戦うなんて言わないでくれ――グユウの心の内
シリの手が、キッパリと宙を切った。
「それは絶対に嫌。グユウさんとジムも同席して」
その声を聞いたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった。
いつも、シリは戦うように、毅然としている。
オレのような男にも、寄りかからず、自分の足で立っている。
ホールへ向かう道すがら、静かに息を整える。
シリの横顔は相変わらず美しい、だがその奥には、緊張が張り詰めていた。
◇
部屋に入ると、キヨが嬉々とした顔で椅子に座っていた。
まるで恋人を待つ少年のように、期待に満ちた目だった。
だが、その目がオレとシリを認めた瞬間、キヨの顔がわずかに歪んだ。
――その落胆は隠しようもなかった。
期待していたのは、シリ一人。
そして落胆したのは、オレが隣にいたから。
その一瞬の表情に、交渉の場に立つ使者の顔はなかった。
そこにいたのは、ただの男だった。
欲しいものを手に入れられない男の、打ちひしがれた顔。
それでも無理に笑みを戻し、芝居を続けようとするところが、また不気味だった。
キヨが顔を上げる。あの目つき。
言葉の端々に滲む執着に、背筋がこわばる。
シリに向けられるその視線は、敬意とは異なる。
まるで、手に入らないものを前にした子供のような、あるいは・・・獲物を狙う捕食者のような。
キヨの目が、シリの全身をなめるように這っていた。
その視線は、言葉こそ丁寧でも、礼儀を忘れた獣のようだった。
瞳、唇、首元、そして――
グユウは、次に視線が向かう先を見なくても分かった。
まるで目だけで愛撫しているようなその目つきに、胸の奥がざわついた。
苛立ちというより、怒りに近いものが静かに体内で膨らんでいく。
それでも、顔には出さない。
だが、剣に手を添えたくなる衝動を抑えるのに、少しだけ時間がかかった。
「シリ様・・・お久しぶりでございます。今日もお美しい・・・」
その口ぶりに、オレの胸にわずかに怒気が宿る。
シリの表情は鋭く、キヨの言葉をまったく受け入れていない。
だが、それがかえってキヨを喜ばせているように見えた。
ーー歪んでいる。
シリの毅然とした態度は見事だった。
ゼンシの名前が出た時も、タダシの名が告げられたときも、心が揺れてもなお、崩れない。
オレがその場にいなければ、キヨの言葉は、彼女をもっと傷つけたかもしれない。
ただそれだけの理由で、ここに立っている価値があった。
「私の覚悟は決まっています」
その声に、グユウは確かに心を揺らされた。
一瞬、胸が冷たくなる。
――まさか、ダメだ。やめてくれ。
オレとともに、戦い、滅びることをしなくてもいい。
ーーそんなのは、駄目だ。
そう思っても、言葉にできなかった。
シリの決意はあまりに強く、美しく、圧倒的で。
ただ、飲み込まれるように見つめるしかなかった。
キヨの顔が悔しげに歪む。
シリの答えが、彼にとって決定的な拒絶になったのだろう。
会議は終えた。
立ち上がるシリの背に、キヨの声が追う。
「また伺います」
キヨが門を出たあと、シリは静かに寝室へと歩き出した。
その背を見つめながら、グユウは足を止めて、一呼吸置いた。
ーー逃げてほしい。
その一言が言えないのは、未練じゃない。
欲でもない。
ただ、惜しいと思ってしまうのだ。
この人が命を落とすことが、惜しい。
強く、賢く、美しく、優しい人を、自分の戦で巻き込むことが。
そう思うと、いつも言葉が喉につかえてしまう。
けれど今夜は・・・
戦の直前のこの夜だけは、せめて・・・何か、言わなければならない気がした。
寝室の扉に手をかけて、静かに中へ入る。
追加で書いたスピンオフです。よかったらご覧ください。
次回ーー
次回ーー
戦の前夜、シリは「あなたの妻です」と言い切った。
グユウはその覚悟を受け止め、ただ「そばにいてくれるか」と問う。
そして翌朝――ゼンシがついに、レーク城を攻める。




