妾を作らないのも不満でした。子をたくさん作らないと領政がまわらない」
オーエンは杯を飲んだ。
「そうか。それで?」
トナカが相槌を打つ背後で、グユウは黙って耳を傾けていた。
「女が争いの事なんてわかるはずもない。
そう思っていたのですが・・・共に行動していくうちにシリ様に嫉妬を覚えた。
男の自分よりも有能で・・・悔しいけれど認めざるを得なくなった」
オーエンは完全に酔っていた。
いつもより饒舌だった。
グユウは顔を上げてオーエンを見つめた。
「シリ様はすごい。男に生まれたら時代を変える実力がある。
それを認めるグユウ様もすごい。オレにはできない。
美しいだけではない・・・。人の心を動かす何かがある。
俺はシリ様を心の底から大切に・・・」
そこまで話して、オーエンは机に突っ伏して眠ってしまった。
「寝た・・・」
トナカはオーエンを叩いて起こしたけれど、完全に熟睡しているようだ。
「その話の続きが知りたい」
グユウは面白くなさそうな顔でつぶやく。
シリの言動がグユウ、重臣達の気持ちを変え、ワスト領が変わったことがわかった。
「俺も変わる。余計なプライドは捨てた。シズル領も見習う」
トナカは力強く話した。
不思議そうな顔をするグユウに、トナカは杯を上げて宣言した。
「明日からシリの元で重臣と一緒に勉強をするぞ」
ーー次回
戦の合間にも、領は動く。
シリは軟膏と布の生産を広げ、領民に賃金を支払う新たな仕組みを築いていた。
「豊かさは、守る力になる」――その信念が、ワスト領の未来を変えようとしていた。
◇ 登場人物
シリ
ワスト領の妃。戦の渦中にありながら懸命に民を守り、
軟膏作りや布の生産を指揮する。
新たな命を宿しながらも、領と家族の未来のために立ち続ける。
グユウ
ワスト領主。寡黙で誠実な武人。
妻シリを深く愛しながらも、彼女の才能に圧倒され、
自らを磨こうと静かに決意を固める。
トナカ
シズル領主。豪快だが誠実な男。
当初は“女が戦を語るなど”と軽んじていたが、
シリの胆力に心を打たれ、真の同志として彼女を敬うようになる。
オーエン
若き重臣。理屈より実直な性格。
かつてはシリを軽んじていたが、その知略と強さに心を奪われ、いまは“忠義と恋のあわい”で揺れている。
エマ
シリ付きの乳母。妊娠中の彼女を必死に気遣い、
宴の途中で強引に退席させるほどの頑固な愛を持つ。
ジム
温厚な家臣。シリとグユウ夫妻を支え、
戦でも家庭でも穏やかな空気を保つ潤滑油的存在。
明日の17時20分 守れないなら滅びたほうがマシ




