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この命が尽きるまで自分らしく生きること

「トナカが来た」

グユウのその声は明るい響きがあった。


「良かったわ」

シリの声も明るくなった。


いくら強固な城とはいえ、籠城だけでは争いに勝てない。

味方からの援軍が来なければ、いずれ敗退する。


トナカ率いるシズル領が、来てくれたことに心底ホッとした。


「あの距離ではシズル領の到着は夕方になるでしょう。

シリ様、城に戻らないとエマが・・・」

ジムは全てを話さなかったけれどシリは察した。


昼食に戻るとエマに約束をしたのだ。


その時間は過ぎていた。


「戻ります」

シリは慌てて首の紐を探って、ぐっと引っ張って帽子を頭にかぶりなおした。


城に戻れば、エマの小言、そしてシズル領を迎える準備がある。



その日の夕方、トナカがレーク城のホールに着いた。


隣にいるグユウは、いつもより表情が柔らかく見えた。


いつも、領主としての重圧を背負っているグユウだが、トナカの前では気が緩むのだろう。


仄暗いホールにシリが2人の元に歩むと、

そこだけ灯りがついたように明るく見えた。


「シリ、相変わらず美しい」

トナカのセリフは、トナカ以外の人が言うと歯が浮くようなお世辞に聞こえる。


けれど、優しく敬意のこもった言い方と表情なので、トナカに褒められると嬉しくなる。


シリの顔はパッと花のように赤くなった。


トナカがシリの手を取ろうとした瞬間、グユウがサッと遮り、シリの手を取った。


グユウは深い黒い色を潜ませた目をスッと上げて、トナカを見た。


シリに触るな、と言わんばかりの雄弁な目だった。


「おいおい、睨むなよ。惚れたわけじゃない。ただ、綺麗なもんは綺麗ってだけさ」

トナカは慌てて弁護するように言ったが、その口調にはいつもの軽やかさがあった。


グユウは、じっとトナカを見つめている。


「グユウ・・・妬くな。挨拶だ」

トナカはため息をつきながら話す。


「妬いてない」

強くつないだ手を慌てて離し、グユウは顔をそむけた。


「俺には妻が3人いる」

トナカは弁護するように話す。


「関係ない」


シリも周辺にいた家臣達も我慢できず、クスクスと笑い出した。


感情を表に出さないグユウだが、意外と嫉妬深いのである。



その日の夜、天候が崩れ、激しい雷雨に見舞われた。


稲妻が窓の外を裂き、遠くで雷が低く鳴る。

雨粒がガラスを激しく叩く音が、途切れなく響いていた。


それでも、薪がぱちぱちと爆ぜる音と、ほのかに漂う木の燃える匂いが、寝室を穏やかに包んでいた。


グユウはソファに座りながら、黙って暖炉の火を眺めていた。


「トナカはシリを褒めた『相変わらず美しい』と」

グユウがボソッとつぶやいた。


「ああ・・・確かにそんなことを言われましたね。それがどうしたのですか?」

隣に座ったシリは聞き返した。


トナカにとって、その言葉は挨拶のようなものなのだろう。


褒められて嬉しかったけれど、シリにとっては終わった話だった。


グユウは、シリの問いに戸惑ったようだが、しばらく考えた後に再び口を開いた。


「オレは話すのが苦手だ」


グユウの低い声に、暖炉の薪が弾ける音が静かに重なる。

外ではまだ雨が降っているが、ここだけ別の時間が流れているようだった。



「知っています」

何を今更・・・そんな顔をしてしまう。


「シリを褒めたいと思っても言葉が出てこない・・・。

それなのにトナカは会った瞬間に、シリを褒めることができる」


シリは驚いてグユウの顔を見上げた。


グユウは、途切れ途切れに言葉を想いを口にした。


「いつもオレが想っていることを、真っ直ぐな言葉で誉めていたのが羨ましかった。

トナカは良い友人だ・・・。人当たりも良くて明るく男気がある領主だ。

未熟な領主のオレよりも、シリの力になれる男なのではないか・・・そう考えたら焦りが加速した」


「グユウさん・・・もっと自信を持って」

シリは困ったように微笑んだ。


グユウの心境をシリは嬉しく思った。

感情を表に出さないグユウは嫉妬をしない。


そう思っていたので、予想もしないほどの強い感情をシリに対して抱いてくれていた。


「・・・シリのような妻を持てば、そういう気持ちになるものだ」

グユウは眉間に少し皺を寄せて話した。


実際、シリは美しかった。


闇を背にして、ろうそくの光を受けて座っているシリをグユウは愛おしそうに見つめた後、深いため息をついた。


「そこは・・・自信を持ってください。私が好いているのはグユウさんですよ。何も心配することはありませんよ」


「そうか」

「そうですよ」

シリはグユウを見つめて微笑んだ。


けれど、グユウは未だ不満が残るらしく、伏し目がちに話を続けた。


「シリは・・・いつもオレを焦らせてばかりいる。

トナカに限らず、家臣達にも気を持たせるような振る舞いが多い。勘違いする者が出てくるはずだ。

いや・・・既にいるだろう」

確信に満ちた声で話す。


「グユウさん」

シリはため息をついて、グユウのそばに近づく。


「私の望みは、この命が尽きるまで自分らしく生きること」

シリが静かに話した。


この時代、シリの望みは贅沢なものだった。


女性が自分らしい生き方をするのは、領民でも難しい話だった。


身分が高い妃なら叶わぬ夢だ。


「グユウさんといると自分らしくいられるのです」

挑むように強く見つめてくるシリの瞳の輝きに、グユウは魅せられていく。


「オレは何も・・・」

グユウの声は戸惑いが滲んでいた。


「私の行動は世の女性が歩む道と大きく違います。

妃が争いを偵察する、口を出す、乗馬をする・・・。

それを許可する領主は、どこにもいません」

シリは微笑んだ後に、頬を染めてグユウを見つめた。


グユウは、いつでも自信がない。


口に出さないと、些細なことでグユウは自分を責める傾向がある。


「グユウさんじゃないとダメなんです」

ふわりとシリが笑う。


相変わらず無表情のグユウだけど、少しだけ眉毛が下がって口元があがった。


「シリ・・・」

グユウは名前を呼んでシリを抱き寄せた。


「春には3人目の子供も産まれるのですよ。そんな事、心配しなくても良いのです」

グユウの背中に手を回しながら、シリは微笑む。


「身体の調子は大丈夫か」

グユウは目の淵を赤らめながら聞いてきた。


純粋に身体を心配しているのが半分、それ以外の欲も感じる。


シリは、そんなグユウの瞳から目が離せなかった。


「大丈夫です・・・」

少しうわずった声で返事をした。


グユウはシリを抱き締め、そっとベットに横たえた。


音を立てながら何度も口づける。


時折、首から下に手を這わせると、シリはピクリと震わせた。


「シリ」

苦しげにつぶやく整ったグユウの顔は、ゾクゾクするほど色をまとっていた。


普段、ほとんど表情を変えないグユウが切なそうな瞳で、苦しそうに眉を寄せる。


それは・・・シリにだけ見せる顔。


それは、どんな褒め言葉よりもシリの心を捉えて離さない。


窓の外では、雷が遠くで唸り、雨が風に乗って軒を打っていた。


暖炉の火が揺れ、焦げた木の香りがわずかに鼻をかすめる。


シリはそのぬくもりの中で、グユウの体温を強く感じていた。


争いに満ちた日々の最中、束の間の幸せにシリは溺れた。




シズル領が応戦に来てくれたお陰で、城の守備がより強固になった。


ミンスタ領は、レーク城のありとあらゆる方向から侵入を試みていた。

兵が多いと、広大な城の敷地を見張れるようになって助かった。


中断していた畑やアオソ摘みが再開され、

北側の砦から領民が城に訪れ、畑と軟膏作りなどの手伝いに来てくれた。


夜になると、シリはグユウとトナカと客間に座った。


8月の夜が更けると、レーク城は肌寒くなる。

湖風の冷たさも暖炉の火で心地よく、翌朝には記憶に残らないような無数の事柄について話し合った。


シリの体調は落ち着き、以前より食べれるようになった。


「守備は良いけれど・・・問題は攻撃だわ」

シリは独り言を呟いた。


強固な城とシズル領のお陰で守備は大丈夫だった。

けれど、圧倒的に兵数を誇るミンスタ領に対して攻撃は落ちる。


そのことがシリの不安要素だった。


そして――彼女のその不安は、間もなく現実となる。


ネチネチしているグユウでした。

大雪の最中、除雪機が壊れて途方に暮れています。


次回ーー

包囲は完成し、逃げ場はなくなった。

孤立したレーク城に、長い戦の影が迫る。

それでもシリは立ち上がる――

この命に代えても、領と家族を守るために。



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